第七話 フクザツなお年頃
「ごめんね二人とも。何だか大事な話してるみたいだったから静かにしてたんだけど……」
そう言って、晄はこちらに申し訳なさそうな顔を向けた。
それから一転、木津池に対して不満そうに、
「ほら木津池くん、息抜きはもうおしまいだよ。サボった分だけしっかり働いて」
「いやいや新田さん、それちょっと違う。別にサボってたわけじゃなくて、神秘が俺を呼んでたっていうか……使命感っていうか……」
「うんうん、分かるよ~。だから今度は園芸委員としての使命感に目覚めてね」
しどろもどろな木津池に背を向け、バケツの中に園芸用具を収めていく。
まとめ終えると、バケツのふちを両手で抱え、木津池に押し付けた。
「はい、進呈。水やりは全部終わってるから、後片付けよろしくね」
「ああうん、了解……」
有無を言わせぬ勢いに、木津池はあえなく屈服した。
危うい手つきでバケツを持つと、名残惜しそうに離れていく。
「それじゃあ俺は失礼しちゃうけどさ。耳成山で何か見つけたら、必ず、必ず! 連絡してよね! 約束したから!」
途中で何度も振り返り、最後はほとんど後ろ歩きで。
そうして、木津池の姿は校舎の中に消えていった。
その直後。
「わぎゃあっ!」
「うわぁ!」
二人分の悲鳴が聞こえてきた。加えて、バケツの転がる音も。
「き、木津池くん!? どうしたの!?」
「……誰かとぶつかったのかな」
「馬鹿者め……」
晄は慌てて、望美は落ち着いて、そして明は仕方なくといった風に。三者三様の反応を見せつつ現場に急ぐ。
網ガラスの扉を開いて、中庭から渡り廊下へと。
窓の少ない殺風景な直線路。向かって正面にあるのは、東昇降口だ。メタルグレーの靴箱が高層ビルのように立ち並んでいる。
そして木津池は、渡り廊下と昇降口の境目あたりで尻もちをついていた。
「木津池くん、大丈夫!? 保健室行く?」
ハンカチを取り出そうとする晄。木津池はそれを手で制し、
「ああ新田さん、心配しないで。ちょっとお尻が痛いけど、大事は無いよ」
「本当に? やせ我慢してない?」
「転ぶ瞬間に気を高めたからね。毎日チャクラを開く訓練を続けてたのが思わぬところで役立った」
「大変! 木津池くんがとうとうおかしくなっちゃった!」
「何気に酷いね新田さん……」
チャクラはともかく、木津池に怪我が無いのは確かなようだ。彼はほどなく眼鏡を拾い上げ、床から腰を上げた。
もう一人の被害者も、見たところ問題は無さそうだ。身軽な動作で跳ね起きて、今はバケツ片手に散らばった園芸用具を回収している。
明は、その少年……水野猛に声をかけた。
「災難だったな、猛」
猛はこちらを見ると、少し驚いたように眉を上げた。それからすぐに眉尻を下げ、
「こっちも急いでたから、おあいこだよ。……そういえば、明もリョウとぶつかったんだって?」
「頭からヒヨコが出るほど盛大にな」
「はは、それこそ災難だ。あいつ、ここのところずっとあんな感じだから」
「どうやらそうらしい」
猛の隣に膝をつき、彼の作業に手を貸す。
「黒鉄とは親しいのか?」
「友達だよ。一年の頃から何かと縁があって、意気投合した」
「意外……と言っては失礼か? 正直、お前と黒鉄に共通点があるようには見えない」
猛が訓練された猟犬だとすれば、黒鉄は血に飢えた狂犬だ。
誰彼構わず噛みついて、いずれは人に狩られるさだめ。猛のような人間とは対立こそすれ、共存は不可能なように思えた。
「色々あったんだよ。……いや、違うか。特に何も無かったから、リョウと仲良くなれたのかもしれない」
「そういう謎かけは苦手だ」
「ごめんごめん。でも、自分でも良く分からないんだ」
「なら、無理に説明しなくてもいい。野暮なことを聞いたな」
しばらくの間、言葉が絶える。
昇降口のすぐ近く、バスケットコート三面を有する大型体育館から、地鳴りのような轟音が聞こえていた。熱き青春を燃え上がらせる、アスリートたちの靴音だ。
地鳴りに混ざる掛け声は、どれも真剣そのものだった。
「……あいつ、自棄になってるんだよ。勉強についていけなくて、喧嘩っ早い性格だから他に友達もいないし、先生受けも最悪。今じゃすっかりグレて不良の仲間入り」
