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第十話 ホルスの眼光

 同時刻。明は亀石を調査するため、再び明日香村(あすかむら)を訪れていた。

 亀石は石舞台(いしぶたい)に向かう道の途中、丘の上に作られたニュータウンの端に存在する。

 サイズはおおよそ車1台分。製作者は不明。作られた時期も不明。

 岩全体が亀のような形にカッティングされているため、いつからかそのように呼ばれている。


「その亀石が飛来御堂(ひらいみどう)に関係している、か。ありえない話ではないな」


 ニュータウンの街並みを左手に仰ぎ、のんびりとした足取りで坂道を歩む明。傾斜はきついが、大荷物を背負っていた昨日と比べれば天国のような道のりだった。


夜渚(よなぎ)くんは昨日もこの道を通ってたんでしょ? 亀石に何かあるって気付かなかったの?」


 20歩ほど遅れた位置から(ひかる)が声を飛ばす。明は少し先のバス停で立ち止まり、彼女が追いつくのを待った。


「あまり無茶振りするな。俺の異能は電磁波に敏感だが、だからといって四六時中感度を鋭くしていたら身が持たん」


「そんなこと言ってホントはめんどくさいだけじゃないの?」


「お前には感度3000倍の恐ろしさが分かるまい。3軒先の住人が電子レンジを使っただけで鳥肌が立つんだぞ」


『その気持ちは私にも理解できます。多くの"蟲"を同時に操作していると、情報量が多すぎてパンクしてしまいそうになりますから』


 すぐ耳元でスクナヒコナの声がした。明は自分が登ってきた道を振り返り、


「……いないぞ」


「スクナちゃんなら近くのコンビニで休憩してたよ」


「使えん奴め。いっそのこと背負っていった方が早かったかもしれんな」


「おっ、夜渚くんってば見かけによらず肉体派だねえ」


「待つのが面倒なだけだ。……アンテナよりは軽いしな」


 今来た道を引き返し、コンビニの敷石に座っていたスクナヒコナを捕獲。彼らが亀石前に到着したのは10分後のことだった。

 亀石は住宅地の裏手にあった。小さな民家と柵に囲まれてひっそりと息をひそめる様子は亀のイメージそのものだ。

 柵の前ではヒノカグヅチが待っていた。彼はこちらに気付くと振り返り、挨拶(あいさつ)代わりに静電気を弾けさせた。


『あ、やっと来たね』


「こちとら空を飛べないからな。しかも重し付きだ」


「それは夜渚さんの勘違いです! 重くはありません!」


「前は貧相なのが悩みとか言ってなかったか……?」


 相変わらず女心はよく分からない。

 明は重しを地面に降ろすと、両手をポケットに入れた。視線の先には(くだん)の亀石がある。


「こいつが亀石か。言うほど亀には見えないが」


「そうかな? ほら、この辺とか亀の頭っぽくない?」


 晄が指し示したのは石の前面だ。一段低くなったところに頭のような出っ張りが存在し、ちょうど目にあたる部分には2つのこぶが浮き出ていた。

 柵の上から身を乗り出すと、その全容をしかと目に焼き付ける明。そして結論付ける。


(……やはり分からん)


 小学生の頃、家族でプラネタリウムに行った時のことを思い出す。

 鳴衣(めい)は天球を指差して「ほんとだ!サソリが見える!」などとはしゃいでいたが、当時の明には表示されたイメージ図と星々の光に何の関連性も見出すことができなかった。

