表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
229/231

第十九話 未来の不確定性原理

『神を、超える……!?』


 ナキサワメは呆れと警戒をない交ぜにした表情で明を見た。


(この少年は……何を言ってるの?)


 自分は神産み計画を誰よりも知る存在であり、異能についても同様のことが言える。

 だからこそ断言できる。不可能だ。

 こと異能に関して言えば、荒神は現神(うつつがみ)の完全な劣化コピーだ。同種の異能同士が戦えば、当然ながら力の強い方が勝つ。そこに番狂わせは存在しない。

 つまり、ハッタリだ。

 しかし、本当に?

 この状況、このタイミングで見え見えの嘘をつくことに何の意味が?


(……いけない)


 ナキサワメは己の油断に喝を入れた。

 先入観に惑わされてはいけない。これ以上の失敗は許されない。

 相手に隠し玉があるならあるで、それすらも上回ればいいのだ。

 迷いを捨てたナキサワメは、全神経を集中させて相手の出方を見た。

 明と(ひかる)は広間の入り口付近からほとんど進んでいない。振動波の回避に集中していたこともあるが、一番の理由は天叢雲(アメノムラクモ)だ。

 この絶対障壁がある限り全ての攻撃は無意味と化し、近付くだけでも死を招く。最強の矛であり盾。それが天叢雲なのだ。


『いいよ、好きにすればいい。できもしない大口を叩くのは自由。破滅するもの自由』


「やっとゴーサインが出たな。では、改めて作戦会議と行こうか」


 明が不敵に笑い、直後に晄の首根っこを引っ掴んだ。

 むぎゃ、と鳥を絞めた時のような声が聞こえ、晄の頭が引き寄せられる。


「ぐぇっ──ちょ、夜渚(よなぎ)くんっ! またそういうことを……」


 晄の言葉が止まる。丸く見開かれた目は何かを察した証だ。

 同時に、ナキサワメの異能は極小の振動を感知した。それは明の左手、晄の首筋に触れている部分からだ。

 骨伝導を利用した無音会話。さすがに内容までは聞き取れなかったが、二人が何らかの情報を共有したのは明白だ。

 呆けていた晄が表情を引き締め、それを皮切りに敵が動いた。


「ああそうだ、大事なことだからもう一度言っておこう。──刮目(かつもく)して見るがいい」


 言った瞬間、周囲の景色がホワイトアウトした。

 閃光。目を焼くような明るさにナキサワメが顔をしかめる。


『小賢しい真似……!』


 状況から見てアマテラスの力。しかし今度はレーザーではない。

 ただの光の爆発。破壊力を持たない目くらましだ。

 効果は一瞬。純白の波はたちまち薄闇に飲まれ、青い微光が支配する飛来御堂(ひらいみどう)が戻ってきた。

 ナキサワメは焦って敵の姿を探したりはしない。そんな必要は無い。

 なぜなら彼女の異能は目潰しなどでごまかせるものではないからだ。


(やっぱり子供だね。この程度でかく乱になると思った?)


 こちらの視力を喪失させて時間を稼ぐつもりだろうが、そんなものでは一秒の足しにもなりはしない。人型とはいえ彼女は現神。その強靭な視細胞が閃光程度で損傷することはないのだ。

 万一そうなったとしても、彼らの波動は把握済みだ。物陰に隠れても、天井に張り付いても、その個性的な波長が彼らの位置を正確に教えてくれる。

 彼女は念のため視覚で答え合わせをし、それは異能のもたらす情報と一致した。

 明はこちらに向かって走り出しており、やや後ろから回り込むような形で晄が続く。

 それ以外に変わった点は無い。彼らが目潰し作戦の失敗に驚く様子も無い。

 つまり、先の行動には別の目的があったということだ。


(ひょっとして物陰に何かを隠した? たしかに無生物なら私の探知には引っ掛からないけど……)


 沸き起こる疑念。かといって、彼らが起死回生のカギを握るようなアイテムを持っているとは思えない。天叢雲は文字通り全てを防ぐのだから。

 答えの出ない問題に費やすリソースは無い。彼女はすぐさま思考を中止し、最も確実で、最も簡潔な解決方法を選択した。

 一撃必殺。超高火力の振動波で敵を即死させるのだ。

 飛来御堂の収束点演算精度を原子一粒単位まで向上させ、さらに相手の固有振動数に合わせた特別な振動波を生成。ダメージを最大効率化した振動波は、かすっただけで相手の肉体を破壊するだろう。

