第十五話 過去からやってきたもの
月曜日になった。
昏倒事件から早十日。高臣学園は以前と変わらぬ活気を取り戻し、事件が引き起こした混乱は波が引くように収束しつつある。
学園内での主な話題は来月に控える中間テストと、二学期末に行われる学園祭がメインだ。
駐車場の倒壊事件やUFO騒ぎについて語り合う生徒もいるにはいるが、それらの事柄を昏倒事件と結び付けて考える者は皆無だった。
当然、水野猛の入院についても同じことが言えた。
猛を心配する者は多いが、倒れた理由を不審に思う者は少ない。むしろ今まで倒れなかったのが不思議なぐらい、というのが大勢の意見だった。
「うし、連絡事項はこんなところだな。そいじゃあ日直、ちゃちゃっと号令してくれよ」
六時限目を終えた2-4教室。担任の矢沢教諭が鷹揚に手を叩き、短い立礼を挟んでホームルームが終わる。
途端、せきを切ったように騒がしくなる教室。
矢沢は苦笑し、そのまま教室を後にしようとして、はたと停止。しまったという顔と共に片足を戻した。
「悪い、言い忘れてた。誰か水野の分のノート取っといてやれよ。苦しい時はお互いに助け合うのがクラスメートってやつだからな」
「お互いに」の部分にアクセントを付けながら、教室中を見回す矢沢。
クラスメートの何人か──特に成績のかんばしくない者たちが、ギクリとした表情で目を逸らした。
しかし、その中で一人だけ別の反応を示す生徒がいた。新田晄だ。
晄は両手を突き出し、ルーズリーフの束を高々と披露した。色鮮やかでポップな板書が皆の注目を引く。
「心配ご無用。ちゃんと取ってまーす」
「おう、やるじゃねえか新田。お前ってば相変わらず友達想いのいいやつだなあ」
「えへへ……ありがとうございます」
照れ笑いを浮かべる晄。
矢沢は少し意地悪く笑うと、
「あとはその熱心さをテストの結果に反映させてくれれば言うこと無しだぜ」
最後にチクリと皮肉って、矢沢は廊下に消えていった。
「あはは……ですよねー」
へなへなと萎れるように着席する晄。
明は彼女の肩に手を置くと、気遣わしげに声を寄せた。
「安心しろ晄。お前は一人じゃない。……どうせ黒鉄も赤点だ」
「下見て生きろと申しますか、夜渚くんは……」
「それが人間の性というものだ。程々のところで折り合いをつけていけ」
晄の体はさらに落ち込み、机の上に突っ伏してしまう。理由は不明だが、たぶん疲れているのだろうと明は思った。
「それにしても……これで三日目だぞ。いつになったら目を覚ますんだ、あいつは」
今のところ、猛が目覚める気配は無い。
植物状態ではないとのことだが、ここまで容体に変化が無いと明も不安になってくる。
「私は黒鉄くんのことも心配だな。昨日までは休日だったからいいけど、このまま病院に閉じこもってたら勉強についていけなくなっちゃう」
「それは……今さらじゃないか?」
「だからなおさらなの!」
顔を上げた晄は大きく手を振って、
「黒鉄くん、せっかく授業に出てくるようになったんだよ? また落ちこぼれちゃったらもったいないよ」
ルーズリーフが手振りの風圧を受けてめくれていく。一人分にしてはいささか枚数が多い。
(黒鉄の分も入っているのか。写すだけとはいえ、手間もかかるだろうに)
見れば、制鞄の隣には百貨店の買い物袋が置いてあった。
中に入っているのは手のつけられていない弁当箱。箱のサイズは明らかに男性用だ。
「あの馬鹿が未だに餓死していない理由がそれか。甲斐甲斐しいな」
「私があの二人にできることなんて、これぐらいしか無いから」
「謙遜するな。女子の手作り弁当に匹敵するレアアイテムなど、この世界には数えるほどしか無い」
