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第十四話 獅子奮迅

 広場の中央、黒煙くすぶる地面を踏みしめるニニギノミコト。

 大山のように盤石なたたずまいは揺るがぬ自信の表れでもある。


天沼矛(あめのぬぼこ)の何たるかに気付いたか。見事。そこに思い至った者は高天原(たかまがはら)でもごくわずかであるというのに」


 切り札を看破されたというのに、彼は驚く素振りすら見せなかった。まるでそれら全てが無意味だとでも言うように。


「……だが、それだけだ。知ったところで天沼矛を破ることはできぬ!」


 吠える。


「天沼矛は一にして全。この世全ての写し鏡。いかな蛮勇とて、只人(ただひと)の身で森羅万象の一切を受け止めることができようか? いや、無い!」


「飛んで火にいる夏の虫が偉そうにしてんじゃねえぞコラァ! ノコノコ出てきた時点でてめえの負けは決まってんだよ!」


 黒鉄(くろがね)が石垣から新たな刀を作り、(ひかる)の周囲にいくつもの光球が現れる。倶久理(くくり)の鬼火たちも威嚇(いかく)するように明滅を繰り返していた。

 たしかに黒鉄の言う通りだ。

 明たちの目的はニニギノミコトの撃破であり、それさえ果たせば全てが終わる。飛来御堂(ひらいみどう)に何が隠されていようと、それを利用する者がいなくなれば何の脅威にもならないのだ。


(敵がニニギノミコトだけなら、な)


 おかしな点はいくつもあった。

 第一に今の状況だ。大将であるニニギノミコトが危険を冒してまで戦場に出てくる意味が分からない。

 自分が死ねば一巻の終わりなのだ。戦いはヨモツイクサに任せ、飛来御堂で守りを固めるべきだろう。

 荒神などに負けるはずがないと確信していた? ならばヨモツイクサなど使わず、最初から出陣していればいい。それこそ石舞台(いしぶたい)の時に。

 だが彼はそうしなかった。飛来御堂を隠し、自分を隠してきたはずの黒幕は、土壇場になってから急に自己主張を始めた。

 第二に、ニニギノミコトの登場が不自然だった。

 亀石の時、彼は堂々と名乗りを上げることで自らが事件の張本人であることを強調した。そうするメリットが何一つ存在しないにも関わらず、だ。

 それに加えて、かねてより明が感じていた"違和感"の正体を突き詰めていくと──


(これは……よろしくない流れだぞ。陽動されていたのは俺たちの方じゃないか)


 この事実を一刻も早く伝えなければ。ニニギノミコトに気取られることなく。

 明は目立たぬように意識して、じりじりと足を動かしていく。その先にはニニギノミコトを見据えるスクナヒコナの姿があった。


「陛下! なぜこのようなことをなさるのですか! 荒神たちは神の力を受け継ぎし人、あなたの愛した高天原そのものなのですよ!?」


 小さいながらに声を張り上げるスクナヒコナ。そびえ立つニニギノミコトを少しでも震わせるかのように。

 しかし巨人は微動だにしない。象牙色の瞳に浮かぶのは悲しみであり失望の色だ。


「なぜ、だと? 分からぬか? 現神(うつつがみ)一柱(ひとはしら)とはいえ、そなたならばと期待していたのだが……それでも分からぬとはな。やはり()の考えは間違っていなかったようだ」


「陛下……? 先ほどから何をおっしゃっているのですか?」


「余は高天原が失ったものについて話しているのだ。だが、今のそなたにはその資格すら無い」


 剣呑(けんのん)(うな)り声がニニギノミコトの喉元で生まれる。それが攻撃という形を取る直前、明は跳んでいた。

 着地。前転。もぎ取るような動きでスクナヒコナを抱きかかえ、ベクトルそのまま再跳躍。

 その足が地面を離れた時、背後に黄金が見えた。

 天沼矛が来る。


「──!!」


 落雷さながら、巨大な銅鑼(どら)をめちゃくちゃに叩き鳴らしたような音だった。

 空気の振動は物理的な威力を備えた衝撃波となって拡散する。直撃を避けた後に来るのはそれだ。

 丸太で殴られたような感覚が背中を襲う。

 が、衝撃波とはすなわち空気の波だ。波と波の間、衝撃のポケットを見つけて勢いを合わせればダメージは半減する。

 ……もっとも、それは「丸太で殴られる痛み」が「木の棒で殴られる痛み」に変わる程度のものだが。


「夜渚さん! ご無事ですか!?」


「外傷は無い。むち打ち症にはなるかもしれん……」


「その時は私が治します」


「いや普通に入院させてくれ……」


 ぬかるみに手をつき、痛みをこらえて立ち上がる。空いた片手でスクナヒコナをしっかりと抱えたまま。


(合流には成功した。あとは奴がこちらから目を離してくれさえすれば……)


