第二話 ギムレット
1時間ほど、虎を食べ続けた頃。
「もう食べるの止めてもいいわよ」
少女が声を掛けてきた。
「まだ名前を聞いてなかったわね。私はギムレットよ」
「あ、俺は奈津人。鈴木奈津人だ。よろしくなギムレット」
ごげ。
「はう」
顔面に少女の蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
な、何をしはりますの?
「アンタはもう私の下僕なんだから『よろしくお願いします、マスター』でしょ」
「ま、マスターぁ? まあ御主人様よりましかぁ」
スパルタなマスターを見上げながらも、奈津人は1番疑問に思っていた事を口にする。
「じゃあマスター。日本の家で寝ていた筈の俺が、何でこんな所にいるのか分かるか……分かりますか」
ギムレットに睨まれて奈津人は慌てて言い直した。
頬を膨らませて奈津人を睨むギムレットも凄く可愛かったが。
その答えはショックなものだった。
「ここは規模の大きな蟲毒よ。生物を喰らい合せて最強の生物兵器を生み出す為のね。アンタはその餌として、魔法でここに転送されたのよ」
異世界転移なら、ラノベで何度も読んだ。
召喚されたのに、ひどい扱いを受ける話も。
しかし餌として召喚されたなんて、初めて聞く。
「エサぁ? 俺エサ扱いなの? 冗談じゃねえよ、家に返してくれよ」
真っ青になる奈津人に、ギムレットが冷たく言い放つ。
「そんな事、出来るわけないでしょ、ここじゃ魔法が一切使えないんだから。もうアンタは私の下僕として、強くなるしか無いのよ」
「強くなるって、修行か何かするのか」
「バッカじゃないの、蟲毒って言ったでしょ。倒した生き物を食べて、その相手の力を自分のモノにするのよ。気付かない? 虎の力を手に入れた事に」
そこで奈津人は、あれ程暗かった周りがハッキリと見える事に気が付く。
夜だから暗いのだと思っていたが、どうやらここは地下らしい。
ただ、とんでもなく広い。
天井を見上げると、高さは1キロメートル以上もあった。
横幅も30キロメートル以上あるようだ。
奥はどこまで続いているのか見当もつかない。
あちこちに大小様々な鍾乳石が突き出している。
その中でも大きなものは、天井まで伸びている。
「こ、これは……暗闇の中でも見通せる虎の能力?」
「動いてみなさい」
言われた通り奈津人は動いてみる。
「うわ、体が軽い。しかも凄い力を身体中に感じるぜ」
試しにジャンプしてみると。
「ええ!?」
奈津人の身体は10メートル近くまで舞い上がった。
「すげぇぜ、コリャ」
猫科の猛獣のように音も立てずに着地した奈津人が、はしゃいだ声をあげる。
「本当に俺、虎の力を手に入れたんだ。ひょっとしてギムレットより強くなったんじゃないか」
どげし。
「うげ」
顔面にギムレットの蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
な、なにをご無体な……。
「バッカじゃないの! 私も虎を食べたんだから、私も更に強くなってるに決まっているでしょ」
「そ、そおでした。調子に乗ってゴメンナサイ。あ!」
ギムレットの着ている服は、スソが膝上のワンピースだ。
そのギムレットを地面から見上げている今。
ビックリするほど綺麗な脚と、そして。
普段はスカート部分で隠されている、可愛らしいお尻をつつむパンツが奈津人の目を直撃した。
「う!」
女の子に耐性のない奈津人は鼻を押さえた。
「鼻血? そんなに強く蹴ってないのに、だらしないわね」
バカ、お前の蹴りなんてそんなに効いてねえよ!
その綺麗な脚とパンツのせいだよ!
喉元まで出たその言葉を奈津人は飲み込む。
そんな事を口にしたら……。
どんな目に遭わされるか、考えるだけで恐ろしい。
「しょうがないわね、これ使いなさい」
文句を言いながらも、ギムレットがハンカチを差し出す。
スパルタだが優しいトコもあるのかな?
