第七話 光芒─こうぼう─
※男たちの簡単な説明
俺=視える男。
タカヒロ=俺の幼なじみ。腹黒美青年。オカルト体験を渇望する男。霊感ゼロ。
ケンゴ=俺の幼なじみ。お調子者。怖がりだがホラー映画が好き。霊感ゼロ。
光芒。
雲の切れ間から光が漏れ、光線の柱が地上へ降り注いで見える現象のことで、薄明光線という自然現象だ。
とても美しいそれを見たものは願いが叶うといわれている。
「天使の梯子だね」
細い指で、写真集の中の一枚を撫でながら友人Nが云った。
普段から中性的な雰囲気の男だったが、ここ数ヶ月の間にすっかり筋肉が落ち、元からの童顔のせいもあってますます性別不明な見かけになっている。
「ふうん。そりゃあまたロマンチックなネーミングだな」
彼に頼まれていた着替えを一式、ベッドの側の引き出しに入れながら俺は相槌を打った。部屋の隅にちょこんと腰掛けている祖母さんが俺に会釈する。俺は黙ってそれに返礼した。
Nは祖母とふたり暮らしだったが、思い通りに動けない彼女の代わりに、今回俺がNの荷物を彼のもとへ届けたのだ。
窓際に座って外を眺めていたタカヒロが、その光の別名をあげた。
「ヤコブの梯子とも言うらしいぞ。英語だと『ジェイコブズ・ラダー』ってとこか」
「げ。それってホラー映画じゃね?」
ケンゴが一瞬だけ顔を上げて言った。怖がりなくせにホラー映画が大好きなこいつは、さっきからスマホのゲームに夢中だ。
ふたりとはここに来る途中で偶々出会っただけだったが、それにしても何の為について来たのかさっぱりわからない。俺はスマホの画面に夢中の能天気なケンゴに問いかけた。
「ヤコブって言ったらあれだろ? 聖書に出てくるような名前がなんでホラーなんだよ」
「その映画なら僕も知ってるよ」
俺の疑問に答えたのはベッドのNだった。
彼によるとそれはかなり古い映画で、ひとりの男が死の間際に、過去や現在や幻想の中を行ったり来たりする話のようだ。
「最後にはその男が死を受け入れ、天国への階段を上る話だよ」
「病院でする話じゃないな」
俺が不満を漏らすとNは笑った。彼の祖母さんもNと一緒に笑った。
「あいつ、影が薄くなったなあ」
見舞いを終え、Nの入院する総合病院を出たところでケンゴがしみじみ言った。
「病人がお前にみたいに元気いっぱいなわけないだろうが」
俺はそう言いながら、霊感ゼロな癖にやたらと『勘がいい』ケンゴの言葉にどきりとする。Nの病室に居た彼の祖母さんが、哀しそうな笑顔を浮かべていたのを思い出したからだ。
暫く黙っていたタカヒロが不意に静かな声で、Nの病状伺いとは全く関係のないことを俺に問いかけた。
「死神は居たか?」
静かだが、その色素の薄い瞳が好奇心で輝いている。
さすがにタカヒロも他人の死を望んでいる訳ではないだろうが、薄っすらと口元に笑みを浮かべ『死神は居たか』と問うこいつのほうが死神のようだ。
この鬼畜な幼馴染みはオカルトに魅せられてはいるが、未だに本物の怪異に遭遇した事がない。
タカヒロが街中で偶然出会った俺についてきたのは、病院という、ある種『定番』な場所で何某か目撃できるのではないかという目論見があったからのようだ。
こいつは相変わらず、視える俺のことをオカルト探知機扱いしているのだ。むかつくがもう慣れた。Nの病室内で自重していた事だけは褒めてやる。
「ぶれないなお前。病院なんだから居るさ当然」
タカヒロの言う『死神』とは病院に居る黒い影のようなものの事だ。それは死者とは違い形がはっきりしないので、俺にもその正体は分からない。
そもそも俺はあれが死神だなどとは思っていない。その黒い影は人に直接何かするわけではないのだ。
あれは病院内のあちこちに陽炎のように現れ、何かの折に「りん」と鈴のような音を立てて『鳴く』だけだ。だがその影が鳴いた時、病院のどこかで誰かが『最期の息を吐く』のは確かだった。因果関係はわからない。とにかくその影はそういうものだった。
以前うっかりその話をしたところ、それは死神ではないのかと珍しくタカヒロが興奮したのだ。白皙の美青年が頬を紅潮させ俺の腕を掴み迫る様は、一部の女子の『何か』を刺激したらしく、暫く大学で変な噂が立ちうんざりさせられたものだ。
「おい見ろよ!」
ケンゴが急に大声を出した。ケンゴの視線の先、空を見上げると雲の隙間からいく筋もの光が地上に降り注いでいるのが確認できた。
「天使の梯子、だな」
タカヒロが空を見上げそう言った。
「どう見ても梯子には見えねえよ。むしろエスカレータみたいじゃね?」
凄えな、と子供のようにはしゃぐケンゴの声を聴きながら、俺は後にした総合病院を振り返った。
タカヒロはあの黒い影を死神だというが、俺にはあれが人の生命を奪うような禍々しいものには感じられなかった。
だがそれでもあの影は、死の予感をさせつつまた近いうちに鳴くだろう。
いつもこうだ。
ただ視えるだけの俺には、何も出来ることはないのだ。
Nを心配して死後もずっと側に寄り添っている、彼の祖母の哀しい笑顔を俺は再び思い浮かべた。
りん、と澄んだ鈴の鳴き声と共にNがその最期の息を吐いた後、彼が美しいと言っていたあの光の梯子を、彼女も一緒に登ってくれればいいが。
俺は空を見上げその自然現象にそれを願った。