第三話 家族
橿原市街から南東へ遥か遠く。
人の住む町を離れ、広々とした田園地帯を抜け、半ば山間部に食い込んだような僻地に緑深い丘がある。
丘の上にあるのはいくつかの観光施設と児童公園。そこから少し離れたところに、墓地があった。
切り立った崖の岬部分に建てられた石碑群は、背の高い林の内側でひっそりと息を潜めていた。
「……ここに来るのも久々だな」
無遠慮に石畳を鳴らす靴音は明のものだ。
平日の早朝に墓地を訪れる者は少ない。明が来た頃には、今朝最後の参拝者が石段を下りてくるところだった。
自分の足音と、風が木々を揺らす音。それだけを聞きながら、明は奥へと進んでいく。
「かれこれ……かれこれ何年だ? まあいい。とにかくごきげんようだ、ご先祖様。もののついでに来てやったぞ」
夜渚家の墓は入り口から最も遠いところに建っていた。
明は片手を上げて挨拶すると、一族の存在を知らしめる大きな墓石に向き直る。
ここには父方の祖父母と顔も見たことのない曾祖父、およびエトセトラエトセトラが眠っているらしい。
誰も彼もが明と面識の無い人間ばかりで、法事の手伝いにもいまいち身が入らなかったことを覚えている。
「実際、ここに来ても意味は無いんだがな。お前はここに眠ってなどいない。……そうだろう、鳴衣」
鳴衣の葬儀はまだ行われていない。形式上は失踪扱いになっているし、多くの者がそうであることを望んでいる。
だが、明は知っている。
鳴衣は死んだ。
タケミカヅチに殺され、遺体を何やら良からぬことに利用され、あげくに廃棄された。
ちょうど七年前の今日。帰りの遅い妹を探しに行った明は、耳成山でフトタマの結界に巻き込まれ……
大切な、守るべき家族を目の前で失ってしまったのだ。
「お前も俺と同じで、荒神だったんだな。いや、むしろお前の方が先輩だったのか」
事件の直前、鳴衣は足繁く耳成山に通っていた。
学校から帰るなり鞄を置いて出ていく妹の姿に、明はてっきり親しい友達でもできたのかと思っていた。
今思えば、あの時点で鳴衣は異能に目覚めていたのだろう。
突然身についた不思議な力に胸躍らせながら、人気の少ない山の中で魔法使いの真似事でもしていたのか。あるいは遺跡を見つけて探検していたのかもしれない。
その行為が、いずれは死神を呼び寄せることになるとも知らず。
「すまんな。遺体を見つけることができればいいんだが、七年も放置されていたら骨すら残っているのかどうか」
亡き妹に話しかけていると、我ながら馬鹿なことをしているなという思いが沸き上がってきた。
万一鳴衣が幽霊になっていたとしても、馴染みの薄いこの墓地には絶対にやってこない。化けて出るのを期待するなら、殺害現場の方がまだ望みがありそうだ。
それでも明がここに来たのは、墓地が持つ本来の役目を頼ってのこと……つまり、まだ生きている者が心の整理をつけるためだ。
「……最近、あの時と似たような状況に良く出くわすんだ。まったく、何の因果なんだか」
鳴衣はめったに自分の意思を表さない子供だった。
口数少なく、やせ我慢が得意。嫌なことを嫌だと言わず、自分の中に溜め込んでいく。
傍から見れば手のかからない子供なのだろうが、身近にいる家族にとっては悩ましい性分でもある。
お兄ちゃんを見習ってもっとわがままを言えばいいのにね、などとよくからかわれたものだ。
「どいつもこいつも死にたがりとカッコつけばかりで嫌になる。苦しい時は苦しいとなぜ言えん? 死ぬのは嫌だとなぜ言えん?」
他人に迷惑をかけないためと言えば聞こえはいいが、それも場合によりけりだ。
差し伸べようとした手を拒絶された者は、それ以上何もしてやることができない。宙ぶらりんになった手を見つめたまま呆然と立ちすくむだけだ。
「『逃げて』じゃないだろう、アホ鳴衣が。お前が言うべき台詞は『助けて』だろうに……」
分かっている。そんなものは自分の勝手な言い分でしかないと。
鳴衣は自らの意志で囮になることを選んだ。幼いながらに勇気を振り絞り、明の命を救ったのだ。
分かっている。あの時はそれが最善の方法だったと。
フトタマの結界を脱出することはできないし、異能を持たない当時の明がタケミカヅチに勝てる可能性は皆無だ。
死体が一つ増えるだけの、自己満足。
そんなことは分かっている。
しかしそれでも、分かっていても。
「俺は、お前の兄貴なんだぞ……?」
ふと考えてしまう。
もしもあの時、鳴衣が助けを求めてくれたのなら。
自分は恐怖を断ち切り、震える足に喝を入れ、彼女の元へ駆け出すことができたのだろうか……と。
「ちっ……。臆病者の分際で一丁前に自己憐憫と責任転嫁か。不甲斐無いぞ夜渚明……!」
歯ぎしりしながら自身を叱咤。沈んだ心を力づくで引っ張り上げる。
過去は変えられない。後悔はクソの役にも立たない。
今の自分にはまだできることがある。失ったものは戻らないが、これ以上失わせないことはできる。
厳かな墓石を仰ぎ、広々とした空を仰ぎ、そのまま深呼吸を二回。