 敵がどんな策を持っていようと関係無い。圧倒的な力で、知恵を巡らせる暇すら与えず、敵をすり潰すのだ。

 決断し、異能の出力を高めるナキサワメ。飛来御堂が轟くように振動し、その身に大電力を蓄えていく。

 これで演算リソースは確保された。

 加えて、時間をかけて練り上げた振動波は今にもはち切れんばかりに彼女の中で荒れ狂っている。その波長は目の前にいる哀れな少年と寸分違わず同じものだ。

 彼は己に待ち受ける運命を知らず、ありもしない希望に向かって進み続けていた。

 培養槽の中、彼女は深呼吸するように胸を上下させ、


『──さよなら』


 別れを告げた。

 強大な反動がナキサワメの体を揺らす。引き絞られた投石器が身を(きし)ませながら巨岩を吐き出すがごとく。

 座標──誤差無し。

 波長──誤差無し。

 威力──演算回路は対象が342個の肉片となることを予測。

 結果──命中。

 ──ただし、対象へのダメージは極めて軽微。


『え──!?』


 ナキサワメは思わず目を剝いた。

 明が笑っている。平気な顔で。とてつもなく不愉快な顔で。こちらを馬鹿にするように。

 その波長が、いつの間にか"晄の波長"に変わっていた。


「いいぞ。お前ならやってくれると信じていた。確実なとどめを刺すために、波長をピッタリ合わせた振動波を送ってくれたんだろう?」


 くくっ、と笑いを嚙み殺し、


「だが一つだけ忘れているぞ。お前は俺の手の内を知っているらしいが、同時に俺もお前の手の内を知っている。お前が深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗き込んでいるんだ」


「こういう時に使う言葉じゃないよ夜渚くん!」


『……異能を使って、自分の波長を変えたの!?』


「その通り。波長を合わせた方が強いことは知っていたからな。そして波長を合わせ過ぎると、それ以外の生物にはほとんど効果が無いのも実証済みだ。だからこそ俺は(たける)の中からヒルコを追い出すことができた」


 得意げに言った後、


「よし、これで距離は稼げたな。ではさらに近付いてみようか。お前をぶちのめすためにな」


 明は再び走り出した。その足取りは速く、迷うことなく最短距離を進んでくる。

 その先に天叢雲があるにも関わらずだ。


『何をするつもり? まさか、天叢雲をどうにかできると思ってるの?』


「ああ」


『負けず嫌いもここまで来ると病気だよ。君はもっと現実を見た方がいい』


「ああ」


『……馬鹿にしてるの?』


「ああ」


 ナキサワメのこめかみがぴくりと動き……と、その時彼女はあることに気付いた。

 晄の姿が無い。

 その事実から、彼女は敵の真意を理解した。


(妙に挑発的だと思ったけど、こっちの気を()らすためだったのね)


 神を超えるなどと豪語していたが、結局は味方頼みということか。

 思わせぶりな行動で気を引けば相手の虚を突けるとでも思ったのだろうか。だとすればあまりにも稚拙であり、ナキサワメは失望を禁じえなかった。

 たしかにアマテラスの力は強力だ。いかに天叢雲とて、覚醒したアマテラスの一撃を防ぎきることは難しい。

 しかしそれはあくまで最悪のケースを想定した場合だ。

 あの少女は戦闘経験も浅く、異能を使いこなしているとは言い難い。初代アマテラスに比べれば月とスッポンだ。

 が、ナキサワメは常に最悪を想定する。見込みの甘さが取り返しのつかない過ちを引き起こすと知っている。

 賢者は二の(てつ)を踏まない。それが己の作った轍であれば、なおのこと。

 想定通り、最大の懸念要素はアマテラスだ。ただの賑やかしは無視していい。

 彼女は狙いを晄に移し、再び振動波を練り始める。


(隠れても無駄だよ。この私に光学迷彩は通じない)


