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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第四章 死の先にあるもの
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第十五話 導きの声


「この声は……!」


 明の脳内に、何者かが語り掛けてくる。

 何ともおかしな感覚だが、こういった経験は初めてではない。猛と戦っていた時にも同じ声を聞いた記憶がある。

 あの時はこちらを助けてくれたが、今回もそうなのだろうか? それとも手の込んだ罠なのだろうか?


「案内すると言ったな。お前はあれの場所を知っているのか?」


 鬼火の攻撃をかわしつつ、明はどうにかその言葉だけを絞り出す。返事はすぐに返ってきた。


『はい。もうしばらく道なりに進んでください』


「……了解した」


 聞きたいことは山ほどあるが、この切迫した状況で悠長に話している余裕は無い。相手もそれは承知しているらしく、受け答えはいたって簡潔なものだ。

 明は少女のナビゲートに従い、曲がりくねった坂道を駆け上がっていく。

 不安が無いわけではない。どこの誰かも分からない少女に命を預けるなど、冷静に考えれば正気の沙汰ではないのかもしれない。

 だが、彼女は猛の救出に手を貸してくれた。見ず知らずの人間を助けるために、必死で声を届けてくれた。

 なればこそ、その誠意に報いてやるのが仁義というものだ。万一嘘でも諦めはつくだろう。

 潔く割り切った明はさらにスピードを上げる。

 崖沿いの直線路に差し掛かったところで、前方から鬼火が降下してきた。明は一瞬足を止めようとして、背後からの足音に気付く。


白峰倶久理(しらみねくくり)……! もう追いついてきたのか!」


 振り返ると、二十メートルほど離れた地点に倶久理の姿があった。足を震わせ乱れた呼吸をつきながらも、その視線ははっきりと明を捉えている。


「この……逃がすものですかっ!」


 直後、前方にいた鬼火が突っ込んできた。それに合わせて、倶久理の脇に控えていた鬼火たちも攻撃を開始する。

 狭い道での挟み撃ち。右には急斜面。そして左には切り立った崖。

 明は迷わず、崖を選択した。


「はっ──!」


 鬼火にぶつかる直前まで助走をつけて、斜め前の方向に跳んだ。

 浮遊感と独特と寒気が体を襲う。が、下は見ない。絶対に見ない。見るのは上だ。

 ちぎれるほどに右手を伸ばし、斜面から張り出す一本の枝を掴む。

 そこから手首にひねりを加え、体の向きを強引にシフト。縦長の半円を描くような軌道で地面の上に帰還する。


「なんてデタラメな……!」


「異能の性能(スペック)だけが強さではない。勝敗を決するのはいつだってインスピレーションだ」


 あっけに取られる倶久理と鬼火を後ろに残し、がら空きになった坂道をまた走る。

 ……しかし、その足は百メートルほど進んだところで止まってしまう。


「何だ、この匂いは……?」


 あたりに立ち込めるのは焦げ臭い匂い。毒物では無いようだが、本能的な直感がこのまま先に進むことを拒絶していた。

 明は異臭の出所を探るため、山の上に目を向ける。

 そこには鬼火たちが集まっていた。

 彼らは爆竹のような音を鳴らしながら、木々の根元で青い体を寄せ合っている。立ち上る黒煙とスパークの閃光、そして赤熱した幹が意味するものは一つだ。


「まさか、木を焼いているのか!?」


「油断大敵。インスピレーションならわたくしも負けていませんわ」


 倶久理の声に続いて、自重を支えきれなくなった木々が一斉に軋み始める。

 倒壊と滑落はほぼ同時。枝葉を大きく広げた樹木が何本も転がり落ちてくる様は土石流のようだ。


「いかん……!」


 明は急いで安全地帯を探すが、そんなものはどこにもありはしない。

 勢いを増した倒木は他の木々まで巻き込み、その質量と体積を増大させていく。あと数秒もすればこの辺一帯は残らず更地にされてしまうだろう。


『下りてください!』


 間髪入れずに少女が叫ぶ。

 「下りるってどこに?」などと聞き返す必要は無い。正確には"落ちる"に近いが、ほぼ垂直の斜面はかろうじて人間の通行を許していた。


「地獄へのショートカットでないことを願うぞ……!」


 スライディングの体勢になった明は、うなるような地鳴りの音をバックに山肌を滑り降りた。

 がくんと傾き、自分の意志とは無関係に加速していく体。

 つま先が石や草木や地面の凹凸に激突し、刺すような痛みをうったえる。全身があっという間に泥だらけになり、ところどころ皮が破けてきた。

 上方にちらりと目をやると、ごちゃごちゃした茶色の津波がこちらに向かっているところだった。

 どう見ても速度はあちらの方が早い。あと十秒もすれば追いつかれるだろう。もしかすると五秒で。もっと早いかもしれない。

