第四話 鳴家─やなり─
※男たちの簡単な説明
俺=視える男。
タカヒロ=俺の幼なじみ。腹黒美青年。オカルト体験を渇望する男。霊感ゼロ。
家鳴り、というのを知っているだろうか。
家のどこからかぱきん、とかびしっとか聴こえる正体不明の『音』の事だ。
これは木材やコンクリート、或いは建築に使用されている釘やプレートなどの金属が、気温や温度の変化で乾燥・収縮するために起こるとされる、謂わば『自然現象』のようなものだ。
今俺の目の前にある物件は築三十年以上のオンボロアパートなので、新建材の乾燥収縮とかいう問題ではないが、近くを走る大型トラックの振動で、今まさに物理的に揺れている。
築年数の古さが家鳴りの原因であることは間違いない。
それだけならよくある話だが、やがて『音』だけでなく『勝手に物が移動する』と噂に尾鰭がついた。
訳あり物件特有の家賃の安さに釣られ、最初は怪異を面白がった若者たちが入れ替わり立ち替わり住んでいたが、皆一か月と保たず退去してしまう。
しまいには何人めかの入居者の会社員が、家鳴りに悩まされた挙句、ノイローゼになり自殺をしてしまった。その事で上記の噂に『出る』という項目が追加されたようだ。
元々借家人が居付かなかったが、遂に死者が出たことで、本物の『事故物件』になり困ったアパートの老オーナーが俺の親戚の不動産屋に相談を持ちかけ、その親戚がいつものように「そこへ引っ越してくれないか」と俺に話を持ちかけてきたのだ。
親戚の不動産屋に頼まれるのはいつもの事だし、そこまではいい。
だが、俺がまた引っ越しをすると嗅ぎつけたタカヒロが、俺が入居し『除霊してしまう前』にそのオンボロアパートに住まわせろ、と迫ってきたのだ。
「本当にいいのか? タカヒロ」
「もちろんさ」
サビの浮いた外階段の手摺りを眺めながら俺が聞くと、タカヒロが嬉しそうに返事をした。
貴公子然とした白皙の美青年にはどうも不釣り合いな建物だが、本人が気に入っているのなら俺がどうこういう筋合いのものではない。
「何度も言うが、本当に『出る』保証はないぞ。そもそもポルターガイストだとか言うのも怪しいな。お前も今トラックの通過でアパートが揺れてたのを見ただろ?」
「だが、お前に住んでくれと話がまわってきたんだろう?」
それはそうだが、俺は霊媒師でもなんでもない。
確かにいくつかの事故物件を『綺麗に』したが、意識的に加持祈祷したり祝詞を読みあげたりしたわけではない。俺が住み続けると自然にそうなるだけなのだ。
今回の引っ越しも確かに『ロンダリング』(断じて除霊ではない)が目的なので、親戚にひとこと言えば俺の代わりにタカヒロが住んでも、少しの間くらいなら文句は言われないだろう。
ただ以前住んでいたアパートは既に解約済なので住む所に困るし、タカヒロと同居して女たちの嫉妬羨望の視線を浴びるのは御免被りたい。腐女子たちにあらぬ疑いをかけられるのも鳥肌ものだ。
俺がああだこうだと理由を並べ立てて渋っていると、タカヒロはこのオンボロアパートと自分の住んでいるマンションとを交換し、自分の代わりにそこに住めばいいと言い出した。
「俺は怪異を体験出来るし、お前はコンシェルジュ付きマンションに住める。ウィンウィンだな」
涼しい顔して、なにがウィンウィンだこの野郎。
タカヒロは小綺麗なマンションの最上階に一人暮らしをしている。確かにこのオンボロアパートの百倍は住み心地がいいだろう。金の出所はさておき、天が二物も三物も与えたようなこの男を、殴りたくなったのは今回が初めてではない。
こうなるとタカヒロは決して引かない。自分の思う通りに事が運ぶまで絶対に諦めないのだ。
結局、押しの強いタカヒロに負けた形になるが、俺は渋々OKを出した。
今回は能天気で暗示にかかりやすいケンゴはいないし、万が一タカヒロに『障り』があったとしても、それはこいつの自己責任だ。
「……一週間だ。それ以上は親戚に頼まれた物件だから駄目だ」
「了解したよ」
タカヒロはそう言うと、俺にマンションのカードキーを渡し、ひらひら手を振ってオンボロアパートに消えた。
タカヒロがマンションのコンシェルジュに話を通していたらしく、俺は手にしたコンビニ袋をがさがさいわせながら、すんなりと奴の部屋の前に到着した。
タカヒロはウィンウィンなどと言ったが、オンボロアパートから綺麗なマンションに住めたからといっても別にありがたくも嬉しくもない。そもそも俺はこの手の高級な物件に住むのは初めてではない。こういった物件の中にも『いわく付き』な物は存在するからだ。