 彼女の異能は晄の波動をしっかりと捕捉している。数は2つだ。

 とはいえ、そのうち1つは波長を変えた明のもの。こちらは放置でいい。

 もう1つの反応は、明の数メートル先を走っていた。

 見えないが、感じる。そこにいる。ならばためらう理由は無い。

 ナキサワメはたっぷり時間を掛けて、全ての準備を整えた。

 演算よし。振動波よし。

 攻撃──開始。


『かわいそうだけど、子供の浅知恵じゃ何も成し遂げられない。今度こそ終わりだよ』


 放たれた波があたり一面に拡散し、計算され尽くした反射経路を経て一点に群がっていく。

 収束した衝撃は瞬く間に敵を引き裂き、白亜の床に赤い雨を降らせるだろう。

 まさにその時、ナキサワメの異能はとある変化を感じ取った。

 直撃の瞬間。晄の波長が"明の波長"に変わったのだ。


『!?』


 光学迷彩が解け、真実の姿がナキサワメの目に飛び込んでくる。

 そこには明がいた。

 明の波長を備えた明が。

 振動波は無力と化し、彼女の苦労は徒労に終わった。


『え? え? ……え?』


 意味が分からない。目の前の光景が現実だと思いたくない。

 たった今自分が攻撃したのは晄のはずだ。光学迷彩で姿を消していたが、波長は晄だった。

 しかしそれは明だった。

 では、そのすぐ後ろを走っているはずの明は、一体──?


『まさか……』


「残念! こっちが私でした!」


 "もう一つの光学迷彩"が解除される。明の姿をしていた者は晄の姿を得、今は小悪魔のような笑みを浮かべている。

 ポカンと口を開けたままフリーズするナキサワメ。思考停止に陥った彼女の耳に、明の声が飛び込んできた。


「馬鹿め。二重の罠に引っかかったな」


 言いつつ明は指を立てる。その指に宿る波長が晄のものになり、そしてすぐに明本来のものに戻った。


「俺と晄は互いに異能を掛け合っていたんだ。俺の異能で互いの波長を交換し、晄の光学迷彩で互いの外見を交換する。あの閃光は目潰しではなく、入れ替わりの瞬間を隠すためのものだ」


『じゃあ、最初に私が攻撃したのは……』


「そう、俺のフリをした晄だ。とはいえ波長は俺と同じになっているから、俺用に調整された振動波を食らうとヤバいはずなんだが……」


 皮肉っぽく自嘲。


「悲しいことに俺はお前の下位互換だからな。触れただけで相手の波動をすっかり変えてしまうことはできないんだ。波長の変化は一時的なもので、強い刺激を受ければ一瞬で元に戻ってしまう。たとえば……現神級の大出力振動波とか、な」


『波長を変えて対処したんじゃなくて、波長の変化が自動的に解除されただけ……!?』


「そういうことだ。だがお前はまんまと騙され、晄を俺だと勘違いした。そのタイミングで"晄の姿をした誰かさん"が視界から消えれば……どうなる?」


 ナキサワメは自身の軽率な行動を恥じた。

 光学迷彩がある時点で視覚など何の参考にもならないというのに、"明の姿が目の前にある"という事実だけを見て"消えたのは晄だ"と断定してしまったのだ。

 仮に二人とも消えていれば、彼女は波長の改ざんを考慮してもう少し慎重に見極めていただろう。

 だが、それを考えたところで後の祭りだ。彼らはこちらの時間を浪費させ、さらに天叢雲へと近付いた。何らかの対抗策を(たずさ)えて。


「というわけだ。どうだ、下位互換でもそれなりに戦えるものだろう?」


「私のサポートあってのものだけどね!」


「まあ、否定はしない。よくぞ合わせたと褒めてやらんでもない」


「ちょっとややこしかったけど、相手をぎゃふんと言わせたいって思いは伝わってきたからね。後は出たとこ勝負でやるだけさあ!」


 二人はその場でハイタッチ。

 軽やかな音が響き渡り、その手に振動が生まれた。

 またも骨伝導。そして波長の交換。直後に明がこちらを向いた。


「さて、ネタばらしが終わったところで応用問題だ。今ここにいる夜渚明は、本物か?」


 口の端を上げ、挑戦的に言い放つ明。

 ナキサワメはその不快な面をにらみ、そしてその波動を確認し、

 ──分からない。全く見分けがつかない。

 もはや彼女は目の前の情報が何一つ信用できなくなっていた。


「外見は間違いなく夜渚明だ。しかし波長は晄。なら晄か? しかし裏をかいて夜渚明かもしれん。そうだ、いっそ声で判断してみるか? しかし声は空気の振動だ。俺の異能を使えば、声の出所を数メートルほどごまかすことは難しくない。ではやはり晄か? いやしかし、そこまで読んだうえで──」


