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第二十一話 三者の始まり

「──応!」


 明は力強く応答すると、押し出すように床を蹴った。

 心持ちあごを上げ、アメノウズメの全貌を視界に収める。

 片腕を落とされ、尻尾を負傷し、最大の武器である催眠音波も使えない。満身創痍の現神(うつつがみ)は、外面を取り繕うほどの余裕すら失っていた。


「寄るなっ! 荒神ごときが(わらわ)の肌に触れられると思うてか!」


 残った片手を振り回し、威嚇するように歯を見せる。だが、尻尾の動きは及び腰だ。


(やはりな。安全圏から策を弄し続けてきたツケが回ってきたようだ)


 この女は逆境を知らない。痛みを知らない。

 ゆえに、劣勢を跳ね除けるための精神が未熟なままなのだ。

 恐怖とは、見えぬ糸で心を縛るもの。立て続けにダメージを受けたことで、アメノウズメの精神は著しく弱っていた。

 一向にこちらを攻撃してこないのが、その証左。

 また手酷い反撃をくらうかもしれない。今度はもっと痛いかもしれない。悲観的な予想が決断を鈍らせ、事態をさらに悪化させる。


「図体の割には(もろ)いメンタルをしているんだな。まあ、他人を操る以外に能の無い小物など、その程度か」


「おのれ……少々優位になったからとて、粋がるでないわ!」


「そうか、ならば遠慮せず攻撃してこい。そのズタボロの尻尾を引き裂いてやる」


 そう言って、明は左手を意味ありげにはためかせた。


「……っ!?」


 口の端から漏れ出る叫び。アメノウズメの顔色が変わった。

 赤くなり、青くなり、その中間で不安そうに視線を揺らす。

 迷え迷え、と心の中で唱えながら、明はさらに距離を詰めていく。

 当然、先の台詞はハッタリだ。

 あの尻尾をどうにかする手段など、明は持ち合わせていない。

 黒鉄に仕掛けたような薙ぎ払いを連発された場合、自分たちはなすすべもなく全滅するだろう。

 だからこそ、明はこの状況を最大限に利用して、賭けに出た。

 アメノウズメが攻勢に出ればこちらの負け。だが、


(……その前に接近できれば、俺の勝ちだ!)


