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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第三章 蒼き夜空を統べる者
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第二十二話 曲げられないもの

 駅前広場を災厄(さいやく)が襲っていた。

 歩道のタイルが空を舞い、深く根ざした街路樹が幹ごと吹き飛ばされる。

 プランターから自転車、車に至るまで。地面に固定されていないものが瞬く間に地上を旅立っていく。

 柱のような大気の渦に吸い込まれ、全身を滅茶苦茶に引き裂かれながら、空の果てへと消えていくのだ。


「逃がさぬぞ……荒神ども……!」


 渦の中心に座するは、満身創痍のシナツヒコ。

 地に堕ちた主翼は無残にも折れ果て、痛みに震え、真っ黒に汚れている。

 しかし瞳の力に衰えは無い。狂気じみた輝きと不退転の気迫を帯びながら、じりじりとこちらに近付いてくる。


「これが……現神(うつつがみ)の力……!」


 明は斗貴子を抱きながら、バス停の支柱にしがみついていた。

 腕の中にいる斗貴子はげっそりとした顔のまま、嫌な空咳を繰り返す。時折見える赤い滴が、明の胸を締め付けた。


「夜渚くん……これ、まずいかも」


 押し殺した声で望美がささやく。


「現状がまずいことぐらい見れば分かるが……お前がそう言うからには、まだ何か残念なお知らせがあるんだろうな」


「あれ、見て」


 彼女は支柱の根元に腕を絡めつつ、視線で上を指し示す。

 竜巻の頂上部、巻き上げられた瓦礫(がれき)の中には見覚えのある野球ボールが混じっていた。だが、それもすぐに飛ばされ見えなくなる。


「あれは……ボールにかけられた停止の効果が失われているのか?」


「それだけじゃない。空気の壁も無くなってる」


「何だとっ!?」


 言われてみれば、暴風の被害は広場を越えて遥か遠く、遥か高くまで及んでいる。

 もはや鳥籠は意味をなさず、手負いの魔物は解き放たれてしまった。一般市民が騒ぎを聞きつけるのも時間の問題だ。

 だが、それより気がかりなのは斗貴子の体だ。これらのアクシデントと謎の吐血が無関係だとは、どうしても思えない。

 ヤサカニの勾玉は、荒神の異能を一時的に強化するのだという。

 なら、その"一時的な強化"が終わった後は? 潜在能力を強引に引き出された後、術者の肉体には何が起きる?


