第二十三話 道化の選択
戦場を渦巻く混沌は最高潮に達していた。
絶え間なく放たれるのはオオクニヌシの投槍だ。斜めに掲げた二本の足が発射され、しかしすぐさま再生する。そのサイクルはわずか一秒にも満たない。
水面を叩くような発射音が立て続けに鳴り響き、それは数分が経過した今もなお鳴り止まない。
武器のような足と異能による超回復を組み合わせ、圧倒的な火力で正面から敵を叩き潰す……これこそオオクニヌシが最も得意とする戦法。
その苛烈さは降り注ぐ矢の雨がごとし。その鋭さは研ぎ澄まされた幾千の矛がごとし。
ゆえに、人々は賞賛と恐怖をもってオオクニヌシをこう呼ぶのだ。
──八千矛神と。
「恐れ入ったかい? 伊達に軍神と持て囃されてるわけじゃないんだよ!」
撃ち続ける間も地を掻く六本の足は止まらない。むしろ移動に専念することでこれまでよりスピードアップしている。
黒ずんだ道路に深く爪を立て、オオクニヌシは駿馬のように体を跳ねさせた。
「どうしたちびっこ剣士、もう息が上がってるじゃないか! スタミナの無い男はいざって時に恥をかくぞ!」
「うおらああああっ!! このっ、ざけんじゃ、ねえぞっ!」
逃げていく車の上ではフツヌシの少年が孤軍奮闘していた。
車体から新たな刀を鋳造し、左右の二刀で投槍を凌いでいる。驚くべき反射神経だ。
だが、しょせんは無駄な努力でしかない。
相対距離が縮まれば縮まるほど、防御側には素早い反応が求められる。そして、あの程度の乗り物では本気を出したオオクニヌシを振り切ることなどできないだろう。あの少年が耐えきれなくなるのも時間の問題だ。
(さあ、どうする? 残念だけど、他に打つ手が無いならここまでだよ)
人間にしては保った方だが、それだけだ。
力も、知恵も、何もかもが想定の範囲内。あくびが出るほど脆弱だ。
「冗漫だぞ人間ども! 貴様らの前にいるのは日の元の真なる支配者、現神だ! 決死を束ねてようやく互角と心得ろ!」
募り膨らむ激情を乗せて、荒神たちに叩きつける。
戦争に敢闘賞は存在しない。
勝者が利益を総取りし、敗者はあらゆるものを奪われる。勝たなければ意味が無いのだ。
「理想があるなら剣に込めろ! 意地があるなら力で通せ! それが生きるということだ!!」
さもなくば、死して屍を晒すだけ。
だが、自分たちにはそれすらも許されない。現神の肉体は死と共に崩壊してしまうからだ。
それと同様に、撃ち出された足は本体から離れて一分もしないうちに形を失ってしまう。
自分の一部だったものが溶け消える様を見ていると、胸を締め付けるような寂しさが込み上げてくる。
まるで現神という種族そのものが世界から否定されているような、寂寞とした感情。おそらくは多くの現神が抱えていたもの。
この感情を突き詰めていくと、いずれは一歩も進めなくなる。"彼女"のように。
だから皆割り切るのだ。神であることに依存し、秘めた弱さを正当化する。
だとすれば自分はどうなのだろうな、とオオクニヌシは考える。
考えて、すぐにやめた。思い悩むのは性分ではない。
自身の行く末は目の前の戦場にこそ存在する。
何が正しく、何が間違っているのか。それは結果が決めてくれるはずだ。
「どちらが先に運命の女神を口説き落とせるのか……競争と行こうじゃないか!」
匂い立つような気迫。
オオクニヌシが最後の詰めにかかろうとした、まさにその瞬間だった。
「──今ですわ! こっくりさん、おいでくださいっ!」
倶久理の叫びが鈴のようにこだまする。
現れたのは青く大きな光の球……霊体だ。オオクニヌシと車の間に沸き上がったそれは、数度瞬いたかと思うと激しい光を放ち始める。
