第八話 彼方からの呼び声
「今日は厄日だ」
北館4階、ホコリ臭い備品室で孤独に愚痴をこぼす明。
あの後、武内前会長の乱入によって生徒会室は一時騒然となった。
事の顛末についてはあえてここで語るまい。つまりはそうなった、ということだ。
事態は当然の帰結をたどり、そして全ての後始末を押し付けられたのが明だ。
散らかった部屋を片付け、オカルドグッズを箱詰めして、それらを棚に押し込んだ頃にはもう日が暮れていた。
「橿原市に残ると決めた時はもう少し平穏に暮らせると思っていたんだがな」
見込みの甘さを嘆いたところでもう遅い。全ては自分の意思なのだから、その結果は大人しく受け入れるべきだろう。
「致し方ない。もうひと踏ん張りしてみるか」
肩を回してコリをほぐすと、明は残った段ボールに手をかける。
が、その手はすぐに段ボールを離れ、今度は来訪者を迎えるために動いた。
「晄か。ノックは必要無いぞ」
彼女の波動は既に見慣れたものだ。明は背中を向けたまま、開けていいぞと後ろ手でジェスチャーを送った。
数秒の間を置いて、スライドドアがゆっくりと開く音がした。
非常灯のおぼろな光が、おさげ少女のシルエットを室内に落とし込む。それは上端のギザギザした長細い影を伴っていた。
「おっつかれい夜渚くん! お夜食持ってきたよ!」
「女神か?」
「おうともさ! アマテラス様よ!」
靴底を滑らせるようにターンする明。お盆に乗った三角おにぎりがまっこと絢爛な色艶で彼を誘惑していた。
「ちなみに具材は?」
「おかかと昆布!」
「渋いチョイスだ。ウインナーは邪道とか言うタイプか?」
「嫌いじゃないけど肉系は握るめんどくさいんだよね。油のせいで形が崩れちゃうから」
「だからうちのオカンは頑なに俺の要望を無視していたのか。十年来の疑問が解けた」
隅に積まれた座布団を拝借し、一時休憩タイム。
温かい茶をすすり、人心地ついたところで明は話を切り出した。
「持って回った言い方は嫌いでな。単刀直入に聞くが、初めて戦った感想はどうだった?」
言った後、明は場を繋ぐようにおにぎりを頬張った。
「うーん……やっぱり慣れないなぁ、って。金谷城さんに稽古をつけてもらってたんだけど、いざ実戦ってなったら上手くいかないことばっかりで」
小刻みに体を揺すり、恥ずかしそうに笑う晄。明はそんな彼女を横目で見ていたが、
「望むように動けなかったのか? それとも……動くことを望まなかったのか?」
「……夜渚くんってさあ、ほんと容赦無いよね」
「それが俺のウリだからな。大衆に迎合するより独自路線を貫く方が性に合っている」
「ブレないねえ」
勢いつけて腰を上げる晄。
後ろで手を組み、どこともなしにぶらついていたが、その歩みがある一点で止まった。
正面、胸の高さほどのスチールラックに置かれていたのは例のカニ──小型のヨモツイクサだった。
「今日、ね。この子を攻撃しようとしたんだけど、結局できなかったの」
前かがみの姿勢でカニの甲羅を覗き込む晄。赤い視覚素子は粉々に砕けており、虚ろな空洞を晒している。
「攻撃、するつもりだったんだけど。ギリギリになって『あ、これ当たったらこの子死んじゃうんだ』って思ったら、つい」
「やはりわざと外していたか」
明の心に驚きは無かった。
晄はあのヒルコに情けをかけるほどのお人好しだ。命を懸けた戦いの場において、彼女が躊躇するであろうことは目に見えていた。
「相手は機械だぞ。生きてはいない」
「私馬鹿だからそういうのは良く分かんない。動いてるなら、それは生きてるってことじゃないの?」
「それも一つの真理ではある」
古びた白熱灯が幾度か明滅し、室内をいっとき黒く染める。
明は残ったおにぎりを茶で流し込むと、のんきに腹鼓を打った。
「事情は理解した。荒神嫌いの武内がお前を毛嫌いしない理由が良く分かった」
「品行方正だから?」
「小心者だから、だ」
「いーっ、だ!」
互いに歯を剥き、煽り合う。
それが終わった後、明はやや偉ぶった感じで鼻を鳴らした。
「ともあれお前は殺さないことを選んだわけだ。それでいいんじゃないか?」
「え? いや良くないでしょ。今回は運良く勝てたけど、次は」
「そんなことは次とやらが来てから考えればいい。それに、俺はお前に"二度とためらうな"と言うつもりは毛頭無い。……なぜなら、次はお前の選択が正解となるかもしれないからだ」
それは明の経験から来る持論だった。
