第八話 赤錆びた鉄
黒鉄視点。
何かを手に入れたら、試したくなるのが人間の性だ。
サッカーボールなら、力いっぱい蹴ってみたくなる。
自転車なら、風を切って走ってみたくなる。
もちろん、それ以上の物でも。
あらがうことは難しく、流されるは容易い。
何より彼──黒鉄良太郎は、この衝動を抑え込むつもりなど無かった。
「はー……ったく、やってらんねえよなぁ」
ぼやき声が林の中に溶けていく。
手にしているのは、ぬるくなった炭酸飲料。飲み干して、その場に捨てた。
黒ずんだ腐葉土の上に、新たな空き缶が追加された。
十を超える缶の数は、彼がこの場所を訪れた日数に等しい。
「気に入らねえ……何もかも」
退屈な授業。
退屈な生活。
見下すような目つきの教師たち。
自分を腫れ物扱いする同級生。
そして、くすぶっているだけの自分自身にも。
『リョウは自由だね。そういう生き方には少しだけ憧れるよ』
いつだったか、猛にそう言われたことがある。
自由なものか。自分はいつだって、がんじがらめに縛られている。
身動きが取れないと、ストレスが溜まる。この学校とかいう檻は、彼にとっていささか窮屈すぎた。
そうした感情を抱えきれなくなった時、彼は決まってこの場所にやって来る。
静かな山中。誰に見とがめられることもない、安息の地。
ここに来ると、なぜだかとても落ち着くのだ。
「大自然のヒーリング効果、ってか? そんなキャラじゃねえよな、俺ってば」
深く考えるつもりは無かった。理由はどうでもいいし、何だっていい。
雑に脱ぎ捨てた学ランを敷き物にして、地面に寝転がる。視界の端に、真っ暗な空間が見えた。
それは、斜面に空いた大きな横穴だった。
穴はとても深く、入り口から奥を見通すことはできない。
中がどうなっているのか気にならないでもないが、面倒なので入ったことは無かった。
目下、彼の興味が向いているのは、別のことだった。
「へへ……今日はもうちょっとだったんだけどな」
右手を掲げ、空にかざす。
握って、開いて。感覚を確かめるように、反復した。
あの妙な転校生は、なかなかの実力者だった。"この力"を試す相手としては、ちょうどいい。
これまでにも何度か、喧嘩のさなかに力を使おうとしたことはあった。
だが、大抵の相手はそうするまでもなく負けを認めるか、逃げ出すような臆病者ばかりだった。
「今度はそうならないことを願うぜ。このままじゃ、せっかくの力が錆び付いちまう」
力は使ってこそ。
使って、磨いて、純化する。
力を高めていく度、彼の心は満たされていく。それはおそらく、生まれて初めての充実感だった。
この力を使いこなせば、なんだってできる。
この力さえあれば、誰も自分を見下すことはできない。
つまらない日常を抜け出して、好きなように、思うままに、人生を楽しむことができる。
子供じみた考えだが、彼は本気でそう思っていた。
「この俺様が悠々自適のハッピーライフを送るため、ってなわけで。てめえには踏み台になってもらうぜ、転校生」
視線の先には、件の転校生──夜渚明が立っていた。