 ゼロ距離まで近づき、その身に直接、最大出力の振動を叩き込む。効果は全くの未知数だが、やる価値はある。

 吠えるように空気を吐き出し、一段とギアを上げた。

 残すところは十メートル。数歩進めばアメノウズメに手が届く。

 進退窮まり、アメノウズメも勝負に打って出た。這いずる尻尾が持ち上がり、わずかな予備動作を経て──


「──時間切れ」


 静かな声が告げるのは、無慈悲な現実。

 致命的な判断の遅れが生み出した隙は、後方の少女に十分過ぎる反撃の時間を与えていた。

 反撃の形は、矢だ。

 念動力によって推進力を加算された矢が、空気抵抗を無視した直線軌道で飛来する。


「ぎゃっ──!」


 尻尾の先がしたたかに撃ち抜かれた。深く食い込み、矢羽が埋まるほどに。

 反対側に飛び出た矢じりは背後の壁に突き刺さり、尻尾をその場に縫い止める。

 だが、それで終わりではなかった。

 続けざま、尻尾に二本目が刺さる。一本目よりやや頭寄りの位置。

 三本目。こちらはさらに頭に近い。

 四本。五本。六本。七八九と来て最後の四本はほぼ同時。

 合計十三本の矢によって、アメノウズメの尻尾は徹底的に動きを封じられた。壁に張り付く姿は、さながら昆虫標本のようだ。

 明は望美の支援に感謝しつつ、今後は絶対に望美を怒らせるまいと誓いつつ、最後の数歩を駆けた。

 到達に合わせ、拳撃。ひねった技巧は凝らさず、アメノウズメの下腹を殴りつけた。


「やっ、やめ──!」


「言ったはずだ。容赦はせんとな!」


 拳が腹に沈み込んだ瞬間、異能を発動させる。

 己が右手を砲塔に見立て、間欠泉のごとく沸き出す力を解放した。


「がっ……!」


 アメノウズメが、揺れる。

 はじめは小さなさざ波が、次第に大きな津波となり、ついには荒れ狂う嵐へと成長していく。


「──あああああああああああああああっ!!」


 喉から流れ出る咆哮にアメノウズメの意志は無い。内部の揺れが、気管を通じて外気を鳴動させているのだ。

 それは揺れというより、もはや暴動に近かった。

 内なる嵐は表皮を激しく波打たせながら、臓器を破壊し血管を食い破り、骨を芯から粉砕する。

 なぜか、明にはその様子が感じ取れた。彼の異能は、揺れが伝える情報を、音と同様に感知していた。

 またこの能力の謎が増えたな、と内心でため息をつく。

 しかし、悪いことばかりではない。おかげで明は、明確な手ごたえを得ることができた。


「神は死なぬ、か。そうでもなかったようだな」


 拳を収めると、叫びを止めたアメノウズメを一瞥(いちべつ)する。

 体の中をミキサーのようにかき乱されて生きていられる生物はいない。

 アメノウズメは白目をむいたまま、それ以上動くことはなかった。


「終わったか。とんでもない女だったが、結局何者だったのやら」


 明は肩の力を抜くと、ここまでどうにか押さえつけてきた疲れを一気に吐き出した。

 胸を反らして深呼吸。目を閉じるとそのまま寝入ってしまいそうだ。

 思えば朝からずっと戦い通しだったし、色々あったせいで昼食も食べそびれてしまった。道理で疲れるわけだ。

 とりあえず後でラーメン屋でも寄るか……などと考えながら目を開けて、飛び込んできた景色に、眉をひそめた。

 アメノウズメの死体が、溶けていた。

 蛇の尻尾も、人の体も区別なく。

 スプレーを吹き出すような音と共に崩壊する様は、白衣の怪人──八十神(やそがみ)の死に様に酷似していた。

 しかし、違う部分もあった。

 何もかもが液化して形を失っていく中、たった一つだけ残ったものがある。

 それは、薄緑の玉だ。

 大きさは親指の先と同程度。おはじきのような形状だが、縁の一部に出っ張りが見える。

 玉の中央には、深いくぼみ。つまみ上げて非常灯にかざしてみると、向こう側の光が透けて見えた。


「ふむ、これは……」


夜渚(よなぎ)くん、それは? 勾玉(まがたま)みたいに見えるけど」


「望美、頼むから俺の台詞を取らないでくれ」


「そう言われても……」


 明は腕を下ろすと、後ろから覗き込んでいた望美に玉を見せた。


「綺麗だね。ヒスイの勾玉……かな」


「似ているが、違うだろうな。勾玉にしては紐の通し穴が不完全だし、アメノウズメはこんなものを身に着けていなかった」


「それじゃあ、何?」


「分からん。現状では勾玉まがいと言うほかない」


 玉を挟んでいた指を放し、手のひらの上で転がした。手触りは石そのものだが、人肌のような暖かみがあった。


「まったくもって、何が何やら、だ」


「その台詞、今朝も言ってたような気がするけど」


「今朝と同じ気分なんだ。気が済むまで言わせてくれ」


 激動の一日を終えて、手にしたものは山盛りの謎とおかしな玉。賭けたリスクに見合うだけのものかと聞かれれば、閉口せざるを得ない。

 だが、あくまで取っ掛かり(・・・・・)として考えれば満点の結果だ。


「……ねえ、夜渚くん。これで、全部終わったと思う? これでもう、私が襲われることは無くなると思う?」


 確認するような口ぶりは、楽観的なイエスの答えを望んではいない。

 問うているのは覚悟の共感。共に歩む者の意志だ。

 明は玉持つ右手をポケットに入れると、空いた片手でネクタイのずれを直す。満足いくまで手直ししてから、口を開いた。


「こんなもので終わるはずがないだろう。何もかも、これからだ。俺も、望美も。そして──」


 望美の肩越しに、体育館の反対側を見やる。

 そこには黒鉄(くろがね)がいた。蛇の返り血を乱暴に拭き取りながら、こちらに顔を向けている。


「おい転校生、蛇女はこいつだけか? 蛇姉貴とか蛇妹が出てくるってこたあ、無いよな?」


「いたとしても、今日のところはこれで打ち止めだろう」


「そうかよ。なら、ここらでもう一回聞いておくぜ。……俺が、何に、ビビってるって?」


 ふてぶてしい態度で、己の存在を誇示するように笑う。

 だが、その笑みには不思議と清々しさがあった。

 明は面倒くさそうに頭をかいて、斜め上を向いて、ため息をついて、そして最後に、こう言った。


「いいだろう、撤回してやる。──黒鉄良太郎、お前は大した奴だ」


 暗幕の隙間から、一条の光が差し込んでいた。

 山吹色の強い光が意味するものは、黄昏時(たそがれどき)の到来と、もうひとつの事実。

 霧が、晴れたのだ。


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