第十三話 原初の異能
雨が降っていた。
万の水滴が木々を打ち、地鳴りのような音が山肌に落ちる。
そのさなかを駆け抜ける影があった。
影の数は5つ。全員が傘を差し、フード付きの雨具を深くかぶっている。
彼らが進むのは耳成山の山道だ。木の根を飛び越え、小石を蹴散らし、灯篭付きの石段を一気に駆け上がる。
石段の果てにたどりついた瞬間、視界が開けた。
そこにあるのは砂利敷きの平らな広場。山中に作られた無人の神社だ。
高い木々によって四方を囲まれたその空間は、あたかも現世と隔絶されたような雰囲気を醸し出していた。
「……無事到着できたな。ある程度の陽動には成功したと考えるべきか」
広場に一番乗りしたのは明だった。
傘を投げ捨て、視線を周囲に走らせる。今のところ、彼の異能は怪しい波動を感知してはいなかった。
一足遅れて黒鉄が到着し、邪魔くさそうにフードを脱いだ。
「おい、顔を晒すなと言ったはずだぞ。これまでの苦労を台無しにする気か」
「苦労っつってもなあ……こんなもんが本当に意味あるのかよ? 雨ん中をあっちこっち走り回っただけじゃねえか」
「常日頃から監視衛星を警戒している奴の教えだぞ。多少の効果はあるはずだ」
「嘘くせえ」
飛来御堂は空にいる。ならば空に注意を払えばその追跡をかいくぐることができるだろう、というのが木津池のアイデアだった。
ゆえに彼らは雨を待ち、顔を隠し、何度も迂回し、バスを乗り継ぎ、地下道を経由して耳成山にやってきたのだ。
「ですが、本番はこれからですわ。ひとたび転移の準備を始めれば、飛来御堂に気付かれることは避けられないでしょう」
倶久理が丁寧に傘を畳みながら現れ、最後に晄とスクナヒコナが息を切らせてゴールした。この5人が先発隊だ。
敵は大王ニニギノミコトと多数のヨモツイクサ。
ニニギノミコトが飛来御堂を離れることはないだろうが、ヨモツイクサは間違いなく妨害に現れる。そして彼らへの対応こそが戦いのカギになると明は考えていた。
(奴らが何匹いるのか知らんが、全軍を一か所に集中されたら確実に圧殺されるからな。勝ちを得るためには戦力を分散させる必要がある)
こちらの立てた策は一つではない。他の大和三山──畝傍山、そして天香久山にも荒神たちを配置している。
「奴らは俺たちが転移しようとしていることは分かっても、どの場所が本命かまでは分からない。そこに付け入るスキがある」
仲間たちが敵の注意を引いているうちに、耳成山の電力を借りたスクナヒコナが進入路を切り開く。
続いて先発隊が内側から仲間を招き入れ、全員でニニギノミコトを討ち取るというのが明たちの作戦だ。
上手くいけばほぼ全てのヨモツイクサを地上に置き去りにすることができる。ただし、失敗すれば各個撃破されて終わりだ。
「スクナヒコナ、準備はできているか?」
「問題ありません。こういった術の行使には慣れています」
スクナヒコナは強行軍の疲れから復帰したところだった。
取り出したるは鈴を備えた榊の枝。これは儀式の触媒であると同時に、大和三山のアクセスキーでもある。
彼女は広場の一段高い場所、小さな社の前でうやうやしく膝をついた。
「ねえスクナちゃん、転移って言ってたけど具体的に何するのさ?」
下の段から晄がひょっこり顔を出した。スクナヒコナは顔を上げ、
「大量の電子で肉体を素粒子レベルに解体し、磁力で引っ張り上げたのちに転移先で再構成するんです」
「バラバラにするの!?」
晄が驚嘆の声を上げ、明はぎょっとした顔をした。
「細かく砕かないと飛来御堂の外壁にぶつかってしまいますからね。大きな家具を部屋の中で組み立て直すようなものです」
「へー、そんなことできるんだ。超古代文明ってすごいね!」
「『すごいね!』じゃないだろうが馬鹿! スワンプマン問題を知らんのか!? 再構成された俺たちが同一の俺たちであるという保証は無いんだぞ!」
「フランスパン問題?」
「くそ、無知とは幸せなものだな……」
「夜渚さんはこういったやり方がお気に召しませんか? とても洗練された技術だと思うのですが……」
捨てられた子犬のような目でこちらを見るスクナヒコナ。明はこの女のこういう態度が最高に苦手だった。
「はぁ……もういい。なるようになれだ。後のことは全部"次の俺"に丸投げしてやる」
すねたようにそっぽを向く明。
