第三話 戦い
「へっへー、ここまで強くなったら、もう楽勝だよなぁ」
生まれて初めて体験する『強い』という感覚に奈津人は有頂天だったが。
「バッカじゃないの」
いつもながらの、ギムレットの『バッカじゃないの』。
心の底から馬鹿だと思っているのがダイレクトに伝わってくる。
……ヘコむぜ。
「アンタ強くなったのは私達だけだとでも思っているの」
「え?」
奈津人の顔は強張る。
「ここは食べる物も、そして水すらない地下洞窟よ。生き物の血で喉を潤し、その肉で空腹を満たすしか、生きていく方法はないの。数日もすれば生きているモノは相手を倒してその力を手に入れた生物だけになるわ」
「あう……」
奈津人はそんな事考えてもいなかったが、言われてみれば当然の事だ。
ただでさえ強い猛獣が、今の奈津人と同様、他の獣を食べて強くなる。
それを想像しただけで。
初めて猛獣に襲われた時の恐怖が、冷たい塊となって背中を這い登ってきた。
「まあ、私達の強くなるペースはかなり速いから、それほど心配は要らないけど、楽観は出来ないわ」
「……はい」
浮かれた気分など吹き飛んだ奈津人は、神妙な顔になる。
「よし、反省したなら次よ」
「はい?」
「バッカじゃないの! 狙われてるわよ、後ろ!」
慌てて振り返る奈津人の目に飛び込んで来たのは……蛇だ。
大蛇だ。
見た事も無い程巨大な大蛇だ。
15メートルはあるだろう。
その姿を目にした瞬間、奈津人は氷水を浴びせられた様な気がした。
強い弱い以前に、この蛇というヤツは本能的にゾッとするモノがある。
が、そんなコトを呑気に考えている暇などない。
「うわ!」
大蛇がものすごいスピードでとびかかってきた。
しかし。
猛獣5匹分の戦闘力を手に入れた奈津人の反応は速い。
奈津人は大蛇以上のスピードで大蛇へと襲いかかると。
ガツン!
右の拳を叩き付けた。
はい、これで終わり。
奈津人はそう思ったが。
「痛ってぇ」
奈津人が叩いたのは地面だった。
大蛇に身を躱されてしまったからだ。
「バッカじゃないの! そいつもかなり『食ってる』わよ、全力でいく!」
ギムレットの怒鳴り声を背中で聞きながら。
「ち。今度こそ仕留めてやる!」
奈津人はもう1度、大蛇に攻撃を仕掛けた。
今度はさっきみたいに1直線には襲い掛からない。
攻撃を読まれない様に、ジグザグ走行とフェイントのステップを交えながら接近すると。
「そら!」
左のパンチをフェイントにして、右のパンチを叩き込むと。
グジャ。
今度は命中。
湿ったイヤな音と共に、奈津人の拳は大蛇の頭を叩き潰したのだった。
「ふう、焦ったぁ」
奈津人は大息を突くが。
どげ。
「はぶ」
顔面にギムレットの蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
いったい何回目だろう。
「バッカじゃないの! さっき生き物が他の獣を食べて強くなるコト話したわよね、私ちゃんと話したわよね! 何、聞いていたのよ!」
ギムレットが両手を当てて、ひっくり返った奈津人に顔を突き付ける。
そんな怒った顔も可愛いんだけど。
しかし。
倒れた奈津人を前かがみに覗き込んだせいで。
「あ」
ギムレットのワンピースの胸もとから2つの膨らみがハッキリと見えてしまっていた。
磨き上げた象牙の様に滑らかに輝く胸から目を逸らす事が出来ない。
小さいクセに何て魅力的な眺めなんだろう。
あ、また鼻血が出そうだ。
びす。
「聞いてるの!」
「は、はい聞いてます、聞いてます」
ギムレットに頭を引っ叩かれて、慌てて奈津人はまくし立てる。
どうか胸を覗いていた事がバレませんように。
「ふン、まあイイわ。とにかくこの蛇の力を手に入れるわよ」
バレてない。よかったぁ。神さまアリガトウ。
「了解です、ますたぁ」
奈津人は神に感謝すると、ギムレットと共に食事に取り掛かったのだった。
