第二十二話 根源
追う者と追われる者のせめぎ合いが始まっていた。
高架道路のただ中に、短い打音が何度も響く。
染み入るように冷たい金属音は、オオクニヌシの投槍が弾かれる音。それを成すのは黒鉄の刀だ。
「芸の無い奴だぜ。さっきから似たような攻撃ばっかりしくさりやがってよぉ」
時速百キロ超で爆走する車の上。吹きすさぶ風にその身を晒しながら、黒鉄が笑みを見せる。
だらしなく掲げた刀は右に左に揺れ動いているが、獣のような双眸は絶えず敵の挙動をうかがっている。
「いるんだよなー、画面端からしょっぼい飛び道具ぶっぱして判定勝ち狙ってくる奴。負けはしねえがクソつまんねえから萎えるんだよ」
「そいつはすまなかったね。それじゃあ次はもう少しスリリングなおもてなしをしてあげよう」
黒鉄の煽りに、オオクニヌシはさらなる攻撃をもって応える。
路面を砕きながら突き進む八本の足、そのうち半数が地面から離れ、前を行く車に向けられた。
「だから……無駄だっつーの!」
しかし黒鉄は動じない。
襲い来る四つの投槍をぎりぎりまで引き付け、円を描くように刀を振るった。
一太刀にして、一掃。
いかに強力な攻撃とて、真横からの衝撃には無力だ。側面を叩かれた槍は押し退けられるように軌道を変更し、あさっての方向に飛んで行った。
受け止めるのではなく、受け流す動き。口で言うのは簡単だが、実践するのは至難の業だ。
戦闘センスに限って言えば、黒鉄はとっくに自分を越えているのかもしれない……明はそんなことを考えながら、作戦決行のタイミングを見計らっていた。
『夜渚くん、こっちは準備完了。そっちは大丈夫?』
ハンズフリー通話にしたスマートフォンから望美の声が聞こえてくる。明は背後の攻防に目をやりつつ、鷹揚にうなずいた。
「とりあえず問題は無い。黒鉄が予想以上に健闘している……というか、オオクニヌシが微妙に消極的と言うべきか」
『……何それ?』
「いや、何となくそう思っただけだ。これといった根拠は無い」
この戦いが始まってからずっと、明は名状しがたい違和感に苛まれていた。
もっともそれが何と具体的に言えるわけではなく、あくまで直感的なものだ。あるいは過敏になった脳が妄想を膨らませているだけなのかもしれない。
ただ、隣に座る倶久理も明と同様の感覚を抱いているようだ。座席の上で小さく丸まりながら、考え込むように助手席の背を見つめている。
「自分で言っておいて何だが、あまり気にするな。黒鉄を警戒しているだけという線もある」
『だといいけど。黒鉄くんの攻撃が効かなかったら私たち全員おしまいだよ?』
「大丈夫だろう、たぶん。本人も『切れぬ物無し』と豪語していたしな」
『それ、本気で信じてるの?』
「イワシの頭も信心だぞ」
『夜渚くんは肝心なところで行き当たりばったり』
「どちらにしても他に有効なプランは無い。現時点でオオクニヌシの装甲を貫けそうな荒神はあいつだけだからな」
無限の再生能力を持つオオクニヌシ相手に短期決戦以外の選択肢は無い。
ゆえに、望美の攻撃でオオクニヌシの動きを止め、間合いを詰めた黒鉄が渾身の一撃を叩き込む……それが明の考えた作戦だった。
この作戦におけるポイントはたった一つ。オオクニヌシの"異能の源"を物理的に破壊することだ。
「これまでのセオリーから言って、オオクニヌシの超回復は体質ではなく異能だ。当然、異能が使用不能になれば再生もできん」
『で、その異能を生み出してるのがヤサカニ……だっけ? その仮説、本当に正しいの?』
「これまでの情報から導き出した結論だ。八割方正解だと自負している」
『残りの二割は?』
「イワシの頭も信心だぞ」
『それさっき聞いた……』
スピーカーから漏れてくるため息をかき消すように、明は大きな声を出した。
「とにかく! やれば分かる! やらねば分からん! 間違っていたとしてもある程度のダメージは与えられるはずだ!」
異能の源かどうかはともかく、ヤサカニを失った現神が全くの無事でいられるとは思えない。絶対に何かしらの異常は表れる。
一種の賭けであることは否定しないが、賭けたからには自分の勘を信じて進むしかない。それがギャンブルというものだ。
「黒鉄、段取りは覚えているな? オオクニヌシに隙ができたら急いで首の付け根を両断しろ。そこにヤサカニが埋まっている」
「ガチで信じていいんだろうな? 場所間違えてたらシャレにならねえんだからよ」
普段は向こう見ずな黒鉄も、オオクニヌシの並外れたポテンシャルを前にしては慎重にならざるを得ないのだろう。
強く念押しするような問いかけには珍しく不安そうな響きが含まれていた。
「振動波を打ち込んだ時の反響によって奴の構造は把握できている。間違いは無い」
「あー、よく分かんねえけど魚群探知機みたいなもんか?」
「似たようなものだ。……それで、できるのか?」
「はっ、俺様を誰だと思ってやがる」
「よろしい。では頼むぞ」
淡白な応酬の後、視線を交差させる。その目に迷いは無くなっていた。
仕込みは万端。味方の士気も高い。あとは機を見て行動を開始するだけ。
そんな時、明の耳元で控えめな声がした。
「あ……あのっ! ……わたくしも、お手伝い、します」
たどたどしい口調でそう言ったのは倶久理だった。
明は一瞬呆けたような顔をしていたが、すぐに気を取り直して、
「ずいぶんといきなりだな。手伝うとは具体的にどういうことだ?」
「わたくしの力で大神様の気を逸らしますから、その間に、皆様は、えと、その……」
「……なるほど。大筋は理解した」
最後の方は上手く聞き取れなかったが、どうやら敵のかく乱を申し出ているらしい。
実際、猫の手も借りたい状況なのだ。倶久理の力を借りることで少しでも勝率が上がるのであれば、こちらとしても断る理由は無い。
しかし、なぜ?
裏切られたとはいえ、ついさっきまでは仲間だった相手だ。逃亡こそすれ明確に戦う姿勢を見せなかった彼女が、なぜ今になってそんなことを言い出すのか?
疑念というほどではないが、どうにも釈然としないものを感じる。
だが、悩む時間はそれほど残されてはいない。望美との合流地点はすぐそこまで迫っている。
「理由を、聞かせてくれるか?」
明は倶久理の目を見ると、短い言葉で端的に問いかける。
深い緑の色合いを湛えた大きな瞳。そこに宿る力は弱弱しいが、揺れてはいなかった。
「──気持ちを、無駄にしたくありませんの」
震える唇がやっとのことで紡ぎ出したのはその一言だった。
正直、意味は分からない。
誰の、誰に対する、何の気持ちなのか。拙い言葉からそれを推し量ることはできない。
だが、込められた意志は伝わってきた。
勇気と覚悟は、しっかりと明の心に届いていた。
そして、明にとっては"それ"さえあれば十分なのだ。
「いいだろう。白峰倶久理、俺はお前を信じる」
そうして今度こそ全ての準備が整った。