一息の後、彼の意識は空へと移る。
降り続ける雨と灰色の雲。フードの上に親指を引っ掛け、上への視界を少しだけ確保した。
「この空の向こうにニニギノミコトがいるのか。あの男、果たして何を企んでいるのやら」
木津池の報告によれば、飛来御堂は大和三山周辺を低速で周回しているとのことだ。
こちらの動きに気付いたのか、それとも何らかの計画を進めている最中なのか。どちらにしろ、敵に頭上を抑えられている状況はあまり面白いものではない。
あれから何度か議論を重ねたものの、ニニギニミコトの目的は分からずじまいだ。
分からないといえば飛来御堂もだ。あの要塞に秘められた力は全くの未知数。あの木津池でさえ匙を投げたほどだ。
それどころか、飛来御堂には一切の攻撃武装が搭載されていないのだ。
亀石から得られた情報によると、大砲はおろかそれを配備するためのスペースすら無いのだという。軍事施設にあるまじき体たらくだが、事実なのだから仕方がない。
飛来御堂は裸の王様。空飛ぶカカシなのだ。──表向きは。
(だが、本当にそれだけではないだろう。現神の王ともあろうものが、ただのガラクタをヨモツイクサに守らせるとは思えん)
飛来御堂には隠された真の機能がある。そして、それはニニギノミコトの目的と深く関係しているはずだ。
明は再びフードをかぶり、視界の端でスクナヒコナを捉えた。
「スクナヒコナ、お前から見たニニギノミコトはどういう人物だったんだ?」
スクナヒコナは榊の枝を掲げたまま沈黙していたが、ややあってから口を開いた。
「……難しい質問ですね。私たちにとっては月の満ち欠けのように当たり前の存在でしたから、これ、と一言に言い表すことはできません」
「ならシンプルな二択に変えよう。奴は善人か? 悪人か?」
「個別の事例については思うところもありますが、総じて善良な王だったのではないかと。いたって公平無私な方でした」
「だが今は暴君だ。理由は知らんが」
「だからこそ、なのかもしれません」
スクナヒコナが腕を払うと、榊の枝が帯電した。
凛とした鈴の音が雨音を断つ。
そこで彼女は動きを止めて、思わしげな沈黙を作った。
「今思えば、あの方は善良すぎたような気がします。現神とはいえ、一人の人間が全てを背負い切れるはずもないのに」
「では、今回も奴なりの善意が暴走した結果だと?」
「分かりません。ですから、私たちは彼に会う必要があります」
スクナヒコナが立ち上がり、厳かな動きで反転。また鈴の音が鳴った。
明の異能は、彼女と耳成山を繋ぐ電磁的な繋がりを感じ取っていた。
作戦開始だ。
もう後戻りはできない。明は異能の感度を最大限に高めると同時、仲間たちに檄を飛ばした。
「転移の儀式が始まるぞ。警戒しておけ!」
「遅えよ馬鹿」
ダウナー気味の罵倒に視線を向ける。見えたのは、畳んだ傘を真上に放り投げる黒鉄の姿だ。
それは雨に逆らい、滝を上る鯉のように飛翔。
数瞬ののち、刀という名の竜と化して戻ってきた。その刀身にヨモツイクサの残骸を突き刺したまま。
「黒鉄くん、ナイス出落ち!」
「……驚いたな。俺より先に気付くとは」
「今回はカンニングしたからな」
「は?」
「あ~、いいから続けっぞ。そっちもしくじるなよ」
黒鉄の言葉通り、今度は明の頭上に反応が現れた。
それは近くの樹上に降り立つと、木の幹を滑走路代わりに疾駆。根元にいる明に矛先を定めた。
「倶久理!」
「存じておりますわ」
突如として樹木が傾き、ヨモツイクサがバランスを崩す。倶久理の鬼火が幹を焼き切ったのだ。
落下しつつも体をひねり、明の首を刈らんと迫るヨモツイクサ。
地に足をつけた明は、落ちる敵と正対するような形で拳を打ち上げた。
強烈なクロスカウンター。インパクトの瞬間、相手の視覚素子に強烈な振動波を叩き込んだ。
「これで2体か。幸先がいいな」
「明様、手から血が……」
「気にするな。ノリで殴ったらめちゃくちゃ痛かっただけだ」
「明様も石器時代ですの……」
「変なあだ名を付けるな。……しかし、ずいぶんと散発的な襲撃だな」
再び静寂を取り戻した広場を見回し、明がこぼす。
現れたのはヨモツイクサが2体だけ。後続が来る気配も無い。決死の総攻撃を予想していただけに拍子抜けだった。
(戦力の逐次投入は下策だと分かっているはずだが……陽動が思った以上に効いているのか?)