「そうなの?」
きょとんとする洸。
明は絶対至高の自信をもって、寂しき男の実感がこもった答えを返す。
「ああ……。だから、もし弁当にケチをつけられたら容赦無くぶちのめしてやるといい。その場合、残った弁当は俺がいただく。いいな?」
「……変わらないね、夜渚くんは」
「俺が凹んでも猛の病状は変わらないしな。なら落ち込むだけ時間の無駄だ」
「うーん、そういう意味じゃなかったんだけど……まあいいや」
晄は伸びをするように両手を上げ、ゆっくりと下ろしていく。湛える笑顔は快晴そのもの。
「それじゃあ、私はお見舞いに行ってくるね。夜渚くんも一緒に来る?」
「先に行っててくれ。後で望美と行くつもりだ」
「了解。……と、そういえば」
教室を出る寸前だった晄が小走りに戻ってきた。
「昨日病院に行った時、知らないお姉さんにこれを渡されたの。ちょうど委員会活動の帰りで制服を着てたから、私に声をかけたんだろうけど……」
言いつつ、晄は鞄の中に手を入れる。その様子を見つめる明はちんぷんかんぷんだ。
「説明がふわっとしてて反応に困るんだが……いったい何を預かってきたんだ?」
「ええと、つまり……これ!」
取り出したのはファスナー付きのビニール袋。中には緑色の勾玉と、高臣学園の生徒手帳が入っていた。
勾玉の形状はどう見ても現神のアレだ。そして生徒手帳の持ち主は、
「俺の手帳じゃないか……」
「夜渚くん、落としたことも気付いてなかったの?」
「知らん。そもそも手帳とか使わん」
「うわぁ……」
駄目人間を見るような視線をひしひしと感じつつ、明は生徒手帳を検分する。
記載されている氏名は自分のものに相違無い。落としてすぐに拾われたのか、染みや汚れもほとんど付着していないようだ。
勾玉の方は、イワツチビコかアメノウズメのどちらかだろう。二つとも斗貴子に奪われたとばかり思っていたが、片方は生徒手帳と一緒に落としていたらしい。
ということは、これらを落とした時間帯は屋上に行く前だ。
「あと、お姉さんから言伝があるよ。『ありがとう』だって」
「……ああ、あの時の女性か」
階段で助けた入院患者の一人。あそこで転んだ拍子に紛失し、それを彼女が拾ってくれたのだろう。
(情けは人のためならず、か。失ったはずの勾玉がこんなところで戻ってくるとはな)
何か運命めいたものを感じながら、勾玉を握り込む明。
これは現神に関係する重要な証拠品であると同時に、斗貴子との繋がりを保つためのカギだ。
ツクヨミの荒神──璃月斗貴子は、勾玉を強く求めている。それも、問答無用で強奪しようとするほどに。
敵では無いと思う。だが、全幅の信頼を置けるほど、自分は彼女のことを知っているわけではない。
どちらにしても、この勾玉を持っている限り、彼女は再び接触してくるだろう。全てを明らかにするのはその時でもいい。
明は晄に礼を言うため、勾玉から顔を上げた。
と、その時。
晄の向こう……廊下の入り口に、職員室に帰ったはずの矢沢が立っていた。
矢沢の目線は明に向いており、その顔にはためらいが見える。
何かを告げたいが、同時に告げたくない。明にはそんな風に見えた。
「夜渚くん、どうしたの?」
「ああ、いや……すまん晄。ちょっと待っててくれ」
明は視線を背後に投げる。振り返った晄が矢沢に気付き、ぱっとその場を退いた。
「矢沢先生、俺に何か用ですか?」
「……そんなところだ。正確にはお客さんがな」
矢沢はうんざりしたような顔で言ってから、やや間を置いて本題を口にした。
「毘比野とかいう所轄の刑事さんだ。例の昏倒事件について、もう一度確認したいことがあるんだとさ」