 むしろ、今の自分は全く別のものを亀石の姿に重ねている。それは例えるなら何かの装置であり、それを操作するためのボタンだ。


「スクナヒコナ、どうだ?」


 木製の柵を潜り抜け、亀石の前に立つスクナヒコナ。その指先が亀の左目にそっと触れる。

 その時、明はかすかな電磁波のゆらぎを感じ取っていた。


「当たりか?」


 スクナヒコナはすぐには答えなかった。ややあってから、言いよどむように、


高天原(たかまがはら)文明のものであることは間違いありません。ただ、電圧が不安定なので起動には時間がかかりそうです」


「つまりバッテリー切れか。花崗岩(かこうがん)は自家発電できるからそういったトラブルとは無縁だと思っていたが」


「スマホの予備バッテリーならあるけど、どこかにUSB端子とか付いてないかな?」


「もし付いていたらそれはそれで怖いな……」


 作業が長丁場になることを明が覚悟し始めた時、ヒノカグヅチが口を開いた。


『ねえ、僕の力で何とかできないかな? 僕が亀石の中に入ればエネルギーの問題は無くなると思うんだけど』


 スクナヒコナが顔を上げ、驚いたようにヒノカグヅチを見た。


「それは……ええ。たしかに、そうしてくださればとても助かりますが……」


 願ってもない申し出だというのに、スクナヒコナの口ぶりは重い。その瞳には迷いと躊躇(ちゅうちょ)が見て取れた。

 対するヒノカグヅチはきょとんとした様子で顔に疑問符を浮かべている。


『よく分からないけど、何か問題があるの? もしかしてすごく危ないことを言っちゃったのかな』


「いえ、それについては心配要りません。亀石に異常が起きたとしても、あなた自身に危険が及ぶことは無いでしょう。私が言いたいのはそういうことではなく──」


 そこで彼女は言葉を止めて、ばつが悪そうに目を伏せた。


「私個人が引け目を感じているだけなんです。現神(うつつがみ)の運命に翻弄されてきたあなたを便利な道具のように扱ってしまうのは、とても失礼な気がして」


 叱られた子供のように体をすくめるスクナヒコナ。

 彼女は高天原の幹部だ。発言力など無いに等しいとはいえ、祖国がしてきたことに対していくばくかの責任を感じているのだろう。

 中でもヒノカグヅチの一件は荒神狩りに次ぐ大罪といってもいい。大人の都合で子供を利用し、あまつさえ失敗作だからと地下深くに閉じ込めるなど、とても許されることではない。

 そして、それを見過ごした自分もまた同罪ではないかという負い目が彼女を卑屈にしているのだ。

 気持ちは分かる。鉄の心臓を持つ明とて、妹を亡くしたことで自責の念に駆られた経験が無いわけではない。

 だが、過去に決着のついた今、こうも思うのだ。

 相手の気持ちを無視して自らを責め続けることもまた、己の錯誤なのではないか、と。


『その……あんまり無責任なことは言いたくないんだけどさ、別に気にしなくていいんじゃないかな?』


 悲壮な空気を醸し出すスクナヒコナとは対照的に、ヒノカグヅチはごく軽い調子で言った。苦笑しながら頬をかく姿に陰は無く、むしろ照れているようにすら見えた。


『こう言うと驚かれるかもしれないけど、僕は誰も恨んではいないんだ。だって、みんながみんな必死に頑張って、でも色んな事情があって、結果として上手くいかなかった。それだけのことなのに、今さら誰かのせいにするなんて……できないよ』


「ですが、そのしわ寄せを受けたのはあなた自身なんですよ!?」


『そうだね。たしかに辛い思いもしてきたし、ずっと寂しかった。でも、今は違う』


 ヒノカグヅチがくるりと体を回す。巡る視線が明に、晄に、そしてこの世界に向けられ、最後にスクナヒコナに戻ってきた。


『僕は今ここにいて、自由に動き回ることができる。周りにはたくさんの友達がいて、僕の体はもう誰も傷つけない。それどころか、みんなの役に立つことさえできる。それってさ、とっても幸せなことだと思うんだ』


「肯定する、というのですか? あなたが味わってきた苦難を」


『違うよ。僕が肯定したいのはみんなの願いなんだ』


「……願い?」


『高天原は僕に太陽であれと願った。お父様とお母様は人を導く存在となることを願った。そして、あの人はみんなを幸せにできるようにと願った。その願いがあったから、巡り巡って今がある。そう考えるのはおかしいかな?』


 気負いも無く、ごく自然な口ぶりで(つむ)がれた言葉。

 その声にスクナヒコナは聞き入っていた。ともすれば明も。

 彼女は放たれた言葉を一字一句飲み込むように呼吸すると、ゆっくりと顔を上げた。

 どこか吹っ切れたような表情。まっすぐに伸びた背筋は意志の強さを感じさせた。


「……分かりました。では、改めてお願いします。ヒノカグヅチ、あなたの力を貸してください」


『もちろん!』


 ヒノカグヅチは笑顔と共に彼女の上で宙返り。青い軌跡がいくつもの円を描いて亀石に吸い込まれていった。

 即座に亀石が発光し、鈍い起動音を周囲に響かせていく。

 程なくして亀の甲羅、モニターに相当する部分に大量の記号が浮き上がってきた。神代文字(かみよもじ)だ。といっても明には読めないのでおそらくそうだろうという意味だが。


