第二十話 運命のひとしずく
畝傍山の入り口付近。砂利敷きの参道から空を見上げる斗貴子の姿があった。
空を閉ざしていた雲は散り、徐々に晴れ間が見え始めている。
依然として飛来御堂は空を飛び続けているが、今のところ何かが起きる気配は無い。
「飛来御堂、動きませんね。全て終わったということでいいんでしょうか?」
視線を落とし、相棒に問いを投げる。車道の脇で熱心にスマートフォンを操作しているのは望美だ。
望美はふんふんとうなずきながら画面を見ていたが、すぐに理解を得た顔で、
「白峰さんが言うには『万事丸く収まりましたわ』だって」
「私たちの出る幕は無かったってことですか? あんな少人数でよくやりましたね」
当初は天之御柱以来の死闘を覚悟していた斗貴子だったが、結局こちらには何も現れなかった。天香久山に向かった猛たちも同じく待ちぼうけを食らっていたとのこと。
つまるところ陽動は大失敗であり、全ての敵が耳成山に集中していたようだ。
帰ったら木津池をどんな風に詰ってやろうかと斗貴子が思案していると、望美のスマートフォンが再度の通知音を響かせた。
「あ、ここで続報。まだ黒幕が残ってて、夜渚くんと新田さんが飛来御堂に突入したんだって」
「全然丸く収まってないじゃないですか!」
「実質消化試合みたいなものだと思う」
色めき立つ斗貴子とは対照的に、望美はのほほんとした様子でポップなスタンプを返信していた。
「……望美さんは2人が心配じゃないんですか?」
「どうして?」
「だって明さんですよ? ただでさえ明さんは明さんなのに、戦いに慣れてない晄さんまで一緒だなんて」
「私が心配なのは新田さんがセクハラ被害に遭わずに済むか。ただそれだけ。黒幕は夜渚くんが適当に何とかするはず」
「どうしてそこまで明さんを信じられるんですか? あ、いえ、全然信用してない部分もありますけど……」
色々な意味で複雑な表情を浮かべる斗貴子に対し、望美は事も無げに、
「だって夜渚くんはジョーカーだから」
「……なるほど」
いかにも望美らしい、的確な例えだと思った。
異能の強弱だけで言えば、明はそれほど強い荒神ではない。しかし、彼の大胆な発想と勇敢さは数多くの逆境を覆してきた。
彼には「この人なら何とかしてくれる」と思わせる何かがある。そして、その才能は絶体絶命の状況でこそ輝くものなのだ。
「それなら納得ですね。明さんは私たち全員にとっての切り札。どんな役にも打ち勝てる最強のワイルドカードなんですから」
「えっ?」
「えっ?」
顔を見合わせ、互いに沈黙。
何かが嚙み合っていない。そんな気がした。
しばしの間を置いて、望美が若干申し訳なさそうに口を開いた。
「ごめん。ちょっと誤解を招く表現だった。私が言ってるのはトランプのジョーカーじゃなくて職業のジョーカー」
「職業の……道化師ってことですか? 明さんが?」
つまらない冗談とセクハラが得意な道化師なんてそれこそ性質の悪いジョークだと斗貴子は思ったが、望美は大真面目な顔をしていた。
「道化師の仕事は人を笑わせるだけじゃない。偉い人を馬鹿にして、怒らせて、彼らの傲慢さを戒めるのが本来の役目」
「あー……そういうことですかー……」
望美の言わんとすることが分かってくるにつれ、斗貴子は苦笑を抑えきれなくなっていた。
「つまりジョーカーは煽りの天才。賢い人ほどドツボにハマる。相手にするだけ馬鹿を見る。陰で策謀を巡らせる人にとって一番相性の悪い相手、それが夜渚くん」
「真面目に考えても無駄ですからねえ、あの人の行動は」
「璃月さんも心当たりあるでしょ?」
「まあ……ある意味そうとも言えます」
今井町での苦い記憶が蘇る。
彼を力づくで事件から遠ざけようとした斗貴子は、文字通りの"冗談みたいな一言"によって恥ずべき敗北を喫したのだ。
今思い返してもあれは反則だと思う。真面目に考えた結果の行動であれば納得もできたが、当の本人は"してやったり"みたいな顔をしているのだからたまらない。
