第十五話 違和感の終着点
──着地した。
実際には"地面に投げ出された"という感じに近いが、明にとってはどちらでも良かった。
彼が気にしていたのはただ一つ。ここは耳成山なのか、それとも飛来御堂なのか。それだけだ。
視覚はふらつき、判然としない。
しかし触覚はひんやりとした感触を手足に伝えてくる。なめらかな石の床。耳成山には存在しないものだ。
「転移成功……いや、とうとう転移してしまったと言うべきか? さらばだ夜渚明。そしてHello World、だ」
粉微塵になって死んだ(と明は信じて疑わない。そうに決まっている)過去の自分に別れを告げ、再構成された夜渚明が始動する。
「おい、全員無事か? 取り残された者はいないだろうな?」
確認している余裕までは無かったが、あの時転移門にたどりついたのは自分一人だけではないはずだ。
周囲の薄暗さに目が慣れてきた時、視界の隅をもぞもぞと動くものが見えた。
「うぅっ、頭がグルグルする……。転移ってもっとこう、気持ちよく飛んでいけるものじゃないの……?」
晄が目を回していた。他には誰もいなかった。
「くそっ、仲間ガチャ失敗か!」
「仲間ガチャ!?」
「いや待て。だがこの状況はそれほど悪くないぞ。少なくとも誰か一人だけ置き去りになる展開は避けられた」
旗色はかなり悪いが、幸か不幸か相手はフトタマの結界を展開してくれた。
こちらの転移を阻止することが目的のようだが、裏を返せばニニギノミコトも飛来御堂の"支援"を受けられない。ヨモツイクサはともかく、ニニギノミコト本人はある程度弱体化したと言えるだろう。
「あとは黒鉄に踏ん張ってもらうしかないな。何かを掴んでいたようだし、少なからず勝機はありそうだが……」
「夜渚くーん? だーれがガチャのハズレキャラだってえ?」
晄が犬歯を剝き出しにしてこちらをにらんでいた。
明は落ち着け、と両手でジェスチャー。晄の目を正面から見つめ、
「俺は晄をハズレだと思ったことは一度も無い。この状況では役に立たんと思っただけぐおっ!? なんで殴った!?」
「悪いのはこの頭かぁ! このぉ!」
壁際まで逃げおおせた明はそこで大きく息を吐き、
「俺が言いたいのはだな……今のお前に命のやりとりをする覚悟があるのか、ということだ」
「む」
晄が拳を収める。明は続けて、
「この際だからぶっちゃけるが、この場にいるアタッカーはお前だけだ。俺の振動波も一応攻撃技だが、色々と制限が多くて使いにくい。つまりお前が積極的に敵を攻撃する必要があるわけだが……果たしてそれができるのか?」
晄はしばし考え込んだ後、
「でも、夜渚くんは黒幕さんを殺すつもりはないんでしょ? だったらどうにかなるんじゃない?」
「……なぜそう思った? というか、俺は黒幕について何も言及していないはずだが」
「さっきの戦いの時、夜渚くんすっごい嫌そうな顔してたもん。いつもなら『どや!ワシ、黒幕見つけたで!』みたいな顔でふんぞり返ってるはずなのに」
「偏見に満ちた解釈だぞそれは」
「でも、何か知ってるんでしょ? 夜渚くんは黒幕さんの正体に気付いてて、できれば戦いたくない。違う?」
乱暴に髪をかきむしる明。彼は口をへの字に曲げたまま、通路の先に目を向けた。
「……時間が無い。歩きながら話すぞ」
晄と2人、青ざめた光の下を歩いていく。
青い光はセントエルモの火。強力な電磁場によって発生する放電現象だ。
セントエルモの現れは飛来御堂が大量の電気を蓄えている証拠であり、その発生源は遠くない場所にある。明の異能はコンパスのようにその位置を指し示していた。
「この事件が始まってからというもの、俺はいくつもの違和感に悩まされてきた」
「違和感?」
