第七話 黄泉軍
謎の人形による襲撃。破壊されたアンテナ。不愉快な斗貴子。
いくつもの苦難を乗り越え、どうにかこうにか高臣学園に帰ってきた明。
疲労困憊の彼が生徒会室の扉を開けた瞬間、投げやりな声が飛んできた。
「はい、また外れ。これで7回連続ですよ」
「……俺以上の優良物件はいないはずだが」
「ジョークの切れはAAAクラスですね。太鼓判を押してあげましょう」
テーブルに頬杖をついているのは金髪碧眼の小柄な生徒。1年生の神崎クロエだ。
前期に続いて生徒会書記に就任したこの少女は、こちらを一瞥してから手帳に×印を書き込んだ。開かれたページは同じ印で埋め尽くされている。
「面白そうな遊びをしているな」
「来客当てっこゲームですよ。ヤンキー先輩が第六感に目覚めたようなのでひとまず検証をば。……結果は惨憺たるものですが」
視線はそのまま、ペン先だけで部屋の奥を指し示すクロエ。見れば、1匹のヤンキーがカウチソファをねぐらにしていた。
「元から期待はしていなかったんですけど、まさか性別まで綺麗に外すとは思いもしませんでした」
「今日はたまたまそういう日なんだろ。ギャンブルってのは波があるからな」
「単純計算して128分の1ですよ。もしかしてわざとやってます?」
「アホ。てめえみたいなクソガキと違って構ってちゃんムーブする趣味はねえんだよ」
「そうやって無駄に攻撃的なところがまさに子供って感じです」
「ガキって言った方がガキ理論はガキにしか通用しねえんだよ。覚えとけガキ」
黒鉄はもぞもぞと寝返りを打つと、手元にあったペットボトルをラッパ飲みした。
「ほう、お前もついに電波を受信するようになったか。木津池も仲間が増えてさぞ喜んでいるだろうな」
「年がら年中受信してる奴に言われたかねーな」
「俺はオンオフ可能だからな。……それはともかく、木津池たちはまだ来ていないのか?」
石舞台に現れた人形は間違いなく高天原の遺産だ。その正体を解き明かすためにはスクナヒコナの、そして(不本意だが)オカルトに広い知見を持つ木津池の協力が必要不可欠となる。
話によると黒鉄たちも同様に襲撃を受けたとのことだが、当の本人に危機感らしきものは感じられない。
心ここにあらずというか、何か別の事柄に気を取られているように見える。明の言葉にもどこか上の空だ。
「事前に連絡は入れておいたはずだが……いったいどこで道草を食っているのやら。社会人なら5分前行動は基本だというのに」
「知らね。そのうち来るんじゃね? つか、あいつが持ってきたサイダー全然甘くねえんだけど何だこれ? 不良品か?」
「不良というか……優良誤認であることは間違いない」
不可解な面持ちでペットボトルを見つめる黒鉄。その横では、水素水のケースを開けたクロエがリーフレットに目を通していた。
「ええと、なになに……本製品は当社独自の機材を使用することで生命エネルギーに満ちあふれたビッグバン由来の水素原子だけを抽出していますその含有率はなんと70パーセント以上カッコ当社調べカッコ閉じる……何ですかこれ? 怪文書?」
リーフレットをつまみ上げ、まるで不潔なもののように遠ざけるクロエ。
と、ちょうどその時お目当ての人物がやってきた。いつものごとく、聞くに堪えない妄言を携えて。
「時間と空間の始まりにおいて、ビッグバンはこの宇宙を構成するあらゆる粒子を生み出した。水素はその代表的なもののひとつであり、ビッグバンの発生から3分足らずで全宇宙に存在する水素原子のほぼ全てが生成されたと言われている。当然、その中に生命の先駆けとも言える何らかのエネルギーが含まれていたことは改めて論じるまでもないよね」
「来たか木津池」
「来てしまいましたね」
明が歓迎とも困惑ともつかない表情を浮かべる。黒鉄は顔をしかめ、クロエはリーフレットの時と同じ目で木津池を見ていた。
戸口に立つ木津池は髪をかき上げ、モデルのような足取りで入場。やや遅れて、スクナヒコナが小走りに駆け込んできた。
「水素という物質はアミノ酸、ひいては生命に欠かすことのできないDNAの重要な構成要素だ。その元素量たるや、有機生命が持つ全原子の実に七割近くを占めている。つまり生命とは水素の塊であり、ビッグバンと共に生まれたそれが生命を活性化させることは至極当然と言えるだろう。分かったかなクロエちゃん?」