「……何だか黒幕さんがかわいそうに思えてきました」
「合掌しよう。その人の冥福を祈って」
「そうしましょう」
飛来御堂に手を合わせ、拝むようにこうべを垂れる。
雲は消え、夕刻の空がはっきりと見え始めていた。
*
『……どうして?』
ナキサワメはやっとのことでそのセリフを絞り出した。
自分は敗北した。それは疑いようのない事実だ。しかし敗北に至った経緯が全く分からない。
いくつもの段取りを飛び越えて敗北という結果だけを突き付けられたことで、絶望や悲しみよりも不満が先に立っていた。
どういうことだと怒鳴りたくなる気持ちを抑え、真相を知るであろう敵に話を促した。
敵はおどけたように肩をすくめると、
「では説明しよう。飛来御堂のシステムが停止したので天叢雲も動かなくなった。そして晄が制御装置を破壊した。簡単だろう?」
『そういうことを聞いてるんじゃないわよ! どうしてシステムが止まったのかって話をしてるの!』
苛立ち紛れに培養槽のガラスを殴る。遠くで晄が跳ねるのが見えた。
『電力は十分、いいえ十二分にあった! システムエラーも一切出てなかった! 私は飛来御堂の全プロセスを完璧に掌握していたの! なのにどうして!?』
抜かりは無かった。考えうる限りのトラブルを想定し、それら全てに対処した。億が一すら無いはずだった。
しかし、それでも失敗した。
であれば、そこには必ず別の理由があるはずだ。それを知らない限り、納得などできるはずがない。
こちらの真剣さが多少なりとも伝わったのだろうか。明はからかうような態度をやめ、彼女が知りたかったことを教えてくれた。
だが、それは彼女にとって最も受け入れがたい内容だった。
「それほど複雑な話ではない。過電流によるオーバーヒート。増えすぎた電力にとうとう飛来御堂が耐えきれなくなったんだ」
『は……?』
ナキサワメは自分の耳を疑った。
聞こえた言葉を頭の中で反芻し、そして否定する。
なぜならそれは彼女が最も神経をとがらせていた部分だったからだ。
「お前は俺たちを警戒し、天叢雲にありったけの電力をつぎ込んでいた。自らの異能によって飛来御堂の電力供給を最大化することでな。あの時既に飛来御堂はパンク寸前だったんだ」
『そのせいで重要な回路が焼き切れたってこと? ……無い。それだけは絶対に無い』
「なぜそう言い切れる?」
『当たり前でしょ! 私はずっと飛来御堂にいたのよ! 設計にも関わってた! 電力の許容限界なんて知らないはずが無いでしょう!? 何より──』
と続けようとした時、明が上から言葉を被せてきた。
「何より、お前には磁鉄結晶イザナミを暴走させた苦い過去がある。エネルギー管理には人一倍気を遣っていた」
『そ、そう。それが言いたかったの』
「だが、同時に国譲りを絶対に失敗させたくないという思いも強かったはずだ。お前は二つの感情の間で板挟みとなり、最終的に双方を両立させることを選んだ」
こちらの心を代弁するかのような明。口を挟むタイミングを失った彼女は大人しく聞くことしかできなかった。
「お前は限界まで発電力を強化し、それでいて制御可能なギリギリのラインを見つけ出した。一歩間違えば全てがご破算になる危険な賭けだったが、お前は賭けに勝利した。……素晴らしい仕事ぶりだ」
終始煽り続けていた彼にしては珍しい、まっすぐな賞賛。
そのすぐ後ろで、晄がおずおずと手を挙げていた。
「夜渚くん……嬉しそうに褒めてるとこ申し訳ないんだけど、向こうが賭けに勝っちゃったら駄目なんじゃない?」
「駄目と言われても実際にそうなってしまったからな。奴は意地と執念で理論値を叩き出した。パーフェクトゲームだ」
「じゃあもっと駄目じゃん!」
「そんなことは無い。いや、それどころか──」
再びこちらに顔を向け、
「その完璧さがお前の敗北を決定的にした」
足を踏み鳴らした。
明はどうだと言わんばかりにこちらの反応をうかがっているが、ナキサワメにはさっぱりだった。というか、彼以外の全員が首をひねっていた。
