秘密
ひとには、誰とも共有し合えないもの、あるいは共有するのが難しいものが存在する。感情であれば特にそうだ。表に出すことがはばかられ、密かに秘めてしまう。だから、それは「秘密」になるのだ。誰かを密かに思う「恋心」はその最たるものになるだろう。しかし、胸に秘めるものは「恋心」のような甘酸っぱいものだけではない。もっと後ろ向きな、じめっとした陰鬱なものだって存在する。私にとっての「秘密」は、そういう類のものだ。
「秘密」と言っても、実のところ大したものではない。私の秘密とは、私が「小説を書く」ということだ。ここしばらく書いたものは誰にも読ませてはいない。当然のことながらプロでないのだ。
小説を書き始めたのは大学2年のころだ。私は大学へ入学すると、テニスサークルに入った。特別深い理由はない。そこでなら楽しい大学生活を送れるのではと、甘い考えを持ったからにすぎない。テニスなんて、大学に入ってから初めてラケットを握ったというほどの初心者で、どれほどひいき目に見ても下手くそだった。それでも私は飽きもせずラケットを振っていた。
まともな試合をしたことはなかったが、そこでの活動はそれなりに楽しかった。仲間とワイワイはしゃぎながら過ごす日々。大学に対して進学以外の目的がなかった私には、そこはうってつけの場所だった。私が在籍したサークルは人数が多かったので、大きなイベントが無ければ、同期の連中とつるんで遊んでいたものだ。その同期のなかにSという男がいた。
Sは社会学部に在籍していた。私は商学部なので、サークル以外で顔を合わす機会はなかった。しかし、私もSも勉学には熱心でなかったこともあって、サークルのたまり場でよく顔を合わせた。自然に一緒に出歩くことが増え、あちこちで遊んで過ごしたのである。Sは一緒に遊ぶには楽しい男だが、性格は「軽薄」のひと言に尽きた。約束事は守らない。待ち合わせで遅刻しなかったことなど一度もない。ただ、彼は笑顔で「ごめん」と言うだけで誰にも許される得な特技を持っていた。彼は長身のいわゆるイケメンで、女子には非常にモテていたことを覚えている。彼はいつも違う女子を連れ歩いていた。そのことには今でも羨ましいとは思っていない。軽薄な性格が災いし、彼の女性関係はトラブルまみれだったからだ。そんな彼が小説を書いていたなど、当時の私はまるで想像していなかった。
その年の秋、Sの書いた小説がM文学賞を受賞した。文芸誌が公募するものでは権威のある賞である。当時19歳での受賞は最年少記録だったこともあって、大きな話題となった。Sは連日テレビに出演して注目を浴び、出版された本はベストセラーとなった。書店では彼の本が一番目立つところで平積みされ、電車に乗れば彼の名前は吊り広告で嫌でも目についた。彼はいきなり時のひととなったのである。
私が小説を書き始めたのは、そのころである。それはSに対する嫉妬心や対抗心からではない。もっと軽薄な理由、つまり、「あのSで書けるのなら、自分でも書けるだろう」という考えからだった。評論家として著名だったヴァン・ダインが療養中に推理小説を読み、「これなら自分でも書ける」と書き始めたのに近い。違うのは、ヴァン・ダインは歴史に名の残る推理作家となり、私はそうでなかったということである。私は無謀にもSが受賞したのと同じM文学賞に応募した。浅はかな考えだが、Sと同じ大学からであれば注目されて、受賞とまではいかずともいいところまで進めるのではという甘い期待があったからだ。結果は一次にさえ通過しなかった。箸にも棒にも掛からなかった、ということだ。
当時の記憶としては、あまり気落ちしていなかったように思う。「そう簡単なもんじゃないよな」という納得混じりの小さな挫折である。しかし、この挫折が私の心に火を点けた。私は過去の受賞作を読み、受賞の傾向などを研究しながら再びM文学賞に挑戦したのである。
二度目の挑戦は二次選考まで進むことができた。前回に較べれば前進と呼べるものだが、数百編のうちのひとつにすぎない。三次を通過するのは数十編ほどである。私はその三次で落ちた。
三度目の挑戦は、就職活動をしながらのものだった。このころになると、もし、これで結果を出せなければ、普通に就職をしようと考えていた。私にとって背水の陣でのぞんだ挑戦は、二次で落ちるという結果だった。私は潔く作家への道をあきらめて、地元である大阪の貿易会社に就職した。
