第十六話 神代の終わりに
激闘の傷跡生々しい耳成山。荒廃した広場に立つ黒鉄は、気だるげな動きで後ろを見た。
「見事に鈍臭えのが残ったか。既定路線だな」
既に光の鳥居は消えている。そこにあるのは綿のような霧の壁と、その前に立ち尽くす二人の少女──倶久理とスクナヒコナだ。
「あぁ、やっぱり間に合わなかった……!」
「いよいよ絶体絶命、ですわね」
スクナヒコナは崩れ落ち、倶久理は恨みがましく敵をにらむだけ。一方で黒鉄は普段と変わらぬ様子だった。
「パニクるんじゃねえよ女ども。既定路線っつっただろうが」
「ですが黒鉄様、この戦力差ではとても……」
「いいから見てな」
小粋に親指を掲げ、自らの顔を指す黒鉄。しかし倶久理の表情は曇ったままだ。
虚勢を張っているように見えるのだろうか。だとしたら不愉快極まりないが、この際どうでもいいかと黒鉄は判断。
なぜなら、黒鉄は最初から逃げるつもりなど無かったのだから。
彼の獲物はニニギノミコトただ一人。黒幕だの飛来御堂だの、面倒くさいことは小賢しい転校生にでも任せておけばいいのだ。
が、その前に一つだけ疑問を解消しておく必要があった。
「なあ、そろそろ腹割って話さねえか?」
努めて気軽に、友達にでも話しかけるような口調で。その先にはヨモツイクサに守られたニニギノミコトがいる。
「話、だと? 悪いが交渉に応じることはできぬ。余が求めているのは金銭でも服従でもなく、そなたたちの命なのだ」
「だろうな。だが、その理由くらいは話してくれてもいいんじゃねえか?」
「立場を弁えよ、荒神。余はそのような戯れ遊びに付き合うほど酔狂ではない」
「へえ?」
嘲るように笑う。ヨモツイクサの一挙手一投足に目を光らせながら。
「さてはてめえ、自分のやろうとしてることに自信がねえな? 反論されるのが怖くてだんまりを決め込むたぁ、情けねえ男だぜ」
「挑発には乗らぬ。そして時間稼ぎにも付き合わぬ。荒神よ、疾く風のごとく死ぬが──」
「あーあ、肝心の王がこのザマじゃ、臣下の程度も知れるってもんだぜ。なぁ?」
「──!」
獅子の喉元で渦巻いていた黄金の光が消える。
そして、その顔が憤怒の赤に染まった。
「……口に気をつけよ、荒神。苦しまぬ死に方を望むのであればな」
「覚えておくぜ」
ニニギノミコトは牙を剥いたまま静かに肩を震わせていたが、やがて息を吐き、
「よかろう。荒神とて、かつては余の臣民だったのだ。祖先の功績に免じて自らの運命を知ることを許そう」
ニニギノミコトが構えを解き、ヨモツイクサがその両脇にひざまずいた。
(うおっ、マジで釣れちまったよ。言ってみるもんだな)
"有識者のアドバイス"に感謝しつつ、黒鉄は後ろの2人に顎で合図した。細かい話は彼女たちに任せた方が手っ取り早い。
見たところあまり状況が飲み込めていないようだが、これが絶好のチャンスだということは理解しているのだろう。機先を制するように口を開いたのはスクナヒコナだった。
「陛下、国譲りとは何なのですか? それと彼らを殺すことに何の関係が?」
それは黒鉄も気になっていたことだ。荒神とはいえ、自分たちは一般人だ。国に関わる重大事とは何の関係も無い。
にも関わらず、ニニギノミコトは国譲りと称してこちらの命を奪おうとする。まるで、殺すこと自体が国譲りの目的であるかのように。
(……ひょっとすると、ガチでそうなのか?)