「俺たちは多くの敵と戦い、その命を奪ってきた。それは生きるために必要なことだったし、後悔もしていない。しかしそれは絶対の正しさを保証するものではない。俺が正しいと思っていたことも、第三者から、あるいは未来の自分から見ればどうしようもない過ちなのかもしれん」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「その都度考えて決めるしかない。だが、思考停止さえしなければいずれ納得のいく結果を得られるだろう。今ここにいる俺がその証明だ」
「夜渚くんにとってヒルコが逃げちゃったのは"納得のいく結果"なの?」
「少なくともヒルコが再び悪事を企んでいる気配は無いし、俺は美味いおにぎりにありつけている。今のところはそれでいい」
「いいのかな……何だか私、みんなに迷惑ばっかり掛けてる気がする」
「繰り返しになるが、お前が"迷惑"だと思っているものが他人にとっては"新しい視点"であるかもしれない。だからこそ望美はお前に戦いを強制しなかった」
黒鉄いわく、ヨモツイクサを前にした晄に対して望美は「行動」とだけ言ったらしい。
頭の切れる彼女が「攻撃」でも「迎撃」でもなくその言葉を選んだということに明は大きな意味を感じていた。
「とりあえず、自分の身は自分で守れるようになれ。今日の説教ポイントはそれくらいだな」
努めて明るく言った後、よっこらせと一声上げて立ち上がった。
「それでもまだ悔いが残るか? なら全てが終わってからそいつを修理してやれ。死んでも直せば生き返るのが機械のいいところだ」
カニロボを顎で示すと、晄が跳び上がらんばかりに反応した。
「直すって……そんなことできるの!?」
「異能の創造物とはいえ精密機器だ。飛来御堂を調べれば設計図くらいは残っているだろう。後はスクナヒコナに頼め」
「あの子ってメカに強いんだ。人は見かけによらないなぁ……」
「いや知らん。高天原出身なんだからそれくらいできるだろ?」
「ええ……? でも私たちだってスマホの直し方知らないじゃん」
「それとこれとは話が違う。……ところで、お前はいつまでそうしているつもりだ?」
そう言うと、明は視線を壁に向けた。
拳の裏で壁を叩くこと二度。明が三度を打つ寸前、壁の裏から青い光が抜け出てきた。ヒノカグヅチだ。
「ひーちゃん!」
「これまた妙なあだ名を付けられたな……」
『空気を読むべきかなって思ったんだけど、結果的に覗きみたいになっちゃったね』
「過剰な気遣いはかえって失礼になると覚えておけ。それと、ノック2回はトイレの合図だから3回目で出てくるのが現代マナーだぞ」
「それ嘘マナーだよ夜渚くん!」
「馬鹿な!? ……いや、それは後で調べるとして」
内心の動揺を抑えるように姿勢を正す明。その間、ヒノカグヅチは物珍しそうに備品室を眺めていた。
「こんな夜更けに会いに来るとはどういう風の吹き回しだ? 大事な話でもあるのか? それとも調査に進展が?」
『進展かどうかは分からないけど、ちょっと気になることを思い出したんだ。まずはこれを見て』
ヒノカグヅチが指を立てると、周囲がにわかに明るくなった。
見れば、室内を照らす白熱灯、その輝きが増していた。それは細い光の糸によってヒノカグヅチと繋がっている。
「なにこれ!? ハンドパワーってやつ?」
『僕の体はプラズマだから、自然と近くの電化製品に反応するんだ。いつもは力を抑えてるけど、その影響を完全に無くすことはできない。……逆に言うと、近くに"電気を使う何か"があれば、たとえ電源が切れていても大体の位置を知ることができる』
「それは便利な機能だが……まさか空を飛び回って飛来御堂を見つけるとか言わないだろうな。それは砂漠で米粒を探すようなものだぞ」
『あ、いや、そういう意味じゃなくて。もっと別の──』
身振り手振りで必死に説明しようとするヒノカグヅチ。その動きが急に止まった。
「ヒノカグヅチ?」
返答は無言だった。
彼の視線は明を飛び越え、背後の一点に結ばれている。
面食らったような表情と、その位置にあるべき"電化製品"を思い出し、明は背筋を凍らせた。
「……まさか!?」
慌てて振り向き、硬直し、一拍置いて安堵する。
白熱灯と同様に、カニの甲羅──ピラミッドの頂点にあたる部分にも電子の糸が届いていた。
しかしそれは敵の復活を意味するものではない。壊れた機械は動くことなく、砕けた素子から火花という形で余った電気を発散していた。
「……通電しても中身が駄目なら動かない、か。自己修復機能があったら終わっていたな」
『驚かせてごめん。まさかこうなるとは思わなかったんだ』
「勘弁してくれ。一瞬ホラー映画を思い出したぞ」
「映画なら安心したところでガブッ!じゃない?」
肉食獣よろしく爪を立てて見せる晄。
明は顔をしかめると、カニから数歩後ずさった。晄もその後に続き、さりげなく明を盾にした。
