第一話 鋼の闘志
そこは病院の一室だった。
広さはだいたい八畳ほどだろうか。よく掃除の行き届いた、個人用の病室だ。
部屋の中央、白いベッドの上で静かな寝息を立てているのは、夜渚明の良く知る少年──水野猛だった。
「その……お医者様の話では、そんなに心配しなくても大丈夫だって」
重苦しい空気の中、そう切り出したのは金谷城望美だった。
「たぶん、疲れが溜まってただけだろうって。脳波にも異常は無いし、長くても二、三日で目を覚ますはずだって。だから……」
沈黙に耐え切れなくなったかのように、矢継ぎ早に言葉を重ねる。
気遣わしげな視線は、ベッドの前で俯く黒鉄良太郎に向いていた。
この場所を訪れてからというもの、黒鉄は一度も口を開いていない。看護師が用意してくれた丸椅子にも座らず、石像のように立ち尽くしている。
(あの馬鹿がこんな姿を他人に見せるとはな……)
動揺するだろうとは思っていた。
しかし、明が予想していたのは怒ったり驚いたりといった動的な変化だ。このように虚ろな反応ではない。
(最悪、奴に殴られることも覚悟していたんだが)
猛が倒れたのは、目覚めたばかりの異能を酷使し続けた反動だ。元凶は猛を操っていた者であり、明に直接的な責任は無い。
とはいえ、黒鉄に黙って事を済ませようとしたのは事実。
もしも明が事前に相談してれば。黒鉄に協力を仰いでいれば。
今さら考えても意味の無いことだが、火が消えたように意気消沈した黒鉄を見ていると、そう思わずにはいられなかった。
「さて、コーヒーでも買いに行くか。望美も来るか?」
明は出し抜けにつぶやくと、ハンドサインで望美を促した。
「でも、黒鉄くんが……」
「しばらくそっとしておいてやった方がいいかもしれん。猛と一番付き合いが長かったのはあいつだからな」
望美はなおも視線をさまよわせていたが、ここにいても自分にできることが無いと判断したのか、明の後に続いた。
そうして明がドアノブに手を伸ばそうとした時、後ろから黒鉄の声がした。
「……おい、転校生」
呼び止める声はやや湿り気を帯びていたが、黒鉄本来の力強さをいくらか残していた。
「なんで猛なんだ? 俺でもてめえでも金谷城でもなく、猛が狙われた理由は何なんだ?」
「どうやら猛は特殊な荒神らしい。奴は"王の器"だと言っていた」
「王の器?」
「詳しいことは俺にも分からん。だが、現神にとっては重要なんだろう。なんといっても"荒神死すべし"な連中が宗旨替えして体を奪おうとしたぐらいだからな」
「つまり、猛はこれからも狙われ続けるってことか?」
「あるいは、俺たちよりも優先的にな」
望美が非難がましい顔でこちらを見た。こんな状況で黒鉄をさらに追い詰めるようなことを言うな、と言いたいのだろう。
しかし、明はこれが必要なことだと思っていた。
黒鉄はまだ折れていない。確かにショックを受けてはいるが、この男は世の理不尽を嘆くだけの弱い人間では無い。
(だからこそ、あの時お前はアメノウズメに挑んだんだろう?)
それは期待であると同時に、明なりの信頼だった。
一から十まで駄目なところばかりだが、ここぞという時の勇気だけは一人前。そう思える程度には、彼のことを評価しているのだ。
そして明は見やる。黒鉄の背中を。
小さく丸まっていた背中が、少しずつ伸びて、伸びて……ふんぞり返るほどに反り返ってから、こちらを振り向いた。
「しゃーねーなぁ! だったら、やるしかねえだろうがよ!」
伴う笑みは犬歯を剥いた獰猛なもの。多少は空元気だろうが、それでも覚悟に嘘は無い。
「要は現神を全員ブッ殺せばいいんだろ? 簡単じゃねえか」
「ははは、さんすうのできないお前にとっては簡単に思えるんだろうな。羨ましい限りだ」
「おいおい、俺は累積2キルの神狩りエース様だぜ? どこぞの頭でっかちとは実績が違うんだよなぁ」
「何が2キルだ記録を捏造するな馬鹿。イワツチビコはともかく、アメノウズメにトドメを刺したのは俺だぞ」
「は? ダメージスコアで判定してるんだが?」
互いに襟を掴みつつ、至近の距離でにらみ合う。陰鬱な空気はどこかに消え去っていた。
傍で見ていた望美が大きく息を吐く。それは安堵によるものか、それとも呆れによるものか。もしかすると両方かもしれない。
どちらにしても、これでいつも通りだ。小さなしこりは時間と共に取り除いていけばいい。
「ふん、そこまで言うなら見せてもらうじゃないか。お強いエース様の実力とやらをな」
黒鉄を押しのけ一瞥すると、明はドアから一歩退いた。
望美は制鞄から適当な文房具を取り出し、黒鉄はアルミ製の窓枠に手をかける。
廊下の方から聞こえてくるのはけたたましい足音と、人々の緊迫したざわめきだ。
一瞬の後、ドアが蹴破られた。
「さっそくお出ましか」
そう言うや否や、明は白装束の闖入者に出会い頭の振動波を叩き込んだ。
三章はバトルと日常パート交互。
基本的に三の倍数の章では多くの謎が解けます。
そろそろストックが尽きてきたので、以前にも言っていたように更新頻度が2~3日に1回ペースになる日も近そうです。気長にお付き合いください。