「説明のつかない事象が多すぎるんだ。明らかに何かがおかしいと分かっているのに、その正体が掴めない。隔靴掻痒というやつだな」
「ほうほう、隔靴掻痒」
分かってない感じで相槌を打つ晄。それに構わず明は話を続けた。
「だが、今なら分かる。黒幕こそがこの事件のミッシングリンクだったんだ。奴の存在を前提に考えると、全ての違和感に説明がつく」
一本指を軽く振り、後ろを歩く晄に提示する。
「違和感その一。ニニギノミコトの驚異的な直感能力についてだ」
「あー、そういえばすごかったよね。こっちの動きが全部読まれてたもん」
「読まれていた、なんて生易しいものじゃない。奴は目を潰された状態で黒鉄の奇襲を察知し、そのうえお前の光学迷彩すら見破って見せた。だが、どうやって?」
「……戦士の勘、ってやつ? 漫画でもそういうのよくあるでしょ」
「なるほど、そうだな。奴は腐っても高天原の王だ。いくつもの死線をくぐり抜けてきたことは想像に難くない。あるいは、そういうことなのかもしれん」
晄の意見を軽く流し、二本目の指を立てた。
「違和感その二。ニニギノミコトは耳成山に現れた。なぜだ?」
「そりゃあ、私たちが飛来御堂に乗り込もうとしたからでしょ。大和三山の電力を使えば転移できるってスクナちゃんが言ってたじゃん。向こうもそれを知ってたから先手を打ったんじゃないの?」
「そうだ。だがなぜ本命が耳成山だと分かった? 畝傍山や天香久山には望美たちが向かっていたはずだ。なぜそちらに釣られなかった?」
「一か所ずつ順番に片付けていくつもりだったのかも。っていうか、適当に選んでも確率は三分の一だし……」
「ふむ。言われてみれば、単純に俺たちがツイていなかっただけなのかもしれん。では次だ」
明が三本目の指を立てた時、右手に大きな回廊が現れた。
大型車両がやすやすと行き違えるほどの広さ。左右の壁には何かを格納していたと思しき筒状のカプセルが整列している。
回廊はどこまでも続き、果ては闇に包まれている。
しかし明は恐れない。闇に向き合い、挑むような足取りで前進を始めた。
「亀石の件を覚えているか? あの時、ニニギノミコトは天沼矛で俺たちを狙撃し、ご丁寧に自己紹介までしてくれた。……どのような方法で?」
「どのような、って……ふつーに、声で自己紹介してたでしょ?」
「だが奴は飛来御堂にいた。木津池いわく、当時の飛来御堂は明日香村の上空約1000メートルを航行していたらしい。そんな場所からどうやって声を届かせた?」
「あんなに体が大きいんだから声が大きくてもおかしくはないでしょ?」
「となると、奴は明日香村全土に響き渡るような大声で叫んでいたことになる。しかし、俺たち以外に奴の声を聞いた者はいない。誰一人として、だ」
「特別なマイクを使ったとか? 超古代文明なんだからそれくらいあってもおかしくないよね」
「若干苦しいが、一応理屈は通るな。では最後の違和感だが──」
回廊の終点が見えてきた。それはまだ"点"と言える程度には離れていたが、その奥では巨大な何かがいくつもの青い光に照らされていた。
明はそれに目を凝らしながら、淡々と言った。
「飛来御堂は、なぜ動いている?」
「ほえ? ちょっと意味が分からないんだけど……」
「動力は何か、という意味だ。おそらくは電磁誘導を利用して空を飛んでいるのだろうが、そのための電力をどうやって生み出している?」
「ええっ、夜渚くんそんなことも知らないの!? 高天原文明は振動発電がメインだって木津池くんが言ってたじゃん!」
「ほう、そうなのか」
明はわざとらしく驚くと、
「では晄、せっかくだからその振動発電の仕組みを俺に教えてくれないか?」
「お任せい! こう見えてたくさん勉強してきたんだからね!」