『私にミスが無かったから、私が負けた……? いったいどういうこと?』
「まだ分からんか? お前にとっての理論値は俺にとっての理論値でもあった、ということだ」
『謎かけはやめなさい! こっちは真面目に聞いてるのよ!』
「……仕方ない。もう一度ヒントをやるぞ」
不服そうに体を揺らす明。その片足が一定のリズムを刻んでいる。
「お前は俺たちのあらゆる攻撃手段あるいは妨害手段を想定し、入念に対策を施した。だが、一つだけ見落としていたことがあった」
『見落としていたこと……?』
「攻撃でも妨害でもない行為。つまり、逆にお前を有利にしてくれる行為だ」
明はリズムを刻み続ける。革靴の先が何度となく床に当たり、乾いた音を生み出す。
……いや、音だけではない。
ナキサワメの異能は、彼が生み出す小さな振動を感じ取っていた。
それは水晶質の床を揺らし、その下にある花崗岩を揺らし──
「戦いに拘泥するあまり肝心なことを忘れてないか? 飛来御堂を発電できるのは、お前だけじゃないんだぞ?」
『──!!』
明によってはめ込まれた最後のピースが真相をつまびらかにしていく。
『君の振動波で、飛来御堂の発電量をさらに上乗せした……!? 最初からそれが目的だったの!?』
「ああ。入れ替わりマジックも捨て身の特攻作戦もハッタリに過ぎん。俺がヤバい奴だということを印象付けるためのな」
『誘導されてたってこと……?』
「お前が失敗を極度に恐れていることはすぐに分かった。だから、ある程度ビビらせれば守りに全力投球するだろうと踏んでいたんだ。"最も確実で安全な勝ち方"はこれ以外に無いからな」
失敗。確実。安全。
自身が固執していたものをズバリ言い当てられ、ナキサワメは声一つ出せなかった。
「飛来御堂は巨大な水盆だが、同時に水の満ち満ちた危うい水盆でもある。水をあふれさせるためには、ひとしずくの水滴を落とすだけでいい」
明はそこで息を吸い、
「水盆の大きさも、異能の強弱も関係無い。たったひとしずく。それが俺たちの明暗を分けた」
感慨深げに言った。
「……ん? ちょっと待って。つまり夜渚くんはまともなやり方で勝てないと思ったからチキンレースに全賭けしたってこと? 私はそんな滅茶苦茶な作戦に付き合わされたってこと?」
非難がましく詰問する晄。明は少し考え込んだ後、
「中々いい例えだな。そう、チキンレースだ。臆病者が敗北し、最後まで自分を信じ続けた者が勝利を得る。ナキサワメ、お前は自分自身に負けたんだ」
「私の質問に答えてないんですけどー!」
「勝ったからいいだろうが! 世の中は結果が全てだ!」
極めて低レベルな口論が続く中、ナキサワメは力無くうなだれていた。
完敗だった。敵を完封したつもりだったのに、実際はいいように踊らされていただけだった。
そのうえ、敗因は自分自身にあると言われたら……もう、笑うしかない。
『……はは』
自然と、疲れた声がこぼれ出た。
「なんだ、もう諦めるのか? 意外と根性の無い奴だな」
『諦めるも何も、これ以上どうしろって言うのよ? 飛来御堂はもう動かない。国譲りを行う手段は永遠に失われたの』
「修理すればいいだろう。俺たちを倒した後なら時間はたっぷりあるぞ」
『簡単に言わないでよ。壊すことは簡単だけど、直すのは大変なの。何にでも言えることだけどね』
「だろうな。言ってみただけだ」
『君、友達少ないでしょ』
「……余計なお世話だ」
やっとこの生意気な少年に一矢報いることができた。
子供じみた喜びを自覚した瞬間、またため息が漏れた。
それを見た明が、少し遠慮がちに言う。
「さんざん煽っておいて何だが……お前の考え方も正解の一つではある。時期尚早なオーバーテクノロジーというものは確かに存在する。あるいは、異能もその一つなのかもしれん。……だが、それによって引き起こされる事態を自分の責任だと思うのは少々筋違いだぞ」
『どうして? だって元々私たちが作った技術でしょう?』
「だとしても、だ。なぜならお前たちはもうバトンを渡したからだ」