学生時代での私の創作活動は完全に内緒のものだった。当然、Sにも教えていない。むしろ、Sには知られたくなかった。彼の性格からすれば、私を辛らつに揶揄うのは予想できたからである。私にもいくらかの自尊心はあったのだ。Sは作家になるとテニスサークルに来なくなり、私と顔を合わすことはなくなった。彼から連絡が入ることもなかった。私は私で、自分の作品をSに読んでもらって批評してもらおうと考えることができず、こちらからも連絡することがなかった。こうして、Sとの付き合いは自然消滅的になくなったのである。彼は流行作家として活躍し、いくつかの作品はドラマ化されたり、映画化されたりした。彼は完全に別世界の人間だった。彼の人懐っこいキャラクターは、コメンテーターとしても重宝がられ、テレビでよく見かける存在になっていた。このころになると、さすがに私はSの顔を見るのが苦痛になってきた。私はSの姿が映るテレビを消し、自分の部屋に逃げ込んだ。そして机の前に座ると、買い溜めた原稿用紙を広げたのである。過去の挫折から賞には二度と応募すまいと考えていたものの、私は書くことだけは止められなくなっていた。ただし、のめり込むほどの趣味になったというわけではない。
私の両親は私が社会人になると相次いで他界し、兄弟や親戚のいない私は独りになった。大学時代の友人は付き合いの薄い者ばかりだったので、卒業とほぼ同時に縁が切れた。貿易の仕事は私にとって面白いものでなく、ただ生活費を得るための手段でしかなかった。そのせいもあるのだろう、私は会社の同僚と飲みに付き合うこともなく、孤独な時間を過ごした。その時間が私にとって執筆の時間となった。私は小説を書くことで、「孤独」という隙間に文字を埋めていたのである。それは趣味と言うより、生きる行為そのものだった。他人に批評されたり、揶揄われたりすることなど耐えられるものではない。だから、私の「小説を書く」は、私の秘密になったのである。
私の一日は、朝、当たり前のように出勤し、仕事をこなす。会社を出るのは、だいたい晩の8時くらい。近くの定食屋で食事を済ませ、帰宅。風呂で世俗の垢を落とすと、机の前に座る、の繰り返しである。机の上に広がっていた原稿用紙はいつの間にか姿を消し、私はパソコンで小説を書くようになっていた。シャーペンで書くより、キーボードを叩くほうが断然早いし楽だからだ。それに、私は書き損じが多いので、後から書き直すのにはパソコンのほうが便利だったのだ。書き上げた(この場合は『入力を終えた』が正確なのだろうか)小説は、始めはフロッピーディスクに保存していたが、USBメモリーに替わり、現在は数台の外付けハードディスクにため込むようになった。おおよそ、ひと月でひとつの作品を書き終えている。内容によっては多少長いものを書いたこともあるが、私はもっぱら短編専門である。こうして20代で書き始めた小説は、二百近い数にのぼり、そのすべてが私のパソコンの奥で眠っているのだ。私以外に決して目に触れることのないものとして。
誰かに読んでもらえたらと考えなかったわけではない。ただ、先に少し触れたように、私の「小説を書く」は、趣味なのではない。大事な「秘密」なのだ。もし、誰かに読んでもらうとなれば、それは私の秘密を共有できる存在であってほしい。そして、残念なことに、私の秘密を共有したいと思える、あるいは共有できるだろう人物と出会うことはなかった。こうして誰にも読まれない私の小説は、ただただ増えていった。
こんな人生を過ごしてきた私は、いつの間にか40歳を過ぎていた。私は会社の中では古株であるが、会社にとって貴重な人材ではなかった。会社を儲けさせはしないが、損もさせない。真面目には仕事をするので、いないよりはましなぐらいである。私は自分のことをそう捉えていたので、ある日、専務から肩を叩かれたときは、てっきり会社を辞めるよう通告を受けるものだと思った。
「君、たしか学生時代はテニスをしていたそうやないか」
専務は私の肩を景気よく叩くと、私の顔をのぞき込みながら尋ねた。私の入社当時はふっくらとしていたが、今では痩せて皺くちゃの人物である。私は困惑しながらも専務にうなずいた。
「ええ。お遊び程度のサークルでしたが」
私の答えに、専務は満足そうにうなずいた。
「実はね、麻生商事の社長さんからね、テニス大会に参加者を出すよう言われてね。うちも、ひとりは絶対出さなあかんのや。すまんが、君、出てくれんか」
私はぶるぶる首を振った。とんでもない話だ。
「ちょ、ちょっと勘弁してください。僕はテニス、めっちゃ下手なんです。大会に出られるレベルと違います」
私が断ると、専務は私の肩を再びパンっと叩いた。
「あほ。麻生さんとこの集まりに、優勝が狙えるような上級者なんて出せるかいな。相手さんの心を折るようなマネされたら、こっちは往生するで。相手さんに気持ちよくテニスしてもらえるよう、強すぎず、かつ、呆れられん程度にテニスできるのがちょうどええんや」
なるほど、そういうことか。私は納得した。そういうことであれば、私は適任者と言える。
「わかりました。出場させていただきます」
私が了解すると、専務は嬉しそうに私の肩を叩いた。
「よっしゃ、頼んだで。麻生さんは顔が広いからな。あちこちからお偉いさんがぎょうさん顔を出すはずや。君、この機会に新規の得意先見つけるんやで」
専務のわかりやすい命令に、私は苦笑するしかなかった。