「これは……!?」
攻撃の予兆と勘違いしたことがオオクニヌシの失敗だった。
光は強い輝きとなり、瞬く間に全てを塗り潰す。
目を焼くようなブルーライトを直視した代償は、視覚の一時的な麻痺。
眼球の集光機能が復活したのはほんの数秒後。だが、彼らにとってはそれで十分だったようだ。
「伏兵か。まあ定石だね」
戻ってきた視界には二つの違いがあった。
一つは車。高架の壁に車体を擦り付けるようにして停止している。強引にブレーキをかけたらしく、地面にはタイヤの線が付いていた。
もう一つは少女。百メートルほど進んだ先にセーラー服の少女が立っている。先ほどまでは車に遮られて死角になっていた場所だ。
少女は黒い髪を風になびかせながら、右手をこちらに向けていた。
ぴんと伸びた人差し指と上向きの親指が模しているのは──銃砲。
張り詰めた腕が跳ね上がる瞬間、彼女の唇がささやかな動きを見せた。
「射撃っ」
飛来するのは特別製の徹甲弾。太さは三十ミリを超え、長さは少女の身の丈ほど。表面には節のような線が随所に走っている。
抜群の強度と重量を誇る合金製の建築資材、その名を"鉄筋"という。
とてつもない推力とジャイロ回転を加えられた鉄筋は、漂う空気をも巻き込むような速さで向かってくる。当然、その破壊力は察するに余りある。
全身に硬い甲殻を纏うオオクニヌシも、あれの直撃を受ければ無事では済まないだろう。が、
「悲しいかな、遅すぎるんだよ」
足先を壁に突き立て、己が体を吹き飛ばす。鋭角的な軌道を描いて道路の反対側へ。
対向車線に飛び込んだ直後、今いた場所を鉄筋が通過していった。
後に残るのは棒立ちの少女と動かない車、そして無傷のオオクニヌシ。
「……そんなものか」
オオクニヌシは落胆を隠そうともせず、哀れみの目で彼らを見る。
彼らは間違いなく死力を尽くしていた。しかし、それでも神には届かなかった。
だからもう、終わらせよう。
最大威力の一撃で、痛みを感じる間もなく死なせてやる。それがせめてもの慈悲だ。
既に二本の足は発射体勢に移行している。
照準誤差を修正し、筋肉を弦のように引き絞り、
「いえいえご心配なく。断じて"そんなもの"じゃありませんよ」
背後。至近。からかうような女の声。
懐に入り込まれている。この一瞬で。
とっさに体は動いていた。旋回しながら頭をひねり、刺客の姿をぎりぎり視界に収める。
そこにいたのは白髪の少女だった。
微笑を湛えた表情は髪色に負けぬほど白く、雲間に浮かんだ月の光を受けて神秘的に輝いている。
けだるげに上げた指先はある一点で静止しており、正面には宙に浮く棒のような物が見えた。
鉄筋だ。
「ツクヨミ──!!」
その事実とこれから起きるであろう事態を認識した時にはもう遅かった。
少女の指が鉄筋を軽く弾く。縦回転した鉄筋は半周してからぴたりと停止し、矛先をオオクニヌシに向ける。
直後、鉄筋の"止まった時"が解除された。
「はい、リターン♪」
反転してきた攻撃が無防備な胴体に吸い込まれる。
脇腹を襲う衝撃。激痛に呼吸が止まり、八本の足が意に添わぬ痙攣を見せる。
だが、真の狙いは痛みを与えることではなかった。
打ち込まれた鉄筋はオオクニヌシの甲殻をめり込ませながら、その体を前へ前へと押し出していく。
終着点に待ち受けるのは、フツヌシの少年だ。
鋳造した二刀を一振りの長刀に合成し、居合のような構えで力を溜めている。
その手元がわずかに動いた時、全ては終わっていた。
「疾ッ──」
切っ先がきらめき、弦月のような残影を描く。