晄は自信たっぷりに胸を叩いた後、数秒間のフリーズを経て、いそいそとメモ帳を取り出した。
「うーんと……一部の岩石や鉱物に圧力を加えると電気が発生します。これを圧電効果と言います。……だそうです。そうそう、思い出してきた」
「それは何より。続きをどうぞ、だ」
「でね、この圧電効果を上手に利用してたのが高天原なの。高天原の人たちは電気を発生させる物質……特に花崗岩を使った発電に頼ってたんだって」
「その通り。発電所である大和三山には多くの花崗岩が含まれているし、高天原の遺物である岩船や亀石はそれ自体が花崗岩の塊だ。そういえば、飛来御堂の外観も岩石のような質感をしていたな。さすがに床は花崗岩ではなさそうだが、代わりに圧電性の高い水晶を使っているようだ」
言いつつ、明は白亜の床を指先で撫でた。そのまま顔を後ろに向けて、
「しかし、花崗岩から電気を取り出すには圧力をかける工程が不可欠だ。その問題はどうやって解決する?」
「それこそ無問題! 実は、手間もお金もかからない簡単な方法があるんです!」
「どんな方法だ?」
「ズバリ、自然の力を利用する!」
名探偵さながらにこちらを指差す晄。
「木津池くんいわく、地球は常に振動してるんだって。地震とか地殻変動とか……えーっと、とにかくそういう感じのやつが24時間休まず動いてるから、その振動を利用すれば花崗岩に圧力を──」
晄の言葉が止まる。
その先に続くべきセリフを飲み込んだ彼女は、愕然とした表情でこちらを見た。
「ど、どうなってるの!? こんなの絶対おかしいよ!」
「何がおかしい?」
「だって、だって──飛来御堂は空を飛んでる!」
やっと気付いたか、と明は笑った。
「そうだ。飛来御堂が大地の振動を受けることはできない。なぜならこいつは2000年もの間空を飛び続けているからだ」
「じゃあどうやって発電してるの!? あ、もしかして風力とか?」
「上空のジェット気流を受ければ多少の圧力は得られるかもしれん。だが、その程度では圧倒的に電力が足りん。地に足の着いた大和三山と違って、飛来御堂は空を飛ぶために莫大な電力を必要とするからな」
「ってことは、そもそも振動発電じゃなかったってこと……?」
「振動発電には違いない。ただ、別口の電力供給源を持っていると考えた方がいいだろう」
「原子力とか?」
「何でもかんでも原子力に頼るのは20世紀の発想だぞ」
「ふーんだ。じゃあモダン・ボーイの夜渚くんが考えた斬新な発想とやらを聞かせてもらいましょうかねー!」
腰に手を当て、ジト目でこちらを見る晄。
明は嫌味ったらしく笑うと、さらに歩みを進めた。
回廊は終わりを告げ、ドームのように開けた空間が彼らを出迎える。
中心部には巨大なエネルギー反応。それこそが飛来御堂の中枢であり、旅の終着点だ。
「簡単なことだ。外部からではなく、内側から圧力を加えればいい。飛来御堂には振動を発生させる何かがあらかじめ内蔵されていたんだ」
「要するにスマホのバイブレーションみたいなもの? でも、そうなると今度は振動させるための電力が必要になるから……プラマイゼロじゃない?」
「そうだな。ゆえに、それは電力に頼らず振動を起こすものでなければならない」
「そんな便利なものがあるの?」
「ある」
断言すると、明はその眼差しをもって答えを示した。
広間の最奥。モノリスのような装置群に囲まれる形で、ひときわ大きな機械が鈍い駆動音を響かせていた。
機械は巨大な球の形をしており、球の上には円筒形のガラス容器が接続されている。
培養槽だ。
それは何十本ものチューブによってがっちりと固定され、オレンジ色の保護液が容器を満たしている。
その中に収められているものを見て、晄があっと声を上げた。
