第二話 修祓─しゅうばつ─
※男たちの簡単な説明
俺=視える男。
タカヒロ=俺の幼なじみ。白皙の美青年。
ケンゴ=俺の幼なじみ。お調子者。
「よくこんなところに住んでいられるわね」
開口一番にサヤカがそう言った。
確かに俺の新しい棲家は、某事故物件サイトに載っているし、そこで起こった血生臭い事件も有名だ。
だが言葉も交わしたこともないほぼ初対面の俺に対して、いきなりこの発言はないだろう。
話は数分前に遡る。
俺が新しいアパートに引っ越したということで、幼馴染のタカヒロとケンゴが『手伝い』にやって来た。
引っ越し当日ではなく一週間も経ってから押しかけて来る辺り、引っ越しの手伝いというのは口実で、そのまま酒盛りに雪崩れ込もうという魂胆が見え見えだ。
サヤカはタカヒロの連れだった。
引っ越しの未開封の段ボール箱もそのまま、小さな座卓が置かれただけの簡素な六畳ほどの部屋。図体のでかい野郎たちの中でサヤカは紅一点、と言えるが少しも嬉しくない。
不健康そうな青白い肌をした長い黒髪のこのサヤカという女は、オカルトマニアのタカヒロの今カノで、所謂『霊感少女』というやつだからだ。
きょろきょろと視線を彷徨わせ部屋のあちこちを物色するサヤカを横目に、俺はタカヒロに近付くと小声で奴に抗議した。
「……なんであんなの連れて来たんだよ」
「お前が次の『事故物件』に引っ越したっていうから、彼女が本物かどうか確かめたくて連れて来たんだよ」
「……そうかよ」
悔しいことにタカヒロは白皙の美青年でとにかくモテる。
だが俺に言わせれば大変残念な美青年で、オカルトに魅せられている、というかオカルトに取り憑かれているような男だった。その弊害なのかどうか分からないが、普通の女には全く興味を示さない。
そんな噂が広まるにつれ、霊感があると自己申告する女が次から次へと言い寄ってくるようになったらしい。
オカルトマニアで不思議な事象に魅かれているタカヒロだが、何でもかんでも鵜呑みにする程馬鹿じゃない。
そこで俺の出番という事らしい。
俺が結構な頻度で事故物件を渡り歩いているのには理由がある。
親戚の不動産屋に頼まれて、事故物件のひとつを『ロンダリング』した話が仲間内に広まってしまったからだ。
今では何故か入居者が居着かないマンションやアパートが、親戚の伝手で次々と当てがわれる様になってしまった。引っ越し費用や家賃など色々便宜を図ってくれるが、そういう趣味じゃない俺としては大変不本意だ。タカヒロと違って、俺はオカルトなんてものには全く興味がないのだ。
今回もとにかく『出る』と有名で、住人がひと月と居着かないアパートに『どうしても』と泣きつかれて渋々引越したところだったのだ。
自分自身では何も視えないし感じないタカヒロは、『自称』霊感少女たちを篩にかける為にこうして事故物件を、俺を利用するのだ。
サヤカは住人に許可も得ずトイレや風呂場まで覗いたようで、青白い顔を固くして六畳間に戻ってきた。
「お風呂場、血だらけだよ」
「え⁈ マジか?」
ケンゴが叫んだ。
当たり前だが本当に血だらけな訳はない。
引っ越して一週間、勿論風呂には入ってるので使用済みだが、きちんと掃除され今日はまだ浴槽に水も張っていない。なんの変哲も無い普通の風呂場だが、自称霊感少女サヤカの目にはそう映ったらしい。
ビビりのケンゴは彼女のひと言で、完全に腰が引けている。
タカヒロはといえば、面白そうにその様子を眺めている。がしっかりと俺の反応を伺ってもいる。
俺はサヤカの言葉を反芻しながら心の中で嘲った。
確かに女性がバラバラにされたと、センセーショナルに報道されていた。そういうことをする場所は大抵風呂場と相場が決まっている。
だが、実際に殺害されバラバラにされたのは、風呂場ではなく今サヤカが立っているその場所だ。
そのせいで特殊清掃業者に大枚をはたいた上、大幅改装になったと不動産屋がぼやいていた。
それに。
しきりに風呂場の方向を気にしているサヤカの足元で、血まみれの女の頭がやれやれという表情をしている。
「やっぱりそうか。風呂に入ってると、時々何かを鋸引きする様な音が聴こえる事があるんだよ」
俺がサヤカの話に合わせると、女の頭が驚いた様に目を見開いたのが視えた。
「そうでしょう? 殺された女性は相当な怨みを持っているわよ。障りが無いうちに早く引っ越すことを勧めるわ」
サヤカが真剣な表情で俺に忠告をし、自分の『霊能力』と『優しさ』をアピールするようにちらりとタカヒロに視線を送る。
サヤカの足元の女の頭が声を立てずに哄笑している。
声が出ないのは顎下で切断されて声帯がないからだが、そもそも声帯を震わせる為の『息』がないので声など立てられる訳がない。
笑うたびにゆらゆら揺れる頭が、コツコツとサヤカの足に当たっているが、当のサヤカはちっとも気が付いていないのだ。その事がますます女の嗤いを誘っている。
