第十二話 虫籠
それから二時間ほど騒いだ後。
明たちはレストランを後にして、橿原市街の中心部を歩いていた。
「……だいぶ長居してしまったな」
傾きつつある太陽を見上げ、ひとりごちる。
雑居ビルの谷間を吹き抜ける風は強く、冷たい。ほんの十分前まで暖かな室内にいたはずなのに、指先はもう熱を失い始めていた。
肌寒さを感じているのは他の者も同じだろう。にも関わらず、一行の足取りは弾んでいた。
「うう、久しぶりにお腹いっぱい食べちゃった……。夏休みの間はずっとダイエットしてたから、リバウンドしないか心配だなあ」
前を歩く晄が物悲しそうにお腹をさすっている。どうやらデザートにパフェを頼んだことを後悔しているらしい。
どう見てもダイエットが必要な体には見えなかったが、ここで体形をどうこう言うとまた望美にセクハラ親父呼ばわりされてしまう。
明が仕方なしに大人しくしていると、代わりに望美が口を開いた。
「大丈夫。一食ぐらいなら、運動すればすぐに取り返せるから。食べた後すぐに動くのが一番効果的なんだって」
「なるほどー、そんなコツがあったんだ。金谷城さんも体重管理に気を配ってるんだね」
「ほどほどに、だけど。食事を減らすタイプのダイエットは絶対にしちゃ駄目ってお母さんに言われてるから、他の部分で帳尻を合わせてるの」
「ええっ!? じゃあカロリー制限もしてないのにそのスタイル保ってるの!? ずるい! 裏切者! 遺伝子チート!」
「えっ、えっ?」
女子二人のほほえましい……かどうかは知らないが、何にせよ険悪とは程遠いやりとりをBGMに、駅前通りへ足を進める。
進む方向は同じだが、揃ってどこかを目指しているわけではない。
ただの流れ解散。各々の帰宅路が途中まで重なっているだけの話だ。
だが、本当は別れがたく感じているのだろう。先ほどまで共有していた、和気あいあいとした空気の余韻に浸っていたいのだ。
(この調子だと、捜査の続きは明日に繰り越しか。この町に戻ってきた時は、全ての時間と労力を犯人探しに注ぎ込むつもりだったんだが、な)
引け目を感じないと言えば嘘になる。だが、楽しいと感じた自分を否定するつもりも無い。
今日は楽しかった。また明日から頑張ろう。それくらい単純に考えてもいいのかもしれない。
あとは、自分の嫌な予感が思い過ごしなら言うこと無しだ。
つれづれに思考を泳がせていると、駅前のバス停が見えてきた。折よくバスも着いたところだ。
「あ、私はバスだからここでお別れだね。みんな、また週明けに!」
晄は二、三歩スキップしてから振り返り、こちらに手を振った。
明は手を上げ、ヒマワリのような笑顔に軽い笑みを返す。明も望美も、彼女の姿がバスの中に消えるまで手を下ろすことは無かった。
「……行っちゃった。こういう時、一人減っただけでも寂しく感じるのはどうしてなのかな」
「脳の認知機能が一時的に混乱しているだけだ」
「夜渚くんって変なところでリアリストだよね。いつもはロマンがどうとか言ってるのに」
「"程よくバランスの取れた価値観を持っている"と言ってくれ」
望美は「この人、かわいそうなんだな」みたいな目をした後、
「私は電車通学だから、このまま真っ直ぐ駅まで行くけど……他のみんなは?」
明は頭の中に周辺地図を描きながら、
「俺は徒歩通学だ。ここからだと、一度耳成山の方に戻らねばならんな」
「俺ん家は線路の向こうだから、駅に着くまでなら一緒に行ってやってもいいぜ。んで、猛は──」
そこまで言いかけて、黒鉄が止まる。
きょろきょろと周りを見渡し、後ろを向いて、「あ?」と間の抜けた声を出した。
つられて明も後ろを見るが、そこには誰もいない。
「……おい、猛?」
いない。
歩道にいるのはどこかの会社員と、他校の生徒が何人か。あとは犬の散歩をしている老婦人だけだ。猛の姿は無い。
「なんだぁ? あいつ、いつの間に帰りやがったんだ……?」
納得いかないといった風に後頭部をかく黒鉄。望美は「あれ?」と首を傾げ、明は無言。
足を止めた三人の傍らを、通行人が次々と通り過ぎていく。
そうして近くに誰もいなくなった時。
「こっちじゃよ」
声が聞こえた。
猛の声ではない。老人の声だ。
「ほれ、こっちじゃと言うとるじゃろうが」
のんきな調子で、民謡でも歌うように、どこかで誰かが、誰かを呼んでいる。
(……いや、呼ばれているのは、俺たちか?)
通りにいるのは自分たちだけだ。車道は閑散としているし、雑居ビルから人が出てくる気配も無い。
明は意識を集中させ、音の出所を探す。
場所はすぐに分かった。車道を挟んだ向かい側にある、立体駐車場だ。
なぜ、そのようなところから自分たちに声をかける? なぜ、姿を現さない?
訝りながら、明は駐車場の入り口に目を向けた。
「……!?」
そこには、目を疑うようなものが転がっていた。
片一方だけの革靴。
革靴のデザインは、高臣学園指定のものにとてもよく似ている。
誰より先に反応したのは黒鉄だった。
「おい、嘘だろ? こいつぁ……!」
止める間もなく黒鉄が飛び出した。
息を切らせて車道を横切り、革靴を拾い上げようとする。
「黒鉄くんっ!?」
「あの馬鹿……!」
一足遅れで明と望美が後を追う。
明自身も動揺していたが、黒鉄に比べればまだ落ち着いていた。
だからこそ、明にはこれから起きることが予測できたし……事実、その通りになった。
「──かかかっ、来おった来おった。めんこい蛍が甘~い水に惹かれて飛んできおったわい!」
三人が駐車場の目と鼻の先まで来た、まさにその瞬間。
白い霧が、彼らの背後から立ちのぼった。




