第九話 押しかけラッシュ
望美視点。
その夜、市内某所のアパートにある明の自室前にて。
望美は明とちょっとした口論を繰り広げていた。
「だから心配無用と何度も言っているだろう。気遣いはありがたいが、自分の身ぐらい自分で守れる」
「油断大敵。夜渚くんはもっと危機意識を持つべきだと思う」
戸口に立つ望美はぴしゃりと言って、半ば押し入るような形で室内に踏み入った。対する明はのけ反るように奥へと後退する。
「望美、本当に分かっているのか? お前は今、一人暮らしの男の家に泊まり込もうとしているんだぞ?」
「知ってる。でも、すぐ近くにいないと護衛の意味が無いでしょう? 白峰さんに寝込みを襲われたらどうするの?」
「むしろ俺に寝込みを襲われるとは思わんのか? 脇が甘過ぎるぞ」
憮然とした顔で明が言うと、望美は手首をくいっと曲げて、
「その時は念動力でポキッとやるから大丈夫」
「……普通、こういう時は『夜渚くんを信じてるから』と返すものだぞ」
「じゃあ、そう言ってもらえるように普段から頑張って」
脱ぎ捨てた靴を念動力で揃えながら、望美はフロアに上がり込んだ。
事の起こりは数時間前、ポルターガイスト騒ぎの直後にさかのぼる。
結局、あの戦闘はうやむやの内に終幕を迎えた。
倶久理を見つけることは最後までできなかったが、あれからポルターガイスト現象が起きることも無く、そういう意味では撃退に成功したと言えなくもない。
しかし、白峰倶久理はあの程度のことで諦めない。それは望美だけでなく、あの場にいた全員が実感していたことだった。
彼女は高確率で現神と繋がっている。明の命と引き替えに、現神から何かを得ようとしているのだ。
取引の内容は定かではないが、何にしても彼女の意志は非常に固い。目的を果たすためなら夜襲でも何でもするだろう。
ゆえに、これからしばらくの間、明に警護を付ける必要がある──望美がそう提案したのが昼休みのこと。
それからすったもんだあって、最終的に望美が自宅に押し掛けるという強硬手段に出て現在に至る。
「とりあえず、先に晩御飯作るね。夜渚くんまだ食べてないみたいだし」
望美はいつものセーラー服ではなく私服姿だった。
ハイネックのセーターに大きめのコートを羽織り、手には買い物袋。中には買ってきたばかりの食材が整然と詰められている。
「こっちで適当に献立決めちゃうけど、好き嫌いあるなら早めに言ってね」
コートを脱いだ望美は早々に食材を取り出し始めた。
「待て待て待て。家主の意向を無視して物事を進めるな」
「食べたくないの? 『女の子の手作り料理より価値のあるものなんて無い』って言ってたんだよね?」
「……なぜそれを知っている」
「ガールズネットワーク。新田さんと仲良くなったのは夜渚くんだけじゃない」
「ちっ、これだから女子は油断ならんのだ。すぐに他人の個人情報を共有したがる」
忌々しげなつぶやきを背中に受けながら、望美はリビングの隣にある台所へと向かった。
「……案外、普通だね」
「どんな惨状を想定していたのか知らんが、ご期待に沿えず申し訳ないと言っておこう」
一軒家の台所と比べると手狭な空間だが、男の一人暮らしにしてはそこそこ片付いている。流し台も綺麗なものだ。
というか、綺麗過ぎる。食器はほとんど置いていないし、三角コーナーにはひとかけらの生ごみも入っていない。
「夜渚くん、もしかして料理してない?」
「いや、それなりに自炊はしている。外食ばかりだと費用がかさむからな」
「フライパン以外の調理器具が見当たらないんだけど……」
「フライパンは万能兵器だぞ。焼くも炒めるも思いのまま、その気になればラーメンだって作れる」
「"料理"の定義に食い違いがあることは分かった」
短いため息をこぼしながら腕をまくり、ゴムバンドで髪をまとめ、エプロンを着ける。
鮮やかなチェック柄のエプロンは母から借りてきたものだ。家を出る時に「バッチリ仕留めてきなさい」などと言っていたが、母は何か大いなる勘違いをしていると思う。
すっかりやる気になった望美を見て、ようやく明も観念したようだ。彼は渋々といった感じで、
「今晩だけだぞ。これ以上の譲歩はしない」
「分かった。交渉成立だね」
最近気付いたことだが、明は思いのほか押しに弱い。木津池や斗貴子にやり込められているのもそのあたりが原因なのだろう。
日頃からハチャメチャな言動で場を引っかき回しているだけに、こういった反応は新鮮に思えた。
(ふふ、ちょっとだけ可愛いかも)
借りてきた猫のように大人しくなった相棒をよそに、望美は調理の支度を始めた。
当初予定していた献立を一旦白紙にして、フライパンだけで作れる料理を思い浮かべていく。
「そういえば、遺跡の調査はどうするの? やっぱり白峰さんの事が片付くまで中断した方がいいのかな」
包丁の切れ味を確認しながら、ふと思い浮かんだ疑問。答えは即座に返ってきた。
「いや、並行して進めるべきだ。こんなことでいちいち足踏みしていたら埒が明かん」
この橿原市周辺にはいくつもの未発見遺跡が存在し、そのうちの一つが現神の本拠地となっている……それが望美たちの共通認識だった。
所在が判明しているのは耳成山の遺跡だけだが、他の遺跡に心当たりが無いわけではない。
「まずは大和三山巡りだな。今のところ最も怪しいのはここだ」
神話の時代より、耳成山は大和三山という集まりの一つに数えられてきた。
大和三山とは耳成山、畝傍山、天香久山の三つを指す単語であり、それらの山は橿原市を囲むような形で幾何学的な三角形を築き上げている。
耳成山に遺跡が存在するのなら、他の二つにも遺跡が隠されている可能性は非常に高い。望美たちが大和三山に注目したのはごく自然のなりゆきだった。
「ただ、その遺跡に敵がいるかというと微妙なところだ。大和三山ほど有名な場所なら、生徒会がとっくに調査しているはずだからな」
「いっそのこと会長さんに聞いてみる?」
「奴が口を割ると思うか?」
「じゃあ水野くんに調べてもらうとか」
「猛の立場が悪くなるだろう。またややこしいことになるくらいなら、自分の目で確かめた方が手っ取り早い。それに、上手くいけば生徒会が見落としていた物を見つけられるかもしれん」
「そうなればいいけど」
望美は二つの意味を込めてそう言った。
新たな発見があればいいし、現神がいなければもっといい。何しろ、遺跡探索に同行できるメンツは限られているのだ。
生徒会に協力を要請することはできないし、猛も同様だ。木津池は喜んでついてくるだろうが、さすがに非戦闘員を連れていくのは危険過ぎる。
大和三山の遺跡で現神の手がかりを入手し、本拠地の所在にアタリがついたところで生徒会に事情を話す……という流れが理想だが、実際にはそう都合よく進まないだろう。
自由に動けるのは望美と明と黒鉄だけ。最悪の場合、この三人で現神の巣窟に突入することになる。
せめてもう一人いれば戦力にも余裕ができるのに、と望美が思ったその時だった。
「ごめんくださーい」
聞こえてきたのはわざとらしく可愛い子ぶった声。
返事をする間もなくドアノブが回転し、すさまじい速度で戸板が動いた。
巻き起こる風圧が、外にいた少女の白い髪をふわりと舞い上げる。
「こんばんは。小姑さんが新婚夫婦をいびりに来ましたよー」
相も変わらず微笑の仮面を張り付けて、璃月斗貴子が手を振っていた。