麻生商事は私が勤める会社と付き合い始めて日の浅い会社だった。中国から健康茶などを仕入れ、主に通販で販売している。折しも健康茶がブームであり、我が社で輸入した中国茶は大きな売り上げをあげていた。輸入しているのは紅茶やコーヒーもあるのだが、ここ数年で言えば、この中国茶以上に売れる商品はなかった。それだけに、専務が麻生商事との付き合いを大切にするのは当然のことだ。
そうは言っても、愛社精神の足りない私のことである。先方を喜ばせようという意識は低く、「日ごろの運動不足を解消するのにちょうどいい」程度の気持ちしかなかった。我ながら、とんでもないやつである。私は10年以上振りにラケットを担ぎ、テニス大会の会場へ向かった。
大会主催者である麻生商事の社長は、私と同じぐらいの年代の人物だった。いかにもスポーツで鍛えてきた恵まれた身体つきで、良く日に焼けていた。顔つきは逞しく自信にあふれ、私は「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たなければならない」というリンカーンの言葉を思い出した。成功という経験を得て熟成された社長の顔は、男の魅力にあふれていた。風采の上がらない私は不甲斐ない気持ちになり、ここへ来たことを少し後悔した。ここ数年忘れていた劣等感が思い出されたのだ。来たばかりだが引き返して帰ろうかと思った。しかし、「待っていましたよ、こちらです」と麻生社長に捕まってしまった。私は努めて平静な表情を保ちながらテニスコートの中へ引っ立てられた。
テニスの組分けは公平を期すため、くじで分けられた。そのせいで仕事に繋がりそうな人物と誼を通ずる機会は得られなかった。代わりに知り合うことになったのは、伊東総合病院の院長先生である。伊東総合病院は私が住む近所にある病院だった。私は大阪メトロ中央線で通勤しているが、その車窓から「大きな病院だな」と思いながら眺めていたものだ。まさか、その病院の院長先生と知り合いになるとは想像していなかった。伊東院長は50代後半と見られるが、引き締まった身体つきの人物で、日頃からスポーツを嗜んでいるように見えた。これまで接待ゴルフは数回参加したが、私以上に下手なひとが多かった。しかし、このテニス大会の参加者からは、私より下手そうな人物がまるで見当たらなかった。
「よろしく頼みますよ」
伊藤院長は笑顔で私の手を握った。力強い握手だった。
テニスの試合は予想通りの展開になった。つまり、麻生社長の優勝で幕を閉じたのである。私は伊藤院長と互角の勝負を繰り広げて、かろうじて勝利したものの、続いての広告代理店の部長には手も足も出なかった。聞けば、高校時代のインターハイ出場経験者である。レベルが違い過ぎる。決勝戦は、その部長と麻生社長との対決になった。私はプレイヤーとしては最低ランクの人間だが、観戦者としては目が肥えているほうだ。ふたりの対戦は白熱したもので素人のプレーには思えなかった。広告代理店の部長はもちろんだが、麻生社長もかなりのハイレベルである。恐る恐る周囲に尋ねてみれば、麻生社長はインカレ出場の経験者だった。我が専務の気遣いは、まるで意味が無かったのだ。
こうして今回のテニス大会は盛況のうちに終了した。あとは、このまま帰るだけだが、どういうわけか伊東院長から飲みに付き合うよう誘われた。院長は私の返事を待つことなくタクシーを呼び止めると、私を促して北新地まで連れて行った。普段の私は北新地に足を踏み入れることなどない。酒が飲めないわけではないが、好きでもないのだ。それに、飲む時間があるのなら、小説を書く時間に当てたかった。だから、今回は成り行きのせいもあるが特別である。
伊東院長が私を連れて来たのは、北新地の表通りから少し外れたところにある料亭だった。小さい店構えだが、一見さんが入ることのできない高級店だ。慣れない場所で戸惑っている私をよそに、伊東院長は機嫌良さそうに酒を飲み始めた。
話を聞いてみると、互角の試合ができたことが嬉しかったらしい。いつも麻生社長や広告代理店の部長に完敗を喫していたので、相当悔しい思いをしていたのだ。私という同レベルに近い相手と当たれて、久しぶりに自分のテニスができたと喜んでいた。何であれ他人に喜んでもらえると、こちらも嬉しくなる。そのせいもあって、久しぶりに楽しい酒を酌み交わすことができた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつけば時間は深夜を回っていた。
「先生、もう翌日になっていますよ」
私は院長先生の肩をゆすりながら囁いた。だいぶ酔いが回った様子の院長先生は眠そうな表情でむにゃむにゃと言葉にならない返事をされた。料亭に居た時間は2時間ほどで、私たちは静かなバーに移って、そこでずっと飲んでいたのだ。学生時代は無茶な飲み方をしたこともあったが、私にとって、ここまで飲むのはここ最近では珍しいことだ。私は院長先生を抱きかかえるようにして店を出て、タクシーを拾った。