「消費者庁のお仕事が大変だということはよく分かりました。オタク先輩みたいな人を毎日相手にするなんて私ならごめんです」
「"オタク先輩"じゃなくて"ふ・く・か・い・ちょ・う"だよ? もう半月も経つんだからそろそろ覚えてよね」
「あぁ、これは失礼しました。そういえば"今は"副会長でしたね」
思い出したと言わんばかりに手を叩くクロエ。水面下で弾劾に向けた準備が整いつつあることを実感する明だった。
オカルトスピーチが終わったことを確信したのか、スクナヒコナがほっとした様子で本題に入った。
「事情は聞いています。夜渚さんもピラミッド型の戦闘兵器に遭遇したようですね」
「こっちに来たのは人型だがな。で、お前らが見たのは……これか」
物言わぬ"それ"に目を向ける明。
それはテーブルの中央に置かれていた。
サイズは両手でギリギリ抱えられるくらいだろうか。重厚そうな正四角錐の置き物に、キャスターよろしく4つの足?のようなものが付いている。
「ほう、カニ型ロボか。意外と可愛いじゃないか」
「お前の目ん玉画質ゴミ過ぎだろ。どう見たってヤドカリだろうが」
「クモじゃないですか? SFアニメでは定番ですよ」
「あ、あのっ! 話を続けてもよろしいでしょうかっ」
背伸びして存在をアピールするスクナヒコナ。必死な叫びがカニ──ヤドカリ──クモを囲んでいた3人を振り向かせた。
「結論から申しますと、高天原においてこのような兵器が使用されたことはありません。ですが、秘密裏に作られていた可能性は否定できません」
「なら、どうやって確認する?」
「"蟲"を使って内部を調査します」
言葉と共にスクナヒコナが燐光をまとった。が、それは彼女自身が放つ光ではない。
砂粒のように小さな何か──大気中に散布された数十億のナノマシンが西日を受けて輝いているのだ。
「ここに来る前に人形の方を確認させていただきましたが、損傷が酷くて上手くいきませんでした。ですが、こちらの個体なら」
「ホントに大丈夫かよ? 俺、思いっきりブッ刺しちまったんだけど」
「ご安心ください。その程度なら損傷の内に入りませんよ」
「あっちはレンジでチンした後だからな。おそらく中身はバーベキューだ」
テーブルの前に立ち、カニと正対するスクナヒコナ。枯れ枝のような両足を肩幅に開き、掲げた右手を唇に寄せた。
少女の吐息が、淡い光を綿毛のように吹き散らす。
それは優しい気流に乗ってピラミッドに到達し、ひび割れた亀裂の中に吸い込まれていった。
固唾を飲んで見守る明たち。その後ろから落ち着き無く覗き込む木津池。
スクナヒコナは微動だにせず視線を固定。数秒ののち、その目がわずかな驚きに見開かれた。
「どうだ? 何か分かったのか?」
「はい。ですがこれは……意外、と言うべきでしょうか。まさか彼が関わっていたなんて」
「はぁ、どうして私の周りにいる人たちは"彼"とか"あれ"とか代名詞ばかり使いたがるんでしょうか」
「そこはそれ、お約束ってやつだよクロエちゃん」
スクナヒコナが緊張を解く。本のページを閉じるように手のひらを返すと、彼女を包む燐光も消えた。
それからカニに手を伸ばし、壊れ物を扱うように触れた。例えるなら、思い出の品を手に取った老人が在りし日を懐かしむように。
「中枢回路に銘が刻まれていました。兵器の名はヨモツイクサ。製作者は高天原の重鎮、フツヌシです」
黒鉄の目つきが険しくなる。
彼は排熱するように呼吸すると、抑えた声で、
「つまり、こいつは奴の異能の産物ってことか?」
「彼の持つ鋳造の力はフツノミタマノツルギを始めとした多くの武器を生み出してきました。ですから、今回もそう考えるべきかと」
「なるほどねえ」
気の無い一言を残して黒鉄は沈黙した。その態度にどこか引っ掛かりを感じたが、今はそれ以上に重要な問題がある。
「剣神フツヌシ、か。現神の恐ろしさは身に染みていたつもりだが、まさか自律型ロボットまで作れるとはな」
「私も驚きました。とはいえ、これだけ複雑なものを生み出すにはかなりの時間と労力を要するはずです」
