帝王の時代
一陣の風が吹き抜けていく。
天を衝く摩天楼が立ち並ぶ都市の中、その風景を見下ろすことができる高台の樹上に、一つの影が静かに佇んでいた。
月の光に照らし出されるのは少年の姿。白とも銀とも取れる流線型を主としたビルを見据えるその少年の耳には、二つのイヤリング――否。イヤリングのように嵌められた女物の指輪が輝いていた。
※※※
「ハッ、ハッ、ハッ……」
荒い呼吸と共に、少年――「飯田良人」は、まろぶように走っていた。
黒い髪に黒い瞳。どこにでもいる凡庸な容姿の少年は、心臓が張り裂けんばかりに鼓動を打とうとも、足を止めることなく目的の扉を開く。
「……なんじゃ、童」
力の限りに良人が扉を開け放つと、それに気付いた室内の人物達の視線が一斉に注がれる。
頭部に冠を彷彿とさせる角を有し、宝石のように輝く瞳を持つ人間ならざる人達。――その中で一際豪華な椅子に座った美女が、威厳のある声を発する。
この女だけではない。室内にいるいずれもが頭部に角を戴く人ならざる者達であり、その視線が一斉に良人に向けられる。
蔑んでいるのではない。自らこそがその上に位置する存在であることを確信した傲慢さの欠片もない上位者の視線を向けられた良人は、気圧されないように歯噛みするのだった――。
――20××年。人類は、ついに宇宙人――すなわち、異星人と接触することに成功した。
世界は初めて見る地球外の人類との接触に沸き立ち、彼らが有する宇宙を行き来するオーバーテクノロジーと、それによってもたらさられるであろう人類の宇宙時代の到来の予感に胸を躍らせていた。
だが、そんな希望が打ち砕かれたのは「彼ら」と接触してからすぐの事だった。
人類は――地球人達は誤った。否、驕っていたのかもしれない。
幸運にも地球人達は、自分達以外に知的生命体と呼べる存在を知らなかった。
そんな地球人達は、自分達にとっての価値観が宇宙人にとって同じとは限らないという当たり前のことを失念していたのだ。
「帝王種エンペライア」。地球人に接触し、そう名乗った彼らは、宇宙の食物連鎖の頂点に立つ存在。他種族――すなわち「地球人を食料とする種族」だった。
地球人をはるかに超える身体能力、そして王威と呼ばれる超常的な力。そして地球のそれを上回る科学文明。
それらの前に成す術もなく敗北し、三日とかからずにその占領下におかれた地球人は、帝王種の家畜となり果ててしまったのだ。
「い、妹を治してくれ!」
帝王種から注がれる視線を耐え、良人は畏怖と恐怖でひりつく喉を奮い立たせて声を張り上げる。
その視線が見据えるのは、この場の中心にいる女性の帝王種――この辺り一帯を支配する帝王種の長「イシュカティール」だ。
「妹?」
良人の言葉に、周囲にいる同胞達を軽く手を上げて抑えた女帝「イシュカティール」は、訝しげに眉を顰めて問いかける。
「黒呪病なんだ! あれは、あんた達が持ち込んだものだろ!」
続きを促すように視線を向けてくるイシュカティールに、良人は縋る様な思いで声を振り絞る。
黒呪病は、元々地球にはなかったウイルスによって引き起こされる病。宇宙から飛来した帝王種によって持ち込まれた病の一つだ。
肌が黒くなり、細胞が死滅して死に至る病。――帝王種には感染しないが、地球人には一定の割合で伝染する死の病だった
「なるほど。確かに妾達ならばその病を癒すことはできるな。――だが却下だ」
「っ! な、なんで……」
イシュカティールから発せられた無慈悲な言葉に、良人は声を詰まらせる。
縋るような思いでここまでやって来た良人にとって、イシュカティールから返された無慈悲な声は、最後の希望が潰えるのと同義だった。
「なぜ、とは不可解だな。お前の妹を治すことが、妾達にとって何の得がある話なのだ?」
そんな良人に対し、ここにいる者達を束ねる立場にあるイシュカティールは、さも当然といった口調で話しかける。
「黒呪病を治す薬はある。だが、それを摂取した人間を食すことは、妾達にとって健康に害を及ぼす可能性がある。
農薬は作物にとっては薬だが、人間が食した時も同じではないというようなものだ。大量に発生しているというのならまだしも――」
「いいえ。そのような報告は上がってきておりません」
