第十八話 八岐
最初におかしいと思ったのは、アメノウズメに出会った時だ。
あの女の話し方は、放送で流れていた声とは似ても似つかない、別人のものだった。
疑問に思うと同時、明は一つの仮説を立てていた。
それは、協力者の存在。学園に潜む、もう一人の敵。
それが猛ではないかと気付いたのは、もう少し後になってからだった。
「お前は……誰だ?」
明は猛をにらみつけ、先ほどの問いを繰り返した。
目の前にいる少年は、確かに水野猛だ。
体も、目鼻立ちも、一筋混じった白髪も、彼が彼であることを証明している。
だが、同時に猛ではない。形容しがたい直感が、そう告げていた。
学園が襲撃された時に"何かされた"と考えるのが自然だろう。
「決まってるじゃん。水野猛だよ?」
猛が見せたのは、余裕の微笑。
微笑がにじませるのは王者の貫禄では無い。暴君由来の傲慢さだ。
「あの猛にそんな腐った面ができるものか。大方、アメノウズメと似たような手段で肉体を操っているんだろう?」
「そう思い込むのはきみの勝手。でも今はぼくが猛だし、これからはぼくこそが猛になる。これはもう決められた事なんだ」
「戯言はお前を追い出してからゆっくり聞いてやる」
「追い出す? どうやって? きみは何が起きてるのかも分かってないのに」
「あまり俺を侮らないことだ。謎解きは既に終了している。お前を倒す方法もな」
「そっか。──じゃあ死んでよ」
水龍が動く。
猛の傍に控えていた三体が首を掲げたかと思うと、上空から叩き付けるように降ってきた。
「ちぃっ!」
地面を転がり初撃を回避。さらに転がり、続く二撃をかいくぐる。
二回転目の勢いに乗って膝を起こした時、左後方で何かが壊れる音がした。
(その位置にあるのは……水飲み場か!)
足首をひねると、逆方向へと切り返した。死角から飛び出た水龍が前方に抜けていく。
ステップの終わり際、砂上を滑らせドリフト気味に後ろを向いた。
目に映るのは土台だけが残った水飲み場。そして大地の亀裂。露出した配管からは、新たな水龍が生み出されていた。
水龍たちは統制された意思の下、徐々に包囲網を狭めている。それを指揮しているのは、やはり猛だった。
「その水龍は……猛自身の異能か」
「本人はちっとも気付いてなかったみたいだけどね。だから、代わりにぼくが目覚めさせてあげた」
「『あげた』だと? おためごかしを言うな。お前がその力を利用するためだろう」
「彼の望みにもかなうことさ。部外者は黙っててほしいなー」
子供のようなすまし顔で非難を聞き流す猛。
そのまま目を閉じ、自らを抱くように身をすくめた。
「……猛はね、ずっと悩んでたんだ。自分が弱かったせいで、大事な家族が壊れてしまったんじゃないか? 自分がもっと強ければ、母親の期待に応えていれば、今も家族は幸せでいられたんじゃないか? ……って」
淡々と語り、その先は慈しむように、
「その想いが猛を強くした。彼は体を鍛え、知恵をつけ、母親が望んだ完璧な人間になろうとしたんだ。
そうしていつか、立派になった自分の姿を見てもらって……あわよくば、昔みたいな家庭が戻ってくればいいなあ……なーんて思いながら。面白いでしょ?」
言い終えた後、押し殺すように笑った。
冷ややかな笑みに隠れた侮蔑に、明が眉をひそめる。が、猛は構わず高らかに、
「だから、ぼくが協力してあげることにしたんだ!」
「協力……?」
「ぼくが猛になって、誰より強く、誰より素晴らしく、誰より尊い存在になる。そうすればぼくも猛も満足さ。こういうの、きみたちは"ウィンウィン"って言うんだっけ?」
「一般常識が足りていないようだな。お前の理屈は詐欺師のそれだ」