「夜渚くんストーーーーップ! これ以上は私の頭がパンクしちゃう!」


 晄が叫び、顔を引きつらせた。しかしそれが本物の晄であるという保証は無い。

 その迷いを見透かすかのように、明が言葉を重ねた。


「とりあえず頑張って当ててくれ。確率は二分の一だ。勘で当たらんことはない。だが忘れるな。時間は有限だぞ」


 明が加速した。天叢雲など恐れもせずに、前へ。


『ふざけないで……! こんな子供だましに惑わされる私じゃない!』


 ふつふつと煮えたぎる感情を原動力に、ナキサワメは次の一手を打つ。

 彼女は冷静さを失わない。怒っていても、その思考は絶えず最善を模索している。

 結論。両方同時に攻撃すればいい。そうすれば絶対に当たる。

 洗練された数式は時にシンプルだ。なぜならそれは最短距離で答えに向かっているのだから。

 要求される処理能力は二倍。彼女自身の負担も二倍。要する時間は倍以上。

 しかし、だからこそ必勝。確実という安心のため、彼女はそのリスクを受け入れた。

 決断するが早いか、彼女は振動波を練り始め──


「……ところで。さっきから攻めることばかり考えているようだが……肝心の守りは大丈夫か?」


『──!?』


 がばりと、体全体を制御装置へと傾けた。

 制御装置は安泰だ。傷一つない。

 しかし……少しだけ、ほんの少しだけだが、天叢雲の出力が下がっていた。


「大方『同時に攻撃してやる』などと考えていたんだろうが……いいのか? そんな余力がお前に残っているのか? 思い出せ。飛来御堂はお前の異能に全ての電力供給を依存しているんだぞ」


『甘く見ないで。この程度で電力不足に陥るわけないでしょ』


「そうか。なら遠慮せず攻撃すればいい。さあ。さあ! やってみろ!」


『言われなくても……!』


 と言いつつ、ナキサワメはどうすればいいのか分からなくなっていた。

 明の態度はただの強がり。こちらに振動波を打たせまいとしているだけだ。

 しかし、もしそうでなかったとしたら?

 天叢雲は圧倒的な防御性能を誇るがゆえに消費する電力も桁違いだ。それなりに余裕を持って発電してはいるものの、他の作業に大きなリソースを割けるほどではない。

 実際、誤差の範囲とはいえ天叢雲は弱体化している。そこに不確定変数であるアマテラスが加われば、万一の事態が起きないとは言い切れない。


(最初からそれを狙っていた? わざと攻撃させて、電力供給が不安定になった瞬間を狙うために)


