第八話 電気貯めてる?
一階に降りた明は、西昇降口から校舎の外に出た。
アスファルトの舗装路を真っ直ぐ進み、駐車場の前で左折。正面に見える並木道を抜ければ、学園の正門に辿り着く。
人の流れは北から南、校舎の中から学園の外へ。部室棟に向かう者も何人かいたが、いくつかの運動部は事件のあおりを受けて縮小活動中だ。
明も皆にならって、流れに身を任せた。
ゆらゆらと漂いながら、考えるのは事件のこと。
七年前と現在。鳴衣の死と荒神殺し。二つの事件は白い霧というキーワードで結ばれている。
人を閉じ込め、電波の行き来すら遮断する謎の霧。現神が獲物を逃がさぬために作り出したであろう、超常の網。
(あの霧は、現神や八十神と切っても切れない関係にある。あれがあるからこそ、奴らの姿はこれまで誰にも目撃されることが無かった)
霧のからくりを解明することは、敵の正体を知ることにも繋がる。そう考えた明は、頭の中でいくつもの仮説を立て……
立てようとして、あることに気が付いた。
(……妙だな。誰も霧の話をしていない)
鳴衣が殺された時も。そしてアメノウズメの時も。
マスコミはこぞって大騒ぎしていたというのに、どのテレビ局も、新聞も、ラジオもSNSも掲示板も──
白い霧について、一言も触れていないのだ。
明は思い出す。望美と出会い、耳成山のふもとで八十神と戦った時のことを。
あの時も霧が出ていた。そして霧が晴れ、すぐ外を歩いていた生徒たちは、中で行われていた戦闘に気付いていなかった。
(霧のせいで見えなかったのではなく、霧そのものが見えていなかったのか……?)
荒唐無稽だ。が、それ以外に考えられない。
あの日の夕方、耳成山と高臣学園は一時間ほど霧に覆われていた。その間、近くを通りがかった人間が一人もいないはずが無い。
霧が見えれば、おかしいと思うはずだ。入れなければ、驚くはずだ。
(だが、そんな証言は出てこなかった。どういうことだ? 分からん。分からんすぎて頭がこんがらがってきた……)
頭脳労働は苦手だ。肉体労働も苦手だが、頭を使うことに比べればまだマシだ。
なけなしの知恵を絞り出していると、いつの間にやら並木道の終点近くまで来ていた。
このあたりまで来れば、人の流れはゆるやかになる。待ち合わせていた友人と合流するか、立ち止まって誰かを待つ側になるか。たいていはどちらかだ。
視線を巡らせば、見知った顔が三人。
まず一人目。葉の落ち始めた桜の下で、望美が小さく手を振っていた。
「おかえりなさい、夜渚くん。会長さん、何の話だったの?」
「例によって面倒事だ。詳しい内容は後でな」
敬礼のように手を上げ、望美に応えた。
明は次に、道のど真ん中でドヤ顔を浮かべている二人目……を無視して、スマートフォンをいじっている三人目に声をかけた。
「どうした木津池、何か言いそびれたことでもあったのか?」
「当たらずとも遠からずかな。どうせ君たち、これから耳成山に行くんでしょ? だったらこの話を聞いておいて損は無い」
「それは興味深いな。ぜひとも聞かせてもらおうか」
「待ちやがれ! シカトぶっこいてんじゃねえぞクソ転校生っ!」
「ええい、鬱陶しい! 今取り込み中だ!」
明は怒鳴って、掴みかかってきた二人目──黒鉄を払い除けた。
「飽きもせず懲りもせず何度も何度もしつこいぞ黒鉄! ヤンキーはヤンキーらしくコンビニの駐車場でウンコ座りでもしていろ!」
「するかボケッ! どんだけ古くせえイメージ持ってんだよ!?」
「じゃあなんだ、牛丼屋の駐車場か?」
「駐車場から離れろや!」
正門のレールを挟んでにらみ合う二人。と、そこで望美がストップをかけた。
「夜渚くん、違うの。黒鉄くん、私たちを手伝ってくれるんだって」
「……手伝う?」
オウム返しに反芻し、言葉の意味を咀嚼する。
"手伝う"と"黒鉄"。これ以上に食い合わせの悪いコンボが存在するだろうか。噛めば噛むほど苦味汁が出てきそうだ。
「はっはっは、望美は料理下手だな」
「その意味不明で失礼な発言の報いは後で受けてもらうとして……黒鉄くんが一緒に耳成山まで来てくれるってこと」
黒鉄はポケットに両手を入れたまま、不服そうに鼻息を吹かした。
「あの場所は俺様のベストプレイスだからよ。勝手に荒らされるよりは、直接ついていった方が安心するっつーか……あとまあ、借りみてえなもんもあるような無いような……」
そう言って顔を背けた。尻すぼみな口調が伝えるのは、紛れもなく彼の本心だった。
明は少し、ほんの少し、本当に少しの少しだけ黒鉄に感謝してやると、
「よろしく頼む」
「はっ、任せときな。蛇女でも蛇男でもまとめて刺身にしてやるよ」
視線をぶつけ合う。それだけで挨拶は終わった。
横で見ていた望美が理解に苦しんでいたが、こればかりは口で説明しても分からないだろう。
「蛇? 耳成山にマムシでも出るのかい?」
「そんなところだ。それより木津池、お前の言っていたお役立ち情報とやらを教えてくれないか?」
「あ、ああ。いいけど……」
四人は正門から数歩離れ、並木の裏に腰を降ろした。
「先週中庭で話したこと、覚えてるかな? 実はあの後、俺も個人的に耳成山を調べていたんだ」