だがこのマンションはまだ新しく事故物件ではないし、建設されたこの場所もいわく付きの場所ではない。
たまには邪魔する『もの』が何もいない場所で、たったひとりで過ごすのも悪くないかも知れないと、俺は気分を切り替えた。
だが鍵を開け中に入った俺は絶句した。
目にも鮮やかな赤い着物を着た女性が、艶やかな長い黒髪が床に着くのも気にせずに、玄関口の上がり框で三つ指をついて俺を出迎えたのだ。
その女性は笑顔で顔を上げたが、俺を見た途端露骨にその美しい顔を顰めた。
「タカヒロじゃなくて悪かったな」
俺は和服美人を無視してずかずか部屋に入って行った。
いくらタカヒロが鬼畜でも、自分の彼女をマンションごと俺に貸すわけがない。その証拠に、玄関から移動した和服美人は、胡散臭そうに俺をリビングの天井から見下ろしている。
どこで拾ってきたのか知らないが、何故タカヒロに憑かず、マンションで新妻のようにあいつの帰りを待っているんだろうか。
人でないものの考えることなど、俺にわかる訳がない。
俺は考えるのをやめ、持参していたコンビニ袋の中身をリビングのテーブルに広げた。
どっかりとソファーに座り、缶ビールを開けると和服美人に睨まれた。どうやらここはタカヒロの定位置らしい。
「気に入らないだろうが諦めてくれ」
俺の向かいに座った彼女は、タカヒロを返せと言わんばかりにテーブルをがたがた揺らし始めた。
一週間後、タカヒロは落胆の表情で待ち合わせの場所にやってきた。
「その様子じゃ、どうだったか聞くまでもないみたいだな」
「確かにずっと『音』はしてたが、あれは別の意味で恐ろしかったよ」
タカヒロ曰く、件のボロアパートは、大型トラックだけでなく普通自動車が通る度にも揺れ、中程度の地震でも起きればアパートそのものが一気に倒壊するのではないかと、そちらの方が怖かったと言うのだ。
当然『音』以外は何もなく、四六時中ぐらぐら揺れる部屋で、船酔いにでもなったかのような気持ちの悪い思いをしただけだったらしい。
「まあそういうこともあるさ。俺が充てがわれるいわく付きの部屋も、いつも何かがいるわけじゃないしな」
「今回ははずれだったということか」
「タカヒロ的にはそうかも知れないな。じゃあな」
俺たちは鍵を交換し、それぞれが本来の住処へ帰ることになった。
肩を落とし、哀愁を漂わせたタカヒロの背中に『和服美人によろしくな』と声をかけようとしてやめた。
和服の美女は俺と一週間一緒にいたことで、あれほど目に鮮やかだった赤い着物も薄ぼんやりとし、今朝はその表情も伺えず全体的に影のようになっていた。今にも消えそうだった彼女は、もう玄関でタカヒロを出迎えることもないだろうし、恐らく数日を待たずに消えてしまうだろう。
俺があの和服美人の事をタカヒロに話さなかったのは、いつも傍若無人に振る舞うあいつに、すぐ側に在った彼女という怪異の存在を知らせ、喜ばせるのが癪だったというのもある。
だが、どれくらい彼女と一緒に過ごしていたのか知らないが、『あれ』と波長が合わず、ずっとすれ違いのままだったのならそれでいい、と俺は考えたのだ。知らなければそれで済むし、関わらなければいいことはこの世界にはたくさんある。
牡丹灯籠や雨月物語にあるように、この世のものでないものと情を交わすと碌なことにならないからだ。
だが正直なところ、オカルトに焦がれつつもなかなかチャンスに巡り合えないタカヒロに対し『いい気味だ』とも思っている。
あいつのオカルトへの情熱は凄まじく、俺は往々にして巻き込まれ、被害を被る事があるからだ。
「ふ。『灯台下暗し』とはまさにああいうことだよな」
俺は笑いながらオンボロアパートの鍵を開け、ここでも絶句した。サラリーマン風の『若い男』が三つ指をついて俺を出迎えたからだ。
ネクタイの代わりに首から電気コードをぶら下げた若い男は、笑顔で顔を上げ俺を見た途端、露骨に顔を顰めた。
ああ。そうだった。
タカヒロは男にもモテるのだ。
首吊りで頚椎が外れ、異様に首の長くなった蒼白い顔のサラリーマンの『秋波』を浴びながら一週間も過ごせば、そりゃあさぞかし気持ち悪かった事だろうさ。視えなくてよかったなタカヒロ。
「タカヒロじゃなくて悪かったな」
俺は若い男に一週間前と同じセリフを吐きながら、トラックの通過で揺れみしみしと『家鳴り』する部屋に入っていった。
鳴家
家鳴り。
日本各地にある怪異のひとつ。家や家具が理由もなく揺れ出す現象。
ポルターガイスト現象。