イシュカティールが一瞥を向けると、傍らに控えていた引き締まった体躯の男の帝王種がその視線の意味を正しく理解して答える。
「ご苦労、『グウラ』。――と、いうわけだ。お前にとってはかけがえのない妹なのであろうが、妾達から見れば数多存在する食料の一匹でしかない。その一匹を治療する必要性はない」
「グウラ」と呼んだ騎士然とした居住まいの帝王種からの報告を受けたイシュカティールは、良人を睥睨して無機質な声で言い放つ。
その声音は、ただ事務的に、事実に基づいて話しただけであることを良人に否応なく理解させる感情の籠っていないものだった。
地球人は帝王種にとって食料でしかない。
たとえ外見が似ていて、言葉が通じ、意思の疎通を図れているのだとしても、両者の間には種の違いという絶対的な価値観の隔たりがある。
帝王種が人類に一定の庇護を与えているのは、あくまでも家畜――食料としての価値からでしかない。
家畜が意を唱えたからと言って、帝王種がその嘆願に答える道理などあるはずはなかった。
「あ、あんた達の所為なんだぞ!」
それでも――それが分かっていても、良人は声を張り上げて抗議する。
その胸中にあるのは、死の病に苦しむ妹の姿と、それを救いたいという兄としての想いだけだった。
「それについては釈明するつもりはないが……妾達はお前達よりもはるかに親切な対応をしていると思うぞ?」
激昂し、感情に任せて声を上げる良人に、イシュカティールはどこかからかうような声で言う。
それはさながら、家畜の中で少し違うものを愛でるような感覚なのだろう。――いずれにせよ、良人を追い払うのではなく、軽く相手をしてやろう程度の感情を抱いた女帝は、豪華な椅子に肘をついて言葉を続ける。
「例えば、お前達が世界を統治していた時代。一部の伝染病などに家畜が罹患した時、お前達は伝染を防ぐために、そこにいる全ての家畜を処分していた。
それは人件費や感染拡大のリスクを考えてのことであり、決して誤った対応ではない。
だが妾達は、同じ状況になっても、全ての地球人に対して検査を行い、陽性の者だけを処分している。――恩を着せるつもりはないが、とても寛容な扱いだとは思わないか?」
わざとらしく足を組み、哀れな家畜たる良人を睥睨してたイシュカティールは、まるで試すように語りかける。
良人の妹を蝕む黒呪病は、地球外から帝王種が持ち込んだウイルスによる病。
それは、これまで何度か地球の各所で猛威を振るい、多くの人間の命を奪ったこともある。
その際には、帝王種たちが感染地域へと赴き、治療と隔離を行って地球人たちを守った。――無論それは、帝王種にとっては、自分達の食料を守ったに過ぎないわけだが。
いずれにせよ、地球を支配し、この星の文明を学んだイシュカティールは知っている。
地球人が家畜の間で伝染病などに類する病が広まった際にどのような対処を行ったのかを。
その知識があるからこそ、自分達が取っている手段がいかに慈悲深いものであるのかを説くことができる。
「あるいは、お前達はスーパーやコンビニエンスストアなる施設に食料を置いていたが、それらは賞味期限や消費期限を過ぎれば破棄されてしまう。
つまりお前達は、経営的、経済的事情によって〝買ってもらえるかもしれない〟。〝食べてもらえるかもしれない〟という理由で、家畜を殺していたわけだ。
弱肉強食が世の理とはいえ、そんな理由で殺される家畜たちはたまったものではないなぁ?」
「く……っ」
流れるように紡がれるイシュカティールの言葉に、良人は反論することが出来ずに拳を握り締めるしかない。
「妾達帝王種の中にも、お前達のように他種族を扱う者がいる。お前達がそうならないのは、妾が統治者としてそれを禁じているからに過ぎない」
泰然とした居住まいを崩すことなく言葉を紡ぐイシュカティールからは、まさに王と呼ぶにふさわしい覇気が立ち上っている。
その視線が持つ威圧に圧倒される良人は、まるで法廷で喚問を受けているかのような圧迫感と緊張感を感じていた。
イシュカティールの言葉は事実だった。
良人が知る限り、帝王種達は食べる時にしか人を殺さない。だからこそ、食料家畜となった地球人たちは、ある程度自由に暮らすことができているのだ。
「もちろん、これも恩を感じてくれる必要はない。それは、妾が単純に『自然派』という食習慣を持っているからに過ぎない。
