第九話 耳をすませば
翌日。電波観測用のアンテナを再び設置するため、黒鉄たちは橿原市街の中心部を訪れていた。
そこは駅前通りに面した大型百貨店であり、本館の屋上部分は期間限定のビアガーデンとして利用されている。
オフシーズンとなった今も屋上は開放されており、広過ぎる空白を常夏感あふれるパラソルと白いテーブルセットが申し訳程度に埋めていた。
「おい木津池、まだ終わんねえのか?」
「まだ。もうちょっと待って」
「そのセリフはもう5回目だぜ」
「そりゃそうさ。急かして早くなるわけじゃないもの」
半目の黒鉄がにらむ先、屋上の中ほどには彼らが持ち込んだパラボラアンテナがあった。
それはパラソルと同じくらい大きな鏡面を、しかしパラソルとは全くの逆方向、すなわち真上に向けていた。
アンテナの下、日陰となった位置には四つん這いの姿勢でタブレットを叩く木津池の姿がある。
こちらに尻を向けたまま黙々と作業を続ける木津池。彼がこの状態になってから、かれこれ20分が経過しようとしていた。
「何モタモタしてんだよ。電源入れてピッピッピで後は待つだけって話はどこに行っちまったんだ?」
「いや、もうシステムは起動してるんだよ。だけど感度調整が上手くいかなくてちゃんとしたデータが取れないんだ。街中は余計な電磁波が多いからもっと帯域を絞らないと」
「んじゃ場所変えりゃいいだろ。つーか、昨日と同じ石舞台じゃ駄目なのかよ?」
「駄目。絶っっ対駄目」
「なんでだよ?」
タブレットの操作音が止まる。木津池は押し殺したような声で、
「山には虫がいるでしょ……!」
「いねーよ。何月だと思ってんだてめえ」
「寄ってくるんだよ! 生き残りが! 奴らは動物の吐き出す二酸化炭素に引き寄せられるんだ!」
「てめえはマジモンのアホだな。ゴキブリは山じゃなくて室外機の中で冬を越すんだぜ。で、百貨店の室外機ってのはたいてい屋上にあるんだよ」
「ああああああああああああああああ!!!!!」
これ以上の会話が無価値だと悟った黒鉄は震える尻に背を向けた。
風の強い場所を避け、立駐沿いのベンチに座る。自然と大きなあくびが漏れた。
「そういや、今日は日曜だったか。昨日といい今日といい、どうにも休みって気がしねえんだよなぁ」
時刻は朝の10時を回ったところ。普段ならまだ布団の中で丸まっている時間だ。
起床はたいてい正午頃。朝食兼昼食を食べた後はだらだらゲームをして過ごすか、猛を誘って町に繰り出すかだ。
ただ、最近はそれ以外の用事も増えてきた。
それはホコリ臭い遺跡の調査であり、自由参加の補講であり、調子に乗って騒ぎを起こした荒神に対する"教育的指導"であったりする。
会長である猛を手伝ってやりたかったから。さすがに留年はしたくないから。何となく暴れたい気分だったから。
関わる動機は様々だが、そうしていく中でひとつだけ気付いたことがある。
(自分で決めるってのは、しんどい事だよな)
それは喧嘩で相手の顔につばを吐くことと似ている。
己の意思を表明してしまえば、もう後に退くことはできなくなる。その先に待つのが無様な敗北だとしても、黙って受け入れるしかないのだ。
掛け値なしに恐ろしいと思う。
しかし、それでも自分は決めることから逃げたくない。そう思えばこそ、今回の仕事を引き受けたのだ。
「つっても、そう都合良く奴らが来るとは限らねえんだけどな……」
待ち人は未だ来ず。黒鉄は空を仰ぎ見ながら静かにその時を待つ。
と、その時、頭上に小さな影が差した。
「紅茶とコーヒー、どちらになさいますの?」
「コーヒー。……ブラックじゃねえだろうな?」
「加糖ですの。黒鉄様は甘い飲み物がお好きなようですから」
「好きっつーか、苦いのが嫌なんだよ」
そこにいたのは飲み物を買いに行っていた倶久理だ。彼女は黒鉄に缶コーヒーを手渡すと、隣のベンチに腰を下ろした。
視線を下ろせば、木津池の傍らにもいつの間にか缶コーヒーが置かれている。自分がかなりの時間呆けていたことに気付き、黒鉄は小さく悪態をついた。
「あの、進捗の方はいかがですの?」
「見りゃ分かるだろ。あの野郎、最高にグダってやがる」
「ま、まあまあ……。木津池様も頑張っていらっしゃいますから、きっともう少しですの」
「百歩譲って努力は認めてやるがよ、こちとらやる事無さ過ぎて干からびそうなんだわ。で、こういう時に限って何も来やしねえ、と」
「……それは良いことなのでは?」
「どうかねえ」
あいまいに言葉を濁す黒鉄。
彼は何か言いたげな倶久理を無視すると、「あれ?」だの「なんで?」だの不穏なセリフをつぶやく木津池の尻をぼんやりと眺めた。
缶コーヒーに口を付け、ちびりちびりと飲んでいく。
そうして缶が大分軽くなった頃、何の気なしに横を見た。倶久理はまだ紅茶のタブを開けてさえいなかった。
「……お前、見かけによらず強情だよな」
「以前、武内様にも似たようなことを言われましたわ」
「マジかよ。よっぽどだぜ、それ」
黒鉄は温くなった缶を置くと、その顔をやや上に向けた。