 明がそう思った時、ちょうどいいタイミングでニニギノミコトに食って掛かる者がいた。


「おい、()る相手を間違えてんじゃねえぞ! そのガキはてめえの大事な部下だろうが!」


「どのみち死ぬのだ。早いか遅いかの違いでしかない」


「だったらてめえに一等賞を譲ってやらぁ!」


 黒鉄が刀を構え、ニニギノミコトがそちらに意識を向ける。そのスキを明は見逃さなかった。

 発動する振動波。しかしその対象は敵ではなく、腕の中にいるスクナヒコナだ。

 微弱な振動を利用した骨伝導通信は、音漏れを伴わない完全な秘密通話として機能する。

 その振動に込められた言葉はいたってシンプルだ。


『ニニギノミコトは囮だ。真の黒幕は飛来御堂にいる』


 スクナヒコナが息を飲む。

 明はうっかり振り向きそうになった彼女をすんでのところで押さえ込んだ。


『俺たちが気を引いているうちに儀式を進めろ。奴の相手は黒幕を倒した後でいい』


『1分だけ時間を稼いでください』


 "蟲"による返答が送られてきた。仲間たちの表情を見るに、ここにいる全員に情報が共有されたのだろう。

 トラブルはあったが、やるべきことは大して変わらない。"ヨモツイクサを地上に置き去りにする作戦"が"ニニギノミコトを地上に置き去りにする作戦"に変わっただけだ。

 ゆえに明は意気揚々と前に出た。自分の体でスクナヒコナの姿を隠すように。


「行くぞニニギノミコト。最初の現神だか何だか知らんが、新世代(ニューエイジ)の力を舐めるなよ」


「弱い犬ほどよく吠えるという。余の瞳にはそなたたちの恐怖が見えるぞ」


「あら、でしたら眼科に行くことをおすすめいたしますわ。──もっとも、もう手遅れかもしれませんが」


 にこやかに笑う倶久理。その両脇に控えていた鬼火が高速の突進を見舞う。

 ニニギノミコトは巨体らしからぬ身軽さで回避。二度のステップで鬼火をいなし、風のように前進。

 大きな一歩が倶久理との距離を縮めようとしたその時、彼の体がぐらついた。


「ぐ……こしゃくな!」


「だから眼科にお行きなさいと申しましたのに」


 死角からの強襲。木々の間に隠れていた小さな鬼火が目の前に飛び込んできたのだ。

 焼かれた顔を片手で押さえ、たたらを踏んで後退するニニギノミコト。その側面から黒鉄が忍び寄っていた。


「疾っ──!」


 音を最小限に抑えた跳躍。高さを稼ぎ、無防備な脇腹を狙って斬撃。視界を奪われたニニギノミコトに打つ手は無い。

 はずだった。

 明はそこで驚くべきものを見た。

 ニニギノミコトが黒鉄に反応したのだ。

 斜めに打ち下ろされる手刀。それも、苦し紛れに手をばたつかせるようなものではない。明確に敵を(とら)え、その命を確実に葬り去る力が込められている。


「ウッソだろおい!?」


 空中の黒鉄は刀を強く握り込み、異能を発動。再鋳造で刀身を伸ばし、そのまま地面に突き刺した。