「ところで何で急いで倒した敵を食わないといけないんだ……ですかマスター」
ギムレットが口をへの字にするのに気付いて、奈津人は慌てて言い直す。
「倒した相手を食べて強くなれるのは、仕留めてから一時間の間だからよ」
他の者が倒した食べ残しを漁るクズが強くなったりしない様にね。
とギムレットは付け加えた。
「なるほど……おお?」
キョロキョロと周りを見回す奈津人にギムレットはニヤリと笑う。
「どうやら蛇の、温度を感知する能力を手に入れた様ね。今後、大いに役立つはずよ」
ギムレットの言う通り。
この力があれば隠れた場所からでも、敵の体温を感知して不意打ちを仕掛ける事が可能だ。
今までよりもずっと楽に敵を倒せる事だろう。
「そして長期間、飲み食いしなくても活動できる蛇の能力は、この蠱毒の洞窟では無用の長物だけど、ここを脱出してから役に立つわ」
「脱出? ここから逃げ出せるのか」
奈津人は思わず大声を出した。
「もちろん簡単じゃないけど、脱出してみせるわ。そしてこんなトコに私を叩き込んでくれたヤツに復讐をしてやるわ」
ギムレットの瞳が危険な光を放つ。
「復讐って誰に?」
「分からない。それは脱出してから探すわ。とにかく今は、強さを手に入れる事に専念するわよ、いいわね」
「了解。あ、あっちの方に獲物発見。デカいぜ」
ニヤ、と笑う奈津人にギムレットが頷く。
「さっそく蛇の能力が役に立った様ね。じゃあ行きましょ」
2人は同時に走り出した。
蛇の能力を使っての不意打ちで多くの猛獣を倒した。
「なあ、もう100匹くらい倒したよな……倒しましたよね」
「そうね」
「それでもアレ、かなりヤバい敵だよなぁ」
「多分ね。アイツも相当な数を食ってるわ」
2人が隠れている岩陰の向こうにいるのは。
長い牙が生えた凶悪な顔の、象よりも巨大なゴリラだった。
全身を覆う、鋼の様な筋肉。
ゴリラを強化サイボーグに改造したら、こんな化け物になるかも。
だが、一番目を引くのは、その腕。
装甲版の様なもので覆われている。
まるで鎧の籠手=ガントレットの様だ。
「何であんなに変形してるんだよ、コエ~~じゃねえかよ」
「怖い、じゃないわよ。さっさと行く」
「尻を蹴とばさないでくれよ……」
奈津人はそうボヤきながらも。
「よし、うまく後ろに忍び寄る事が出来たぞ。じゃあ。ヤルか」
ガントレットゴリラに不意打ちを仕掛ける。
……今までの獲物はこれで倒せた。
初撃で倒せなくても次の攻撃、つまり2発のパンチで倒せない猛獣は今までいなかった。
しかし。
ガントレットゴリラは奈津人の不意打ち攻撃を見事に躱した上。
「ゴホ!」
2撃目のパンチも躱しきった。
いや、2撃目だけではない。
3発目、4発目までもが躱されてしまう。
「ちいっ」
コイツ、手強い。
奈津人がそう思った瞬間。
「ゴホホ!」
ガントレットゴリラが反撃してきた。
左のガントレットの拳が凄いスピードで放たれる。
「くそ」
そう呟きながらも奈津人は何とか躱したが。
「しまった!」
ゴリラが放った左のパンチはフェイントだった。
左のパンチに気を取られた奈津人の腹に。
ズン!
ガントレットゴリラの右拳がめり込んだ。
「うげ!」
体をくの字に曲げる奈津人を。
バゴン!
更にゴリラのパンチが襲う。
「がは!」
奈津人は大岩に叩き付けられて跳ね返り、地面に倒れてしまった。
「ぐ…………」
「何やってるのよ、しっかりしなさい」
ギムレットが必死の声で叫んでいるのが聞こえる。
聞こえるのだが、体を動かす事が出来ない。
「ヤバいなぁ、ここまでか」
小さく呟く奈津人に、ギムレットが駆け寄る。
「もう、世話の焼ける下僕ね」
ギムレットがそう口にしながら、倒れている奈津人の背中に手を当てる。
と、その手から『なにか』が奈津人の身体に流れ込んできた。
その『なにか』が奈津人の中で弾けた、次の瞬間。
ウォオオオオオォォォォォォ!