まさかと思い、しかし沸き出た仮説に確証を与えたのはニニギノミコトだった。
「国譲りは神代の終わりを意味するもの。すなわち、全ての神を殺すことに他ならぬ」
神代の終わり。
耳にタコができるほど聞いた"新たな神代"とは似て非なるその単語に、黒鉄は不穏なものを感じ取っていた。
「"神を殺す"と言われても、今の貴方がなさっていることは荒神狩りと何も変わりませんわ。現神のやり方に異を唱えていたという話は嘘でしたの?」
「余と彼らでは目的が違う。彼らは己が欲望のために荒神を殺したが、余は世界の安定のために荒神を殺す」
「世を乱しているのは貴方ご自身ですわ!」
「そうとも言える。ゆえに殺すのだ。全ての神を」
いぶかしげな顔の倶久理。ニニギノミコトは両手を広げ、獰猛な爪先を天に向けた。
「荒神。八十神。現神。この地に存在する神は一人残らず滅ぶべきなのだ。無論、余も例外ではない」
「そんな……それではただの無理心中ではありませんか! そのような愚行に何の意味があるのです!?」
「スクナヒコナよ、そなたがそれを言うのか? この場において、国譲りの正当性を誰よりも理解できる者はそなたであろうに」
どこか哀れむような視線がスクナヒコナに向けられた。
「問おう。我らの高天原は何ゆえ滅びたのだ?」
「直接的な原因は荒神の反乱ですが、それは現神が荒神狩りを始めたから……」
「では、何ゆえ現神は邪心を抱いた? その過ちの端緒となったものは何だ? 脆弱な現神であるそなたが虐げられてきたのは、いかなる所以あってのことだ?」
「それは……」
話の意図が掴めず、困惑した様子のスクナヒコナ。
ニニギノミコトは失望を隠しもせず、無言で顔を覆った。その失望が向けられる先はスクナヒコナに留まらない。
「答えは──高天原だ。人を神に変え、神を崇め、神の力に固執する高天原の思想。そして、その象徴たる異能! それこそが諸悪の根源であると余は気付いたのだ!」
黒鉄は気付く。この男が見放したのは、文字通り高天原の全てなのだと。
「余は……神の力こそが高天原を平和に導くと信じていた。だからこそ、どのような困難にも負けず、ひたむきに神を求め続けたのだ」
だが! と叫び、
「その結果はどうだ! 現神は力に溺れ、暴走したイザナミは毒石となり、多くの民が物言わぬ八十神となり、我が息子は存在すら許されぬ忌み子となり果てた! 高天原の技術は恵みをもたらすどころか血と悲しみを広げるだけであった!
それでも、それでも余は彼らを、彼らと共に歩んできた道のりを信じようとした! 尊き理想が欲望などに負けることはないのだと、信じたかった! ……だが、そのような淡い希望は、今や露と消えた」
感情に任せた叫びが、厭世観に沈んでいく。
「悠久の歳月を経てもなお、現神はかつての志を思い出すことはなかった。それどころか新たな神代などという妄言を掲げ、さらに多くの命を犠牲にしようとした」
重苦しい沈黙の後、ニニギノミコトは嗚咽するようにその言葉を口にした。
「事ここに至って、余は認めざるを得なかった。……全て、間違っていたのだと」
「だから殺すというのですか? 高天原に関わる者全てを?」
スクナヒコナは圧倒されるように話を聞いていたが、やがて我に返ると、
「陛下のおっしゃることにも一理あります。高天原は力を求めるあまり、肝心の心を疎かにしてきました。ですが、過去に犯された罪は今を生きる彼らとは無縁のものです! 滅ぶべきは私たち現神であり、彼らではありません!」
「まだ分からぬか! そも、この力は人の手に余るものだったのだ!」
踏み下ろされた怒気がここにいる全員の体を震わせた。
「荒神は被害者だが、同時に未来の加害者でもある。彼らはいずれ増長し、さらなる力を求めるだろう。かつての現神と同じように。彼らは生まれながらにして穢れを宿しているのだ。この世界にあってはならない力、異能という穢れをな」
「必ずしもそうなるとは限りません!」
「なるとも! 聖人のごとき高潔さを備えていた現神でさえ、その穢れに抗うことはできなかったのだ! 凡庸な荒神どもがたどる末路など、考えるまでもない!」
強く拳を突き上げるニニギノミコト。そこには厚い霧で覆われた結界の果てがあり、結界の外には天翔ける飛来御堂があるはずだ。
「間もなく飛来御堂から電磁放射が開始される。それは大地に降り注ぎ、人々の中に眠る災いの芽を刈り取るだろう。この世界から異能が消え去るのだ」
「電磁波でヤサカニ由来の遺伝子を破壊するつもりですか!? そんなことをすれば──」
「当然、無事では済まぬだろうな」
平然と言い放った。
「荒神とヤサカニ……荒神因子は切っても切れぬ関係にある。己の核を破壊された荒神に待つのは死だ」
「それだけではないでしょう!」
その時、スクナヒコナが感情を爆発させた。
業火のような怒り。傍観を決め込んでいた黒鉄でさえ、その形相に怯まずにはいられなかった。
「ニニギノミコト……あなたという人は……!」