「で、せめて友達だけでも増やしてやろうと思って、俺に接触してきたのか。黒鉄に対して余計な先入観を持たない、転校生の俺に」
猛の言っていた「紹介したい奴」とは、黒鉄のことだったのだろう。
沈黙は肯定だった。
「明みたいなタイプならひょっとして、って思ったんだけど、あいにく間が悪かったみたいだね。僕も避けられてるみたいだし、どうしたものかな」
「避けられてる? 喧嘩でもしたのか?」
「リョウの奴、柄にも無く気を遣ってるんだよ。僕が生徒会選挙に推薦されてるって話をどこかで聞いたらしくて」
「それはまた、大したものだ」
「だろ?」
「……謙遜しないのか?」
「事実だからね。僕にはそれだけの人望と実力がある」
涼しげに言い放つ唇の隙間から、獰猛な犬歯が垣間見えた。
明は以前、この少年を王子にたとえた。しかし、それは思い違いだったのかもしれない。
慈愛と野心、相反する二つをあわせ持つ姿は、王子よりも王者に近しいものだ。
「そうそう、水野くんって凄いんだよ。運動もできるし、模試は毎回十番以内に入ってるんだって」
途中から聞いていたのか、晄が話に入ってきた。
猛は称賛を聞き終えると、一言。
「あれはスコアゲームみたいなものだよ」
「わぁ、自信満々だ」
目を丸くして感心する晄。
一方、明はというと、
「ふん、知性的特権階級め。ああ、なぜだか無性にお前の欠点を見つけたくなってきた」
「そういえば……リョウも同じようなこと言ってたかな。変わり者同士、気が合うのかも」
誰に聞かせるでもなくつぶやくと、猛は改まったように向き直った。
並々ならぬ猛の気配に、明は思わず背筋を正す。
「明。ムシのいい話だけど、もう一度チャンスをくれないか?」
「確認しておくが、誰に対するチャンスだ?」
「リョウ……黒鉄良太郎だよ。あいつはやっぱり、このままじゃ駄目だと思う。友達として、対等に向き合ってくれる人間がもっと必要なんだ」
「本人が望んでいなかったとしても、か?」
「もちろん、今日のことはちゃんと反省させておく。だから……頼む」
頭を下げる猛。
明はどうしたものかと頬をかき、考える。
考えた末、歯切れの悪い返答に留めた。
「……努力はしよう。だが、あくまで努力目標だ。確約はできん」
「それだけで十分だよ。ありがとう」
安心したように息を吐いて、顔を上げる。
と、その時。猛の腰のあたりから、小さなアラーム音が。
「あちゃあ……時間切れか」
スマートフォンを取り出した猛は、アラームを止めると、
「ごめん。これから書庫の整理を手伝うことになってるんだ。急いで行かないと」
「なんだ、図書委員だったのか?」
「違うよ、点数稼ぎ。こういう草の根活動が後々効いてくるんだ」
冗談半分に言って、猛は皆に別れを告げた。
木津池にバケツを引き渡すと、足早に階段を上っていく。
「そろそろ私たちも行くね。夜渚くん、金谷城さん、また明日!」
「さっき言ったこと、忘れないでくれたまえよ。何かあったら電研に!」
猛の背中を見送ってから、晄と木津池も昇降口を出て行った。
渡り廊下に残ったのは、明と望美、二人だけ。
先ほどまで静かにしていた望美が口を開いたのは、彼らの残響が完全に消えた後だった。
「みんな行ったみたいだけど……これから、どうするの?」
「いくらか時間を食ったが、予定に変更は無い」
「黒鉄くんのことは?」
「急がずとも、教室で嫌というほど顔を合わせることになる。それより今は耳成山だ」
木津池の話をうのみにするわけではないが、彼の言説によって「耳成山が怪しい」という明の直感は、ある程度保障されたといってもいい。
スラックスの汚れを払い、満を持して移動を開始。自然と歩幅も大きくなっていた。
「木津池くん、耳成山がピラミッドだって言ってたね。だったら、耳成山は王様のお墓……に、なるのかな」
「そうとも限らん。エジプトではピラミッドを墓として利用していたが、メキシコでは生贄の祭壇だった」
「私たち、生贄?」
「地域によって用途は違うという話だ。ステレオタイプの先入観は捨てた方がいいかもしれん」
砂丘の波間にたたずむギザの大ピラミッド。そのイメージを、思いきりよく放り投げた。ついでにスフィンクスも。
跡には、おぼろげな三角形の輪郭だけが取り残された。