ふ。可笑しいよな。俺も笑い出しそうだ。
俺が顔を歪めて(笑いを堪えて)いるのを見たケンゴが身慄いしながら言った。
「そんなのがいるところで酒盛りとかあり得ねえ。場所変えねえか?」
「ねえ君。君は霊が祓えないのか?」
ケンゴの言葉を聞いたタカヒロが急にサヤカに話しかけた。男でも惚れ惚れする様な柔らかい笑顔を浮かべているが、奴の腹の中を知っている俺にしてみれば胡散臭いことこの上ない。
「祓えれば俺の友人が助かるんだが」
「……出来ると思う」
サヤカはぽっと頰を赤らめた。
俺たち(女の頭も一緒に)が見守る中サヤカは風呂場に盛り塩をし、お経らしきものを唱え始めた。
ちらりと足元を見ると、ころころ転がって様子を伺いにやって来た女は器用に頭を振り、またやれやれという表情になった。
どうやら宗派が違う様だ。
サヤカは最後に何故か十字を切って、青白い顔に精一杯晴れやかな表情を浮かべタカヒロに振り向いた。
「これでもう大丈夫よ」
「そう?」
タカヒロは実に素っ気ない。
代わりに俺が「ありがとう、助かったよ」と一応礼を言ったが、サヤカの目はタカヒロに釘付けだった。
サヤカ曰く『相当な怨みを持ったもの』が、盛り塩と即席のイカサマなお祓いでどうにかなるとはとても思えないが、サヤカの中ではそれで大丈夫らしい。
霊感ゼロならそんなものだろう。
「すげーな。心なしか部屋が明るくなった気がするぜ」
同じく霊感ゼロのケンゴが素直に感嘆の声をあげた。
……ケンゴには今度しっかりと、霊感商法にひっからない様に注意してやらないといけない様だ。
霊能力者サヤカによって風呂場の除霊が済み、部屋で酒盛りが始まった。
血だらけの女の頭は声なき哄笑をあげながら、座卓を囲んだ俺たちの周りをころころころころ転がり続けている。
俺はそれを酒の肴にしながら、頭が転がる仕組みがどうなっているのか気になって、酒盛りの最中もその事をずっと考えていた。
サヤカの『お祓い』から一週間後。
タカヒロがひとりでふらりと俺のアパートにやってきた。
「どうした?」
「この間の話が聞きたくてね」
手土産のコンビニ袋を俺にひょいと手渡すとスタスタと奥へ入っていく。
「それで? サヤカはホンモノかい?」
「そんな訳ないだろう。お前も薄々勘付いていた筈だぞ」
「まあね」
タカヒロはサヤカや他のオカルト好きの連中と、何度か心霊スポットに足を運んだようだ。
その度サヤカは霊がいると言い「怖い恐ろしい」とタカヒロに縋り付くが、タカヒロがあの笑顔で「祓えないか?」と聞くたびにふたつ返事で『お祓い』をするのだそうだ。
「あんな簡単な『祓えの儀式』とか見た事がないよ。そもそも彼女にはお前みたいな力は無いようだしね」
タカヒロはくつくつ笑っている。
「やめろ。俺は霊能力者じゃないし一切何もしてないぞ」
「知ってる」
タカヒロがあっさりと肯定したので、俺は憮然としながら奴の手土産を漁った。
あの時酒盛りをした六畳間は、相変わらず小さな座卓があるだけだが、段ボール箱はすっかり片付いている。
───女の頭も今はもういない。
「もうここには何もないのか?」
タカヒロが少し残念そうに言った。
「俺が側にいるといつの間にか皆いなくなるっていうのは、付き合いが長いんだからお前も知ってるだろ? 成仏するのか弾き出されるのか知らないが、とにかくもういないよ」
そうなのだ。
だから俺は曰く付きの場所で重宝されている。
オカルト好きのタカヒロが俺と連むのも、俺が呼ばれるところは必ずそういう場所だと知っているからだ。不確かな噂だけの心霊スポットに行くよりも、確実に霊現象に遭遇できるかもしれないとの思惑があるのだ。
なんだかんだ言って付き合いが続いているのは、こいつと俺が幼馴染という『腐れ縁』で繋がっているからだ。
「で? 偽物の霊感少女サヤカはどうしたんだ?」
「別れたよ」
タカヒロはあっさりと言った。
「ケンゴじゃあるまいし、霊感商法に引っ掛かるような真似はゴメンだからな」
「相変わらず鬼畜だよなお前。いつか刺されるんじゃないか?」
俺の苦言も何処吹く風でタカヒロは薄く笑ったままだ。
色男は別れ方も上手いようだ。確かに俺が知る限りで、こいつが女と修羅場になるのは見たことがない。本当にムカつく奴だ。
コンビニ袋を漁っているうちに、手土産にしては俺が飲まない日本酒が混ざっている事に気が付いた。どうやらタカヒロは、このまま酒盛りに移行するつもりらしい。
悪びれた風もなく柔らかい笑顔を見せたが、こいつの腹の中が真っ黒なのを俺はよく知っている。
「失恋したての傷心の俺を慰めてくれよ」
「なあにが傷心だよくいうぜ。毎回俺のことをリトマス試験紙か何かの様に使うくせに」
そうこうしているうちに、何故か酒に関しては嗅覚の鋭いもう一人の『腐れ縁』ケンゴも現れて、元事故物件の俺の棲家でいつもの飲み会が始まった。
修祓
神道で祓えをおこなうこと。