院長先生の自宅までお送りしようと考えていたのだが、私がどれだけ尋ねても「病院へ連れていけ」としかおっしゃらない。たしかに病院であれば、私でも運転手に指示を出しながら行くことができる。根負けした私は伊東総合病院へ送ることにした。
病院へ着くと、「裏口へ」。裏口へ着くと、「このカードキーで開けて」と、少し酔いがさめたのか、院長先生は次々と指示を出してくる。妙に慣れているなと思いながら私は病院内へ院長先生をお連れした。裏口から入ると、すぐ警備室だ。窓ガラス越しに警備員と目が合ったが、警備員は院長先生の姿を見ると黙って奥を指さした。どうも院長先生が酔って病院に入るのは日常的なことらしい。警備員に促された先へ進むと、ナースセンターの前に到着した。ここで合っているのだろうかと困惑して突っ立っていると、ひとりの看護師が私たちに気づいて駆け寄って来た。私はどきりとして身体を硬直させた。近づいてきたのがあまりに美しい女性だったからだ。
その女性は目鼻立ちがはっきりしていた。病院であるから当然なのだが、化粧は薄めのものだ。しかし、彼女の美しさはそれでより際立っているように思えた。私は酔いも手伝って、その女性に見惚れてしまっていた。
「ああ、先生。今日は、ずいぶんとお召し上がりになられたのですね?」
彼女は院長先生の肩にそっと手を当てて声をかけた。見た目だけでなく、声も美しいものだった。透明感を抱かせる涼しげな声だ。
「おお、クズミ君。すまないねぇ。今日は仮眠室で休ませてもらうよ」
院長先生はうなだれていた顔を上げて、すまなさそうな声をあげた。反射的に女性の胸元につけてある名札に視線が向いた。そこには「葛見」と書かれていた。
「承知いたしました」
彼女はにこやかに微笑んでうなずいた。そして、私のほうへ顔を向けた。
「あの……」
彼女がやや戸惑ったような表情で話しかけてきた。これまで呆けたように立っていただけの私はようやく我に返った。私はずっと院長先生に肩を貸したままだったのだ。
「あ、すみません。よ、よろしくお願いします」
私が肩に回された院長先生の腕をほどくと、彼女はすばやくその腕を取って自分の肩に回した。ずいぶんと慣れた様子だ。
「本当であれば、ご自宅へお送りするべきなのですが、どうしても病院へ行くんだとおっしゃられて……」
私が弁解めいたことをつぶやくと、彼女は笑顔で首を振った。
「お酒をたくさん召し上がった晩は、必ずここの仮眠室に泊まられるんです。酔ってお帰りになると、奥様がたいへん機嫌を悪くされるそうなので」
そういうことなのか。さきほどの慣れた様子を見ると、院長先生の「外泊」の頻度は高いものらしい。警備員でさえ、私に事情を聞くこともせずに通したぐらいなのだ。
彼女は院長先生の肩を支えると、私に会釈をして奥へと去っていった。私はしばらくその様子を見送った後、私も頭を下げて病院を辞した。病院から私の住まうマンションまでは徒歩10分ぐらいである。私は深夜で人通りのない道を歩きながら、しばらく彼女の美しい顔を思い浮かべていた。
翌日、専務が私の肩を叩いたとき、てっきり昨日の不首尾を責められるものだと思っていた。私は結局、新規顧客につながりそうな人物と名刺交換ができなかったからだ。しかし、私が見上げると、専務の顔はほころんでいた。
「いやぁ、君。麻生社長からお礼の電話があったよ。君が来てくれて、本当に良かったとお喜びや」
私は首をかしげた。麻生社長に喜ばれるようなことをした記憶がないのだ。
「昨日は、伊東総合病院の院長先生をもてなしてくれたようやないか。院長先生が麻生社長に電話されたようや。君には本当に世話になったと。ついては、お礼がてら、また君と酒を飲みたいゆうてなぁ。麻生社長は、あの院長先生に頭が上がらんそうで、もてなすのに苦労されていたそうや。古い馴染みやからテニスの腕前は良く知られてる。そやから、わざと負けたらすぐバレてまう。そんなことしたら、かえって機嫌損ねてしまうからな。院長先生に機嫌よく楽しんでもらうのは大変なんやとこぼしてはったわ」
言われてみれば、院長先生がずっとご機嫌だったのは、久しぶりに白熱するテニスの試合ができたからだ。院長先生にとって、私はちょうどいい相手だったのだ。思わぬところで高評価を得る結果になってしまった。
その後は、たびたび、院長先生のお供をすることになった。テニスに限らず、ただ飲みに行く場合のほうが多い。すっかり気に入られたようだった。これまでの接待のように気を遣う部分は少なく、私も院長先生のお供をするのは嫌ではなかった。それに、院長先生のお供をするのには別の理由も存在した。
院長先生はお酒が好きで、私と飲んでいるときはたいてい数軒回るはしご酒だった。当然、家には帰らず、仮眠室に泊まるため病院へ向かうことになる。私は、あの美人看護師と出会えることを楽しみにしていたのである。