平常心を取り戻した明は、弱気な顔を奥に押し込めてから後ろを向いた。
そこにはスーツ姿の男がいた。
目つきは険しく、口元はへの字に結んだ仏頂面。だが、そのたたずまいにはどこかくたびれた雰囲気が漂っている。
最後に男を見てからほんの三週間しか経っていないというのに、また少し老けたような印象を受けた。
「ここに来ていたのか、明」
「それは俺の台詞だよ、親父」
「そうでもないだろう。今日があの子の命日と言えなくもないからな」
淡白な挨拶の後、親子は無言で視線を交わし合った。
しかしそこから話を広げることもなく、視線を外した二人は墓の掃除に取り掛かった。
「おふくろは? 来てないの?」
墓石の間に詰まった落ち葉を拾い上げながら、明が口を開く。
いつもの気取ったしゃべり方ではない。家族にだけ見せる、明のもう一つの……子供としての側面だ。
「母さんは……ここには来たくないらしい。まだ鳴衣が生きているという希望を無くしたくないのかもしれんな」
墓石を磨いていた父が一瞬だけ手を止めて言った。
「やっぱり、遺体が見つからないから?」
「それもある。親というものはそう簡単に子供を諦められないんだ」
そこから先は事務的な会話が主体になり、自然と口数も少なくなっていった。
十分後。
ゴミ捨てを終えた明の前に、煙のくすぶる線香の束が差し出される。
明は数本抜き取って、ざくりと墓前に突き刺した。
「……明、情緒を知れ」
「どう刺そうが結果に変わりは無いだろ」
「気構えの問題だ」
父親が残りの線香を立てる。
白い煙は薄く広がり、ゆっくりと時間をかけて空気に溶け込んでいく。
「お前の方はどうだ? 犯人の手がかりは見つかったか?」
「……いや」
「そうか」
気の無い相槌だが、愛想が無いのはいつものこと。父の性分だ。
ただ……今ついた嘘はバレているのだろうな、と直感的に思った。
「新しい学校はどうだ? 楽しいか?」
「つまらなくはないかな」
「体は大丈夫か? 昏倒事件に巻き込まれたと聞いて母さんが心配していたぞ」
「その辺は何回も電話で説明しただろ」
「お前はあまのじゃくだからな。鵜呑みにはできん」
笑い混じりにそう言うと、真面目な口調に戻る。
「転校を決めた時にも言ったがな。俺は今でも、事件を追うことには反対している」
「……………………」
「危険だからという理由もあるが、それだけじゃない。過去に囚われてほしくないんだ。人生において一番大事な時期を復讐のために浪費することは、親として認められない」
明は沈黙をもって答えを返す。
何度となく交わしてきたやり取りだ。お互いの言いたいことはとうに分かっている。それがたやすく変わらないことも。
だから父親はしつこく言わず、ただ相貌のしわを濃くするだけに留めた。
「さて……俺はそろそろ行くが、一緒に乗っていくか? 学園まで送ってやってもいいぞ」
「いや、いい。自転車だし」
「分かった。それじゃあ、元気でな。年末ぐらいは帰って来いよ」
遠ざかっていく足音をしり目に、明は線香の煙を眺めていた。
父の気持ちは理解できるし、母に心配をかけていることは申し訳なく思う。
だが、これだけは曲げられない。ここまで来て諦めたら、自分は二度と立ち上がれなくなる。
とにかく今は目の前の物事を一つずつ片付けていこう。感傷も反省も、全てが終わってから存分にすればいい。
気を取り直した明は出口の方に体を向けて……その少女に気が付いた。
「くすくす……。お父様の忠告を無視するだなんて、ずいぶんと親不孝な方ですのね」
十メートルほど向こうにある墓の前に、黒い服の少女がひざまずいていた。
栗色の長い髪はよく手入れされており、均整の取れた顔立ちも相まって人形のようだ。
「いきなり何だお前は。人様の家庭事情にいちいち口出しするんじゃない」
明の文句を聞き流しつつ、少女は腰を上げた。
「口出しではなく、残念に思っているのですわ。今のが最後のチャンスでしたのに」
シスターのような黒服は上半身にフィットしており、スカートは足全体を覆うものだ。胸のあたりには白十字のラインが伸びていた。
見たところミッション系の学生だろうか。ゆったりとした立ち居振る舞いからは育ちの良さがうかがえる。
しかし、明の注意を引いたのは別のこと。彼女が放つ異様な気迫だ。
殺気、なのだろうか。こちらに向ける感情は危ういながらも鋭く尖った質感を備えている。
「物騒な世の中になったものだ。一応、名前を聞いておこうか」
数々の修羅場を切り抜けてきたおかげか、明は思いのほか冷静でいることができた。
少女から目を離さず、これから起きる事柄に備える。
数秒間のにらみ合いを経て、少女が動いた。
胸の前で十字を切り、祈るように目を伏せる。その行いは明に向けたものだった。
「白峰倶久理と申します。夜渚明様、たいへん申し訳ありませんが──貴方には、ここで死んでいただきますの」
その瞬間。
いくつもの光が沸き起こり、明に向けて放たれた。