ちょっとジーンときた。
「あ、ありがと……ありがとうございますマスター」
奈津人はハンカチで鼻を押さえる。
マスターと呼ばなきゃダメだし。
暴君だし。
すぐ蹴りが飛んでくるけど。
絶世の美少女からもらったハンカチだ。
鼻血も止まった事だし、奈津人はハンカチを大事にポケットにしまい込んだ。
「さて、現状は理解できた? 蠱毒を生き抜いていくには他の生き物を倒して、その力を得るしかないのよ」
「まあ、何となく」
本当に何となく、だ。
まだ半分夢の中にいる気分だ。
「頼りない返事ねぇ。とにかく行くわよ」
「え、どこに?」
思わず聞き返す奈津人に、ギムレットが軽蔑の眼差しで答える。
「バッカじゃないの、狩りに決まっているでしょ」
「今のうちよ、さっさと片付けて来なさい」
奈津人はライオンの前へと蹴り出された。
猛獣にとって、この蠱毒の洞窟は、無力な餌=人間が食べ放題の天国だ。
目の前のライオンも、無力な餌を存分に平らげて満足そうに昼寝をしていた
ライオンまでの距離は10メートル。
今の奈津人ならジャンプ1発の距離だ。
しかし。
こうして実際にライオンの前に立つと、心臓がドキンドキンと暴れ出す。
「俺、本当に強くなってんのか。こんなデカいライオンに勝てんのかよ。だいたいどうやって戦えばイイんだよ、殴るのか? 蹴るのか? それともヴァンパイアだから咬みついたらいいのか? ギムレットのヤロウ、俺1人にやらせやがって。ちょっとくらい手伝ってくれてもイイじゃねぇか」
「バッカじゃないの! 気づかれたわよ」
奈津人はギムレットの怒鳴り声で我に返った。
が、もう遅い。
「ぐは!」
10メートルの距離は、奈津人にとってジャンプ1発の距離。
だが当然ながら、ライオンにとっても一瞬で襲い掛かれる距離だ。
奈津人はライオンの前足の1撃を胸に食らって吹っ飛ばされる。
ネコ科の猛獣の武器は、大きな牙の生えた顎だけではない。
前足による打撃も、鹿の首すらへし折る事が出来る強力な武器だ。
その上鋭い爪まで標準装備さている。
吹っ飛ばされて地面に転がる奈津人目がけて。
ゴァアアア!
ライオンは、更にその凶器の様な前足を叩き付けてきた。
「うわあ」
奈津人は反射的に、迫ってくるライオンの顔を蹴り飛ばした。
奈津人の蹴りを食らってライオンは大きく体勢を崩す。
「今よ、思いっ切りぶん殴る!」
奈津人は素早く跳ね起きると。
「うおおおお!」
言われた通り右の拳に全力を込めてライオンを殴りつけた。
それはヤケクソの攻撃だったが。
ゴキ!
奈津人の拳は、ライオンの首をへし折ったのだった。
「や、やったのか?」
安心したせいか、奈津人はその場にへたり込んでしまう。
が、そこにギムレットの怒鳴り声が響く。
「バッカじゃないの、さっさと血を浴びなさい」
血を浴びる?
飲むんじゃなくて?
ポカンと見上げてる奈津人の胸を指差しながら、ギムレットが声を上げる。
「何、呆けてんのよ。その傷、深いわよ」
傷?
