第八話 籠女ーかごめー
※男たちの簡単な説明
俺=視える男。
タカヒロ=俺の幼なじみ。腹黒美青年。オカルト体験を渇望する男。霊感ゼロ。
ケンゴ=俺の幼なじみ。お調子者。怖がりだがホラー映画が好き。霊感ゼロ。
「頼みがあるんだ」
白皙の美青年がその顔に薄く笑みを浮かべ、長い足を組みゆったり腰掛けている様はまるで物語に出てくる王侯貴族のようだ。
美青年は王侯貴族ではなく俺の幼馴染だが、腰掛けているなんの変哲もないパイプ椅子を豪華なソファーに錯覚させるほど、キラキラしいオーラを放っている。口元に笑みを浮かべてはいるが色素の薄い瞳は憂いを帯びていて、麗しい王子サマの憂いを取り除く為なら、大抵の人間は二つ返事で手助けを申し出て頼み事を引き受けるだろう。
だが。
「断る」
生憎俺は目の前の男の本性を嫌というほどよく知っている。外見は良いが中身は真っ黒だ。
麗しの王子サマことタカヒロが俺に頼むことはただ一つ。奴が焦がれて止まないオカルトに関する事柄に違いない。
「即答だな。内容くらい聞いてくれてもいいんじゃないか?」
「やなこった。お前の頼み事なんかどうせ碌なもんじゃない。何度も言うが俺は霊能力者でも祓い屋でもないんだぞ。その手の話は専門家のところへ持っていけよ」
「俺の知る『本物』はお前しかいないんだから仕方ないじゃないか」
「だから……!」
「少し付き合ってくれないか。心霊スポットとかじゃなくて、お前も行った事がある倉持の叔父の所の」
「開かずの蔵か? なら尚更だ。断る」
俺がバッサリ切り捨てると、タカヒロは面白い玩具を見つけたように目を輝かせた。
俺は不動産屋の親戚から請われ『事故物件』を渡り歩いている。
事故物件と言ってもその事故の内容は千差万別で、地震や床上浸水などの災害や事故に始まり、失火や放火や殺人など物騒なものまで色々ある。俺が充てがわれるのは主に後者で、しかも何某かの怪異のせいで住人が居付かないというおまけ付きの物件ばかりだ。
不動産屋にしてみれば事故物件であろうが飯の種だ。金をかけきちんとリフォームし物理的に瑕疵のなくなった物件を、何だかよく分からない怪異が起こるからと無人で遊ばせておく訳にはいかない。
親戚が家賃免除を条件にしてまで俺に「住んでくれ」と頼み込むのようになったのは、原理や理由はさておき俺が住めば、本当の意味でその物件が“クリーン”になると経験的に知っているからだ。今では時々親戚の伝手で、他の不動産会社や個人の家主などからも事故物件に住んでくれと頼まれるようになってしまった。
その場合も家賃免除以外の報酬は一切受け取らない。俺はそういったことを生業とする霊能力者じゃないからだ。事実ただそこに住み生活をするだけで、特別な何かをしている訳ではないのだ。
だがオカルトマニアのタカヒロは、俺が霊を祓いその場の穢れを浄化していると考えている。何度違うと言っても納得しない。タカヒロは俺が密かに霊能力を使っていると信じて疑わないのだ。
とはいえ (甚だ不本意ではあるが)俺の日常には怪異が溢れている。その為他の人間より怪異慣れしているのは否定しないし、少々のことでは驚かない自信もある。
──そんな俺でも絶対に近寄らない場所がある。
それは普通の民家だったり、ビルの谷間にひっそり存在する空き地だったり色々だ。特に変わった所もなく人の出入りもある。日常に埋没し誰も気に留めないような場所だが、兎に角よくない。そういう場所が存在する。
タカヒロの親戚の倉持某家が所有する『開かずの蔵』もそれに該当するのだ。