断。
刎ねられた首は高々と空を舞った後、鈍い音を立てて落ちる。
切断面からは、真っ二つになった緑の石がこぼれ落ちていた。
「ヤサカニ狙い……ね。その手があったかぁ」
頭部だけとなったオオクニヌシは、徐々に液状化していく自分の胴体をぼうっと眺めていた。
ヤサカニは現神の異能を統御する重要な器官だ。破壊されれば力を失い、速やかに死に至る。
もっとも、大抵の場合ヤサカニは体の奥深くに隠されているため、それを弱点と認識する現神はほとんどいない。
よしんばヤサカニの役割を知っていたとしても、どこにあるのかも分からない急所を探すことは普通に倒す以上の手間を要するからだ。
しかし、彼らはその急所を探り当て、一発で突いてみせた。
これだから人間は面白い。傍目には不可能とも思える壁を軽々と越えていく。
彼らの活躍をこれ以上見られないことが、つくづく残念だった。
「……大神様」
ふと、頭上に小さな影が差した。
車を降りた倶久理がすぐ傍まで来ていたのだ。
こちらを覗き込む顔は悲喜こもごも入り混じった複雑なものであり、とても手放しに勝利を喜んでいるようには見えなかった。
「やれやれ、困ったなあ。勝った方が辛気臭い顔をしてどうするんだよ」
痛みをこらえて軽口を叩くが、倶久理の表情は晴れない。地面に膝を下ろし、何かをうったえかけるようにオオクニヌシを見つめている。
「どうして、こんなことをなさったのですか?」
「こんなこと?」
気の抜けた問いを無視して倶久理は畳みかける。
「貴方のおかげで愚かな少女は過ちを犯さず、そのうえ禊の機会まで得た。全て貴方の思惑通り。でも、どうしてそこまでする必要がありましたの?」
「うーん、悪いけど何の話か分からないなぁ」
「とぼけないでください! 悪ぶって嘘ついて、命懸けでこんなお膳立てまでして! 気付かないはずがありませんわ!」
「……………………」
オオクニヌシはためらうように口をつぐんだ。
手を抜くつもりは無かった。自分は確かに、彼ら全員を殺す気で戦っていた。
ただ……万一負けた時に備え、あらかじめ布石を打っておいただけだ。
彼女が正しく過去を振り切ることができるように。彼らが彼女を迎え入れることができるように。
恨まれるのも憎まれるのも、悪党一人でいい。
結果的に見ると、保険は正しく機能していた。彼女に気付かれてしまったという最大のミスを除けば。
「わたくしなんかのために、どうして──!」
顔をくしゃくしゃにしながら、どうして、と問い続ける。
涙の雨はとても激しく、しかし優しい。
初めて会った時も倶久理はこうして泣いていた。
両親の墓前でたった一人悲しみに暮れる少女。その小さな背中に声をかけたのは、単純な動機からだった。
彼女が荒神であることなどどうでもよかった。利用価値とか、そんなことは考えもしなかった。
オオクニヌシの心にあったのは、一つの想いだけだ。
「そんなこと、決まってるだろ。泣いてる女の子を助けることに理由なんて要らないのさ」
ああ、自分は大馬鹿者だ。
何千年が経とうとも、きっと死んでもこの性分は変わるまい。"彼女"も呆れていることだろう。
だが、それでいいのかもしれないとも思う。
なぜなら、雨は止んだのだから。
「────────、」
立ち去る直前、倶久理が口が何かを告げるように動く。音は聞こえないが、意味はなんとなく分かった。
五感があやふやになり、意識がスープのように混ざっていく。
白んでいく世界の中心には倶久理がいて、その周りには仲間たちが集っている。
それは、彼が何より見たかった景色だった。