偶然なのか、運命なのか。私が院長先生を連れて病院に行くと、ほとんど彼女が夜勤のときだった。三度目ともなると、すっかり私の顔を覚えていて、「毎回、どうもすみません」と苦笑いを見せた。
「いいえ。僕も先生と飲むのは楽しいですから。それに、この病院から家までは歩いて帰れる距離なんですよ。先生をお送りするのに問題ありません」
私がそう言うと、彼女は目を大きく開いた。
「あら。じゃあ、私と近所かもしれませんね。私も、この病院は徒歩で行けるんです」
「本当ですか? 僕の家は、この病院の北側です。中央線の向こう側にあります」
「そうなんですか。私とは逆ですね。私の家は南側の川近くにあるんです」
思っていたより近所でないことはわかったが、私は落胆しなかった。それより、彼女と会話できたことが嬉しかったのだ。その後もたわいのない会話をして、私は院長先生を彼女に預けて帰った。そのとき、「今度はお昼の時間にお顔を見せてください」と言われたので、日曜の昼に会う約束を取り付けられた。彼女は土日に休めることがめったに無いそうだが、その月はたまたま日曜に勤務の無いシフトだったのだ。この巡り合わせは天の配剤だと思えた。
次の日曜日。
私は心躍るような気持ちで、待ち合わせの喫茶店に向かった。社会人になって以来、女性とデートする機会がほとんど絶えていた私には、この日は楽しみで仕方がなかった。この時点で私はすでに彼女に恋していたのである。
待ち合わせ場所に現れた彼女は、周りの客がはっとするほどの美しさだった。凛とした雰囲気ながら、一方で穏やかで柔らかい笑みをたたえ、私が座る席へ近づいた。
「お待たせしまして」席に座りながら彼女は詫びたが、約束の時間ぴったりだった。私が早く着きすぎたのだ。彼女はすでに空になった私のコーヒーカップを見て察したのだろう。私は彼女の才知ある一面を知って、ますます彼女が好きになった。
彼女とは長く話をした。ただ、内容はいたってくだらないものだ。お互い、きちんと名乗っていなかったので、改めて名前を教え合うところから始まった。そこで、私は彼女の名前が『葛見繭美』であることを知った。年齢を聞くつもりはなかったが、30代半ばであることも知った。彼女の美しさは、完全に成熟した女性の美しさであるとわかった。
私は貿易会社で働いていることを話すと、彼女は興味を抱いたようだった。
「どんなものを売り買いしているんですか?」
私は、我が社では主に茶や漢方の材料を中国から輸入し、日本からはネジの輸出を行なっていると説明した。
「ネジって、あの小さいネジのことですか?」
彼女の素朴な質問に、私はうなずいて答えた。「その小さいネジです」
ネジはありきたりな工業部品と思われるが、あれほど品質の要求度が高いものはない。ネジに刻む螺旋状の溝、つまりネジ山が歪んでいたり、甘い削りになっていたりすると、ネジが入らなかったり、すぐ緩んでしまったりする。中国製や韓国製のほうが安価であるが、気持ちよくピタリと締まるネジは何と言っても日本製である。特に東大阪の工場で生産されるネジは日本一の生産量を誇るが、品質においてもトップクラスだ。ひとつひとつの単価は大した金額ではないが、数十年に渡って我が社を支える売れ筋の輸出品であった。しかし、最近はネジの売れ行きに影が差し始めている。中国製や韓国製の品質が上がったというわけではない。後継者不足で廃業するネジ工場が現れて、国内全体のネジの品質が落ちてきたのだ。何のことはない。日本製が他国の品質まで下がってきただけの話である。そんな内情の話を、彼女は興味深げに聞いてくれた。私は嬉しくなって話を続けた。こうして、私たちは互いのことを深く知ることができたのだ。
互いが家族のいない独り身であることも知った。彼女の両親も私と同様にすでに他界されていたのだ。現在、交際している男性もいないようだった。できるだけさりげなく尋ねたが、一番知りたいところでもあった。
「仕事の関係で、なかなか出会いが無くて」彼女はそう言って笑っていたが、ほかの男性と知り合う機会の無い病院の体制に、私はひそかに感謝していた。
好きな食べ物や、好きな映画など、いろいろな話題で盛り上がったが、趣味については互いに触れることはなかった。私が話題に持ち出さなかったからである。私はまだ、彼女に自分が小説を書いていることは打ち明けていなかった。私の中には、この「秘密」を明かすのは時期尚早という気持ちがあったのだ。正確には勇気がなかったというのが近い。彼女は話題も豊富で、話していて飽きるところが無い。せっかくの盛り上がった雰囲気を、私の「秘密」で変えたくはなかった。それで、趣味の話題になりかけると、「あそこに行ったら面白かった」とか、「あの俳優のこういうところが好き」など、違う話題にすり替わるように持っていったのだ。私の浅はかな意図に気づいたのか、それからの彼女は趣味の話題に触れはしなかった。そのことに触れなくても話題に尽きることがなかったので問題なかった。気がつけば、辺りが暗くなるまで話していた。