「何だと? では、お前もあの日耳成山に登っていたのか?」
「いやいや、デスクワークで、って意味だよ。山登りは苦手だから。暑いし疲れるし、虫も出るし。虫ってなんであんなに気持ち悪いんだろうね?」
「おいオカルト野郎、いきなり話が逸れてるじゃねえか」
「ああ、ごめんごめん。……それで、色々考察した結果、耳成山にまつわる新たな仮説を思いついたんだ」
「仮説?」
望美が座ったまま首を伸ばし、木津池の顔を見つめる。そして、
「耳成山は発電所かもしれない」
「……木津池くん、疲れてるんじゃないかな」
「ち、違っ……! これはいたって論理的な帰結なんだって! いやホント!」
「まあ待て望美。正気を疑うのは木津池被告の答弁を聞いてからでも遅くはないだろう」
「被告でもないよ! 推定無罪の原則を守ってほしいんだけど!?」
木津池は乱れた呼吸を鎮めた後、
「遠回りな説明になるけど……君たちは圧電効果って知ってる?」
「何かのドキュメンタリー番組で聞いたことがある。たしか、スピーカーやマイクの仕組みに利用されていたような」
うなりながら記憶を掘り返す明。木津池は「正解」と言って、
「水晶をはじめとする特定の物質は、圧力や振動を電気に変換したり、逆に電気を振動に変換する性質があるんだ。そういう物質をクォーツクリスタルって呼ぶんだけ、ど!」
並木道を作る敷石に、勢いよく拳を落とした。生まれるのはごく小規模な振動。
「地球の自転、プレートの移動、地中深くで発生する無数の地震。みんなも知っての通り、この大地は絶えず活動を続けている。活動とはイコール振動だ」
望美がはっと顔を上げ、
「そのクォーツクリスタルを地面に埋めておけば、電気が作れる?」
「大ざっぱに言えばね。既存の発電所に匹敵する電力を生み出そうとすれば、それこそ何百トンものクォーツクリスタルが必要になる。そう……エジプトにある、ギザのピラミッドのように」
「ここでまたピラミッドが出てくるのか……」
すさまじい執念だ。木津池はどうあっても耳成山とピラミッドをリンクさせたいらしい。
毒食らわば皿まで。もはやツッコむ元気も無くなった明は大人しく話を聞くことにした。
「ピラミッドの表面は石灰岩で覆われているけど、その内部はクォーツクリスタルを多量に含む花崗岩で作られている。
一説によると、ピラミッドは内部構造の共振現象と圧電効果を利用して、地中の振動波を電力に変えていたらしい。まさに古代の振動発電所だ」
どんどん早口になっていく木津池。黒鉄はおぞましいものでも見るかのように顔を歪めて、
「てめえがイカレてるってことはよーく分かったけどよぉ、ピラミッドが発電所だろうが遊園地だろうが、耳成山とは関係無くねえか?」
「私もそう思うかな。仮に耳成山がピラミッドだったとしても、発電所として作られたとは限らないんだし」
「耳成山が花崗岩を主成分とする岩山だったとしてもかい?」
「……それ、本当?」
あっけに取られたような望美を見て、木津池は得意げだった。しかしすぐに笑みを消すと、
「だから、君たちに確認してきてほしいんだ。俺の見立てが正しければ、耳成山にはピラミッドと同じように内部への入り口が存在する」
明は例の横穴を頭に浮かべながら、無表情を作り、
「……中には何があると?」
「共振を起こすための空洞が広がっていると、俺は考えてる。……虫のせいで見つけることはできなかったけど」
「いや、虫は関係無いだろう」
「大有りだよ! あいつらがそこらじゅうを飛び回ってるのにまともな捜索なんてできるはずないだろぉ!!」
裏返った金切り声が響き渡る。
その瞬間、近くを歩いていた全員が振り返った。しかし、声の主を見るなり「ああなんだ木津池か」と納得して興味を失っていく。
訓練されているな、と明は感心しつつ、木の根元から腰を上げた。
「耳成山で洞窟探しか……。現時点では否定も肯定もできんが、記憶には留めておこう。それでいいか?」
「もちろん。君たちの探し物のついで、気楽なサブイベントだと思ってくれればいい」
「了解した。では、行ってくる」
サブイベントどころかメインイベントの目的地だったが、言ってしまえば木津池は後をつけてくるだろう。それだけは避けたかった。
しかし、たとえそうなったとしても、尾行は失敗に終わるだろうと明は思っていた。
あの横穴を見つけることができたのは、明と望美、黒鉄の三人だけ。皆、荒神だ。
なぜ、荒神だけが。その疑問は宙ぶらりんのままだが、一般人に見つけられない理由は推測できる。
おそらく、原因は磁気異常だ。
生物の体には、地磁気を感知する能力──生体コンパス機能が備わっている。
渡り鳥が海の上で迷子にならないのは、生体コンパスによって正確な方位を割り出しているからだ。
人間も同じだ。渡り鳥ほどではないにしても、方向感覚の一部を地磁気に依存している。
ならば、逆説的にこう表現することもできる。
地磁気が乱れるほどの強烈な電磁場にさらされた場合、生物は方向感覚を狂わされてしまうのだ──と。
(耳成山は発電所、か。木津池よ、お前の仮説は大当たりかもしれんぞ)
明は大きく一歩を踏み出し、山道の入り口に足を掛けた。




