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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
第二章 濁流は雷雲と共に
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第四話 混迷

 望美の提示した待ち合わせ場所は、四階にある空き教室の一つだった。

 扉を開けると、粉埃が霧雨のごとく舞い降りてきた。もう長いこと使われていないのだろう。

 明は肩に積もった白塵を払い、汚れた指をウェットティッシュで拭き取る。軽く身だしなみを整えてから、改めて教室に入った。

 望美は廊下に背を向けて、教室の窓際にたたずんでいた。

 ガラス越しの淡い光がセーラー服の輪郭を形取り、ほっそりとしたボディラインを際立たせる。

 彼女は明の来訪に気付くと、顔だけをこちらに向けた。

 フラットな表情はいささか情緒を読みづらいが、少なくとも怒ってはいないのだろうな、と明は解釈していた。


「夜渚くん、男の子なのに綺麗好きなんだね」


「男子に対する偏見だぞそれは。我々とて最低限のマナーとエチケットは心得ている」


「ごめんなさい。でも、男子はトイレで手を洗わないとか、そういう話をよく聞くから」


「そんなものは云われなき中傷……ああ、うん、中傷だな?」


「どうして詰まったの?」


「埃が気管に入ったんだ。他意は無い」


「そう」


 壮絶にどうでもよさそうな「そう」だった。

 明は扉を施錠すると、教室内を隅々まで見て回る。

 取り立てて不審な音を察知したわけではないが、念を入れるに越したことは無い。掃除用具入れに教卓の裏、カーテンの陰まで抜かりなくチェックしていく。


「……うむ。ミイラ男も蛇女もトイレの花子さんもいない。この場所の機密性は十全に保たれている」


「そこまで神経質にならなくてもいいと思う。霧はまだ出てないんだし」


「そうかもしれんが、お邪魔虫は人外に限った話ではないからな……」


 屋上では黒鉄と鉢合わせ、続く中庭では木津池に盗み聞きされていた。さすがに三度目はこりごりだった。

 と、そこまで思い返して、とある事実に気付く。

 自分は手紙で女子に呼び出され、放課後を中庭で過ごした。そして今度は、空き教室に二人きりという、誰もが羨むシチュエーションを体験している。


「なんだ、羅列してみると圧倒的リア充ムーブじゃないか。この学園も捨てたものではないな」


「夜渚くん……よく分からないけど、思考が飛躍してない?」


「飛躍ではない、癒しの探求だ。非モテ系スクールライフという不毛の荒野を生き抜くためには心の栄養が必要なんだ」


「それ、現実逃避っていうんじゃないかな」


「手厳しいな。というか、俺に対する反応がどんどん辛辣になっているような気がするんだが……気のせいか?」


「夜渚くんが悪いみたいなところもあると思う。とりあえず、セクハラはやめよう?」


 憐れむように眉を下げてから、望美は体ごと向き直った。真面目モードだ。


「結局、あれから一度も耳成山に近付けなかったね。どこもかしこもカメラマンでいっぱい」


「だが、奴が残した言葉の意味を調べる時間はできた。それでいいということにしておこう」


「荒神に現神、それと八十神……だっけ」


 つぶやき、望美は生徒手帳を開く。後ろのメモ欄は、几帳面に字詰めされた解説書きで埋まっていた。


「ほう、よくここまで調べ上げたな。どの文献を漁ったんだ?」


 軽く息を飲む明に、望美は真顔で、


「インターネット検索」


「おい」


「そう言う夜渚くんはどうやって調べたの?」


「……インターネット検索だ」


「ほら」


 両者はにらみ合い、ややあってから話を再開した。


「荒神っていうのは、火を司る神様とか、土着の神様とか……あと、人を祟るような荒々しい神様って意味もあるんだって」


「候補が多すぎるな。荒神という単語自体に特徴的な属性が備わっているのかと思っていたが」


「私も。……それで、八十神っていうのは」


 望美がページをめくる前に、明が説明を引き継いだ。


「オオクニヌシと呼ばれる土着神の兄弟……古事記では、彼らのことを八十神と呼んでいるな」


「八十って書くぐらいだから、八十人いるのかな」


「さあな。古事記の口語訳を読んでみたが、具体的な人数には言及していなかった。そもそも、伝承の八十神とあのミイラ男が同一である保証も無い」


「それじゃあ、現神(うつつがみ)は? 私の方はそれらしいのを見つけられなかったんだけど」


「こちらも同じだ。おそらく現の神と書くのだろうが……」


 明は苦い顔で首を振ってから、ブレザーの内ポケットに手を入れた。そこにはアメノウズメの遺した勾玉が入っている。

 この勾玉も、解けない謎の一つだった。

 ヒスイのようにも見えるが、鉱物にしてはやけに軽い。かといって骨や軟骨ではない。見た目以上に柔らかく、力を入れると簡単に割れてしまいそうだ。


(先入観を抜きにすれば、装飾品よりも海外のスナック菓子に近いのだが)