「ヤサカニの反動、ですよ……」


 斗貴子の声は頼りなく、自嘲するような響きを含んでいた。


「ヤサカニは荒神に力を与えてくれますが、それはあくまで"前借り"に過ぎないんです。効果が終われば、使った分は取り立てられる。体に無茶をさせた利息付きで……ね」


 話の途中で、また咳き込む。赤みを失った唇が血で染まる様は趣味の悪い皮肉のようだった。


「本当は、時間切れまでに仕留めるつもりだったんですけど……あは、残念です。読み違えちゃいましたね」


「笑い事で済むか馬鹿。なぜこんなことをした」


 怒りを溜めつつ斗貴子をにらむ。あまりにも怒り過ぎて、何に対する怒りなのか自分でも分からなくなってきた。


「そんなの……現神を殺すために決まってるじゃないですか。明さんだって、そのつもりでここに来たんでしょう?」


「なぜ黙っていたのかと聞いているんだ。俺はこんなイカレたバンザイアタックなど許可していない」


「ほら、だから言いたくなかったんですよ……。あなたはそういう人だって、聞いてましたから」


「見透かした風な口を聞くな。俺はそういう知ったかぶり女が大っ嫌いなんだ……!」


 思い返せば、この女は初めから他人のために動いていた。

 病院では猛を助け、今井町では明を危険から遠ざけようとした。ヤサカニを奪ったのも、自分一人で現神と戦う力を得るためだろう。

 そして今、彼女は仲間のために進んで貧乏くじを引いている。尋常ではない痛みとリスクを受け入れて、勝利のために貢献してくれたのだ。

 見上げたものだ。健気なものだ。素晴らしい心掛けだと思う。

 だが、明はそれが気に入らない。

 明は、そんなものをもう二度と(・・・)目にしたくなかったからだ。


「はははは、何をもたもたしているのです!? まさか、もう打つ手が無いのですか!?」


 瓦礫の濁流と化した竜巻から、シナツヒコの哄笑が流れ出す。

 ゆっくりと、しかし確実に。無数の固形物を取り込んで物理的な破壊力を備えた風が、その範囲を肥大させていく。


「これこそが秘蹟! これこそが神威(かむい)! 荒神どもに下賜(かし)された粗悪品とは比べるべくもない、選ばれし者の力です!!」


 周囲の建物が音を立てて削り取られていく。

 ガラスは粉微塵にすり潰され、外壁は障子(しょうじ)のように破り取られ、ビルのフレームがくの字にたわむ。


「神を(おそ)れるか!? 震え、おののき、許しを乞うか!? ならば悔い改めよ! こうべを垂れよ! 残されたわずかなひとときを、かしずくことにのみ費やすがいい!!」


 畏れよ、畏れよ、畏れよ──

 おぞましい叫喚がそこかしこに反響し、さざ波のように耳を打つ。そしてまた風が強くなった。


「うおおっ……!?」


 巻き込む風に足を取られ、明の体が斜めに傾いた。

 腕全体で抱きつくように支柱を掴み──

 その時。

 明は、胸ポケットの口から石のような物がこぼれそうになっていることに気付いた。


「……ヤサカニ」


 あの女性に拾われ、(ひかる)から手渡されたもう一つの秘石。

 無意識にその言葉を漏らした瞬間、望美と斗貴子が弾かれるようにこちらを向いた。


「えっ、あれ? それ、璃月さんに盗られたはずなんじゃ……」


「そういえば、もう一つ持っていましたね……抜け目の無い人」


 二人の顔が「なぜそれを持っているのか」という疑問から、「それが何に役立つのか」という思案、そして覚悟へと移り変わっていく。

 先手を取ったのは望美だった。


「そのヤサカニ、私に貸して。念動力を全開にすれば、あの竜巻だって無効化できるはず」


「いいえ、望美さんの機動力でシナツヒコに接近するのは危険すぎます。そのヤサカニは私が」


 負けじと斗貴子も声をあげる。


「いや、これは──」


 明が何か言おうとするが、遮るように二人が口を挟んだ。


「璃月さん、馬鹿なことは考えないで。こんなものを連続で使ったら間違いなく大変なことになるって、自分でも分かってるでしょう」


「使い慣れていない者がヤサカニに手を出しても、十全に力を発揮することはできませんよ。確実に勝利を得るためには私がやるしかありません」


「自分が確実に死ぬとしても? それがあなたの望みなの? ……そんなの、私は理解できない」


 珍しく怒りを露わにする望美に、斗貴子は頼りなげな笑みを見せた。


「私だって、できることなら死にたくありませんよ。だけど……誰かの死が避けられないものなら、それを一番最初に引き受けるのは自分でありたい。そう思っているだけです」


 斗貴子の顔は穏やかで、死に対する恐怖や不安はどこにもない。

 「ああ、来るべき時が来たのだな」とでも言いたげな、妙な達成感を(たた)えた目が明に向けられる。


「後のことは頼みますね、明さん。必ずや生きて、ご自身の望みを果たして……そして全てが終わったら、たくさん幸せになってください。そうしてくださることが私の望みでもありますから」


