第十七話 大人は本音を語らない
毘比野が退室し、応接室に残されたのは明と稲船の二人だけになった。
明はソファからわずかに身を乗り出すと、扉の前に佇む稲船に視線を合わせた。
「ありがとうございます、理事長。さっきは助かりました」
「礼など必要ない。私は高臣学園を運営する者として最低限の仕事を果たしたまでだ」
「では言い方を変えましょう。良い仕事ぶりでした」
「……君にそう言われると皮肉のように聞こえるな」
稲船は何とも形容しがたい表情で口元を震わせた。その拍子に鉄面皮が崩れ、苦笑の形を取る。
多種多様な感情を重ね塗りした迷彩色の苦笑は、明がこれまで出会ってきたどんな人種とも違うものだ。
この厚みと難解さが大人の証だというのなら、自分は当分大人にはなれないし、なりたくもない。
複雑なのは知恵の輪だけで十分だ。物事は常に単純明快、簡易簡潔であることが望ましい。
「しかし……君は実に運の無い男だな、夜渚くん。転校初日から大事件に巻き込まれ、ほとぼりが冷めたと思えば今度は容疑者扱いだ。いい加減嫌になってきたのではないかね?」
「もう慣れました。今の俺にとってトラブルは日常の一部です」
「そうか。色々と苦労しているようだな」
「ええ、まあ」
嘆息の原因は現神と黒鉄によるものが大半だったが、事情を知らない稲船はもっとナイーブな悩みをイメージしたようだ。
向かい側のソファに座ると、手を組みながらこちらを向く。そうして、切り出す言葉を選ぶように口を開いた。
「夜渚くん。君が今の生活に息苦しさを感じているのなら、以前の学校に戻るという選択肢もある」
「経営者らしからぬ発言ですね」
「学園を取り巻く状況を鑑みれば致し方の無いことだ。無理に登校を続けて倒れられるよりも、自らレスキューサインを出してくれた方がこちらも助かる」
稲船は「分かるだろう?」とばかりに頭を揺らし、こちらに同意を求める。
「確か、君は親元を離れてこの学園にやってきたのだったね。自立を果たそうとするその姿勢は立派なものだが、君はまだ子供だ。
辛い時には辛いとうったえる権利があるし、ご両親も君がやせ我慢を続けることを望んではいないはずだ。違うかね?」
「おっしゃる通りだと思います。うちの親は特に過保護ですから」
「それは君が愛されている証拠だよ。そして、誰かに甘えられるのは愛されている者の特権でもある」
組んでいた手をほどき、軽く広げる。来るべき返答を受け止めるかのように。
キャッチャーミットは左右に二つ。「分かりました」で承諾するか「参考にしておきます」で無難にお茶を濁すか、どちらかだ。
しかし、明はどちらを選ぶつもりもなかった。
相手は自分の身を案じて言ってくれているのだから、空気を読んだりなあなあで済ませることはしたくない。ノーならノーとはっきり言うのが彼の信じる誠実さだ。
「心配してくれてありがとうございます。ですが、帰るつもりはありません」
「何か、帰りたくない事情でも?」
「そういうのではなく……自分の意思で決めたことには最後まで責任を持ちたいんです」
結局のところ、それが理由なのだと思う。
正義感は人並にあるつもりだし、妹の仇を討ちたいという気持ちにも偽りは無い。
だが、一番の動機を挙げるとすれば、それはやはり己の信念を貫くためなのだ。
(いや……あの時貫けなかったからこそ、今ここでやり直しを求めているのかもしれんな、俺は)
不意に浮かんだのは虚ろな過去の影法師。
七年前から見てきたそれは、意識の片隅で踊るように揺れ動いた後、徐々に消えていった。
「……それでは失礼します。友人を待たせていますから」
明は形式的なお辞儀をしてから席を立つ。
稲船はその姿をじっと見つめていたが、明が部屋を出る時には片手を上げて送り出してくれた。
「一度きりの学生生活だ。悔いの無いように過ごしたまえ」
重みのある声に背中を叩かれ、明はしゃんと背筋を伸ばす。
悔いの無い人生を送れるかどうかなど、自分には分からない。
だが、悔いを残すつもりは無い。そして、その意志さえあればおのずと最善の結果は得られるものだ。
「そのためにはとにかく行動あるのみ、だな」
時は金なり。猛が起きるまでの間に、できるだけの調査を進めていこう。
そう思い立った明が取り出したのは例の勾玉だ。
教室への道すがら、勾玉を手のひらに載せて、顔に近付け、上から横から後ろから観察する。
「これの正体さえ分かれば、あの鼻持ちならない女の目的もはっきりするんだが……」
「ふふふ、明さんも知りたいですか? 興味津々ですか?」
「……………………」
顔を上げると、どこかで見たような白髪の少女が立っていた。
「どうも。鼻持ちならない美少女ちゃんが来ましたよ」
「美少女とまで言った覚えは無い。というか、なぜここにいる? お前はここの学生ではないはずだが」
斗貴子の服は初めて会った時と変わらず黒のブレザー姿だ。高臣学園のセーラー服ではない。
胸部に刺繍されたエンブレムはどことなく洗練されたデザインをしているので、おそらく名の有る高校なのだろう。服の生地も一段と値が張りそうな色艶をしている。
明の視線を感じた斗貴子はキャーとわざとらしい悲鳴を上げたり、胸を強調するように自分の体を抱きしめたりしていたが、それにも飽きると真顔に戻り、
「こほん。ここに来たのはですね、明さんにご協力をお願いするためなんです」
「盗みを働いた相手に助けを求めるとは図々しい女だなコイツと言いたいところだが、俺は寛容を是とする男だ。特別に水に流してやるから言ってみろ」
「思いっきり根に持ってるじゃないですかー」
「うるさい。で、それは現神絡みのことか?」
斗貴子は「はい」と言ってから、その目つきを鋭くした。
真面目な話だと気付いた明も黙って続きの言葉を待つ。
彼女の語る内容は、明や、引いては猛にも関係する、あの現神のことだった。
「頼みというのは他でもありません。明さんが病院の屋上で遭遇した、怪鳥の現神……シナツヒコの討伐に、手を貸してほしいんです」