 答えは出ない。しかし念には念を入れた方がいい。

 ナキサワメは異能をさらに解放。発電量はぐんぐんと上昇し、共振した飛来御堂が高周波で鳴き始める。

 新たに生まれたリソースは莫大。彼女はそれを天叢雲へとつぎ込んだ。

 制御装置の守りを強化し、彼らの心を折るために。

 直後、絶望が見える形を得た。

 それは破壊だ。荒れ狂う磁界が飛来御堂の壁を歪め、天井を剥ぎ取り、吸い込んだそれらを粉々に嚙み砕いていく。

 そして生まれたのは雲だ。分解の果てに残された大量の粒子が空中を漂い、雲のように制御装置を覆ったのだ。

 雲の()には超密度電子の泡が発生し、ガラスを引っかいたような放電音をまき散らしていた。

 もはや天叢雲は不可視の盾ではない。犠牲者の屍肉によって彩られた暴食の獣なのだ。


『お望み通り、守りを固めてあげたよ。どう? これを見てもさっきみたいな軽口を叩ける?』


 内心の疲労を押し隠し、余裕の顔でナキサワメが言う。

 これで唯一の突破口は塞がれた。負担は相当なものだが、それでも攻撃と両立できないほどではない。

 後顧の憂いを断った彼女は改めて振動波を──


「その程度か。ガッカリだな」


 明は全く意に介していなかった。

 その足は止まらず、むしろ勝機を得たとばかりにガッツポーズを挙げている。

 いや、それどころか……彼はついに全力疾走を始めてしまった。

 無力でちっぽけな人間が、能天気な顔で、笑いながら、天叢雲の作り出した地獄絵図に飛び込もうとしている。

 勝てるはずが無いのに。打ち破れるはずが無いのに。

 ──狂人の行進。

 それは端的に言って、背筋の凍るような光景だった。


『……………………』


 ナキサワメは理解した。

 凡庸な荒神の一人に過ぎない彼が、どのようにして数々の戦いに勝利してきたのか。なぜ彼があのタケミカヅチを倒すことができたのか。

 どう考えても普通の人間ができることではない。

 よって、彼は普通ではない。

 つまるところ、この少年は、頭のネジが飛んでいるのだ。


『……狂ってる。君はカナヤマビコと同じ種類の人間だよ』


「神の下位互換から同格にランクアップしたか。下剋上は近いな」


『これ以上の昇格は無いよ。この先は行き止まり。見えるでしょう?』


「ああ。栄光のゴールテープが見えるぞ」


『いい加減負けを認めなさい! 君たちに天叢雲は攻略できない! 絶対に!』


「雲は晴れるものだ」


『私にできないことが君にできるはずが無い!』


「子は親を超えるものだ」


『屁理屈を──!』


 頭の中でけたたましい音が鳴り響いていた。

 それは無意識の警鐘だ。この少年は危険だ、こちらの想像を超えてくると叫び続けている。

 彼の前では確実が確実ではない。安全が安全でなくなり、黒が白に覆される。それは彼女が最も恐れることだった。

 このまま振動波を撃ち込み、彼らを一掃することはたやすい。

 だが、それこそが敵の目的だとしたら? まだ自分が見落としている何かが隠されているのでは?

 天叢雲は無敵だ。しかし、本当に? 自分がそう思い込んでいるだけではないか?

 もちろん、そんなはずが無い、と思う。

 確率は低い。限りなく低い。ゼロに近い。

 しかしゼロではない。

 何よりも……この賭けに負けた場合、その代償を支払うのは自分だけではないのだ。

 異能が残り続ける限り、世界は常に破滅の危険を孕んでいる。

 それを生み出したのは自分であり、止められるのも自分だけ。そしてこれが最後のチャンスだ。

 もう後が無い。自分は崖っぷちにいる。しくじれば、この星もろとも地獄行き。また悲劇が繰り返されてしまう。自分のせいで。

 それだけは、嫌だ。

 動悸が激しい。手が震える。視界が歪む。

 だが意識は冴えている。頭は回る。

 なら、後は最適の解を選び取るだけだ。


『……いいよ。そこまで言うなら君に付き合ってあげる』


 全力全開、あらん限りの力を振り絞るナキサワメ。飛来御堂が激震し、雄たけびのように共鳴する。

 生成された途方もない電力が施設全体を駆け巡り、その全てが天叢雲に流れ込んでいく。さらに多くの雲が生まれ、月は完全に隠された。

 もう攻撃はしない。反撃の可能性がわずかでもある以上、余計な手出しは悪手でしかない。

 全リソースを天叢雲に集中させ、国譲りの執行まで耐え抜くのだ。

 付け入るスキは与えない。不用意な行動もしない。今度こそ確実な成功を。100%の勝利を。

 そうして彼女が心を決めた、ちょうどその時だった。


「一つ質問がある。この先、"異能が無ければ対処できない問題"が起きるとは思わないのか?」


『……何が言いたいの?』


「言葉通りの意味だ。現代文明では太刀打ちできないような脅威……隕石の衝突でも氷河期の再来でも怪獣襲来でもいいが、そういった問題が起きた時はどうするつもりなんだ? これも運命だから異能を使わず滅んでくれと言うつもりか?」


『馬鹿馬鹿しい質問に答える気は無いよ』


「なら質問を変えよう。もし人類が自力で異能を発見したら、どうする?」


『有り得ない仮定を持ち出しても──』


「違う。これは現実的な未来だ」


 それは反論を許さない断言、あるいは予言だった。


「DNAの研究は着々と進んでいる。放射線を利用した生物兵器の開発も、今や使い古されたアイディアの一つに過ぎない。人類はいずれ電磁波の神髄を解き明かし、高天原抜きでも異能にたどり着くだろう。その時お前はどうする? 異能は危険だからと彼らを滅ぼすのか? それとも高天原由来ではないから知ったことではないか?」