子供の頃一度だけ、その開かずの蔵をタカヒロやもう一人の幼馴染のケンゴと見に行ったことがある。
蔵を見てすぐによくない場所だと分かった。
お調子者のケンゴは興味津々で、俺が止めるのも聞かず蔵に突進し、開かない扉を叩いたり蹴ったりし始めた。特に害はないようなので好きにさせていたが、俺は決して近付かなかった。
子供の頃からオカルト好きだったタカヒロは、離れた場所に突っ立ったままの俺に敏感に反応して「何故近付かないんだ。何かいるのか」と執念く食い下がった。
タカヒロのあまりの執念さにうんざりし始めたあたりで、蔵に飽きたケンゴが「他の場所で遊ぼう」と騒ぎ出しその場から逃げ出すことが出来たのだ。俺がケンゴに救われる、という数少ないエピソードの一つだ。
──とにかく。
「なんで今更開かずの蔵なんだよ。何十年も放置されていて建物自体が危ないから、壊してプレハブの物置に変えるとか言ってなかったか?」
「実は昨日叔父さんから連絡があってね。急に扉が開いたんだそうだよ」
「へーそうなんだ。でもなんでお前に連絡が来たんだ?」
「俺が不思議な事柄に目がないと一族皆知ってるからな。変化があったら必ず連絡するように頼んでいたんだ」
「本家の跡取り息子の頼みは断れないか。まあ何にせよ、壊す前に蔵の中が確認できてよかったじゃないか」
「それなんだが。確認するも何も、蔵の中納められていたのは鳥籠一つだけだったんだ」
「ふうん。あんな大きな蔵に鳥籠が一つだけ? そりゃあまた……」
「写真を送って貰った。鳥籠自体は象牙や鼈甲で作られた豪華なもののようだ。だけどかなり大きな物らしくてね。そうだな──」
タカヒロが身を乗り出し声を顰める。何やら雲行きが怪しくなってきた。
「人ひとり入れるくらいの大きさなんだと」
「は?」
「興味が湧かないかい?」
タカヒロは頬を紅潮させゆっくり立ち上がった。
奴のキラキラオーラの威力が増し周囲から甲高い悲鳴が上がる。
しまった。ここは学内のラウンジスペースだった。
「開かずの蔵の扉が今になって開いた理由は? どうして鳥籠しか入っていないのかな? しかもただの鳥籠じゃない。ねえ。あの時お前が鳥肌を立てるほど近寄るのを嫌がっていたのは、蔵のせいじゃなく中に入っていたあの鳥籠のせいなんじゃないのか? 確認したくないか? 確認したいだろう? 確認したいよな。さあこれから一緒に行こうじゃないか」
「お断りだっ!」
「つれないね。俺たち幼馴染だろう? それに」
悪魔が瞳をキラキラさせ、儚げな容姿に似合わない馬鹿力で俺の腕をがっしり掴んだ。
「今度は逃がさないよ?」
周囲の悲鳴が絶叫に変わった。俺も叫びたい。
俺はタカヒロをぶん殴ってでも断固拒否するべきだったと後悔した。
件の場所に到着した途端、俺はその場で嘔吐した。
開かれた開かずの蔵やその周辺に漂う異臭が凄まじく、とてもじゃないが我慢できなかったのだ。
だが異臭を嗅ぎ取ったのは俺だけのようで、元凶の悪魔やラウンジの騒ぎを聞きつけ面白がってついてきた駄犬は何も感じていないようだった。
「おい大丈夫かよ。何か変なものでも食ったのか?」
「……大丈夫だ」
俺がいきなり嘔吐したことに驚いたケンゴは顔を青くしたが、タカヒロは頬を赤く染め口の端をきゅうと上げている。
この鬼畜野郎は、どんな心霊スポットに連れ回しても常に平然としている俺がこれまでにない反応を見せたことで、自分の仮説──鳥籠は呪物的な物ではないのか──が正しく、実際に本物の怪異に遭遇できたと喜んでいるのだクソったれ。