「気軽に大量生産できるものじゃあ無さそうだね。この分だとロボット兵団が町を埋め尽くす光景は見れそうにないかな?」
「お前はどっちの味方なんだ」
木津池の頭を小突きつつ、明は胸を撫で下ろしていた。
ヨモツイクサは強敵だ。現神に比べれば弱いが、八十神よりは遥かに強い。
彼らが何百何千と群れを成して襲ってきた場合、敗北するのはこちらの方なのだ。
最悪の予想が外れてほっと一息、と言いたいところだが、事はそう単純では無さそうだ。
「目下の問題は、奴らがどこから来て、何の目的で俺たちを狙うのかということだ」
「フツヌシは軍事部門の最高責任者。軍事施設である飛来御堂にも何らかの形で関わっていたはずです。そして、私たちが飛来御堂に目を向けた途端にヨモツイクサが現れた……。偶然とは思えません」
「つまり黒幕はフツヌシか? いやしかし……」
「ちょっと待ってください。それじゃあフツヌシはまだ生きていて、飛来御堂に隠れているってことですか?」
そこでクロエが待ったをかけた。
「それっておかしいですよ。フツヌシが何を企んでるのか知りませんけど、私たちをどうにかしようって考えてる人が新たな神代を放っておくとは思えません。もし生きていたら、何らかの形であの事件に関わろうとしたはずです」
「しかし奴は天之御柱に姿を見せなかった。敵としても味方としてもな」
もっともな意見に首肯する明。
「スクナヒコナ、お前はフツヌシが生きていると思うか?」
答えを求めるようにスクナヒコナを見る。彼女は迷わず首を振った。
「フツヌシは荒神狩りを巡る動乱で2000年前に死んでいます。ですが、彼が遺したヨモツイクサと飛来御堂の間には確実に接点が存在します」
「なぜそう思う?」
「兵器としての設計思想が似通っているからです」
スクナヒコナは再び"蟲"を放ち、霞のようなそれを手のひらに抱いた。
「高天原の理念は人の進化であり、それは人が神へと至る道を模索するものです。現神に始まり、荒神、八十神、武内宿禰の秘法に至るまで、全ての研究は"人"を中心に据えています。あのタケミカヅチですら、人としての部分を残していました。……でも、飛来御堂とヨモツイクサは違う」
もう一方の手はカニに触れたままだ。冷ややかな金属の体は、神となってもなお人らしいぬくもりを残すスクナヒコナとは対照的だ。
「彼らの存在は、高天原の思想からあまりにもかけ離れています。"人"にも"神"にも頼らない兵器。しかも、その名はあの黄泉を冠しているんです」
明は思い出す。遥か地下に眠る忌まわしき地、黄泉平坂のことを。捨てられたものたちの慟哭を。
黄泉平坂の存在は高天原の禁忌に他ならない。間違っても鳴り物入りの新兵器に付けるような名前ではないのだ。
しかし、だからこそ、なぜ……?
「……情報が込み入ってきましたね。一旦整理しましょうか」
全員が煮え切らない表情で固まったのを見かねたのか、クロエがポンと手を打った。
その音を皮切りに、張り詰めていた場の空気が一気に弛緩した。
いそいそとお茶の用意を始めるスクナヒコナ。その間にクロエが部屋の隅からキャスター付きのホワイトボードを引っ張ってきた。
講師よろしくボードの前に立つと、クロエは確認するようにあたりを見回した。
席についた一同を見、足を揺らすスクナヒコナを見、人数分の紅茶のカップを見、最後にテーブルの中央に置かれたままの白っぽいカニ兵器を見て、
「ブフッ」
「……なんで笑った?」
「い、いえ……ふふっ、何ていうか、子供の、誕生日パーティーみたいだなって……ふ、ふふっ……」
「このケーキは切り分けられねーぞ」
クロエが正気に戻るまで数分の時間を要した。
「……こほん。まずは既知の情報から挙げていきましょう。飛来御堂は高天原の空中要塞。現神との戦いが終結した直後から目撃情報が増え始めました。原因は不明ですが、天之御柱の消失、または現神勢力の壊滅がきっかけとなった可能性があります」
ボードの上部に飛来御堂を意味する綺麗な三角形が書き込まれた。
「次です。ヨモツイクサは剣神フツヌシが秘密裏に作っていた謎の機械兵士。フツヌシは飛来御堂とも関連がありそうですが、こちらの建造目的も不明です」
三角形の真下にコミカルなクモ(明はやはりカニだと思った)のイラストが追加され、両者に剣のマークが添えられた。