 つっかえるように急停止した彼の眼前を抜けていくのは手刀であり、それが生み出す突風だ。突風は圧力となり、不可視の牙で大地を深くえぐる。

 ブレーキとしての機能を果たした刀を再び短く再鋳造。黒鉄が地に足を戻す。

 彼を追い詰めるべく、今度は蹴りが飛んできた。


「正面から受けるなよ! 奴は異能で身体能力を強化している!」


「んなこた分かってんよ!」


 またも正確無比な狙い。

 黒鉄は刀を盾にバックステップ。完全な回避が不可能と見て、威力を殺しつつ吹き飛ばされることで致命傷を防ごうという判断だ。

 事実その狙いは成功した。半分は。

 強烈な破砕音。黒鉄の体が軽々と宙を舞い、広場の端に落下する。

 彼自身はどうにか受け身を取ったが、その(かたわ)らには真っ二つにへし折れた刀が無惨な姿を(さら)していた。


「なんと(もろ)い刀よ……。フツヌシならば刃こぼれ一つ無かったであろうに」


 ニニギノミコトが、己の顔を覆っていた手を離した。

 そこには火傷の痕など存在していなかった。

 生命力の増幅による超回復。そこで明は気付く。敵はわざと鬼火の攻撃を受けることで、こちらの油断を誘ったのだと。


「どうした娘よ。余の(かんばせ)に死化粧を施してくれるのではなかったのか?」


「くっ……! でしたら、何度でも焼いて差し上げますわ!」


 倶久理の号令の下、数体の鬼火がニニギノミコトを包囲する。

 ハチの羽音にも似た放電音。鬼火たちは火花を散らしながら獲物に殺到し──


「控えよ、獣ども! これなるは大王(おおきみ)であるぞ!」


 山をも揺らす一喝。

 ただそれだけで、全ての鬼火が消し飛んだ。まるで真なる王に平伏するかのように。


「そんなっ、霊体に干渉できるなんて……!」


「生命力を弱体化させる力の応用だろう。直に食らえば俺たち生者もあの世行きだぞ!」


 霧散していくプラズマ体を背後に流し、ニニギノミコトが倶久理に迫る。まさに明が指摘した通りのことを実行するために。

 ……だが、明の異能は知っている。"そこに倶久理はいない"ということを。

 倶久理の"姿"はあの場所にあるが、その実体は既にニニギノミコトから離れている。見えているのは光の虚像だ。

 それを成した張本人(ひかる)は、ハッタリの光球を掲げたまま密かに舌を出していた。


(なるほど。戦うのは苦手でもこういうやり方で支援することはできる、か)


 そうとは知らず、ニニギノミコトは猛烈な勢いで偽の倶久理に突っ込もうとしている。虚像の裏に隠れているのは、黒鉄だ。

 彼は折れた刀を小太刀に再鋳造。最高速の斬撃を繰り出すべく、少しずつ助走を速めていく。


(念には念をだ。もう一手加えておくか)


 奇襲をより確実にするため、明はその場で足を打ち下ろした。

 足音は異能によって増幅され、拡散し、木々にぶつかり乱反射。ざわめきのような騒音となって黒鉄の足音をかき消した。


(今度こそ不意を突けるか? いや、しかし……)


