第九話 有明の月
喝采を終えた少女が、無造作に足元を蹴る。跳ねた体はふわりと舞って道路の真上に。
一瞬の自由落下を経たのち、着地の間際に謎の急減速。艶を帯びたローファーの先端が音も無く地面に降り立った。
「出たな勾玉泥棒」
明は開口一番皮肉を飛ばすが、少女は余裕を崩さぬままだ。
「璃月斗貴子と言います。気軽に斗貴子と呼んでください」
「泥棒が何を言うか。まともに名前を呼んでほしいのなら、それ相応の行動をすることだ。人間、日頃の行いは大切だぞ?」
「私もそう思うよ、セクハラ魔人夜渚くん」
「……望美、お前はどっちの味方なんだ」
「女性の味方かな……」
裏切り者に背中を撃たれ、早くも明は押し黙る。
まさに「ぎゃふん」とでも叫びそうな苦渋の表情は、眼前の泥棒少女をたいそう愉快にさせたようだ。
斗貴子はくすくすと楽しそうに笑いながら、
「『おこりんぼで、いつも偉そうで、とってもスケベ』……。一字一句違わず、お聞きしていた通りの方なんですね。何だかとっても親近感が沸いてきました」
「どこのどいつがそんなデマをバラ撒いていた? 何年何組だ? それとも前の学校の奴か?」
「少なくともデマではないと思う。私が保証する」
「控えめに言っても箇条書きマジックだ。風評被害このうえない」
常日頃から弁舌の達人を自任する明だが、さすがに二対一では分が悪い。
取るに足らない言い争いから戦略的撤退を果たすと、一呼吸を置いて本題に入った。
「それで斗貴子とやら。お前は何者だ? 何を知っている? 何が目的だ?」
「あらあら、これまたとっても欲張りさん。二兎を追うものは一兎をも得ずですよ、明さん」
「男たるもの一石二鳥を狙わずして何とする」
「んー、私はどちらかというと堅実な男性が好みですね。安定した家庭が理想なので」
「夢の無い女だ」
「……夜渚くん、思いっきり話を逸らされてない?」
望美に指摘されてからようやく気付き、明は密かに奥歯を噛んだ。
どうにも苦手なタイプだ。柳のように捉えどころが無く、腹の底にあるものが見通せない。
「とにかく、ここに何をしに来たかぐらいは答えてもらうぞ。まさか挨拶をしに来ただけということはあるまい」
「まあ、そうですけど……」
腕を組みつつ考え込むような仕草。
悩ましげな表情は中々に魅力的だが、どこか演技臭さが拭えない。
しかし、次に見せた目つきはやや真剣さを帯びていた。
「ここに来たのは明さんに警告するためです。──これ以上、現神に関わらないでください」
「……なに?」
眉をひそめる明。斗貴子は彼から視線を逸らさず、
「この件から手を引いてください、と言っているんです。この街で起きたことはすっぱり忘れて、平穏な日常にお帰りください」
「またそれか。最近はどいつもこいつも同じことばかり言う」
「最も賢明な選択だからですよ。このままここで血生臭い戦争を続けたところで、明さんに得るものはありません」
「それは俺が決めることだ」
「では、ご家族の気持ちを考えたことは? 大事な子供がこんなことに巻き込まれていると知れば、帰りを待つご両親はどう思われるでしょうか?」
「悲しんだだろうな。だからこそ、だ」
そう言った時、斗貴子の顔に変化が見えた。
それが何を表しているのか読み解くことはできなかったが、仮面の下で何かしらの情動が反応したのは確かだ。
「何を企んでいるのか知らんが、この話題について俺から言えることは『余計なお世話だ』以外にない」
覚悟など、とっくのとうに決まっている。
誰に何を言われても。行く手に何が待ち受けていようとも。
夜渚明は、夜渚明であるために、逃げるわけにはいかないのだ。
「……頑固なところも情報通り、ですか。困りましたね」
呆れたような斗貴子の声。彼女は視線を外すと、面倒そうに空を仰いだ。
が、それも一瞬のこと。斗貴子は不敵な微笑を見せると、
「では、こうしましょう。私に負けたら大人しく言うことを聞く。その代わり、私に一発でも入れられたら、お二人にスペシャルな情報をお教えします」
ぽんと手を打ち、のんきな口調で提案した。
「二人がかりで構いません。制限時間もありません。とにかくダメージを与えればそちらの勝利。どうですか? 願ってもない条件でしょう?」
「出血大サービスだな。ゴネた甲斐があった」
「璃月屋は地域最安値が売りですから」
上機嫌に細めた目は、しかし絶対の自信に満ちていた。自分が負けることなど考えもしていないのだろう。
そして、その自己評価は決して過大なものではない。事実、彼女は八十神を一蹴し、一度は自分たちを出し抜いたのだから。
「では始めましょうか。早めに終わらせないと、誰かに見られてしまうかもしれませんから」
どこからでもどうぞとばかりに両手を広げる斗貴子。
明は構えて前進を始め、
「望美」
「分かった」
背後で望美が右手を振るう。
直後、明の横で動きがあった。
撃ち出されたのは、軒先に立てかけてあった大型の箒だ。
箒は横に回転しつつ、狭い路地を塞ぐような軌道で飛んでいく。
回避は不可能だし、まともに受ければ打撲は免れない。
だが、斗貴子は回避も防御も選ばなかった。
寸前に迫る箒を前に、彼女がしたことは一つだけ。
片手を前に。それだけだ。
「何を──」
明が言い切るより前に、細い指先が箒の柄に触れた。
その瞬間、箒が動きを止めた。空中で。
見えない何かに縛られているかのように。録画映像を一時停止したかのように。
……一時停止。それだ。
あの時、触れられた瞬間に意識を飛ばされたのは、明が停止させられていたからだ。
瞬間移動は加速。着地の際に見せたのは減速だ。
物体の加速。減速。停止。それら全てに関係するのは……
「触れた物の時間を操る能力──!?」
「驚きましたか? これこそが時を司る荒神、ツクヨミの力です!」
指先が箒の表面を滑り、その向きを逆転させる。
そして一秒後。再び動き出した箒が、こちらに向かって飛んできた。




