第九話 悪夢を吐くモノ
ふやけた月様「書き出し固定企画」参加作品
深夜にうなされて目が覚める。
とても怖い夢を見た。
首筋にまとわりつく汗を手でぬぐう。
恐ろしい夢だったのだが、目が覚めてみると思い出せなかった。
「──そういうのがさ、ここんとこ毎日なんだよ」
「ふうん」
普段鬱陶しいほど元気な幼馴染のケンゴがしょぼくれている。
「ホラー映画の観過ぎじゃないのか?」
俺の指摘にケンゴはううんと首を傾げる。
こいつは怖がりな癖にホラー映画が大好きという変わった男だ。
「それにしても毎日なんだぜ? そんで夢の内容をちっとも憶えてないってのがなんか違和感があるっていうか。変じゃないか? 引っ越したばっかだし場所が悪いのかなぁ?」
「かもな」
「そこでお願いがあります」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないじゃんかよ」
「どうせ『祓ってくれ』とかだろ? 俺はそんなこと出来ないって昔っから何度も言ってるだろうが。大体お前んとこのアパート新築じゃないか。そんなところにどんないわく因縁があるっていうんだ。お前タカヒロに影響されすぎだぞ」
「でもあいつはお前がしょっちゅう引っ越ししてんのは、あちこちの事故物件を『浄化』して回ってるからだって言ってるぞ?」
「……あの野郎」
タカヒロはもう一人の幼馴染だ。
白皙の美青年で物腰も柔らかく大層モテるが性格に難がある。奴は子供の頃からオカルトにしか興味がなく、何かにつけ俺を巻き込む迷惑な野郎なのだ。
「俺は浄化なんかしてない。事件事故のすぐ後の物件に入りたがる借り手がいないから頼まれて俺がワンクッションになってるだけだ」
タカヒロの名前が出たことで、奴のせいでエライ目にあったことをあれやこれや思い出し、俺の眉間にぐっと力が入る。
「つ、冷たいぞ! 親友の俺が寝不足で死んでもいいのかよ〜? 死んだらお前んとこに化けて出るぞこの野郎ぉ〜」
「出るな。まったく幾つだよお前」
知ってる。俺と同い年だ。
俺は半泣きのケンゴを連れて奴のアパートに向うことになった。
俺はこの世のものでは無いものが視える。
だが俺は視えるだけの普通の人間だ。だから何も出来ないし何もしない。
何もしないが、この世のものでないものたちは俺と同じ空間で過ごすと、その存在が次第に薄れやがて消えていなくなるのだ。理由は分からない。
ひょんなことから俺の特異体質を知った不動産屋を経営する伯父が、家賃免除を条件に様々な訳あり物件──中でも怪異が起き住人が居付かない事故物件──に住んでくれと頼むようになった。
俺が嫌がるので口には出さないが、伯父も俺を霊能力者だと信じている節がある。
オカルトに傾倒しているタカヒロなんぞは、霊能力者の俺が何某かの力を用いて霊を祓っている、或いは怪異の起きる場所を浄化していると信じて疑わない。
──何が霊能力者だ馬鹿馬鹿しい。
俺にそんな力があれば、鬱陶しくももの悲しい『同居人』を長々と放置せず、さっさと向こう側へ送っている。
ケンゴの住処へ足を踏み入れて早々、俺は奴の後ろ頭を勢いよく引っ叩いた。
「な、何すんだよ」
思いの外力が入っていたようでケンゴが勢いあまって前に倒れそうになったが、俺は怒り心頭でそれどころではない。
「……お前、俺が前から常々口を酸っぱくして言ってた事を憶えてないのか。馬鹿なのか? いやケンゴだったな」
「馬鹿と俺を同義語扱いすんなっ!」
俺はケンゴの抗議を無視して上がり込み、万年床の傍のテーブルの上に鎮座する翼の生えたぬいぐるみを鷲掴んだ。
「これは何だ!」
二対の翼の生えたぬいぐるみは子犬ほどのサイズで、小さな脚が六本生えている。手触りはふわりとして形の変わった普通のぬいぐるみにしか見えないが、掴んだ指先からじわじわ熱が奪われていく感覚がある。
ケンゴには見えていなかったが、俺にはこのぬいぐるみから黒く禍々しいものが垂れ流されているのが『視えた』のだ。
だがそれだけじゃない。
玄関先まで広がる黒い何かを視線で追った先で、俺はこのぬいぐるみと目が合った──いや目が合ったと言うのは正確じゃない。何せこのぬいぐるみ、翼が四枚、脚が六本もある癖に目や鼻や口はないからだ。
兎に角『こいつ』は俺が異変に気付いているのに気付き、さっと黒いものを引っ込めたのだ。
間違いない。これが悪夢の元凶だ。
「このぬいぐるみどうしたんだ? まさか何処かで誰かに買わされたのか?」
こんな珍妙な形のものが普通に店で売られているとは思えない。
ケンゴは『幸運のなんとか』とか『健康になる何某』とかを売りつける霊感商法に引っかかったことのある前科者だ。オカルトを盲信するタカヒロでさえ洟も引っ掛けない怪しいものに、こいつはころっと騙されるのだ。
「買ってねえよ拾ったんだ」
口を尖らせるケンゴに俺は開いた口が塞がらなかった。
「余計悪いわ! 道端に落ちてるものをホイホイ拾ってくるんじゃないと何遍言えば分かるんだこの馬鹿ケンゴ!」
ケンゴは勘がいい。普段はそのお陰で我知らず危険を回避しているのだが、勘がいいのと同じくらいに引きもいいのだ。
いいモノに対しても悪いモノに対しても。
「だってよう、なんか『拾って♡』て感じだったんだよ。形も変わってて面白えしふわふわだし」
怪しさ満点だ。頭が痛い。
「どこで拾ったんだ元の場所に捨ててこい!」
くそっ俺はお前のカーチャンか。
ぬいぐるみを鷲掴んだまま吠える俺の剣幕に、さすがのケンゴもこれがかなりヤバい代物だと理解したようだ。
「……なあ一緒に」
「断るっ!」
──などと言ったものの、結局俺はケンゴと一緒に件のぬいぐるみを拾ったという場所に向かった。
そこは住宅街の端、私道と市道が交差する十字路だった。所謂『四つ辻』というやつだ。
その一角にぬいぐるみを放置し、俺たちはさっさとその場から引き上げた。
ちらちら後ろを気にするケンゴの尻に思いっきり蹴りを入れた俺は悪くない。
良識ある人は「何も知らない他人が拾ったらどうするんだ。自分達が安全なら他人はどうでもいいのか」と眉を顰めるかも知れない。
自分と自分の周囲が安全ならそれでいいのか? 当然だ。
俺は善人じゃないし皆を救えるような力もない。
俺の手の届かない誰かの安全は正義の味方にお任せすると決めている。
いるかいないかはさておき、そういう博愛主義者には是非とも頑張って欲しいと思う。
数日後。
俺が「二度とアレに近づくな」ときつく注意したにも関わらず、ケンゴは例の四つ辻に捨ててきたぬいぐるみの様子を見に行ったようだ。「なくなってたぜ」という能天気な報告を受けた俺が再びケンゴに説教をしたのはいうまでもない。
数日の間に誰かに拾われたのか、はたまたあの六本の脚で何処かへ移動したのか。
その後あの得体の知れないモノがどうなったのか俺は知らない。
四つ辻 《よつつじ》
道が十字に交わっている所。四つ角。十字路。
海外では十字路には悪魔が住んでいると言われている。