「すっかり話し込んじゃいましたね」
私は窓の外に目を向けてつぶやいた。名残惜しいが、これ以上遅くなるのもどうかと思った。私はもちろんだが、彼女も明日から病院での仕事がある。
「本当に楽しい時間でした」
彼女は優しい笑顔を向けてくれた。その可愛らしい笑顔に、私は年甲斐もなくどきりとした。
店を出る前に何とか次に会う約束を取り付けたい。私がどう切り出そうか焦っていると、彼女のほうから「今度は私の家に来ませんか?」と誘われた。
私が驚いていると、彼女は「私、ときどき自分でケーキを焼くんです。このお店に負けないくらい美味しいんですよ」と自信ありげに胸に手を当てて言った。
「それは楽しみです。ぜひ、うかがいます」
私は勢い込んで答えたが、急に顔が熱くなった。がっつきすぎではないかと思って恥ずかしい気持ちになったのだ。
彼女はそのことをまるで気にしていないように笑顔で手を振った。
「では、当日、ケーキを焼いてお待ちしていますね」
それからの一週間。私は身悶えしたくなるような日々を過ごした。これほど週末が待ち遠しいことはなかった。気もそぞろになるので、夜、机に向かってもまともな文章など浮かんでこない。私はこの一週間、小説を書くことがまったくできなかった。
この気持ちを抑えたまま、彼女と会うことはできなくなってきた。ただ、正式に交際を申し込むのに、私にはひとつ問題があった。「誰にも知らせず、小説を書いている」という秘密の件である。いかがわしい趣味や性癖ではないのだから、堂々と「小説を書いている」と話せばいい。あるいは、このままずっと明らかにしなければいい。おそらく、簡単に答えが出るはずの問題に、私は答えを出すことができなかった。彼女と出会う前の私は、「書くこと」がすべての人間だった。こんな生活を20年以上続けている。簡単に辞めることも、これまでを無かったことにするのもできなくなっていた。私の「書くこと」には劣等感や後ろめたさが伴っていた。舐めた考えから始めた執筆活動だが、今は打ちのめされた人生を見つめつつ、明日生きる気持ちを生むために必要な行動なのだ。それだけに私の一番深い部分と繋がっている。それを見せるのは、私にとって相手に示せる最大の誠意であり、逆に、もっとも踏みにじられることを恐れるものだった。
今度、彼女の家に行って、私が小説を書いていることを告白したとしよう。彼女は呆れてしまうかもしれない。引いてしまうかもしれない。嘲笑われることはないだろうが、取ってつけたような愛想笑いしか見せないかもしれない。いずれも私を絶望の淵に落とすものだ。しかし、秘密のままにもできない。さきほど少し触れたが、私の秘密を見せることは相手に対する私なりの誠意の示し方なのだ。誠意を見せないで交際を申し込むなど、私はしてはならないことだと思ったのだ。
そう考えて私の肚は決まった。私が小説を書いていることを打ち明けよう。もし、そのことが受け入れられるのであれば、正式に交際を申し込もう。もし、否定的な態度が見られたら、彼女のことは潔く諦める。私はそう決心したのだ。
これまでに書き上げた小説は、すべてプリントしてある。私はそれらを読み返して、もっとも出来栄えの良いものを選び出した。この作品が否定されることになれば……。私は考えを振り払うように首を振った。今、そのことは考えないでおこう。それに交際を諦めることになれば、私はこれまでの日常に戻るだけではないか。そう気持ちを奮い立たせようとしたが、気持ちはいっこうに高ぶらなかった。私は「書くこと」と同列か、それ以上の存在に出会ってしまったからだ。
次の日曜、彼女の家のインターフォンを鳴らしたとき、私の顔は緊張で強張っていた。彼女の家が思っていた以上に大きかったからではない。私は滑稽で、そして悲壮な覚悟を胸に彼女の家を訪ねていたのである。
「ようこそ、いらっしゃいました」
彼女は美しい笑顔で私を出迎えた。しかし、すぐ私の手元に目をやって不思議そうな表情になった。私は通勤用の手提げかばんを手にしていたからである。
「あら? それは?」
かばんの中には小説の束が入っていた。しかし、ここで出すタイミングではないだろうと思い、「後でお見せします」とだけ答えた。
応接間に通されたとき、私は目を見張った。天井は高く、かなり広さのある部屋だったのだ。応接間だけで二十畳の広さはありそうだった。
「すごい部屋ですね」
私は圧倒された気持ちで感想を口にした。内装も家具も高級感にあふれており、庶民暮らししか知らない私にはすべてが豪華だった。
「父のものでしたから」
彼女は笑って答えた。
応接間には、どっしりとした本棚が壁一面を覆っていた。ガラス戸付きのものだ。並べられている背の文字はすべて欧文である。近寄って見てみると、ほとんどがドイツ語で書かれた本のようだ。
「ほとんど医学書なんです。すべて父のものですわ」
彼女はガラス戸のひとつを開きながら説明した。
「お父様は、お医者さまでしたか」