「いよいよ調査開始か。スクナヒコナ、何か分かったことは?」


「数多くのことが記されています。これは……とても重要な手がかりです」


 真剣な面持ちで文字の羅列を追い続けるスクナヒコナ。彼女はこちらに背中を向けたまま、確かなうなずきを返した。


「まず、この装置についてですが……これは飛来御堂の情報端末です」


「データベースだと!?」


 予想外の答えに驚きを隠せない明。しかし、即座に浮かんだのはひとつの疑問だ。


「それは大発見だが……なぜこんな場所に? 飛来御堂の中に置けばいいだろうに」


「おそらく予備の端末なのでしょう。当時は屋内に設置されていたようですが、長年の風雨によって建物が崩壊し、現在の状態になったものと思われます」


「予備……ということは冗長化の一環か。いつの時代もデータ管理の手法は変わらんな」


「夜渚くん、じょーちょーかって何?」


「バックアップ……とは少し違うか。そうだな、要するに……」


 明は頭をひねりつつ、晄にも理解しやすいような表現を探した。


「例えばお前が授業中に居眠りをしていたとしよう。もちろん授業内容はさっぱりだ」


「まれによくあることだね」


「だがクラスメートに教えを()えば、すぐに後れを取り戻すことができる。その逆もしかりだ。なぜならクラス全員が同時に同じ授業を受けているからな。ざっくり言うとこれが冗長化だ」


「つまり私と黒鉄(くろがね)くんは冗長化していた……?」


「冗長性に不安が残るな。後で望美(のぞみ)のノートを見せてもらえ」


 雑談する2人をよそに、スクナヒコナは文字の洪水と格闘を続けていた。


「この端末から飛来御堂に命令を送ることはできるか?」


 スクナヒコナは首を振った。


「この端末は機能が制限されているようですね。閲覧できない情報もいくつかあります」


「そうトントン拍子に進むものではない、か。まあいい。ひとまず分かることから教えてくれ」


「はい」


 そう言って、スクナヒコナは指を滑らせた。

 途端、文字の並びに明確な秩序が生まれた。

 数字らしきものと定型句が組み合わさったそれは、飛来御堂の活動ログを記したインターフェースのようだ。


「飛来御堂が浮上したのは2000年前。ちょうど最初の荒神狩りが始まった頃です」


「待て待て待て! それはちょっと話が違うぞ! 現神の壊滅を機に飛来御堂が動き出した、という話はどこに行った!?」


「ですが、事実そう記録されています」


「じゃあ……飛来御堂は2000年前からずーっと空の上にいたってこと?」


「そうなります」


「信じられん……」


 これまでの仮説が根底から覆されたことで明は混乱していた。

 だが、事実を否定したところで意味は無い。穏やかならざる心中にどうにか区切りを付け、話を先に進めることにした。


「飛来御堂を起動させたのは誰だ? フツヌシか?」


「不明です。ですが……何か違和感があります」


「どういうことだ?」


「それが、当時の記録には何も記されていないんです」


「記録が削除されたということか?」


「違います。浮上した飛来御堂は一切行動せず、ただ浮かんでいただけだったんです。それもつい最近まで」


「……意味が分からん」


 目まいのするような感覚に額を押さえる明。


「最新鋭の軍事要塞をわざわざ起動しておいて、何もしないだと? しかもそのまま放ったらかしとは……どうなっている?」


「試験飛行とか? あ、でもそれだったらもっと色々テストしてみるよね」


 晄と2人、しばし思考を巡らせる。が、いくら考えてもそれらしい答えは浮かばなかった。


「この問題はひとまず保留するとして……次だ。"つい最近まで"ということは最近変わった動きはあったということだな?」


「はい。10年ほど前……現神の封印が解かれる少し前ですね。この時期にヒルコが飛来御堂を訪れています」


「やったぞ。やっと聞き覚えのある名前が出てきた」


 いくらか平静を取り戻した明は、わずかに顔をほころばせ、


「で、ヒルコは飛来御堂で何をしていたんだ?」


「それが……飛来御堂を移動させていたようです」


「移動させた? どこに?」


「太平洋上です。ただ……具体的にそこで何かした、という感じではありませんね」


 納得がいかないといった様子のスクナヒコナ。ちょうど自分も同じような表情をしているのだろうな、と明は思った。


「飛来御堂が再び飛鳥(あすか)地方に戻ってきたのは昨年末。これはクロエさんの立てた仮説と一致する流れですが、誰が移動させたのかは不明です。何者かが飛来御堂に入った形跡もありません」


「おい、また意味不明な展開か? いい加減にしてくれ……」


「夜渚くん、どうどう」


 もはや明は何が何だか分からなくなっていた。

 飛来御堂を起動させた者といいヒルコといい、誰も彼もが飛来御堂を腫れ物のように扱っている。まるで、それ自体にとてつもない厄災が潜んでいるかのように。


(あるいは……その逆か? 飛来御堂にはヒルコでさえ軽んじることができないような何かが隠されている?)


