第二十一話 怨敵、出現
「がっ──!!」
掌打を受けた猛がうめき、その体を震わせる。
揺れの程度はごく微小。だが、内部にいる何者かはその数十倍の振動を味わっていることだろう。
詳しい原理は音叉と同じだ。明の放った振動波は、同じ波長の振動数を持つものだけに効果を及ぼし、激しく共鳴させる。
効果は予想以上だった。猛の顔が激痛に軋み、制御を失った水龍たちがシャボン玉のように割れていく。
彼らの死骸が降らせる雨に打たれながら、明は猛の胸ぐらを掴んだ。
「お前に選択肢をやる。このまま死ぬか、大人しく猛の体から出ていくか。十数えるうちに決めろ」
「ふざ……けるな……!」
充血した目。怒りと憎しみの発露。しかし明はひるまず、
「九。ふざけてはいない」
「なら愚か者だっ……! 自分がどれほど尊い存在に楯突いているのか、理解しているのか……!?」
「知らんな。八」
もはや細胞が引きちぎれてもおかしくないレベルのダメージを受けているだろうに、まだ粘る。
その根性、そして執念には敵ながら舌を巻く。もっとも、手心を加えるつもりは毛頭無いが。
「ようやく……ようやく王の器を手に入れたんだ……っ! こんなところで手放して、たまるか……!」
「七。……器だと? まあ、その話は後でいいか。六」
「いいから、どけと、言っている……! 下等な荒神が、このぼくの、」
「面倒だ。ゼロ」
胸ぐらをさらに引き寄せ、壮絶に笑う。その脅しが決定打となった。
「くそっ、覚えてろ……!」
猛の動きが不意に停止し、強張った四肢から力が抜けていく。
直後、明は目撃した。猛の体から"何か"が出てくる瞬間を。
それは首の後ろから染み出るように生まれ落ち、リスのように背中を這い降り、素早い動きで植え込みの中に逃げていく。
夕闇のせいではっきりとした姿形は分からなかったが、それほど大きな生物ではないようだ。
「武内!」
倒れ込む猛を抱き留めながら、明が叫ぶ。武内は既に動いていた。
「逃がさぬぞ!」
植え込みの終端へと猛進する武内。踏み出す一歩は常人の十歩にも勝る。
武内の卓越した身体能力をもってすれば、逃げる敵に追いついてとどめを刺すことなど造作も無いだろう。
だから、これで終わりだ。
そう思っていた。
しかし、次に起きたことは明の想像を超えていた。
異変の兆しは天にあった。フラッシュを焚いたような閃光が空を横切り、直後に視界がホワイトアウトする。
──爆音。
激震。
それら二つを従えて訪れたのは、青白い光の柱。落雷だ。
着弾地点はすぐ近く。強烈な刺激が五感を揺さぶり、明の体をよろめかせた。
「く……!」
四股を踏みつつ耐えしのぎ、かすむ両目を光の中心に向ける。
ぼんやりとした視界が明瞭さを取り戻し、再びその目が焦点を結び始めた。
まず見えたのは武内だ。道のただ中で立ち往生しつつ、苦虫を噛み潰したような顔で上空をにらんでいる。
次に見えたのは穴。先ほどの落雷によるものか、公園の一点に大きな穴が空いている。
そして、穴の上には大きな人影が浮かんでいた。
ぼろの着物と古びた麻布で全身をくまなく覆った、ミイラのような男。
どこか八十神を彷彿とさせる衣装だが、三メートルを超える巨体と広い肩幅は、やせ細った八十神とは比べるべくもない。
着物の袖口からは、白銀の輝きを放つ刀が一振り、その切っ先を覗かせていた。
見覚えのある刀だった。
忘れたことは無い。
忘れるはずが無い。
その刀が血に染まる瞬間を、妹を惨殺する瞬間を、明はこの目で見たのだから。
今度こそ、間違いない。七年前の記憶と、寸分違わず同じ姿。
こいつが。こいつこそが。
「あの時の、殺人鬼……」
そうつぶやいた時、男が明に顔を向けた。
顔、といってもこちらからは麻布しか見えない。
のっぺらぼうと相対しているかのような不気味さそのままに、男は無機質な声を響かせた。
「殺人鬼? そのような呼称は設定されていない。自分の個体名称は、タケミカヅチだ」