『そんな話に何の意味が──』


「ああ、そういえばお前は国譲りで死ぬんだったな。じゃあこの話は無意味か」


 あげつらうように言った後、


「お前がいなくなった後、いつの日か人類は異能を手に入れる。その時何が起きると思う? ──全く同じことが起きるんだ」


『──!』


 過去がフラッシュバックする。

 醜く歪み、捨てられた王子。

 溶ける人々。灼けた少年。

 石棺に収められた大量のミイラ。

 沸き起こる不快感。あの時と同じ。

 彼女は培養槽のガラス面に手をつき、必死で嘔吐感をこらえた。そこに明の冷ややかな視線が刺さる。


「人類は高天原を知らず、そこで起きた悲劇を知らない。そのうえ彼らは力に翻弄される弱い生き物だ。そんな奴らに異能を与えてみろ。きっと面白いことになるぞ」


『やめて!』


「最初の神産みは失敗し、おぞましい奇形が生まれるだろう。人々はそれを隠し神々を産み続けるが、それも破綻する。大勢の者が死に、しかし彼らは懲りずに神を求め続ける」


『やめてよ!』


「やめない! 数々の出来損ないが生まれ、埋められ、ようやく平和になったと思ったら今度は荒神狩りだ! 神々は堕落し、崇高な理念はゴミ箱行きとなる! そして新たな神代(かみよ)だ! 歴史は繰り返す!」


 耳を覆っても聞こえてしまう。彼女の異能は彼女に逃避を許さない。

 そして、彼女の混乱が最高潮を迎えた時。


「だが! 過去を知っていれば未来は変えられる!」


 がむしゃらな希望が殴りつけてきた。


「人類は馬鹿だが学習できんほど馬鹿ではない。他者に学び、経験を胸に、歴史を師と仰ぐ。失敗しても教訓は後世に伝えられ、彼らはそれを発展させていくだろう。その時こそ失敗は成功となる!」


 明が走る。天叢雲を目指して。

 その顔に恐怖は無く、不安も無い。

 それは、彼が勝利を信じているからなのだろうか?

 それとも、彼にとっては敗北すら勝利の前座に過ぎないのだろうか?

 ナキサワメは今度こそ彼を怖いと思い、それと同じくらい羨ましいと思った。


「異能が危険? 上等だ。世界が滅ぶ? やってみろ。だがそれでも俺たちは止まらない。なぜなら俺たちの存在は失敗の延長線上にあり、成功の途上にあるからだ。重要なのは失敗しないことではない。失敗を踏み越える勇気だ!」


 明が天叢雲に到達するまであと少し。ナキサワメは身じろぎ一つせず、決着の瞬間を見つめていた。


「善も悪も、成功も失敗も、伝えなければ価値は無い。埋もれたままでは意味が無い! だから俺たちは過去を否定しない。高天原を、異能を肯定する。お前たちの異能も、歴史も、記憶も、罪も罰も後悔も、絶望すらも! 全て背負って、先に進んでいく──!!」


 明がひときわ大きく踏み込んだ、その瞬間。

 天叢雲が、消えた。


『なっ──!?』


 ナキサワメは慌てて稼働状況をチェックし──応答が無い。

 天叢雲だけではない。制御装置も。それ以外のあらゆる機器も。照明すらも。

 飛来御堂に存在するありとあらゆるものが、一斉に沈黙していた。


『飛来御堂のシステムが……ダウンした!?』 


 なぜ、と思うより先に、彼女の視界に飛び込んでくるものがあった。


「今だ晄! 思いっきりぶちかませ!」


「どっせーーーーーーい!」


 闇に包まれた飛来御堂、その彼方より飛来する白き光条。

 雲は晴れ、満月のような制御装置が無防備な顔を晒している。その中心に、夜の終わりを告げる陽光が突き刺さった。

 光がまたたき、そして消える。

 後に残ったのは高熱で融解した制御装置。それは原型すら留めず、床の接合部から虚しく火花を散らしている。 

 茫然自失となったナキサワメのもとに、明がゆっくりと歩いてくる。

 彼はこちらを見上げると、しれっとした顔でこう言った。


「宣言通り神を超えたぞ。ただし、力ではなく心で、な」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