「だとしても、この体はもうぼくの思いのままさ。現にきみはさっきから何もできてない」
「本気でそう思っているのか? おめでたい奴だ」
水龍の突撃をかわしつつ、明は内心の焦りを押し隠していた。
先の台詞は全てハッタリ。それっぽいことをそれっぽく言っているだけだ。
猛がどのようにして操られているのか。どうすれば助けられるのか。そもそも本当操られているのかどうかすら、明には分からなかった。
ただ、今の猛と普段の猛が別物だということだけは分かる。
二重人格か憑依か洗脳か、はたまた謎の毒電波か。原因が掴めなければ解決策も立てようが無い。
(ここで猛を追及したのは大失敗だったな。せめて望美には連絡しておくべきだったか……)
望美と黒鉄を先に帰したのは、彼らを案じてのことだ。
明とて、猛の不審な言動には以前から疑いの目を向けていた。
しかし、いざ猛と争うことになった場合、あの二人……特に黒鉄は深く傷つくだろう。
あの不良はどうしようもない奴だが、猛との友情だけは本物だ。……そんなあいつに汚れ役をやらせるのは、自分の良心が許さない。
(……などとカッコつけていたらこれだ! 見栄を張らずに相談していれば良かったものを……!)
衝動的に頭を抱えたくなるのをこらえ、戦場の把握に努める。
明がいるのは広場の中央。猛は明の正面に立ち、背後にあるため池から複数の水龍を呼び出している。
「と、そういえば水飲み場からも出てきていたな……っ!」
しぶきの音から動きを察知し、すんでのところで右に避ける。
次の瞬間、右後方から音がした。
休憩所の石床が爆発し、地下の配管から水龍が現れていた。
「あはははっ! この時代はいいねえ。"水道管"ってやつのおかげで、どこもかしこも水だらけだ!」
「くっ……!」
カエルのように跳んで止まってを繰り返し、明はひたすら園内を逃げ回る。
また遠くで水龍の姿が見えた。今度はトイレだ。
プレハブの屋根を突き破った水龍は、上空を旋回しながらゆっくりと降りてくる。透明な瞳は地を這う獲物にぴたりと照準を定めていた。
これで水龍の総数は六……いや、今また池から出てきた二体を足すと八だ。
明は全方位を警戒しつつ、猛の操る異能を考察する。
周囲の水を支配する能力。八という数字に龍の似姿。それに加えて、神話において蛇と竜は同一視される。
思い当たるのは、かの有名な蛇神だ。
大いなる自然の象徴であり、大河の氾濫を意味する水神。その名は、
「ヤマタノオロチ……!」
「惜しいけど、違うよ」
全ての龍が猛のもとに集っていく。
地面に伏せってこうべを垂れる八つの首は、ともすれば眠っているようにも見える。
「これは八岐の大河を鎮め、その権能を我が物とした男の力。きみたち下級の荒神とは一線を画す偉大なる三貴士、スサノオの力さ!」
指揮者のように両手を振り上げ、腕先が波のように舞う。
八体の水龍が一つに合わさり、真正面から砲撃のごとく発射された。
──逃げられない。
回避より先に、あるいは観念より先に死ぬ。瞬時にそう判断できるほどの速度だった。
だが、その予測は外れることになる。
「──ふん、どこまでも世話の焼ける男だ」
激突の寸前、割り込んだのは一人の男。明の視界が黒に染まる。
それは、マントの色だ。黒いマントの中央には、赤い筆跡で「武」の一文字が印されている。
男は迫り来る激流にがんを飛ばすと、幹のような腕に力を込めて、
「喝ァッ!!」
気合いと共に振り払った。
水を切るような快音。水龍が軌道を逸らされ、明後日の方向に飛んでいった。
「愚か者めが。だから己は去れと言ったのだ」
大きな背中は咎めるように言って、しかし振り向かない。その声と威圧感には明も覚えがあった。
「武内暁人……!」




