第十一話 コーリング
それから一夜明けて、放課後。明は国道沿いを自転車で突っ走りながら、独り身の気楽さを噛み締めていた。
「ふははは、ビバ独身貴族! プライバシーの無い生活はもうこりごりだ!」
昨晩のドキドキお泊り会(斗貴子が勝手にそう名付けた)は最悪だった。
壁越しの奇襲を危惧した望美に風呂やトイレを監視され、斗貴子にエロ本の隠し場所を暴かれ、あげくの果てに中身の無いお喋りで安眠を妨害される始末。
まさにストレス三昧、イライラの満漢全席だ。晩飯が美味かったのはせめてもの救いだった。
で、その望美と斗貴子だが、彼女たちは今黒鉄を含めた三人で探索の準備を進めている。
なんでも、ホームセンターや登山用品店を巡り歩いてロープやカラビナ等の道具を調達するつもりらしい。
(まるでロッククライマーだな。まあ、耳成山の時は着の身着のままの格好でも何とかなったが、あの山だけはそうもいかんか)
大和三山が一つ、畝傍山。それが明たちの次の目的地だった。
橿原市の南西に位置するこの山は、緑深い自然公園の中にその身を横たえている。
ふもとに建つ橿原神宮にはかの有名な神武天皇が祀られており、三山の中でも特に大和王朝との関係が深い。ここに遺跡が存在するのはほぼ確実と言えよう。
問題は、探索の難易度だ。
緩やかな円錐形を描いていた耳成山とは打って変わって、畝傍山の山肌はいびつで急峻だ。
木々は密に生い茂っており、崖や沼も多い。山道を一歩でも離れれば、まともに立つことすら難しい場所ばかり。行き当たりばったりの登山では効率が悪過ぎる。
なればこその準備、なればこその計画。ということで、明も別方面から下調べを進めていた。
内容は現場の下見。深入りしない程度に畝傍山を見て回り、当日の進行ルートを考えておくのが彼の役目だ。
……断じて望美や斗貴子から逃げてきたのではない。
スマートフォンの音量をゼロにしているのも節電のためだ。お叱りの電話が怖いからではない。
そう自分に言い聞かせつつ、畝傍山の方角に向けてペダルをこぐことしばらく。
もうじき右手に橿原神宮の林が見えて来ようかという時、明のポケットから妙な音が漏れ出てきた。
断続的なベルの音。考えるまでもなく電話の着信音だ。
「……は?」
口をついて出たのは驚きの声だった。無意識に握り締めたブレーキがタイヤを鳴かせ、自転車を急停止させる。
絶対に有り得ないはずの音。
前世紀の黒電話を思わせるレトロなメロディーが、消音にしたはずのスマートフォンから聞こえてくる。
ただの不具合や操作ミスではない。というか、そもそもこんな着信音を設定した覚えはない。
「……………………」
明は自転車から降りると、壊れ物を扱うような手つきでスマートフォンを取り出した。
シンプルな背景画像と、必要最低限のアプリが並んだホーム画面。発信元の番号も、通話アイコンも表示されていない。
しかし、明は迷わずスマートフォンを耳に押し当てていた。自分の予想が正しければ、通話は既に繋がっている。
「何の用だ」
『私、メリーさん。今、貴方の後ろにいるの』
「くだらないおふざけはやめろ、白峰倶久理。こんなもので俺がビビるとでも思っているのか?」
周囲に霊の波動は感じられない。スマートフォンにもだ。
明は内心ほっとしていたが、それをおくびにも出さず言葉に力を込めた。
「基地局経由で霊の持つ特殊な電波を送り、間接的に端末をジャックする……いわゆる心霊電話だな。タネが分かれば恐ろしくもなんともない」
『くすくす、足りないお方。まさか、怖がらせることしかできないとお考えですの?』
倶久理は抑えた声で笑いながら、「賑やかな夜でしたわね」と言い添えた。
