第十話 小休止
祠を出た三人は、そのまま山を降りることにした。
正規の山道まで戻り、曲がりくねった坂道を歩く。
「"八十神は耳成山に封じられていた"……夜渚くん、これは確定でいいんだよね?」
生徒手帳とボールペンを手にした望美が、二人の後ろから声をあげる。これまで得られた情報を彼女なりにまとめているのだ。
「ああ。さらに付け加えると、耳成山を作った者と祠を作った者、そして八十神を封じた者は同じだと考えていい」
黒鉄との口論を中断した明が頷きを返す。逆に、黒鉄は懐疑的だった。
「するってえと、ミイラマンは超長生きってことになっちまうぜ。そこんところはいいのかよ?」
「死ねば溶けるような連中だ。何だって有りだろう」
「んじゃあよ、てめえが言ってた建築技術が云々~って話はどうなるんだ? 昔の人間にあんなもんは作れねえんだろ?」
「それどころか現代人にも作れん。なら気にするだけ無駄だ」
そっけなく言うと、明は押し黙った。
最後尾を歩く望美に見えるのは、明の背中だけだ。しかし、あまり元気そうな顔はしていないのだろうと思う。
いつもならここぞとばかりに煽り立てる黒鉄が口をつぐんでいるのがその証拠だ。
(……きっと、悔しがってるんだよね)
あの祠で見つけることができたのは、八十神の痕跡と謎の壁画。それ以外には何も無い。
つまるところ、八十神は何者なのか。あの壁画は何を示しているのか。肝心要の部分が明らかになっていない。
「じゃあ、現神は? 夜渚くんは、現神も耳成山から出てきたと思う?」
「祠の中にアメノウズメが入れるような棺は無かった。あれは別口だろう」
「別口……」
明の答えを聞いて、望美は筆を走らせる。手帳の余白に小さい文字で「祠は複数?」と書き込んだ。
「次、行くね。木津池くんが言ってた耳成山発電所説。これも確定?」
「あの青い光を見る限りではな。問題はその電力を何に利用していたのか、だが」
そこで明の言葉が止まる。望美の筆も止まった。
沈黙の中、土を踏みしめる音だけが聞こえる。黒鉄が明を見て、望美を見て、居心地悪そうに体を揺らした。
望美は難しい顔のまま、手帳のメモを見直していた。
決して停滞してはいない。自分たちは確実に前に進んでいる。……ただ、二歩目からいきなりつまづいているだけだ。
正しく二歩目を踏み出すためには、他の祠も調べてみなければならない。
「祠は複数?」と書いたばかりのページに戻ると、疑問符に斜線を引く。そして、上から「三つ」と書き加えた。
壁画に描かれていた三つの山。この橿原市において、三つの山が意味するものは大和三山以外に考えられない。
耳成山、畝傍山、天香久山。大和王権誕生の地である飛鳥地方を代表する山々だ。
耳成山に祠があるということは、残りの二つにも何かしらの遺跡が隠されているのだろうか。
顔を上げ、明に問いかけようとした時。下方から声が聞こえてきた。
「おーい、夜渚くーん!」
見れば、ふもとの道から晄が走ってきていた。彼女はこちらに手を振り、軽快に坂を駆け上がる。
後ろにいるのは猛だ。テンションの高い晄とは違い、ペースを崩さず堅実に歩を進めている。
こちらを見た猛は一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐに苦笑し、投げやりに手を振ってきた。
「どうした晄、走り込みか? 園芸委員も大変だな」
天然なのか冗談なのか、どこかズレた発言を飛ばす明。晄は怒ったように頬を膨らませて、
「もう、そんなわけないじゃない。夜渚くんと黒鉄くんのことが心配だったから、こうして様子を見に来たの」
「ああん? 転校生の馬鹿はともかく、なんで俺の名前が出てくるんだ?」
「我が身を顧みることすらできんとは哀れだな黒鉄。大方、お前のやらかしたなんやかんやが巡り巡って、各方面にトラブルを引き起こしているんだろうよ」
「二人ともですっ!」
腰に手を当て、鋭く叱責。二人はぴたりと大人しくなった。
「新田さんが怒るのも無理無いよ。僕たちは運悪く巻き込まれたわけだし」
ようやく追いついてきた猛が、詳しい説明を始めた。
「僕も後から聞いたんだけど、二人とも、正門のところで取っ組み合いの喧嘩してただろ? あれを見てた同級生が『もしかして決闘でも始める気なんじゃないか』って大騒ぎしてさ。それで、二人と仲のいい僕たちが仲裁に駆り出されたんだ」
「あー、あれかよぉ……」
声を漏らし、天を仰ぐ黒鉄。
「金谷城さんもいるみたいだし、たぶん大丈夫だとは思ったんだけど……リョウの場合、万が一ってこともあるから。まあ、何事も無かったようで何よりだよ」
「俺の信頼度は金谷城の下かよ。冷てえなぁ」
「親友だからこそ、リョウの人となりを正確に理解してるんだよ。……それはそうと、結局きみたちは何をしてたんだい?」
猛の瞳が好奇心に光る。少しの茶目っ気を含んだ、子供っぽい目つきだった。
こんな目をする猛を、望美は初めて見た気がする。
普段は大人びているように見えるが、案外仲のいい友人の前では年相応の振る舞いをするのかもしれない。
そう思いながら適当な言い訳を考えていると、先に黒鉄が口を開いた。
「へへっ、聞いて驚くなよ。遺跡探検だっ!」
「遺跡探検!?」
猛と晄が同時に叫び、望美は唖然と口を開く。明は頭を抱えてよろめいていた。
(──あっさり喋るの!?)
怒鳴りたくなる気持ちをぐっとこらえ、脳細胞をフル回転。
吐いた言葉は取り消せない。それならせめて、決定的な秘密だけは守られるように話を誘導するしかない。
「夜渚くんはこの辺の地理にまだ詳しくないみたいだから、私と黒鉄くんとで色々案内してたの。そうしたら、黒鉄くんが『面白いものを見せてやる』って言って……」
話しながら、不自然にならないような筋書きを組み立てていく。
現神や八十神の存在は、なんとしても秘匿しなければならない。晄たちの安全のためにも。
明もそれを感じてか、望美に話を合わせてきた。
「ああ。遺跡というほど大層なものでは無いが、それなりに面白いものを拝見させてもらった」
「ふうん……それで、地下には何があったんだい? 手ぶらで帰ってくるあたり、金銀財宝の類ではないみたいだけど」
猛の質問に、明がはたと口を閉じる。ここに来て黒鉄も自身の失言に気付いたらしく、慌てて明のフォローに回った。
「そりゃあもちろん……その、土器とかだよ。マジ地味だから、わざわざ見に行く価値はねえぞ。いやマジで」
「そうなの? でも黒鉄くん、夜渚くんには"面白いもの"って言ったんだよね?」
「ぐっ……それはだなぁ……」
こちらに視線でレスキューサインを送る黒鉄。望美は応じて、
「黒鉄くんは性格悪いから」
「ああ……」
その一言で猛と晄は納得してくれた。黒鉄は怒りながら感謝していた。
ひとまず二人の好奇心が満たされたところで、明が提案する。
「……………………こんなところで立ち話もなんだ。どこか落ち着ける場所で、飯でも食いながら話をしないか?」
直後、猫が喉を鳴らすような音が聞こえてきた。音の在り処は、黒鉄の下腹部だ。
ああ、そういえば自分もまだお昼ご飯を食べていなかったな──と、望美は苦笑しながら思った。