 試しにかじってみるか? と自問し、悩んで、最終的にはやめておいた。万が一毒だった場合、食あたりでは済まなそうだ。


「思いのままに進まぬものだな、何もかも」


 勾玉はそのままに、襟から手を抜く。揉み合うように動く指先は、かすかな苛立ちを匂わせていた。


「まあいい。クロスワードパズルの定石にのっとって、難易度の低いワードから攻めていこう」


「フツヌシと、オモイカネだね」


 明はうなずき、手振りで解説を促した。明にとっても既知の情報だが、微細な部分も含めて共有しておくことは重要だ。


「フツヌシは、日本書紀に出てくる剣の神様。元は高天原(たかまがはら)……天の国にいた神様だったけど、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するために地上に降りてきたんだって」


「かみ砕いて言うと、日本を統治するために派遣された将軍だな。刃物に戦いとは、野蛮な黒鉄らしい類似点だ」


 不機嫌そうに言う明をよそに、望美は続けて、


「オモイカネは、知恵を司る神様。他の神様に助言をするのが役目みたい」


「こちらは望美にぴったりだな。念動力は思念力とも言うし、頭を使うという点では共通している」


「"重い"がぴったりだなんて、個人的には複雑」


 不平を込めた小さな吐息。明は笑って、


「語呂が似ているだけだ。安心しろ、男性である俺から見ても君は魅力的な体をしている」


「そのいやらしい視線が無ければ素直に喜べるんだけど……」


「美しいものを鑑賞して理性的充足感を得ているだけだ」


「屁理屈ばっかり……」


 むず痒そうに目をそらす望美。あまり褒められることに慣れていないのか、顔も少し赤い。

 明は自らの言葉がもたらした効果にいたく満足し、いやらしい視線を強め……ようとしたが、すぐににらみ返されたので泣く泣く通常営業に戻った。


「さて、これで一通りおさらいできたな。ではここで問題だ。望美、これらの情報から導き出されるものは何だ?」


「日本の神話とか、昔話?」


「正解だ。アメノウズメ、オモイカネ、フツヌシ、八十神。事件にまつわるワードの大半が、古事記と日本書紀……いわゆる記紀神話に関係している」


「偶然……じゃないよね」


「無論、必然だ。単なるお遊びのネーミングであれば、何も日本の神話だけにこだわる必要は無い。連中の目的あるいは組織の理念に類するものが、記紀神話の内容に合致していたのだろう」


「なら、敵は宗教的な人たちってこと?」


 明は即答せずに考え込んだ後、難しい顔で、


「いや……その可能性は低いと考えている。古事記や日本書紀はあくまで歴史書であり、神道の説法や教義を書き記したものではない。カルト団体の聖典には不向きだ」


「神様の名前だけ借りて、それっぽい教義をでっちあげたのかも」


「む、そういうこともあるか。……くそ、また一からやり直しだ」


 行き詰まりを感じ、天井を仰ぐ。これでは堂々巡りだ。

 記紀神話に目を付けたのは悪くないと思う。だが、そこから推理を広げていくための道しるべが見当たらない。


「五里霧中、か。もう霧はこりごりなんだが」


 霧といえば、あの白い霧の正体も考えなければならない。

 こちらはさらに難問だ。ヒントらしいヒントといえば白い霧、青い光、謎の空間というあやふやな要素だけ。何を始点にすればいいのかも分からない。

 泥沼にはまっていく思考。考えれば考えるほど、脳細胞が鈍化していくような錯覚すら感じてしまう。

 情報が足りない。知識も足りない。

 足りないだらけの自分たちに残された唯一の手段は、誰かに助けを求めることだ。


「……背に腹は代えられん。こうなれば、奴に頼るしかないな」


「奴? ……あ、もしかして」


 ひらめきの声をあげる望美。

 そんな彼女に対し、明は「静かに」と人差し指を立てると、腰を低くしながら扉の陰に身を隠した。

 それから十秒ほど経過しただろうか。廊下側にある窓の向こうに、何者かの姿が見えた。

 曇りガラスに映るのは、男子生徒の長いシルエット。男は足を忍ばせ、丸い筒のようなものを窓に張り付ける。

 その瞬間、明は勢いよく扉を開けた。


「そこまでだ、この出歯亀(でばがめ)野郎」


「どひぇっ!!」


 男が盛大にすっ転ぶ。

 その拍子に彼の手が滑り、持っていたものが床に叩きつけられた。

 それは小さな機械だった。姿形は携帯式のオーディオプレーヤーに似ているが、側面にはイヤホンの他に、聴診器のような集音器具が接続されていた。


「あ……あはは。いやあこんなところで出会うなんて奇遇だね夜渚くんっ! これもアカシックレコードのお導きによるものかなっ!?」


「何がアカシックレコードだ馬鹿。集音マイクまで持ち出して盗み聞きとはいい度胸だ」


 腕を組んで睥睨(へいげい)すると、盗聴犯は観念したようにうつむいた。

 逃亡の意思が消えたことを確認してから、明は笑みを見せた。


「とはいえ、ベストなタイミングだ。喜べ木津池(きずち)。今日は特別に、お前の好きなオカルト談義に花を咲かせようじゃないか」


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