一応、万が一ということもある。明はカニに注意を払いつつ話の続きを促した。
「それで、お前は何が言いたいんだ? さっきは気になることとか言っていたが」
『明たちと石舞台に行った時、近くで変な反応を感じたんだ。その時はあんまり気にしてなかったんだけど、その後すぐにヨモツイクサが現れたから、今思えば何か関係があったのかなと思って』
「変な反応、では分からん。もう少し具体的に言え」
『他とは違う匂い、っていうのかな。たぶん周波数の違いだと思う』
「周波数が違うってことは、電化製品の規格が違うってことだよね。たしか日本と外国でも違うんだっけ」
「ああ。そして当然、現代日本と高天原でも違うだろうな」
「ってことは……石舞台の近くに高天原の機械が隠されてる?」
「その可能性は大いにある」
ヒノカグヅチの言いたいことが少しずつ読めてきた。
ヨモツイクサが動いたのはアンテナを設置したことだけが理由ではない。偶然近くにあった何か──それも、彼らにとって重要な何かから明たちを遠ざけるためだ。
「ヒノカグヅチ、反応があったのはどのあたりだ?」
『石舞台の近くだと思うんだけど、細かい場所までは特定できないよ』
「しらみ潰しに探すしかない、か。面倒臭い」
「でも、早く見つけないと隠し場所が変わっちゃうかも」
「滅多なことを言うな。引き寄せの法則を知らんのか?」
「それもオカルトだよ!」
最悪のケースを考えてもキリが無い。明はひとまず観光アプリで周辺の地形を確認することにした。
「石舞台周辺で怪しい場所といえば都塚古墳か? 稲淵宮殿は……時期が違い過ぎるか。後は……」
アプリを素早く操作して、次へ次へと画面を送る。もちろんカニを見張ることも忘れない。
幸い、カニはドリル一本動かさず、ただ一定の間隔で光を明滅させるだけだった。
スマートフォンのタップ音と火花の弾ける音が組み合わさり、一種独特のリズムのようなものを生み出していた。
「……………………」
気が付くと明はスマートフォンから目を離していた。
「……夜渚くん? どったの?」
目を丸くして問いかける晄。しかし明は答えない。晄の方を顧みることすらせず、石像のごとく立ち尽くしていた。
直後、固く結ばれた唇がバネ仕掛けのように開かれ、意味のある言葉を吐き出した。
「晄っ! 書くものを持ってこい!」
「えっ!?」
「早くしろ!」
「はっ、はいっ!」
明は叫ぶと、慌てて突き出されたメモ帳とペンをもぎ取った。
コミカルなキャラクターが上下に散りばめられたメモ帳、その余白を贅沢に使ってシンプルな記号を書き殴っていく。
視線は手元を見ていない。まばたきすら忘れていた。わき目も振らず、呼吸は短く、全神経をたったひとつのことだけに集中させる。
火花だ。
「くそったれが。我ながらこんなことにも気付かないとは……!」
「どういうことなの夜渚くん!? 説明説明!」
「この火花は回路の故障によるものじゃない。明らかにパターン化されたもの──暗号だ! こいつは俺たちに何かを伝えようとしている!」
意識して観察すれば一目で分かる。不自然なまでにテンポが一定なのだ。
「暗号って、モールス信号ってやつ?」
「こいつらが作られた時代を考えるとモールス式ではない。が、規則性のある符丁なのだから、解読することは不可能ではない」
『たぶんだけど……僕、解けるかも』
おそるおそる手を挙げたのはヒノカグヅチだった。
『お父様が高天原の偉い人だったから、小さい頃から官職に就くための教育を受けてたんだ。単純な暗号なら習ったことがあるよ』
「でかした!」
明が全ての符丁を記録し終えると、カニは今度こそ沈黙した。どうやら完全に回路が逝ってしまったようだ。
(最期の力を振り絞ったのか? それとも、俺たちを罠にはめるための最後っ屁なのか?)
分からない。分からないが、だからといって止まるという言葉は明の辞書には無い。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。罠なら罠で、食らいついてでも手がかりをつかむだけだ。
「ねえひーちゃん、あの子はなんて言ってたの?」
『そんなに複雑な言葉じゃないよ。というか、数字だね。この暗号はたぶん座標を表してる』
「座標って?」
『この時代で言うなら緯度とか経度にあたるものだよ。それが示す位置は……ここ』
紫電の指が示す先は明のスマートフォンだ。電子の糸が絡みつき、観光アプリがひとりでに動き始める。
画面の上部に表示されたミニマップが目まぐるしく移動し、とある史跡の上で停止した。
表示された名称は──亀石。
石舞台のふもとにたたずむ巨大な花崗岩である。