「あー、具体的にどう、って話じゃないんだが……例えば、霊感の無い奴が幽霊の声を聞いたりすることは、あるのか?」
頭に浮かぶのは昨日の戦い。
あの時、ヨモツイクサは何か言っていた。しかし、その言葉が聞こえたのは黒鉄だけだ。
それが自分の異能によるものなのか、はたまたそれ以外の要因によるものなのか……それは定かではない。
だが、もしそれが聞き違いではなく、意味のある何かだとしたら。
「黒鉄様は、ヨモツイクサのことが気になりますの?」
「興味があるか、っつーと……まあ微妙だな。あのヤドカリ野郎に特別な思い入れなんてものはねえ」
強がりではない。
ヨモツイクサはフツヌシの作品だ。その眷属であり、自身の可能性を模索している黒鉄にも多少思うところがあるのは確かだ。
しかし、それが最大の動機ではない。彼がこだわっているのはもっと別の部分であり、つまるところ、
「俺はただ、自分がマジな気持ちで関わってることを適当に済ませたくねえんだよ。一度やるって決めたらとことん突き詰めてやらねえと、カッコわりぃだろ」
自身の生き様に筋を通したい。ひとりの男として。
それが彼の本音だった。
「ふふっ、素敵な心掛けですわね。感服いたしました」
薄く目を閉じ、くすぐったいような微笑を浮かべる倶久理。
修道女のような服装のせいもあるだろうが、この女の所作はいちいち洋画じみているな、と黒鉄は思った。
彼の告解を受けた倶久理は紅茶の缶で両手を温めていたが、やがて目を開け、
「よく誤解されるのですが、人ならざる者との対話に霊感は必要ありませんの。だって、彼らが求めているのは"特別な力を持った存在"ではありませんもの」
「だったら何を求めてるってんだ?」
お供え物? 肉体? 様々な答えを頭に浮かべていくが、どれもしっくりこない。
あれこれと悩む黒鉄をよそに、倶久理が出した答えはとてもシンプルなものだった。
「彼らが求めているのは理解者。いいえ、正確には"自分たちを理解しようとしてくれる存在"ですわ。誰にも気持ちを伝えられない彼らにとって、それはとても得難く、ありがたいものですの」
ですから、と倶久理は続け、
「後は黒鉄様次第かと。黒鉄様が望み、願い、真摯な心で耳を傾ければ、彼らはきっと全身全霊をもって応えてくれるはずですわ」
「真摯な心って言われてもな……。だって敵だぜ?」
「敵対していることと敵であることは少し違いますの。かつてはわたくしも明様と敵対しておりましたが、だからといって明様のお気持ちまで否定したいとは思いませんでしたもの」
「わけ分かんねーぞ。気に入らねえからぶっ殺して気が合うからつるむんだろ?」
「黒鉄様はお脳の中が石器時代ですの……」
「ああん!?」
いつものノリで思わず凄むと、倶久理が小動物のように震えた。若干の罪悪感。
やはりこいつとは相性が悪い。いけ好かない連中とはいえ、物怖じせずに絡んでくる晄や望美のありがたさを身に染みて実感する黒鉄だった。
「どっちみち、奴らの方から来てくれねえことには話が進まねえんだよな……」
「こればかりは神のお導きに頼るしかありませんわ」
「そいつぁ期待できそうにねえな。なんせ俺たちゃ神殺しのタイトルホルダーだ」
残ったコーヒーを雑に流し込む。体をひねって反動を付けると、座ったままの姿勢で放り投げた。
缶は山なりの軌道を描いた後、植え込み近くのゴミ箱に吸い込まれた。
「ビンゴ!」
歓喜の声を上げたのは黒鉄ではなかった。
木津池だ。アンテナの下から這い出してきた彼は、賞状を見せびらかす子供のようにタブレットを掲げた。
「ついにできたよ! これが飛鳥地方全域を網羅した電磁波マップだ!」
それはどことなくDOS時代のパソコンを彷彿とさせる画面だった。黒一色の背景を下地にして、道路や河川が白い線で描かれている。
画面のあちらこちらには七色のスペクトラムに覆われた地点がいくつも存在し、さながらギトギトの油をこぼしたような絵面を作り出していた。
おそらくこれが木津池の言う"電磁波の観測されたポイント"なのだろう。
「へえ、見た目的にはテレビでよく見る雨雲レーダーと変わんねえな」
「つまり……青い部分が電磁波の少ない場所で、赤が強い場所ということですの?」
「ザッツライト! そして商業施設や高圧電線による影響を計算に入れた結果が……これだ!」
興奮した木津池が画面を強く叩く。
直後、画像が一変する。
色鮮やかだった部分がたちまち消え失せ、その下に隠れていたモノトーンの色彩が露わになる。まるで誰かが地図の汚れを拭き取ったかのように。
殺風景な黒と白の地図。電磁波の失われた静寂の世界。
その中において、一か所だけ強烈な色彩を放つポイントがあった。
「ご覧よ! ここだ! たった今、飛来御堂はこの空域を飛行しているんだ!」
どうだ見たか、と得意げに笑う木津池。
その一方で、黒鉄と倶久理は青ざめたような面持ちで顔を見合わせていた。
「おい、この辺って」
「石舞台の近く……ですわね」
「つーことは……転校生たちが今いる場所じゃねえか……!」




