第十話 稲荷の神籤
詣でた先の稲荷神社で引いたおみくじにケンゴが喜声をあげた。
「おい見ろよやったぜ! 大凶だ!」
ケンゴは俺のもう一人の幼馴染──腹黒陰険貴公子のタカヒロとは真逆の能天気な男だ。
お気楽極楽なケンゴは『大吉より出る確率が低い大凶を引くのは運が良い』という真偽不明な情報を真に受けて、新年早々幸先が良いと喜んでいる。
いつもの俺なら「へーヨカッタナー」と生温かい反応を返した事だろう。
「えーっと、『生物知り川へはまる。失せ物はおそらく失せたまま。縁遠くモテ期は行方知れず。今年はアレだから来年に期待すべし』何だこれ??」
「……あー」
「変わってんなこのおみくじ。それよか“ナマモノシリ”って何だ?」
「…………」
間違いない。
この巫山戯た文章はあいつが作った『神籤』だ。
くそっ。変なぬいぐるみの時もだが、たった一枚の大凶を引き当てるとか、ケンゴの奴何でこんなに『引き』がいいんだ!
なあなあと呑気に尋ねるケンゴを前に俺は頭を抱えた。
「今年は趣向を凝らしてみたぞ」
日本酒といなり寿司を手土産に稲荷神社に訪れた俺に友人は開口一番そう言った。
稲荷神社を棲家にするこの友人を俺は便宜上『稲荷』と呼んでいる。何故ならこいつの名前を知らないからだ。
彼曰く、俺や彼らのようなモノとの距離感は「それくらいが丁度いい」のだそうだ。それには全く同意見なので俺も態々聞き出そうとは思わない。
「いつもは奉製の外注品なんだが手作りしてみた」
稲荷はぴらぴらと細長い紙片を振りながら「おれ様のおみくじだから当たるぜぇ」とご機嫌だ。こたつに入ってテレビを観ながら片手間に作った代物とはいえ、作った本人が『本物』なので洒落にならない。
「知ってるか? 大吉より大凶の方がレア度が高いんだぞ。『神籤』にぴったりだと思わないか?」
「何が『神籤』だ。お前は神じゃないだろうに。いくらレア度が高かろうがそんな物おみくじじゃなくて呪符じゃないか。罪のない一般人に迷惑かけるな」
「そう渋い顔すんなよ。ちょっとした冗談じゃないか。これはそう、おみくじという冗談グッズだ。お前が心配するほどエグい内容じゃないし一枚だけだから心配するな。大体あまり大っぴらにやって神主におれが親戚の息子じゃないとばれると困るからな」
──などと言っているが、俺は稲荷が賽銭泥棒に手酷いしっぺ返しをしたのを知っている。
深夜忍び込んだ賽銭泥棒と思しき男は、朝になって賽銭箱に覆い被さるように両腕を突っ込んだまま正気を失った状態で発見された。賽銭箱の底から血が溢れ大きな血溜まりができていたという。
この事件はニュースになり暫くワイドショーなどで騒がれたようだ。何しろ賽銭箱は構造上、腕など突っ込めないようになっている。果たして突っ込んだとされる腕は実際はどうなっていたのか──。
結局賽銭泥棒を害した犯人は見つからなかった。もし見つかったとしても相手は裁けるような存在じゃないのだ。
そんな風に苛烈な一面を持っている稲荷が、面白がって託宣を込めた紙片を紛れ込ませた。その気まぐれな託宣がどこまでの力を持つものなのか、普通の人間の俺には全く予想できない。
それにいくら『心配ない』と言われても、神性の欠片もない愉快犯な怪異の言う事など信用できる訳がない。
そもそも俺たちと彼らとでは『命の価値』も『常識』も全く違うのだ。
という訳で。
稲荷神社の巫山戯た託宣の書かれた大凶がどういうものか知っている俺は、ケンゴが嬉しそうに握りしめている『神籤』をどうやって回収するかで悩んでいる。