 無論、これで決まるに越したことは無い。

 だが、万が一明の"悪い予感"が当たっていれば、この奇襲は失敗する。

 どうか当たってくれるなよと願いつつ、明は事態の推移を見守っていた。

 そしてその時が来た。

 黒鉄がさらに加速し、ニニギノミコトが黒鉄の間合いに飛び込む、その刹那。

 ニニギノミコトが急停止した。

 穿(うが)つような踏み込み一つで、前向きの推力を相殺してみせたのだ。


「たわけめ。狩人は狐の巣穴に飛び込みはせぬ。角笛を吹き鳴らし、怯える獲物を追い立てるのだ!」


 開かれた口から獰猛な牙が垣間見え、黄金の息吹が大蛇のようにとぐろを巻く。その照準は、本来見えぬはずの黒鉄に向けられていた。

 やはり、と明が確信すると同時、天沼矛が撃ち出された。

 小規模とはいえ、ビッグバンが生み出すエネルギーは極大の一言に尽きる。

 それは空間そのものを食らい、光の虚像すらも打ち砕いて爆進。創世の光は破壊の別側面を剝き出しにして世界を蹂躙する。

 まやかしは消え去り、真実の光景が明の目に飛び込んできた。

 見えたのは黒鉄の姿。まだ生きている。

 彼は限界まで姿勢を低くし、地面すれすれを走ることで天沼矛の下をかいくぐったのだ。


「ぬうっ……!?」


 ニニギノミコトの顔色が変わる。迎撃のために腕を振るうが、遅すぎた。

 いや、黒鉄が速過ぎたのだ。彼は天沼矛の爆風を背後に受けることで、その体を急加速させていた。


「往生しやがれ……!」


 (ふところ)をかすめるように交錯。鋭い剣筋が光る軌跡を描く。

 入った。

 十数メートルのオーバーランを経て黒鉄は着地。

 しかし彼はそこから動かず、信じられないような目で己の小太刀を見つめていた。

 直後、小太刀が(つか)の部分だけを残して粉々に砕け散った。


「黒鉄の刀が、また折れただと……!?」


 慌てて視線を動かす明。

 そして、少しだけ安堵した。ニニギノミコトが無傷ではなかったからだ。

 脇腹からあふれ出る鮮血。深々と切り裂かれた傷口の奥には背骨らしきものの断面が見えている。

 ……見えていた。そう、ついさっきまでは。

 しかし今はもう何もない。ニニギノミコトが傷口を一撫ですると、それは魔法のように消えてしまった。

 非常識なまでの回復速度。彼にとって致命傷は致命傷になり得ない。

 ニニギノミコトはもはやこちらに目を向けることすらしない。彼は疑問に頭をひねりながら、豊かなたてがみをかきむしっていた。


「またも天沼矛を(しの)ぐか。勘がいいのか運がいいのか……」


「てめえがノーコンなだけだろ」


「そうかもしれぬ。もう長いこと戦場から離れていたからな」


 彼は自らを納得させるようにうなずくと、


「だが、安心するがよい。次は外さぬ」


 獅子の眼光が再び明たちに注がれる。そこには一片の慈悲も無い。

 それどころか、敵はさらなる駄目押しを加えようとしていた。


「……来てしまったか」


 明が悔しげに見つめる先は空だ。

 電磁的な波動を有する存在が1、3、5、10……まだ増える。都合30は下るまい。

 それは次々と着地すると、己が奉じる王の前に馳せ参じた。

 ヨモツイクサだ。

 陽動など、何の意味も無かったのだ。


「では、終わりにしようか」


 ニニギノミコトが静かに告げる。

 タヂカラオに匹敵するパワー。オオクニヌシ以上の回復力。そして、タケミカヅチの雷撃すら凌駕する最終奥義──天沼矛。

 名実ともに最強の現神は四肢に力をみなぎらせ……その時、ようやく明の待ち望んでいた瞬間が訪れた。


『準備、できました』


 "蟲"の知らせに笑みを返す明。

 応じるように、音が大気を震わせた。

 儀式の完了を告げるのは雷だ。それは"落雷"ではなく"昇雷"であり、耳成山(みみなしやま)から飛来御堂に向けて放たれたものだ。

 電磁の鎖は二つの遺跡を繋ぐ架け橋となる。橋のたもとには光の鳥居が突き刺さり、その先に広がる虚ろな空間を映し出していた。

 飛来御堂へと通じる門が現れたのだ。


「お前の言う通り、これで終わりになってしまったな。時間稼ぎに付き合ってくれて感謝するぞ」


 目一杯の皮肉を乗せた一言。

 対するニニギノミコトは──笑っていた。

 明の笑みが凍る。


(……まさか)


 自分たちは時間稼ぎをしていた。そしてそれは成功した。そう思っていた。

 だが、向こうの目的も同じだとしたら?

 こちらの目論見など、最初からバレていたのだとしたら?

 答えは目の前、ニニギノミコトの拳にあった。


小童(こわっぱ)よ、そなたはここをどこだと思っている? 余を誰だと思っている? 大和三山(やまとさんざん)の電力を扱えるのが自分たちだけだと思ったか?」


 その拳に宿るのは青の閃光。……すなわち、電気だ。


「愚かなり荒神! ここは耳成山! この大王のお膝元である!」


 帯電した拳が地を叩く。

 直後、真っ白な霧が立ちのぼった。

 ──フトタマの結界。

 現世と隔絶された閉鎖空間。脱出不可能な電磁の牢獄だ。

 それを見た明は反射的に叫んでいた。


「全員、門に急げ! 閉じ込められるぞ──!」


 がむしゃらに走る彼の視界が瞬く間に白く染まっていき、そして──



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