私は一冊を手に取って開いてみた。開き癖がついていて、あるページがぱらりと広がった。解剖学の本だったようで、そこには大きく腹を切り開かれた人体の解説図が描かれていた。
「私、子供のころは絵本代わりに、これらの本を眺めていたんです。ドイツ語なんてわかりませんから、絵がいっぱい描いてあるのを見るだけで」
「こんなのを子供のころに見ていたんですか?」
私は少し驚きながら尋ねた。幼いころより医学の一端に触れてきたから、現在の彼女は医療従事者になったわけか。彼女の原点を垣間見た気分になった。
「何が面白いのかと、父は呆れていましたけど」
彼女は笑顔で答えた。
彼女に促されるままソファに腰を下ろしたが、これまで座ったことのない感触に、私の腰は落ち着かなかった。挙動不審に思われそうだが、きょろきょろと辺りを見てしまう。
応接間には少し違和感を抱かせる扉がついていた。扉のかたわらには車いすが置いてある。私はしばらく、それに視線を向けていた。
「ああ、これですか」
彼女は車いすに手をかけた。
「晩年、父は足を悪くしまして、家でも車いすの生活を送っていたんです。家を改築して、2階と地下につながるエレベーターも設置したんですよ」
「ああ、それじゃ、その扉が」私は納得した声をあげた。
「エレベーターの扉です」彼女がひと足早く答えを言った。
「しかし、凄い家ですね」
私は高い天井を見上げながらつぶやいた。
「地下室もあるなんて……」
「全部、父のしわざです」彼女は笑った。「クラシック音楽を聴くのが趣味で、そのために地下室を造ったんです。大音量で音楽を聴いても近所迷惑にならないように」
「すごいスピーカーとか置いてあるんですね」
一瞬、彼女が答えるまでに間が空いた。「ええ。とても大きなものですわ」
「後で見ることはできますか」
ワンルーム暮らしの私は、ミニコンポにヘッドフォンをつけて音楽を聴いていた。ヘッドフォン無しに大音量で音楽を聴く暮らしは憧れのひとつだった。どんな音響設備があるのか興味が湧いたのだ。
「では、後で地下室にご案内しましょう」
彼女はそう言いながら部屋を出て行くと、今度はワゴンを押して戻ってきた。ワゴンには大きなホールケーキと、ほのかに湯気のあがったティーポットが置かれてある。
「まずは、お茶にしませんか?」
彼女は艶やかな笑みを私に向けて言った。それから、慣れた手つきでティーカップにお茶をそそぐと、私が座っていたソファの前のテーブルにそっと置いた。
これまでの生活とはかけ離れたもてなしに、私は硬直していた。自分の秘密を打ち明けるどころではない。私は完全に気圧されていた。私は無言でソファに座ると、ティーカップに口をつけた。私はますます困惑した表情を浮かべた。口にしたのは紅茶ではなかった。
「……紅茶じゃ、ないですね……」
「いろいろブレンドされた健康茶です。お口に合いませんでした?」
紅茶ではなく健康茶を用意するとは、さすがに看護師だ。私は変なところに感心しながら、さらにお茶を飲んだ。喉の奥に苦みが残る。言葉には出さなかったが、私の口には合わないようだった。それでも、私は最後まで飲み干した。彼女はそれを気に入ったと解釈したらしく、すぐにおかわりをそそいできた。私はすぐにそれを口にせず、ケーキのほうに視線を向けた。
「そろそろ手作りのケーキをいただければ……」
「そうですね。すぐ切り分けます」
彼女は笑顔でケーキの切り分けに取り掛かった。八分の一に切り取られたケーキが私の前に差し出される。私はさっそくケーキを食べてみた。
「……美味しいです、これ」
お世辞抜きの感想だった。甘みの強いケーキだが、それでも素人の手によるものとは思えない。彼女の自信は本物だった。
「気に入っていただけて良かったです」
彼女は私の向かいに座って笑顔を見せた。私は美味しいが伝わるよう、さらにケーキを口に運んだ。
甘みが強く、ふわふわのスポンジのケーキに、あの苦い健康茶は合っていた。口に合わないと思っていたが、ケーキを食べながらだと、むしろお茶が欲しくなる。私はお茶をおかわりしながら、彼女が作ったケーキを堪能した。
ケーキもふた切れめを腹に収めると、私の緊張もほぐれてきた。どこかふわふわした気分になったのはソファの感触のせいだけではなかった。
「ご満足いただけました?」
私の顔を少しのぞき込むようにして彼女が尋ねてきた。この日の彼女は胸元の広いブラウスを身につけており、正面から前かがみにされると視線の向ける先に困った。私は少し顔をそむけぎみに「ええ。とっても……」と答えた。所在無げな私の左手が、私のかばんに触れた。そろそろ打ち明ける頃合いかもしれない。私は正面を向いた。
「繭美さん。少し、聞いていただきたい話があるのですが」
彼女は笑顔で首をかしげた。一方で私は困惑していた。さきほどの言葉は、明瞭な言葉となって発せられなかったのだ。自分でもわかるぐらい、むにゃむにゃと意味不明な音の羅列と化していた。
