第九話 三つと一つ
耳成山を登り始めてから十分後。明たち三人は祠の前に立っていた。
ここに来るまでの間、八十神や現神が襲撃してくることは無かった。
途中、明と黒鉄が軽い諍いを起こすことはあったが、目立ったトラブルといえばそれくらいで、総じて見れば平和な道行きだった。
「見れば見るほどいわくありげな場所だ。いったい何なんだろうな、ここは」
石の祠は初めて見た時と変わらぬまま、そこに存在した。
よく磨かれた石材に覆われた、三角形の入り口。内部は暗いが、通路が下に続いていることは確認できた。
明は腰を下げ、周囲の地面に目を落とす。
「夜渚くん、何か見つけたの?」
スカートを押さえた望美がこちらを見下ろしていた。明はその隙間をチラ目しながら、
「足跡でも見つかれば……と思ったんだが、あれから誰かが出入りしたような形跡は無いな。前にも言ったが、この場所は既にもぬけの殻なのかもしれん」
「そう……。じゃあ、やめておく?」
「いや、探索は続行する。手がかりが全て失われているとは限らんし、横やりが入らないのはむしろ好都合だ」
丸々一週間の足止め期間は、明のモチベーションを極限まで高めていた。
その瞳は飢えた獣のように燃えたぎり、祠の奥目がけて這い回る。髪の毛一本、爪の一かけらとて見逃すつもりは無かった。
「黒鉄、お前はここに何度も足を運んでいたんだったな。祠の中には何があった?」
「いや、俺も知らねえ」
「知らない? ……まさか、この先は行き止まりになっているのか?」
「そもそも入ったことがねえんだよ。めんどくせーから」
当たり前のように言う黒鉄に、明は言葉を失った。
「……嘆かわしいな。昨今の若者は物事に対する興味を失っていると聞くが、まさにその通りだったようだ」
「なーにが"昨今の若者"だ。てめえも同い年だろうがよ」
「お前と俺では人間としてのレアリティが違う。分かったらさっさと行くぞ黒鉄【コモン】」
「指図するんじゃねえよ転校生【ノーマル】。まとめて売却すんぞ」
二人は先を争うようにして祠の中に入っていく。後ろで望美【制服ver】のため息が聞こえた。
通路は真っ直ぐな一本道だった。床も壁も、全てが冷たい石造り。
十メートルも進まないうちに外の光は見えなくなり、完全な暗闇になった。
明は用意していた懐中電灯を手に、緩やかなスロープをさらに下っていく。
分かれ道も、壁を彩る装飾品も、侵入者を撃退する罠も存在しない。ただひたすらに、下へ、下へ。
かれこれ百メートルは進んだだろうか。位置的には山頂の真下あたりに行き着いたところで、ぼんやりとした光が見えてきた。
光の色は、青。
白い霧と同時に現れる青い光を連想したのか、望美の顔色が変わる。
「そう身構えなくとも、霧は出ていない。敵も出てこないだろう」
「でも、だったらどうして」
戸惑う望美に答えつつ、明の足は迷いなく進む。
不安は無かった。光の正体についてはおおよその見当がついている。
「霧は青い光を呼ぶ。ただし、青い光はそれ以外の状況でも発生する。そういうことだと俺は考えている」
「それ以外の状況って、たとえば?」
「そうだな、たとえば……」
言いかけた時、靴底に伝わる感触が変化した。
傾斜から平行へ。下り坂が終わり、新たな区画に到着したのだ。
直線通路を何歩か進むと、大きく開けた空間に出た。
一辺が数十メートルはある、正方形の広間だった。
一面に広がるのは、青い光の束。四方の壁と天井に固定された金属棒が、トーチのように発光していた。
望美が息を飲む中、明は言葉を続ける。
「……たとえば、物体が強い電気を帯びた際、青白い発光を伴う放電現象が起きることがある。一般的には"セントエルモの火"と呼ばれているな」
「げっ、響きからしてうさんくせえ。てめえまで木津池みてえなこと言い出すんじゃねえよ」
不味そうに舌を出す黒鉄。明は気にせず、
「浅学だな黒鉄。これはオカルト用語ではなく、れっきとした物理現象だ。高山地帯などで気圧が乱れた時、しばしばセントエルモの火を見ることができるらしい」
「それこそ世も末じゃねえか。ビカビカ光るのはパチンコ屋だけで十分だっての」