ここに来て初めて、明の目が真摯な光を宿した。
「俺たちは過去からバトンを受け取り、未来に向けて走っていく。無様に転ぶかもしれん。最下位になるかもしれん。途中で世界が滅びるかもしれん。だがそれは全て俺たちの責任であり、俺たちが受け止めるべきものだ。走っているのはお前でも他の誰かでもない。今を生きる俺たち自身なんだ」
『じゃあ、バトンを渡し終えた者はどうすればいいの?』
「決まっているだろう。席に戻って応援するんだ。必死に走り続けている者たちをな」
『応援? それに何の意味があるの?』
「この世界の礎を築いた何者かが、自分たちの幸せを願っている。そう信じるだけで人は奮起できるものだ。元来、神とはそういうものだろう?」
ナキサワメは何も言わなかった。
込み上げてくるものが、流れ出てしまいそうだったから。
その感情はもう長いこと失われていたが、どうやらまだ自分の中に残っていたようだ。
『……あーあ、また失敗しちゃった。慣れない悪役なんてやるもんじゃないね』
だから彼女は、その感情を隠すために、笑った。
『私、さ。怖かったんだ。みんなが私を恨んでるんじゃないかって。私のせいで、この星に取り返しのつかない歪みが生まれてしまったんじゃないかって。だから何とかしなきゃ、直さなきゃって思って、ずっとあがいてた』
遠くを見つめ、過去を見つめ、自身の後悔を見つめる。
だがそれは文字通り、既に過ぎ去ったものだ。
『だけど、君たちはそれでもいいって言ってくれるんだね。歪んでいても壊れていても、それは君たちが手に入れた大切なものだから』
「俺たちにとっては歪みこそが正常な状態だからな。今さら直すと言われても逆に困る」
「歪みが正常、ね。面白いこと言うじゃない』
その時、広間全体が大きく揺れた。
どこか遠くで爆発音が聞こえ、通路の奥から真っ黒な粉塵が吹き込んできた。
それを皮切りに、あちらこちらで爆発が起き始める。大蛇のような雷をまき散らしながら。
「始まったか……」
「どういうこと!? 飛来御堂は止まったんじゃないの!?」
『システムが破壊されても貯蔵された電力が失われるわけじゃないからね。行き場を無くしたエネルギーが暴走を始めたのよ』
「それヤバくない!?」
『激ヤバ。だからほら、早く逃げなさい』
軽い口調で言ってから、ナキサワメは振動波を送った。
振動はチューブを伝わり、壁に埋まったハッチの奥へと届く。独立した電源で動作する非常用システムだ。
彼女が処理を入力すると、広間の一角が明るくなった。
光の出所は鳥居だ。奥まった場所に鉄の鳥居がひっそりと鎮座しており、それが蛍光灯のような輝きを放っている。
「あれって……もしかして転移装置!?」
こちらの意図を察したのか、晄の顔がぱあっと明るくなる。
『はい、お帰りはあちら』
「良かったぁ、実は帰りのこととか全然考えてなかったんだよね」
『座標は耳成山に設定しておいたから。向こうも決着がついたみたいだし、きっと安全だよ』
「至れり尽くせりだな。見返りに何を要求するつもりだ?」
『別に取引するつもりじゃなかったんだけど……そうだね……せっかくだから、一つだけお願いしていいかな?』
「言ってみろ」
ああ、駄目だ。
感情があふれ出してきて、止まらない。
だから、彼女はもう我慢しないことにした。
どうせ最後だ。バレても構わない。情けない奴だと思われるかもしれないが、それもいいだろう。
彼女は精一杯の笑顔を作り、彼らを見る。
バトンを渡す相手を。過ちの果てに生まれた者たちを。過ちを肯定する者たちを。
いつか、約束の地へとたどりつく者たちを。
『神々の代わりに、見届けて欲しいの。この星の未来を。私たちが本当に見たかった景色を』
ひとしずくの涙がこぼれ落ちる。
それは瞬く間に保護液と溶け合い、すぐに見えなくなった。
彼はそれに気付いたのだろうか。あるいは見て見ぬふりをしてくれたのだろうか。
彼は表情を動かさず、はっきりとした声で、
「断る」
『……は?』