ギムレットにそう言われて、胸に視線を落とした奈津人は。
「………………!!」
気絶しそうになった。
左肩から右わき腹にかけてザックリと切り裂かれていて、骨が見えている。
怪我に気付いた瞬間、焼け付くような激痛が奈津人を襲った。
まるで真っ赤に焼けた鉄の棒をねじ込まれたみたいだ。
「はぐうううぅぅぅぅ」
「もう、手が焼けるわね」
あまりの痛みに胸を押さえてうずくまる奈津人を。
「えい」
ギムレットがライオンの方へと蹴り飛ばした。
「ぐえ」
カエルが潰れる様な声を上げる奈津人にギムレットは。
「ホントに手がかかるんだから」
そう言いながらライオンの体を手刀で切り裂いて、血を浴びせた。
「いぐぐぐぐ………………あれ?」
急に痛みを感じなくなって、奈津人が恐る恐る胸の傷を見てみると。
「ええ~~~~! な、治ってる!?」
「アンタはもう私の下僕なんだから、その程度の怪我、血を浴びればすぐ治るに決まっているでしょ」
「ふえ~~~~」
自慢げにそう言ったギムレットの顔を奈津人は口を開けて眺める。
さすがヴァンパイア、と感心していると。
げし。
「ぶべ」
顔面にギムレットの蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
マスター、スパルタ過ぎです。
「何呆けてんのよ、バッカじゃないの! さっさと食べないと、せっかくの苦労が水の泡よ」
「へーい」
奈津人は先にライオンに口を付けているギムレットに続こうとするが。
「あ」
ギムレットの小さいけど芸術的な形のお尻が、奈津人に向かって突き出されて可愛らしく揺れていた。
ぜ、絶景だ。
ずっと眺めていたい。
ずげし。
「ぐげ」
顔面にギムレットの蹴りを食らってひっくり返る奈津人。
うう、お尻に見とれてて油断していたから、き、効いたぜ。
「人の言う事聞いてたの? さっさと食べなさい」
「いえす、ますたぁ」
良かった、お尻に見とれていた事に気付かれてない。
バレてたら、また蹴り回されるトコだったぜ。
奈津人は胸を撫で下ろすと、食事に取り掛かったのだった。
そしてライオンの地を呑み、満腹になるまで肉を食べた後。
「ところで何でそのまま戦ったの」
ギムレットが、いきなり聞いてきた。
「はえ?」
質問の意味が分からずポカンとする奈津人に、ギムレットがイラついた声を上げる。
「だから何で変身しなかったのよ」
「変身?」
「アンタまさか変身出来ないの!」
「何の事だよ、全然分かんねぇよ」
言い返す奈津人に溜め息をついてから、ギムレットは口を開いた。
「あのね、ワーウルフに変身すれば今の100倍に戦闘力が跳ね上がるのに、なんでワーウルフにならなかったの、って聞いたのよ」
「ええ! 俺ワーウルフになったのか!? 血を吸われたんだから、ヴァンパイアになったと思ってたぜ」
「ヴァンパイアの下僕っていったらワーウルフに決まっているでしょ」
軽蔑の目で奈津人を見るギムレット。
全然知らなかった。
ワーウルフに変身するだけで100倍も強くなれるのか。
「で、どうやって変身するんだ、そのワーウルフに」
「え! 分からないの?」
ギムレットの顔が引きつる。
「変身のやり方なんて聞いた事ないわ。みんな変身したいと思った時に変身してるモン。ひょっとして変身できないの?」
力んだり、ジャンプしたり、力一杯変身しろと念じたり叫んだりした後。
奈津人は力無く頷いた。
「……出来ない……」
「…………よし、出来ないモンはしょうがない」
ギムレットがキッパリと言い放つ。
「ゴメン」
うなだれる奈津人の背中をギムレットがパシンと叩く。
「何ヘコんでいるのよ。悔しいけど、幸いな事にここは蟲毒の空間。100倍に強くなりたきゃ敵を100匹倒せばいいだけよ。しっかりしなさい」
すぐ人を蹴り倒すスパルタな暴君だけど、コイツ人の上に立つ才能を持ってる。
ギムレットのポジティブな言葉に、奈津人は心の底からそう思った。
「ほら、取り敢えずライオンの力が手に入ったわよ」
「うおお、これは!」
ライオンの強力な力が、身体中を駆け巡る感覚に、思わず奈津人は歓声を上げる。
「これで俺、虎とライオン2匹分の力を得たんだよな」
「そうよ。だからワーウルフに変身できなくても次の相手は楽々と倒せるはずよ」
ギムレットの言う通りだった。
熊、豹、そしてまた虎。
奈津人は立て続けに3匹の猛獣を瞬殺して、更に3匹分の力を手に入れたのだった。
2020 オオネ④サクヤⒸ