 何か、とても重要なピースを見落としているような気がする。

 明が再び思考の海に沈もうとしたその時、スクナヒコナの意外そうな声がした。


「あっ、もうひとつ記録を見つけました。ヒルコは飛来御堂を出る際にある物を持ち出していたようです」


「ある物?」


八咫鏡(やたのかがみ)です」


「──!?」


 八咫鏡。明がその名を忘れるはずがない。

 天之御柱(アメノミハシラ)にてヒルコが使用した神器。ヤサカニ由来の遺伝子に干渉し、ありとあらゆる異能を封じる最終兵器。

 あの時ヒルコは言っていた。「研究途中で放棄されていたものを自分が完成させた」と。

 そして口にした。本来の持ち主の名を。


(……まさか)


 明が謎の答えに思い至ろうとした、まさにその時。

 彼の異能は"それ"の存在に気付いた。

 気配は空からやってきた。

 身震いするほどの波動。それは遥かな頭上、雲の裂け目の彼方から飛来するものだ。


(なん、だ。これは)


 考え事に気を取られていた明でさえ、それを見逃すことはなかった。それほどまでに強力無比なエネルギー反応だった。

 にも関わらず、波動の正体は判然としない。明の異能をもってしても、だ。

 電気でも、光でも、熱でもない。物質ですらない。しかし同時にそれら全てでもあるような、異質な波動だった。

 全ては不明。もっとも、取るべき行動は明白だ。


「非常事態だ! 許せ!」


「夜渚さん? ちょっと、何を──きゃあっ!」


 明は柵を一足で飛び越え、スクナヒコナを思い切り投げ飛ばした。そして叫ぶ。


「全員、亀石から離れろ! 狙われているぞ──!」


 言い切る前に衝撃が来た。

 見えたのは黄金の光。

 すさまじい輝きが世界を染め上げる。風と熱と何かの破片が明の全身を殴りつけ、一歩遅れて強い耳鳴りが襲ってきた。


「ぐっ……!」


 肺から泡のように絞り出される空気。数秒の間を置いて、ようやく自分が地面に叩きつけられたのだと知る。


「夜渚くんっ!」


「問題……無い。攻撃の余波に飛ばされただけだ」


 やっとのことで体を起こすと、不安げな晄に向けて片手を振った。


「俺のことはいい。それよりお前たちは大丈夫か?」


「スクナちゃんは転んだだけみたい。だけど、ひーちゃんが……!」


 震える声で亀石の方に目を向ける晄。

 そこにあるはずの亀石が、跡形もなく消えていた。

 地面には真っ黒に焦げついた石の影だけが残っており、その周囲には粉々に引き裂かれた柵の破片が散らばっている。

 そこからわずかに離れた地面の上に、膝をつくヒノカグヅチの姿があった。


「ヒノカグヅチ!」


 ヒノカグヅチの体はいつにも増して透き通っていた。全身に時折走る強いノイズは不安定さの表れだ。

 彼は明の言葉に反応すると、痛みをこらえるような表情のまま言った。


『明……気を、付けて……。これはきっと……あの方の、力だ……』


 途切れ途切れの小さな声。それでも彼は必死に伝えようとしていた。

 謎の答えを。明たちが立ち向かうべき敵の正体を。


『──陛下が、帰ってきたんだ』


 言い終えるや否や、ヒノカグヅチの体が見えなくなる。背後で晄が押し殺したような悲鳴を上げた。


「……嘘。ねえ夜渚くん、そんな」


「落ち着け晄。ヒノカグヅチは消耗を抑えるために休眠しているだけだ。あれほどの高エネルギー体はそう簡単に消えやしない」


「そ、そうなの? 良かったぁ……」


 へなへなとその場にへたり込む晄。と思いきや、慌てて立ち上がり、


「って、そんなことしてる場合じゃないよね! ねえ夜渚くん、陛下って誰?」


「そんなもの、分かりきっているだろう。現神の王……ニニギだ」


「ニニギ!? で、でも理事長先生は警察に自首したじゃん! こんなところにいるはずないよ! っていうか、沙夜先生はもう元気になったんだし、今さら私たちを襲う必要なんて──」


「晄、もう一度よく考えてみろ。高天原において、ニニギを冠する者は稲船以外にもいたはずだろう?」 


「……あっ」


 晄が理解に至るのと、スクナヒコナが立ち上がったのは同時だった。


「……あなただったのですね」


 スクナヒコナの声は様々な感情を含んだものだった。

 彼女は震える足で歩み出ると、雲の裂け目に強い眼差しを向ける。

 そして、ついにその名を呼んだ。


「全ての現神を統べる者。最初の現神。そして、高天原の真なる王。──大王(おおきみ)・ニニギノミコト!」


 叫びは空に吸い込まれ、風に乗って天へと届く。

 すると、叫びに応えるものがあった。

 それは遥か遠くから放たれ、それでいて耳元まではっきりと届く声だった。


「いかにも、()がニニギノミコトである! かしこみ控えよ、荒神ども! この大王が直々に、国譲(くにゆず)りに参ったぞ──!」


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