「あのタイミングで先輩方が襲われたことを鑑みるに、ヨモツイクサは飛来御堂の使者である可能性が高いです。そして、彼らは私たちが飛来御堂に近付くことを快く思ってはいない」
「俺の大事な大事な大事な! アンテナちゃんをあんなに惨たらしく破壊するくらいだから、よほど知られたくない事があるんだろうね!」
「あ、ああ……そうだな……」
私怨に燃える木津池からそっと目を逸らす明。やったのはヒノカグヅチだが、幼い子供に責任を押し付けない優しさが彼にはあった。
クロエが「ふーん」という顔でこちらを見ているのがむず痒い。大方彼女も事の次第を"視て"いたのだろう。
さっさと進めろと目で合図すると、彼女は素知らぬ顔でボードに向き直った。カニと向かい合う形で不機嫌そうな顔のピクトグラムが追加され、そいつはカニに「アッチイケ」と言われている。
「おい、これは俺のつもりか? 嫌がらせか?」
「ここで重要なのは、ヨモツイクサが明確な目的意識を持って行動しているという点です」
「待てよ。自動操縦って線もあるんじゃねえか?」
明の文句は黒鉄に遮られた。
「戦闘機だってロックオンされたら警報が鳴るんだぜ。こいつらが飛来御堂にちょっかい掛けたせいで、やっこさんの防衛システムが偶然反応しちまったのかもしれねえだろ」
「その場合、ターゲットはアンテナを設置した人間だけになるはずです。だけどヨモツイクサは学園にも現れた。つまり、黒幕さんは私たちの存在をあらかじめ知っていたんです」
「いや分かんねえぞ? 高天原じゃ屋上で飯食うことが宣戦布告の合図なのかもしれねえ」
「歴史をねつ造しないでください! 高天原はそのような蛮族国家ではありませんっ!」
「……だそうです。計らずも裏が取れましたね」
ボード全体を見下ろす三角形の中心部、そこにアルファベットのXが書き込まれた。
「黒幕を仮にミスターXとしましょうか。ミスターXは高天原をよく知る人物であり、私たちを危険視していて、少なくともフツヌシではない。かといってヒルコたちの残党がまだいるとも思えない」
「じゃあ誰なんだよ。もうそれらしい候補がいねえぞ」
「分かりません。ですが──全ての謎を解くカギは飛来御堂にあります」
クロエはマーカーのキャップをはめると、その先端で飛来御堂の絵を叩いた。
鼓膜に響く高音。皆の意識がホワイトボードの三角形に、その中に潜むミスターXに向かう。
「引き続き飛来御堂の位置を特定し、突入手段を確保。待ち受けるミスターXと対決する。これが今後の方針となります」
異論は出なかった。
話がまとまったところで木津池が立ち上がり、ヨレヨレだった襟を正した。
「よし、じゃあさっそく動き始めようか。クロエちゃんは会議の結果を他のみんなに送っておいて」
「もうやってます。実はスマホで録画してました」
「仕事が早いねえ」
ご機嫌な様子で口笛を吹く木津池。
「じゃあ俺は新しいアンテナを用意しておくよ。結構重いから、運ぶ時は黒鉄くんの力を借りたいな」
「まあいいけどよ。新しいアンテナってそんなすぐ届くもんじゃねえだろ」
「こんなこともあろうかともう一つ購入しておいたのさ。不測の事態は予測のうちというわけ」
「お前……いや、今は何も言うまい」
明は喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。この馬鹿を吊るし上げるのは事件が解決した後でいい。
「スクナヒコナちゃんはヨモツイクサの調査を続けてほしい。まだ何か分かることがあるかもしれないしね」
「頑張らせていただきます」
「木津池、俺はどうすればいい?」
「夜渚くんには一番重要な仕事を頼みたい」
いつになく緊迫した表情。
木津池は強く腕を張り、伸ばした五指を水平に切った。部屋全体をあまねく網羅するように。
そこには明がいて、クロエたちがいて、その後ろには大量の水素水ケースと用途不明のオカルトグッズがある。
「悪いけどさ、その辺に置いてるやつ全部どっかに隠しといてくれない? いやね? ついさっき門倉先輩から電話があってね? なんか、武内くんがすごい剣幕でこっちに向かってるって……」