 明の背筋を冷たい汗が伝い始めた時、ようやっとお目当てのものが見えてきた。


『下を見てください! あの穴ですっ!』


「言われずとも──!」


 両手の指を斜面に突き立て、強引にブレーキをかける。

 かかとを滑らせながら横向きに走ること数歩。鬱蒼とした木々に紛れるようにして、人工的な三角形の穴が口を開けていた。

 間違いない。これこそ明が探し求めていた場所──遺跡の入り口だ。


『早く入って! この中ならきっと、彼女に──』


 その言葉を聞き終える前に明は飛び込んでいた。

 少女の声が、轟音にかき消される。

 とてつもない振動と様々な破壊音の多重奏。

 真っ暗闇に視界を覆われながら、上も下も分からずただただその場に伏せる。

 再び静寂が戻ってきたのは数秒後だったが、明にはもっと長いことのようにも感じられた。


「助かった……か?」


 おそるおそる立ち上がった明は遺跡の外に顔を向けた。

 入り口付近には多数の木枝が堆積していたが、出入りに不自由は無い。

 ならばよし。生き埋めにならなかった幸運を噛みしめつつ、懐中電灯を拾い上げる。


「行くか。ここからが正念場だ」


 明は気合いを入れ直すと、地下へと続くスロープを小走りに下りていく。

 耳を打つのは自身の靴音だけ。

 先ほどまで囁いていた少女の声も、もう聞こえない。何度か呼びかけてみたが、返事は無かった。

 何かあったのだろうかと少し心配になったが、分からないことを考えても仕方がない。心の中で礼を言ってから、目の前の物事に意識を戻した。

 極限まで研磨された床。ヒビ一つ無い壁。黒々とした石の表面に指を這わせながら、どれくらい進んだだろうか。

 唐突にスロープが終わり、床の向きが平行になる。通路の先には大広間があるようだ。

 見覚えのある構造を前にして、明は真顔でガッツポーズを取った。


「ビンゴだ。やはり俺の読みは正しかった」


 おそらくここも耳成山(みみなしやま)にある遺跡と同じ用途に作られたものなのだろう。

 四方に並び眠る石棺も、天井から垂れ下がる柱も、壁を彩るセントエルモの火も、皆同じ。まるで丸ごとコピーしたかのようだ。

 だが、一つだけ違うところがあった。天井の壁画だ。

 柱の根元に描かれているのは一組の男女と怪物たち。

 男は玉のような涙を流してむせび泣いており、その傍らには血を流した女性がぐったりと倒れ伏している。二人の周りに集まる怪物たちもどこか悲しげだ。


「何だ、これは? 葬式のように見えなくもないが……」


「──それは国生みの神、イザナミの死を記しているのですわ」


 明の疑問に答えたのは倶久理だった。

 大広間の入り口に現れた彼女は、神の御前に進み出るような足取りで近付いてくる。


「遥か神話の時代、夫婦神であるイザナギとイザナミは"国生み"と"神生み"を執り行い、多くの大地と神々をこの世に産み落としました。ですが、火の神であるヒノカグヅチを産んだ際にイザナミは命を落としてしまいます」


「母なる神、か。そのくだりは木津池(しりあい)から少しだけ聞いたことがある」


「では、その続きはご存知ですか?」


「知らん。どうなったんだ?」


 言いつつ、明はゆっくりと後ずさりする。遺跡の奥へと倶久理を引き込むように。


「イザナミを失ったイザナギは妻を取り戻すために黄泉の国へと向かいます。ですが、醜く腐り果てていたイザナミにイザナギは恐怖し、二人は離縁してしまうのです」


 神妙に結びの台詞を終えた後、倶久理は残念そうに首を振った。


「このお話を聞いた時、わたくしたいへん腹が立ちましたの。だってそうでしょう? たとえ亡者となってもイザナミの愛に変わりは無いというのに、イザナギはくだらないことにこだわってせっかくのチャンスをふいにしてしまった」


 そうして倶久理はさらに一歩を詰める。


「馬鹿馬鹿しいにも程がありますわ。どのような形であれ傍にいてほしい。もう一度言葉を交わしたい。そういった想いがイザナギには足りなかったのです」


「自分にはある、と?」


「当然ですわ。でなければ、こんなこと……!」


 感情を震わせ、もう一歩。

 続いて明も後退し……その背中が壁に触れた。これ以上は逃げられない。


「ふ……ふふふ……!」


 不規則な呼吸に、揺れる瞳。笑っているようで泣いているような表情のまま、倶久理が腕を上げていく。

 明はそれを見つめながら、黙って壁にもたれかかっていた。

 たっぷり数秒かけて、倶久理の腕が肩まで上がる。張り詰めた指先が明を指し示し、


「これで……終わりですわ! こっくりさん、やっておしまいなさい!」


 そして。

 ……。

 ……。

 ……。




「……こっくりさんが、来ない?」


 信じられないといった風に、倶久理がつぶやいた。

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