 斗貴子の真っ白な手が、明の胸ポケットに伸びていく。

 指先は震えているが、その歩みが止まることは無い。

 その動きは覚悟から来るものだ。



 ── お兄ちゃんも早く逃げてっ! ──



 あの時。妹が──鳴衣(めい)がそうしたように。

 助けに来た兄をタケミカヅチから引き離すため。犠牲を自分だけに留めるため。

 だから、

 明はその手を無言で見つめ、


「──ふざけるなこのボケカスがッッッ!!」


 思いきりはたき落とした。


「どいつもこいつも……どいつもこいつも、どいつもこいつもどいつもこいつもぉーーーーーーーーっ!」


「あ、明さん……!?」


 そして怒鳴る。ここ数日のフラストレーションを発散するがごとく盛大に。


「何だお前らは! 会う奴会う奴口を揃えて『逃げろ』だの! 『帰れ』だの! 『首を突っ込むな』だの! 『雑魚は出しゃばるな』だのと勝手なことばかり! 知ったことかクソがっ!」


「わっ、私はそこまで言ってませんけど……」


「口答えするな!!」


 さらに怒鳴ると斗貴子は黙った。望美は鳩が豆鉄砲でも食らったような表情で固まっている。

 明は寝起きの虎のような音を喉から出すと、ヤサカニを掴み取ってためらいなく握り潰した。

 粉々になったヤサカニを風のまにまに放り捨て、汚いものにでも触れたかのように振り払う。


「えっ……ちょ、ちょっと夜渚くん!? どうしてそんなこと……!?」


「こんなものがあるからくだらん迷いが生まれる。俺はドーピングなど絶対にせんぞ」


「それじゃあ、他に何かいい案を思いついたの?」


 明は強くうなずき、


「そんなものは無い。だが俺は死なないし、他の誰も死なせはしない。ゆえに問題は無い。俺の目の届くところで人死になど、死んでも有り得ないのだからな!」


「そ、そうなんだ……」


 望美は呆れと絶望と感心をごちゃ混ぜにしながら、かろうじてそう答えた。

 竜巻はますますその力を増し、自分たちはまともに立つことすら難しい状況だ。

 斗貴子は動けず、ヤサカニも失われ、いよいよもって絶望的。

 しかし、負ける気はしなかった。

 明には覚悟がある。信念がある。これと決めて揺るがない、鋼の芯が存在する。

 真の意味で自分を支えているのは荒神の力ではない。持って生まれた知性や肉体でもない。

 不撓不屈(ふとうふくつ)の精神だ。

 それが折れない限り、自分が負けることは無い。明は固く、そう信じている。

 ……そして、本当に本当の"神"がいるとするならば。

 天にましますその方は、自分のようなものに手を差し伸べてくれるはずだ。


「──あははははははっ!」


 笑い声が聞こえた。

 シナツヒコの傲慢な笑い声ではない。底抜けに明るい、少年の声だ。


「明、やっぱり君はリョウにそっくりだよ。とんでもなく馬鹿で、真っ直ぐで──何より、ツキに恵まれてる!」


 続いて来たのは地響きだ。

 とてつもなく大きな怪獣が地面の下であくびをしている──思わずそんな想像をしてしまうような揺れ方だった。

 震源地はシナツヒコの直下、いわば台風の目に当たる部分。

 つまりは、この場所で唯一風の影響を受けない位置だ。


「さて、今度は自分の意志でこの台詞を言ってみようかな」


 少年は軽く息を整え、


「『"水道管"ってやつのおかげで、どこもかしこも水だらけだ』!」


 張り裂けた地面から、巨大な水柱が噴き上がった。


「なっ……スサノオだと!? しまっ──」


 シナツヒコの体が強烈な水流に弾かれ、明の方に飛んでくる。痛みと衝撃、驚愕が刹那の間、竜巻を停止させた。


「望美っ!」


「分かってる!」


 斗貴子を降ろした明の背中に、望美の手が添えられた。

 発動する念動力。力場のベクトルが加速を命じ、明の体が発射される。

 やるべきことは単純至極。前を見据えて腕を張り、全身全霊でぶつかるだけ。明の得意分野だ。


「歯を食いしばれ、シナツヒコ。鳥にあればの話だが、な」


 うなる拳は一撃必殺。

 最大級の振動波を込めた右ストレートが、シナツヒコのくちばしを打ち据えた。


2/16 斗貴子の台詞を一部修正。

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