「お待ちくださいスクナヒコナ様! 急にどうなされたのですか!?」
殴りかからんばかりの勢いで前に出たスクナヒコナを倶久理が押しとどめた。
スクナヒコナは猛り狂う心を抑え込むように、低い声で言った。
「よく聞いてください、倶久理さん。ニニギノミコトは……荒神だけを殺すつもりではないんです」
「……どういうことですの?」
「荒神は荒神因子の覚醒によって異能を獲得します。ですが、覚醒していない人間の体内にも荒神因子は存在しているんです」
「……!!」
理解を得た倶久理が絶句する。
「混血の進んだ現代において、荒神因子はそう珍しいものではありません。いわば、この国に住むほとんどの人間が潜在的な荒神であり、彼の言う"穢れ"を宿しているんです」
「で、では、国譲りとは……!」
スクナヒコナが倶久理を振り払い、さらに前へ。拳を握り、許されざる行為を糾弾するために。
「国譲りが成された場合、犠牲になる人々の数は計り知れません。何千万、いいえもっと多くの人々が、理由すら分からぬまま一斉に死を迎える! これのどこが世界の安定だというのです!? こんなもの、ただの虐殺ではありませんかっ!!」
「それでもやらねばならぬのだ! 未来の破滅を防ぐために! 高天原の罪を禊ぐために!」
「罪で罪を禊ぐことなどできるものですか!」
なおも食い下がるスクナヒコナ。
そこに倶久理が並んだ。互いを鼓舞し、退かぬ意志を重ねるかのように。
「どうしてそこまで頭が固いんですの!? 貴方の仲間たちも、貴方自身も、皆が皆、理想のために歩んできたのでしょう!? それを上手くいかなかったからといって全部壊してしまうだなんて……極端にも程がありますわ!」
「何も知らぬ者が知った風な口をきくな!」
「でしたら貴方は何を知っていますの? 初心を忘れ、志を忘れ、独りよがりな帳尻合わせに腐心する貴方にどのような大義があると──」
「黙れ──!!」
割れんばかりの怒号が、音の暴力となって彼女たちに襲いかかる。それだけで2人は尻もちをついた。
彼女たちはとうとう獅子の逆鱗に触れてしまったのだ。
「おぞましき混ざり児の分際でべらべらとわめくな! 貴様のような化け物に我が友の血肉が受け継がれていると思うと虫唾が走るわ!
現神は高天原を腐らせる汚物であり、その眷属たる荒神は汚物に沸くウジ虫も同然。存在そのものが許されぬのだ。そして貴様らがいる限り高天原の罪は残り続ける。世代を重ねるにつれ荒神因子の汚染は拡大し、果てはこの星を覆い尽くすだろう。そうなればもう誰にも止められぬ。人類を蝕み狂わせる病原菌、それが異能なのだ。
そうなる前に誰かが責を負わねばならぬ。終わらせねばならぬ。元を絶たねばならぬ。だが汚物にもウジ虫にもその責は任せられぬ。力に魅了されぬ者、判断を誤らぬ者、異能に穢されぬ者だけが、この地を浄化することができる。それがヨモツイクサであり、飛来御堂なのだ。
飛来御堂の電磁波が神を滅ぼし、一切の穢れを洗い流す。そして残ったヨモツイクサが全ての遺跡を破壊し、最後に自らをも破壊する。なればこその否雷御堂! なればこその黄泉逝! 一切が黄泉に葬られ、高天原という異物が歴史から消え去ることで、この星は正常な姿を取り戻すのだ。さもなくば待つのは地獄のみ。2000年前の再現だ。それだけは防がねばならぬ。たとえこの身が地獄に堕ちようとも。
ゆえに、余は憎む。荒神を。現神を。八十神を。神々を生むヤサカニを。天之御柱を。高天原が生み出した文明の全て、それがもたらした全てを! それは余の手から友を奪い、臣下を奪い、国を奪い、民を奪い、希望を奪い去った! 残されたのは罪の烙印に等しい現神としての体と、高天原の狂った遺産だけだ! ……そして!!!!」
その時、黒鉄は見た。ニニギノミコトの目を。
「──その全てを推し進めたのは、余だ」
その目は血の涙を流していた。
「間違っていたのだ。何もかも間違いだったのだ。正さねばならぬ。でなければ皆に顔向けできぬ」
ニニギノミコトはこちらを見ているが、その瞳には何も映っていない。彼が見ているのは過去の自分自身だ。
ある種異様な光景を前にして、ゾッとしたように後ずさる倶久理とスクナヒコナ。
その動きに、ニニギノミコトがぴくりと反応した。
巻き起こる感情は憎悪。罪に狂った王は罪の存在を許さない。
その腕がギロチンのごとく掲げられると、数体のヨモツイクサが攻撃の構えを取った。
「殺すのだ、荒神を。原罪の種子を。ただの一人も、塩基ひとかけらとて残してはならぬ!」
そして処刑が執行された。
身構える2人にヨモツイクサが襲い掛かり──
「言いたいことは色々あるけどよ。一言でまとめると──」
一刀のもとに断ち切られた。
それを成したのは小さな石片。短い柄の残骸から鋳造された、オモチャのような一振りだ。
彼は石片を軽く握り直すと、光る刃先をニニギノミコトに向けた。
「てめえ、めちゃくちゃカッコ悪いぜ」