「お前も強情だな……。何にせよ、耳成山はとてつもない電力を蓄えているようだ。普通、こういった放電現象はごく短時間で収まるものなんだが」
広間に入った明たちは、壁沿いを時計回りに歩いていく。
青い光が映し出すのは、切れ目も継ぎ目も無い殺風景な石の床だった。
「手抜きなデザインだぜ。ワイヤーフレームのダンジョンRPGかよ」
「手抜きなものか。それどころか驚くべき精巧さだ」
たとえ現代の技術を総動員したとしても、建材の接合部を完全に消し去ることは難しい。
そのうえ、ここは地下空間だ。常日頃から高い圧力に耐え続けなければならない。
一年や二年なら大きなひずみは生じないだろうが、千年ないしは二千年となると……
(と、思っていたが……ここにはヒビ割れも、崩落の跡も無い。新築同然だ)
カビたような空気の匂いと土埃の量から推察するに、この空間が過去の遺物であることは疑いようがない。
それでも疑いを持ってしまうのは、この遺跡が時代にそぐわない異物だからだ。
「木津池の"耳成山人造説"を信用するなら、この地下空間が作られた時期は軽く見積もっても飛鳥時代以前、千五百年以上昔になる。
そんな時代に、これほどまでに高度な建築技術が存在したというのか? 有り得ん有り得ん、コンクリートすら無かった時代だぞ」
「私は……そこまで驚くことでも無いと思う。現神や白い霧と同じで、不思議なことがまた一つ増えただけでしょう?」
望美は涼しげに言って、歩く速度を上げた。
気持ちのいい割り切り方だ。こういった姿勢は自分も見習わなければな、と思いながら、明もその後を追う。
広間の隅には長細い台座がずらりと並んでいた。
近付いてみると、台座だと思っていたものは石棺だった。棺の蓋は、一つ残らず開いている。
「お、これゲームで見たことあるぜ。アレだろ、ゾンビ出てくるやつだろ?」
「嬉しそうに指をさすな黒鉄。それに、中は空っぽだぞ」
棺の中には何も無い。四隅のくぼみに粉のような砂粒が残っているだけだ。
端から順に見て回るが、幸か不幸か中身入りの棺に出くわすことは無かった。明は黒鉄に気取られぬよう、密かに安堵した。
……と、最後の一つまで来て、明は奇妙なものを見つけた。
布の切れ端。薄汚れているが、それは白い布だった。
「どう思う?」
布きれをつまみ上げ、二人に見せる。答えは聞くまでもなかった。
「八十神、だね。やっぱりここから出てきたんだ」
「おいおい、じゃあナニか? てめえらはミイラと戦ってたってことか?」
「いや、八十神はミイラではない。奴らは出血もするし、呼吸もしていた。第一、湿度の高い日本でミイラを作ることは不可能だ」
「だがよ、生きてる奴を棺桶にブチ込む馬鹿がどこにいるってんだ? 葬儀屋が黙っちゃいねえぞ」
「普通じゃなかったから、閉じ込めたのかも。誰の目にも触れない場所に」
つぶやいた望美の顔は、逆光になって見えなかった。
その後も壁際の探索を続けたものの、石棺以外に目を引くようなものは見つからず、気付けば広間を一周していた。
明は最後に、広間の中央を調べてみることにした。
足を進めていくと、宙空にうっすらと線のようなものが見えてきた。近付く毎に線は大きくなり、太く長い輪郭を露わにしていく。
石の柱だ。天井から真下に向けて垂れ下がり、床から三メートルほどの高さで途切れている。
柱の下では、わずかに盛り上がった床石が三角形の台座を作っていた。
「これって……祭壇かな」
「そう見えなくもないが……祈りを捧げるためのご神体が無い。あるのは柱くらいだ」
あごに手をやりながら、柱の底を見上げる。
そのまま後退し、徐々に俯瞰の範囲を広げていった。
「……何か描いてあるな」
場所は天井だ。柱の根元付近に、ごくシンプルな壁画が彫り込まれていた。
明は目を細め、壁画の内容を見極めようとする。
三つの山と、その中心に立つ一本の柱。
山と柱の周りには、人も含めた多くの生き物が描かれていた。中には怪物のような姿の者まで。
(現神か? ならば人の形をしているのは、荒神? だが、これは……)
壁画はかなり抽象的だったが、少なくとも両者は敵対的な関係に無い。直感的にそう思った。
それどころか。
まるで、互いに手を取り合っているような……そんな気持ちが沸き上がってくるのだ。




