第十話 泣く子にゃ勝てん
昨日の友は今日の敵。出戻りしてきた竹箒が今度はこちらに牙を剥く。
薄情極まる反逆者に対し、明が取った行動は、
「受け止めるしかあるまい……!」
腰を沈めて両手を軽く広げる。体勢が整ったところで、望美に合図を送った。
「止まれっ」
望美の手が肩越しに突き出された。
かざした先から生み出されるのは念力の結界。力場に触れた竹箒が、徐々にその勢いを減衰させていく。
十分に減速したところで、箒は明の手中に収まった。
「夜渚くん、ナイスキャッチ」
「他愛ないものだ。ぶっちゃけサポート無しでいけたかもしれん」
「手、赤くなってるけど」
「血行が良くなっただけだ」
ひりひりと痛む手のひらを撫で合わせながら、箒を所定の位置に戻す。
斗貴子は先ほどの位置から動いていなかったが、油断は禁物だ。彼女にとって"十数メートル"は"至近距離"と同じ意味を持つ。
「肉体に流れる時間を加速させて、疑似的な高速移動を行う……か。お前からすれば、自分以外の全てがスローに動いているようなものだろうな」
「いわゆるひとつの"ハエが止まるぜ"です。もちろん、加速できるのは自分だけではありませんよ?」
宣言通り、彼女はそれを実演してみせた。
両手を斜めに振り上げる動きは投擲の軌跡だ。かすかに見えたのは細長く光沢のある何か。
「針か!」
加速する針の群れは視認すら難しい。明と望美は地面に身を伏せることでなんとか攻撃をやり過ごた。
「もうおねむの時間ですか? お疲れでしたら針治療などいかがでしょう?」
「民間療法は信じない主義だ」
「初めての方はいつもそうおっしゃるんですよ」
斗貴子の姿が消える。自身を加速させたのだ。
が、路上にその姿は無い。だとすれば残る場所は……空だ。
加速時の慣性を利用した大跳躍。見上げる間もなく、明の頭上を黒い影が飛び越えていく。
半月を描きながら後方に着地した斗貴子は、振り向きざまに針を飛ばした。
またも伏せようとする望美に、明の警告が刺さる。
「伏せるな!」
「……っ!」
望美の行動は迅速だった。
中腰の状態からスライディングで緊急退避。石垣の根元まで至ると、小さく身を丸めた。
直後、路地を襲ったのは銀色の雨。
明は壁に張り付きながら、降り注ぐ針が霰の様に地面を跳ねる様を目にしていた。
これらの針は跳躍の最中に仕込んでいたものだ。あの時誰かが空を見上げていれば、停止する大量の針を見ることができたはずだ。
もっとも、明は一度も上など見ていない。
斗貴子もそれに気付いていたのだろう。あごに手を当て、神妙な顔でこちらを注視している。
「……よく分かりましたね。完全に意表を突けたと確信していたのですが」
「目に映る情報だけが全てではない。こと俺の異能に関してはな」
「なるほど、音波探知ですか。波を操るナキサワメならではの戦い方ですね」
斗貴子がそう言った時、望美が顔を上げた。
「波……? 振動じゃなかったの?」
「どうやらそうらしい。謎の脳内妖精さんが教えてくれた」
ありのままを告げると、望美はとても心配そうな声で、
「夜渚くん……頭大丈夫?」
「ストレートな言い方はやめろ。俺だって半信半疑なんだ……」
結局、あれから再び声が聞こえてくるようなことは無かった。
ただの幻聴ではないと思うが、自分以外に証明できる者がいないのも確かだ。
「それにしても……なぜお前は俺の能力を知っている? 俺ですら昨日までは勘違いしていたというのに」
「申し訳ありませんが、手品の種明かしはご法度ですから」
「なら力づくで聞き出すだけだ」
「それは難しいと思いますよ? だって、明さんの異能は私との相性が悪過ぎます」
斗貴子は片手を軽く上げ、幼い子供を教え諭すように、
「ナキサワメの振動波は強力ですが、直接相手に触れなければ効果を発揮できません。そしてもちろん、私の異能も。ここまで言えばもうお分かりですね?」
「触れられた瞬間に俺の時間を止めれば、絶対に振動波をくらうことは無い……そう言いたいのか?」
「正解です。そちらの望美さんも何かをぶつけるような攻撃手段しか持ち合わせていないようですし、これ以上の戦闘は無意味だと思いますが……それでも続けますか?」
「いいからさっさとかかって来い。天狗どころかピノキオ顔負けの鼻っ柱をへし折ってやる」
「後悔しますよ」
「ぜひともそうしてもらおうか」
斗貴子の顔から表情が消える。
その身がわずかに揺らめいたかと思うと、爆発的なスピードで突っ込んできた。
彼我の距離は瞬く間にゼロへと近付き、押しのけられた空気が悲鳴をあげる。
しかし明は逃げず、恐れず、彼女の進路上から一歩も動かない。
(たとえ逃げてもすぐに距離を詰められて終わりだ。ならば、この立ち合いでカウンターを狙うしかない……!)
幸いなことに、相手は明が近接攻撃しかできないと思い込んでいる。触らなければ何もできない非力な荒神だと、たかをくくっているのだ。
それこそが彼女のミスであり、勝利に繋がる蜘蛛の糸だ。
攻略のヒントは明の異能……"ナキサワメ"にあった。
古事記に登場する水神の一柱であり、妻神イザナミを亡くした夫神イザナギが、大粒の涙と共に生み出した女神。それがナキサワメだ。
たとえ伝説に多少の脚色がされていようが、悲鳴と嗚咽から現われ出でたとされる神の異能に"それ"ができないはずが無い。
明は両手を頬に添え、横隔膜に力を入れた。その動作を見た望美が素早く耳を塞ぐ。
それを確認した直後、明はあらん限りの叫び声──音の波を、異能によって何倍にも増幅して放出した。
「討ち入りじゃー!!!!!!!」
「──ッッッ!!??!?」
まるで雷が落ちた時のような、壮絶な響きだった。
間近にいた斗貴子が驚きと衝撃のダブルパンチによってバランスを崩し、前のめりに転倒する。
「なんっ……なんて……大声……!」
耳を押さえて涙ながらにうずくまる斗貴子。
彼女を見下ろす明は、しれっとした顔で、
「お望み通り一発入れたぞ。俺たちの勝ちだな」
と、宣言した。
1/28修正。イザナミとイザナギが逆でした……。