自然に生きているものを食すべき時に食するのが『自然派』。後はお前達のように食料となる他種族を管理して安定的な供給をすることを良しとする『飼育派』。食料となる種族をより美味しく食することを是とする『美食派』――まあ、我々帝王種の嗜好的な好みといったところだ」
帝王種といえども、一枚岩ではない。そのことを示したイシュカティールは、それ以上に自分達が食料である人間を助ける理由がないことを告げる。
「それに、仮にお前の妹が助かっても、結局は遅かれ早かれ誰かに食べられて死ぬことになる。――どちらが幸せかは分からぬが、わずかばかりの寿命を延ばすことになんの意味がある?」
「……っ」
無慈悲な響きを帯びているかのようなイシュカティールの言葉に、良人はただ砕けんばかりに歯を食いしばることしかできなかった。
否、言いたいことは山のようにある。しかし、そのどれもが先程のように一顧だにされないであろうことを理解してしまったのだ。
あと良人にできることと言えば、感情に任せて泣きわめくことくらいしかない。そして、そんなことをしたところでイシュカティールの――帝王種の考えを変えることなどできるはずがないことは分かりきっていた。
「話は終わりか? ならば外へ放り出せ」
反論がないことを確かめ、肩を竦めたイシュカティールの言葉に、その傍らに控えていた屈強な肉体と巨大な二本角を持つ帝王種の男が良人の元へと歩み寄る。
「待てよ! まだ話は終わってないだろ!」
それでも、何とか食い下がろうとする良人だったが、帝王が一度決めた決定をその程度で覆すはずはなかった。
もはやイシュカティールは自分に微塵の興味も抱いていないことが、その所作が物語っていた。
「やかましい奴だ。保存食にでもしてやろうか」
腹が空いていない今、わざわざ手を下すつもりはないという脅しを発した大角の帝王種の男は、爛々と光る双眸で良人を睨み付ける。
「――『ザイオス』」
「申し訳ありません」
保存食なども良しとしない自然派であるイシュカティールが鋭い声を発すると、それが含むところの意味を正しく理解した「ザイオス」と呼ばれた大角の帝王種の男が謝罪の言葉を述べる。
良人の襟首を掴み、地球人のそれとは比較にならない腕力で引きずっていくザイオスを見送ったイシュカティールは、背を向けたままで傍らに立つ「グウラ」に一瞥を向ける。
「で、話の途中だったな?」
「は。この近辺の宇宙で我が軍が『王喰』を発見。交戦状態に入ったまま、こちらへと向かってきているようです」
神妙な面持ちでグウラから告げられた言葉に、イシュカティールは眉間に皺をよせ、その整った美貌に渋い表情を浮かべる。
「――『王喰』か。この地へ降り立つ前に、何としても滅ぼせ」
「は!」
※※※
どこまでも広がる闇。――おびただしい数の星を抱き、果てしなく広がる暗黒の海に包まれた宇宙。
無限に等しい生命を育む星に満たされ、それらを生物が生きていくことのできない死の闇で埋める世界を、無数の流星が飛翔していた。
一つは凶々しい黒色を纏う星。その周囲を数十にもなる無数の流星が駆け回っている。
「逃がすな!」
その周囲を飛び回る流星は、一つ一つが帝王種。宇宙の支配者たる種族が有す「王威」という力を纏い、宇宙空間ですら生身で活動できる帝王種はたった一つの黒い流星を撃墜せんとしていた
「撃ち落とせ!」
「――グオオオオオッ!」
その黒い光の中にいるのは、竜とも狼とも獅子とも取れる姿をした獣。その獣は、赤く光る双眸を見開き、周囲にいる帝王種達に攻撃をしかける。
巨大な尾を振るい、咆哮と共に熱閃を吐き出す。帝王種達はそれらの攻撃を王威を凝縮して作り出した障壁で防ぐが、そのあまりの威力に防御ごと吹き飛ばされてしまう。
しかし、帝王種達もただ押されているわけではない。その隙を衝いて放たれた王威の矢が獣の身体に突き刺さり、青い血を流させると共に苦悶の咆哮を上げさせる。
「逃がすな! 何としてもここで滅ぼすんだ! ――我々の天敵、王喰を!」
帝王種の戦士達は、「王喰」と呼ぶ獣へとその身から放つ王の光を休む間もなく撃ち込んでいく。
その進む先には、青く輝く惑星――地球が宇宙の闇に抱かれて美しく鎮座していた。