奈津人は狼の咆哮と共にワーウルフへと変身していた。
「こ、これは?」
「私の魔力で変えたのよ、さっさと……こポ」
こポ?
異変を察知して慌てて振り向く奈津人の目に。
「ナ、ナツト……」
口から血を溢れさせたギムレットの姿が飛び込んできた。
その胸から尖ったモノが突き出ている。
ゴリラのガントレットから伸びた、長い爪だ。
「ギムレット!!」
叫ぶ奈津人の目の前でゴリラはギムレットの体をふり捨てた。
地面に叩き付けられたギムレットはピクリとも動かない。
「キサマぁ」
奈津人は怒りの声を上げると、ゴリラとの距離を一瞬で詰め。
「おらぁ!」
その首を鷲掴みにした。
「ゴホホ!?」
ゴリラが振り回す拳が何発もヒットするが痛くも痒くもない。
そして。
ゴリラの爪もワーウルフと化した奈津人には傷一つ付ける事は出来なかった。
そしてワーウルフに変身した瞬間、奈津人は100倍の力を得ている。
この戦闘力の前では、このガントレットゴリラも蟻ンコと変わらなかった。
「死ね、コノ野郎」
首を掴んだ手に奈津人が軽く力を込めただけで。
グシャ。
ゴリラの首は簡単に潰れ、首の骨がへし折れた。
ビクン、ビクンと死の痙攣に跳ねるゴリラの巨体を投げ捨てると。
「ギムレットぉ!」
奈津人はギムレットに駆け寄った。
良かった、まだ死んじゃいない。
けど、このままだとギムレットの命が危ないんじゃないのか?
どうする奈津人?
混乱する奈津人の脳裏に。
ライオンに傷を負わされた時、ギムレットが血を浴びせてその傷を治してくれた事が浮かんだ。
ヴァンパイアの下僕の本能だろうか。
この方法が正しいと奈津人は確信した。
奈津人は大慌てで奈津人はゴリラの体を引き裂くと。
「頼む、間に合ってくれ!」
大量の血液をギムレットに浴びせた。
「治ってくれギムレット、お願いだ……神様、お願いします……」
奈津人はゴリラの血をギムレットに浴びせながら神に何度も祈る。
何度も何度も祈る。
何度も何度も何度も祈る。
「……なに泣いてるのよ……」
「ギムレット?」
ギムレットの声に、奈津人はゴリラを放り出す。
「よ、よかったぁ」
奈津人はギムレットの傍らにへたり込む。
いつの間にか人間の姿に戻っている奈津人の顔は涙と鼻水でベタベタだ。
とても見られたモノではない。
が、その奈津人のみっともない顔が、なぜかギムレットには嬉しかった。
「ギムレット、起きれるか……マスター、起き上がれますか」
ギムレットが目を細めたのを、怒ったと勘違いして奈津人は言い直す。
「ギムレットでいいわ。言葉も普通でイイ。手を貸して」
「う、うん」
奈津人は細心の注意を払いながら、そっとギムレットを支え起こした。
その優しい手にギムレットは微笑む。
「さあナツト。このゴリラの力、手に入れるわよ」
今、笑った?
初めて見たぞ。
でも絶世の美少女が笑うとこんなにも可愛いんだ。
感動モノだぜ。
それに今、奈津人って呼んだよな。
初めて名前で呼ばれたぞ。
たったそれだけの事なのに、何でこんなに嬉しいんだろう。
どげ。
「へぶ」
顔面にギムレットの蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
あれ、またこの展開?
「何、ポーっとしてるのよ。死ぬほど苦労したんだから、少しも無駄に出来ないわ。さっさと食べるわよ」
「ちぇ。まあいいか」
やっぱりスパルタなギムレットの横に並ぶと、奈津人は食事に取り掛かったのだった。
2020 オオネ サクヤⒸ