「視覚に頼らず相手の位置を把握できる者。遠方に声を飛ばすことができる者。振動を、生み出せる者。そんな芸当ができる者は一人しかいない」
その顔を見た明が最初に思ったことは、「鳴衣に似ている」だった。
痩せ気味の細い体。青みがかった長い髪。
胸中のざわめきを押し殺し、憮然とした表情を作る。名を呼び、対峙の覚悟を決めるために。
「そうだろう? ……波を操る現神、ナキサワメ」
目を見開いた晄がこちらとあちらを見比べている。
培養槽に浮かぶ女性は答えず、その双眸は閉ざされたままだ。
だが明は動かない。意識はそらさず、飛び出しそうな晄を手で制す。ブレーキをかけ損ねた彼女が肘に頭をぶつけた。
「ちょ、なんで止めるのさ夜渚くん!? あの人、閉じ込められてるんだよ!? 早く助けてあげなきゃ!」
大声で抗議する晄。明は小さく首を振り、彼女の誤解を正した。
「囚われのお姫様ごっこで俺を騙せると思うな。その手のタヌキ寝入りはヒルコで予習済みだ」
「えっ……?」
「晄、見た目に惑わされるな。あれは哀れな囚人ではない。飛来御堂の真の主だ」
明の言葉に反応するように、ナキサワメがゆっくりと目を開けた。
その瞳に映っていたのは、完全な空虚だった。
感情を映さない真空。
話が違うぞヒノカグヅチ、と明は心中でこぼした。
『君たちを油断させようとしたわけじゃない。ただ、どんな顔をすればいいのか分からなかっただけ』
彼女の唇は固く結ばれている。だというのに、明はすぐ耳元でささやかれているような錯覚を感じていた。
「何、これ……。どこから聞こえてるの?」
「うろたえるな。空気を振動させることで音声を作っているだけだ。チャチな手品に過ぎん」
「その発言は自分に返ってくるからやめた方がいいよ夜渚くん……」
ナキサワメは能面のような表情でこちらを見つめている。
対する明はその視線を真っ向から受け止めた。空無の果てを見通すように。
「ニニギノミコトに続いてお前も生きていたとはな。神産み計画の中心人物がこんなところで生体ユニットの真似事とは、一体どういう風の吹き回しだ?」
『罰、と言えば分かるでしょう?』
「イザナミの暴走、か。あれはお前だけの責任ではないと聞くが」
『だけど、惨劇の引き金を引いたのは他でもない私。大勢の人の命を奪っておきながら、私一人のうのうと生き永らえるなんて……そんなの、皆が許しても私自身が許せない』
「だから自分を封じたのか。この飛来御堂に」
『陛下には止められたけどね』
視線を遠くに移すナキサワメ。遥かな、過ぎ去ってしまった過去に思いを馳せるように。
『飛来御堂と国譲りは陛下にとって保険のようなものだった。使わずに済めばそれでいいし、私自身そうなることを願ってた。誰もいないこの場所で、自分の罪を永遠に悔い続けることが私の望みだったから。……だけど、そうはならなかった』
「そこが分からんな。お前たちは何を考えている? そもそも国譲りとは何だ?」
『言葉通りの意味だよ。ただし、今度は逆。神から人に、この国を譲り渡すの』
「待って! それっておかしくない?」
晄が思わず声を上げた。
「私たち、神様に支配されてないよ。この国はもう人間のものなのに、なんで今さら国譲りが必要なの?」
『この国から神を取り除くためだよ』
「いや、だから神様なんてどこにもいないじゃん。悪いことしてた現神だって、去年の戦いでみんな死んじゃったよ」
『いるでしょう? ほら、今も私の目の前にいる』
「え……」
「……そういうことか」
ナキサワメの視線が晄に、そして明に注がれる。
虚ろな瞳が像を結び、その中心に神が映し出されていた。
『現神、八十神、そして荒神。全ての神を抹殺し、この地を本来あるべき姿に戻す。それが私たちの国譲り』