――まともに言葉が出ない……
緊張感のせいではない。むしろ緊張がほどけたタイミングだったのだ。何かがおかしい。私は手を上げて彼女に異常を伝えようとした。しかし、私の手は力を失ったように動かない。さらに意識が薄れていくのがわかった。まぶたが重くなって降りてくる。まずい。私の身体に何かの異変が起きている。私は力の無い目で彼女を見つめた。彼女は私の異変にまるで気づいていないように笑顔を向けている。私はすでに声を発することすらできなくなっていた。
……このままでは僕は……。
焦りのなか、私はまぶたの緞帳が降りようとしているのを止めることができなかった。やがて、まぶたの緞帳は私の眼前を覆い、辺りは暗転した……。
どれほど時間が経っただろうか。私は重いまぶたを無理やり広げるように目を開いた。視線の先には灰色の天井が見えている。応接間の天井ではない。応接間の天井は上品な白いものだった。
私は頭を持ち上げて、自分のいる場所を確かめた。そのとき、私は何かの台に寝かされて、さらに全身を黒いベルトで拘束されていることに気がついた。両腕、両足にも同じベルトが巻き付けられ、まったく身動きができない。服装も変わっている。いつの間にか手術に使われる患者衣を着せられていた。
首を巡らせると銀色のトレイが目についた。そこにはメスなどの手術道具が並んでいる。
私は彼女の家で倒れ、病院に運び込まれたのかと思った。それにしてはおかしい。部屋に私ひとりしかいないし、身動きできないほど拘束されているのは尋常なことと思えなかったのだ。
「あら、もう目が覚めたんですか」
不意に頭の上から声がしたので、そちらに顔を向けると、手術着姿の彼女が立っていた。これまで見た看護師姿とはまったく別の姿だ。
「思っていたより体重があったようですね。それとも、お薬に少し耐性があったのかしら」
彼女は笑顔であるが、私はその笑顔を見て慄然とした。これまでの笑顔とはまったく異質の、冷ややかな笑みだったのだ。
「驚いている顔をなさっていますわね。初めて打ち明けますけど、私、人体の、特に腸に強い関心がありますの。自分の手で切り開いてのぞいてみたい。そんな願望があるんです」
少しずつだが、私は事態を理解し始めていた。そして、これから行なわれることが何であるかも。私は彼女の「秘密」に触れているのだ。
「地下室をお見せする約束でしたわね。ここが、その地下室です。オーディオセットはすべて処分してしまったので、残念ながらお見せすることができません。父が亡くなると、ここを私のために改装したので。ここでなら誰からも邪魔をされずに、私のしたいことができますわ」
彼女が私に関心を持ったのは、男性としてではなく、「秘密」の楽しみに使えるかどうかだったのだ。私は家族のいない独り身で、突然行方不明になってもそれほど周囲に騒がれる存在ではない。素材として好条件だったのだ。
彼女の秘密に迫る手掛かりが無かったわけではない。開け癖がついていた応接間の本。あれは解剖図が描かれているページだった。子供のころにあれを目にして、彼女は自分の手で人体をのぞいてみたい願望に囚われるようになったのだろう。車いす生活だった父親が亡くなった後も、その車いすを処分していなかったのは、応接間で意識を失った獲物を運ぶためだ。私は応接間から車いすに乗せられて、エレベーターから地下室まで連れて来られたに違いない。さきほど「思っていたより体重があったようですね」と言っていたのは、応接間で出されたお茶に睡眠薬か、それに類する薬が盛られていたのだろう。私を確実に昏睡させながらも死に至らない程度の分量だったのではないか。その点、彼女は看護師である。その方面の知識もあるはずだ。今考えてみれば、いろいろ思い当たる部分はあるが、それらから彼女の秘密に気づけたとは思えない。仮にそうだったとしても、もはや手遅れだった。口はまだ自由に動かないが、たとえ大声を出せたとしても、防音施工された地下室からでは外の誰にも聞こえることは無いだろう。
私は間もなく生きながら腹を切り裂かれ、腸が露わにされる。そのあとは……? その答えは考えるまでもなかった。
ひとには、誰とも共有し合えないもの、あるいは共有するのが難しいものが存在する。それは「秘密」である。私には、彼女の秘密を共有するなどありえない。私は「秘密」の本質を思い知ったのだ。
彼女は注射器を手に、私へ近づいて来る。何かの薬をさらに注射するつもりなのだろう。私はせめて苦痛の時間が短くなることだけを祈って目を閉じたのだった……。
この作品のレシピ:
この物語が生まれた経緯は異質だ。ある日、この作品を執筆している夢を見たのだ。この物語を体験している夢ではない。小説を書いている夢なのだ。目を覚ますと、夢で書いていた話を忘れないようプロットをまとめ直し、形にしたのがこれである。純文学風な文章を心掛けたが、あくまでオチへの仕掛けであり、この主人公と違い、僕自身は相当「不誠実」である。