だが残念だったなタカヒロ。吐いたのは鳥籠のせいじゃない。別のものが原因だ。
「喜んでるところ悪いが、あの鳥籠は空っぽだ」
「何当たり前の事を言ってるんだ? 鳥籠のせいで気分が悪くなったんだろう? それともやっぱり蔵に何かあるのか? この後に及んで誤魔化すなよ」
「どっちも違う。吐いたのはそこに入っていたものの強烈な残り香のせいだ」
「残り香? 何も臭わないじゃないか。それより中に何か入っていたのか? 蔵と鳥籠、どっちなんだ? 何だ何が入っていたんだ!?」
「そんなの俺が知るかよ。あ。やっと鼻が慣れてきた。何か知らないが開かずの蔵が開いたのと同時に外へ逃げ出したんじゃないのか? そこにあるのはただの空っぽの鳥籠だよ」
「空? 何も、いない?」
鳥籠に囚われたまま開かずの蔵に何十年も放置されれば、どんなものでも生きていられるわけがない。俺は逃げ出したものに命があったとは一言も言っていない。だが怪異に出会えた喜びから一転、俺に「何もない」と否定され落胆しているタカヒロは、まだそのことに気付かない。
タカヒロの様子に少し溜飲が下がった俺は庭の松の木を見上げた。
松の木の天辺には枯れ枝のようなガリガリの女が絡まり、真っ黒な穴のような目でこちらを見下ろしている。
着物のようなものを纏っているが、全体的に黒く汚れていて元の色や柄まではよく分からない。ガリガリに痩せているのに腹の部分だけ異様にぽっこりと膨らんでいるところは、地獄絵図の餓鬼を連想させる。
残り香の主、鳥籠の元住人だ。
女の顔は真っ黒で表情が窺い知れない。その為恨みを抱いているのか喜んでいるのか分からないが、何にせよ長い間閉じ込められていた彼女はやっと解放されたようだ。
女の素性? 鳥籠の用途? 死してなお鳥籠に閉じ込められていた理由? 倉持家の開かずの蔵に収蔵されるに至った経緯? そして何故今になって解放されたのか。
何一つ分からないし知りたくもない。
俺が分かる事といえば、昔と変わらず蔵の建つこの場所は『よくない』という事だけだ。タカヒロやケンゴに害がないのも変わらない。
長袖で誰にも気付かれないのは幸いだが、俺がずっと鳥肌を立てたままなのも変わらない。
──このように俺たちは現在進行形で怪異の真っ只中にいる訳だが、勿論無理やり連れてきた上に人の醜態を見て喜ぶような鬼畜野郎に教えてやるつもりはない。
「庭を汚して悪かったって謝っておいてくれ。バイトの時間があるから俺は帰るよ」
俺はうわの空のタカヒロに声をかけ踵を返す。よくない場所にいつまでも居座るつもりはない。
「何だよ。せっかく開かずの蔵が開いたのに中も見ずに帰るのかよお前」
「見るものは見たさ。そうだケンゴ。前に蔵の扉を叩いたみたいに鳥籠を叩いたりするなよ? それ相当高価なものらしいから」
「そうなのか? でもこれ鳥籠って呼ぶにはかなりデカいよな。デカすぎてケージんとこが刑務所の鉄格子みたいに見えるぜ」
言い得て妙。ケンゴはアホな癖に妙な所で鋭い。
ふと気配を感じ松の木を見上げる。着物の袖を翼のように広げた黒い女が、ちょうど枝から飛び立つ所だった。女は音もなく羽ばたくと空にすうっと消えていった。
鳥籠に囚われていた女の去った後、風に乗って漂ってきたのは松の葉の匂いだけだった。
籠女
「籠女」は見た目が「籠」を抱いているような「女」を意味し、妊婦を指すとも言われる。
その他にもかごめは充てる漢字によって様々に意味が変化する。
「神具女・神宮女」は祈祷を行う巫女の意。
「籠目」は網目文様の一つ。鬼の嫌う魔除けの文様とされる。