どうやら昨夜のことは盗聴されていたようだ。ひょっとするとそれ以前から。
肌身離さず持ち歩いてきた銀色の愛機が、途端に気味悪く思えてきた。
明はスマートフォンを汚いもののように遠ざけるが、そんなことをしても意味が無いことぐらいは分かっている。仮にこれを捨てても、彼女は別の方法で自分を監視するだろう。
『どこにいようとわたくしからは逃げられませんわ。ひたりひたりと一歩ずつ。そろりそろりと音も無く。わたくしの可愛いお友達が、必ずや明様を黄泉の底へと引きずり込むでしょう……』
ノイズ混じりの音声は、彼女のか細い声質と相まって背筋を冷えさせるような響きを有している。
呑まれてはいけない。そう意識しながら、明は相手に言葉を返す。
「一歩ずつと言わず一気に来てくれても構わんぞ。それができないからこそ、お前はこうやって足踏みしているんだろうがな」
『まあ、おめでたいこと。昨日も一昨日も、明様はわたくしから逃げ回ることしかできなかったではありませんか』
「逆だ。昨日も一昨日もお前は俺を殺すことができなかった。つまりは俺の完全勝利だ」
明は努めて余裕な素振りを見せながら、
「そろそろ諦めて降参したらどうだ? 今ならグーパン一発で勘弁してやる」
静かな威圧を込めた警告を発する。
言ってしまえば手詰まりなのだ。そう簡単に決着がつかないであろうことは、二度の戦いを通して双方が理解している。
だからこそ、次の戦いは死力を尽くしたものになる。終われば誰かが命を落とす、掛け値なしの殺し合いだ。
それを回避するために明は降伏を呼びかけている。その一方で、倶久理は勝利を確かなものにするため揺さぶりをかけている。
どちらも相手の魂胆を見抜いており、そしてどちらも譲歩する気は無い。交わらない平行線は、互いの溝を浮き彫りにするだけだ。
『この期に及んでお戯れを。わたくしはわたくしのため、そして大神様のために明様を討ち果たすだけですわ』
倶久理の返答はおおよそ分かりきっていたものだったが、それでも明の胸にはやりきれない思いがこみ上げてくる。
汗ばんだ手でスマートフォンを掴み直し、荒々しい声で吠える。
「馬鹿かお前は。何を吹き込まれたのか知らんが、現神が荒神との約束など守るわけがないだろう。いいように利用されて殺されるのがオチだ」
『大神様はそのような方ではありませんわ。現神の行く先にこそわたくしの願いはあると、あの方は説いてくださいました』
「殺人鬼の妄言に何の価値がある? お前の望みとやらは、己が手を血で染め上げた果てに輝くものなのか?」
数秒の間、スピーカーの向こうから音が消える。
深い呼吸の後、わずかに感情的になった倶久理の声が聞こえた。
『……何を犠牲にしても手に入れたいもの。成し遂げたいこと。明様にもありますでしょう?』
「……っ」
その言葉を最後に通話は途切れた。
明はスマートフォンを掴んだまま、石のように固まっていた。
倶久理の真意は分からない。はっきりしているのは、彼女が最後通告を無視したということだ。
「……分からず屋め。俺は自己完結する女が大嫌いなんだ」
もう、戦いは避けられない。これ以上の説得も意味が無いだろう。
それでも、明は立ち止まるわけにはいかない。道を阻むなら、打ち倒して進むだけだ。
だが。
……だが。
「白峰倶久理の目的を知りたいか?」
唐突な一言は真横からやってきた。
見れば、歩道の脇に停車している黒の乗用車、その運転席から中年の男が顔を出していた。
「知りたいのなら教えてやる。そして、何とかしてやってくれ。……俺たち警察では、あの娘を止められない」
苦々しげに言う男の顔には見覚えがあった。
数日前に明を尋問した刑事、毘比野健作だった。