あまりにも上手く行き過ぎて、どうにも不安が拭えない。
仲間たちも同じことを考えていたようだ。晄は落ち着きなく歩き回り、倶久理は鬼火を近くに控えさせたままだ。
ただ一人、黒鉄だけは違った。
「へえ、そういうことかよ」
彼はヨモツイクサから刀を引き抜き、その切っ先を迷わず空に向ける。まるでこの先起きることを知っているかのように。
「見ろよ。お出ましたぜ」
何を、と明が言う前に変化は現れた。
雨が止んだのだ。
空を覆う厚雲に切れ目は無い。にも関わらず、耳成山に満ちていた雨音は完全に消えており、聞こえているのは樹上からしたたり落ちる水滴の音だけだ。
雨の代わりに落ちるのは影だ。
雲より黒い漆黒の天蓋が、この地に巨大な影を落としていた。
影の形は幾何学的な正四角錐。……ピラミッド型だ。
「飛来、御堂……」
明はあっけに取られた表情で飛来御堂を見上げていた。
飛来御堂が迷彩を解除し、自分たちの前に姿を現した。それはつまり、これ以上隠れる必要が無くなったということだ。
敵はとてつもない何かをしようとしている。近いうちに。ひょっとすると今すぐにでも。
「まずいぞ。何か知らんがタイムリミットが近そうだ」
「そうなの? でも……タイムリミットって何の?」
「俺たちの敗北が確定するような何か、だ」
不気味にたたずむ飛来御堂が否が応にも不安をかき立てる。
明はスクナヒコナを急かすため、一旦空から視線を外し──
──しかし、彼はそうすることができなかった。
その瞬間、明の目は空に釘付けになっていた。
巨大な何かが、飛来御堂から降りてくる。空を突き抜け、圧倒的な波動を伴って。
その波長を明は知っていた。
彼が幾度となく戦い、幾度となく打ち破ってきた、彼ら特有の波長を。
現神だ。
「……馬鹿な」
有り得ない。
こいつがここに来るわけがない。あえてそうする意味が無い。非合理的だ。
どれだけ否定を重ねても現実は変わらない。
それは轟音と共に降り立ち、衝撃に折り畳んでいた膝をゆっくりと伸ばした。
はためくマント。猛々しい筋肉の鎧。豊かな稲穂を思わせる黄金のたてがみ。
背丈はゆうに8メートルを超え、その立ち姿には王者の風格が漂っている。
獅子の頭を持つ巨人。
その名を、ニニギノミコトという。
「どうした? そなたたちの求める王が自ら赴いてやったのだ。諸手を挙げて出迎えるのが礼儀であろう」
ニニギノミコトが顔を傾け、鷹揚な笑みを浮かべる。射殺すような殺気と共に。
予想外の展開とプレッシャーに圧され、とっさに反応が遅れた。一人を除いて。
「悪いが両手が塞がってるんでな。こいつで勘弁してくれや」
動いたのは黒鉄だ。刀を下段に構えた彼は、早くも相手の懐に飛び込んでいた。
完璧な奇襲。ニニギノミコトは棒立ちで、構えすらしていない。
殺った。
と明が思ったその瞬間、ニニギノミコトが足元の黒鉄を見た。余裕の意志をもって。
「その意気やよし。ならばこちらも全力で応えるのが礼儀というもの!」
雷音のごとき咆哮が轟き、獅子の口が黄金の輝きを放つ。
明はそれに見覚えがあった。
たった一撃で亀石を消滅させ、ヒノカグヅチを征した謎の光だ。
「黒鉄、逃げろ!」
極限まで凝縮された光が臨界点を迎えた時、それは一条の奔流となって撃ち出された。
「ちぃっ──」
黒鉄の判断は早かった。
刀を放棄し、全力で回避。直後、彼のいた場所が黄金のしぶきに飲み込まれた。
耳をつんざくような爆発音。
風が渦巻き、周囲の砂利が散弾のように飛び散っていく。
「……冗談きついぜ、こりゃあ」
身を起こした黒鉄が目の前の光景に絶句する。
真っ黒に焦げた山肌。燃える木々。爆心地には大型重機で掘り返されたような穴が空いている。
蒸発した雨水が大量の霧を生み出し、広場を白く染めていく。
が、巌のような巨腕が一振りされると、霧はたちまち林の奥に逃げて行った。
残されたのは爆発の残り香。蝶のように舞い踊る、黄金の光塵だ。
「ほう、あの距離から天沼矛を避けるとはな。中々どうして、やるではないか」
「天沼矛だぁ?」
眉をひそめる黒鉄の後方で、恐れを含んだスクナヒコナの声がする。
「天沼矛……大王の剣にして、彼にのみ与えられた最強の力。ですが、その正体は高天原の最高機密として現神にすら明かされていませんでした」
「いいや、正体なら分かっている」
「えっ? 夜渚さん……?」
明は見る。風に溶けゆく黄金の残滓を。その異能をもって。
その波長は亀石の時と変わらず、どのようなエネルギーとも一致しない。それでいて、あらゆるエネルギーと類似する特徴を持っていた。
だから明は結論付けた。
これは"全てである"と。
「それは光であり、熱であり、電気であり、重力であり、それら全てを内包するもの──宇宙だ」
ニニギノミコトが笑みを得る。それは明の仮説が証明されたことを意味していた。
「ニニギノミコトは豊穣と生命を司る。眷属である稲船は単純な身体強化や弱体しかできなかったが、オリジナルは違う。極限まで高められた異能は、宇宙そのものをゼロから生み出すに至ったんだ」
「こんな状況で意味不なこと言ってんじゃねーよ転校生。それじゃまるで──」
そう言いかけた黒鉄もまた答えにたどりついたようだ。
明はうなずき、確信を携えた腕先でニニギノミコトを指した。
「そうだ。宇宙の創生、それすなわち天地開闢の力──ビッグバンに他ならない!」




