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第六話 白鉄跳梁

 誰もいない屋上の一角。その崖淵に向かって黒鉄(くろがね)は告げる。


「上手く隠れたつもりかもしれねえが、音でバレッバレなんだよ。そんだけガチャガチャ鳴ってりゃ馬鹿でも気付くぜ」


 なぁ? と(ひかる)に同意を求め、直後に後悔。これは全然気付いてない馬鹿未満の顔だ。

 ならばと他の2人に意識を向けると……こちらもまた駄目そうだった。


「おいおい、しっかりしてくれよ。ここんとこ平和だからって腑抜(ふぬ)け過ぎだろお前ら」


「気を抜いていたつもりは無かったんだけど……でも、本当に何かいるのかい?」


「いや、さっきからずっと変な音してるだろ」


「音……?」


 不思議そうに考え込む(たける)。隣の望美は既に臨戦態勢だが、彼女の方も半信半疑という感じだった。


(どうなってんだ、こりゃ)


 スカポンタンの晄が気付かないのは分かる。しかし望美や猛まで気付かないとなると、これはもう偶然や油断で片付けることが難しくなってくる。


(気を張りすぎてたのは俺の方か? ガラにもなくマジなこと考えてたせいで、風の音か何かを聞き違えちまった……?)


 自分の感覚が信じられない。ともすれば不安に陥ってしまいそうな心に鞭打ち、黒鉄は前に踏み出した。

 なるようになれ。何も無ければ間抜けもいいところだが、それについて考えるのは後でいい。

 覚悟の一歩が屋上に甲高い靴音を生む。

 音に釣られた敵が崖淵から顔を出した時、黒鉄の心に去来したのは、安堵と、そして新たな疑問だった。


「んあ? 何じゃこりゃ?」


「……カニ?」


 呆気(あっけ)にとられたような望美の声。

 言い得て妙だが、カニと言われればカニに見えなくもない。だが、それを言い表す最適な言葉はおそらくヤドカリだろう。

 ピラミッドを背負ったヤドカリ。または足の生えたピラミッド。

 背負った甲羅にどデカい赤の目玉が一つ。他はすべて銀色。銀一色。それが南中の日差しを受けて偉そうに光っている。

 ヤドカリ(仮称)は先の(とが)った四つ足を器用に使い、一瞬で壁をよじ登ってきた。その様子を見た晄が鋭く叫ぶ。


「か、かわいい!」


「イカレてんのかテメーはよぉ! 先っちょに可愛くねえもんが付いてんだろぉ!?」


 屋上に出てきたことで、彼らはヤドカリの全容を余すところなく見ることができた。

 足だと思っていたものはドリルだ。ピラミッドの四隅に付いた小さなドリルがそれぞれに回転しながらヤドカリの体を支えている。


「ロボット、かな? お友達になりに来たわけじゃ無さそう」


 望美の手にはいつの間にかボールペンが握られていた。2本の指でバトンのようにもてあそび、3回転したところで逆方向に弾く。


「同感だね。ならどうする?」


「もち、先制攻撃」


 迅速果敢。無造作に投げられたボールペンがその場で停止し、敵意の切っ先をヤドカリに向けた。


射出(いけ)っ」


 念動力だ。彼女の異能が爆発的な推進力を与える時、ただの文具は必中の魔弾となる。

 狙いは甲羅の視覚素子。赤い目玉が驚くように点滅するが、もはや回避は間に合わない。

 あやまたず、命中。

 ……したのはいいが、此度(こたび)は魔弾の力不足だったようだ。視覚素子には傷一つなく、ボールペンは反動で四散した。

 望美はふむ、とうなずき、


「残念。硬そうな敵は目が弱点だと思ったんだけど」


「比較的装甲が薄いことは確かだけどね。ただ、もう少し質量のあるものじゃないと」


「つーか、よく見たら俺のボールペンじゃねえか! 自分の使えや!」


「手近なところにあったから……。それはそうと、仇は取ってあげて」


「息の根止めたのお前だけどな!」


 ヤドカリはじりじりと距離を詰めつつ、こちらの様子を注視している。

 慎重、というよりは観察、と言った方がいいのだろうか。まるで品定めされているような気がして、黒鉄は身震いした。

 と、その時。偶然ヤドカリと目が合った。


「──」


「あん? 何をブツクサ言ってんだてめえ」


「──」


「だから、何だよ? 聞こえねーっての」


「……リョウ? さっきからどうしたんだい?」


 はっとしたように息を飲む黒鉄。

 まただ。猛たちには聞こえていない音が、自分には聞こえている。

 幻聴では無いと思う。その証拠にヤドカリは先ほどより興奮した様子で足を踏み鳴らしている。

 怒っているのか焦れているのか。何にせよ、敵はとうとう我慢の限界に達したようだ。


「──!」


 鳴り響く駆動音。接地面の角度と回転数を調節すれば、4つのドリルはすなわちタイヤと同義だ。

 それは屋上のセメント床を削り、右回りの半円を描きながら高速接近。軌道の先にいた晄が体を震わせた。


新田(にった)さん、行動!」


「ううっ、やるしか無いんだよね……」


 望美に叱咤(しった)された晄はぐずりながらも前を向き、迫りくるヤドカリと対峙。

 構えた右手に光をたずさえ、オーバースローで振り切った。

 撃ち出されるのは不格好だが真っ直ぐな光の矢だ。


「それっ!」


 光は着弾と共に爆発。床の焦げ目は破壊力の証左だが、それは同時に狙いが外れたという事実を伝えていた。


「馬鹿が、トチりやがって……!」


 黒鉄は敵の行方を追う。彼の視線が動く先は、上だ。

 敵は前足ドリルで床に嚙みつき、その衝撃と反動で斜めに跳躍していたのだ。

 4つのドリルが一斉に前を向き、宙を舞うヤドカリが隙だらけの晄に肉薄する。

 その矛先が彼女に届く刹那、両者の間に割り込むものがあった。

 それは1本のペットボトルだった。

 ドリルの射線を塞ぐように投げ込まれたそれはあっけなく破壊され、"体いきいき水素水"のラベルと共に内容物をぶちまけた。

 水だ。

 水浸しのヤドカリ。水浸しのドリル。

 ゆえに、その運命は(スサノオ)の手中にある。


「絡みつけ、ヤマタノオロチ」


 応じて()ずるは小さな水蛇。数十匹の意思ある水がドリルの接続部に潜り込んだ。

 効果はすぐに表れた。回転数が目に見えて低下すると共に、突撃の勢いが殺されていく。まるで(なまり)(かせ)をはめられた囚人のように。


「わわっ!」


 とっさに身を伏せる晄。バランスを崩したヤドカリが彼女の頭をかすめていき、背後の扉に激突した。

 すかさず望美が手を伸ばし、念動力で相手を縛る。

 しかし、それでもヤドカリは動き続ける。モーターの空回りするような異音を響かせ、ドリルを再び稼働させようともがいている。


「リョウ!」


「言わずもがなだぜっ!」


 タップを踏んで後退する猛。空いたスペースに滑り込むのは黒鉄であり、彼の持つ小刀だ。

 逆手に持ち替え、あがき続けるヤドカリにとどめの一撃を見舞う。

 狙いは目玉一択。杭打つように振り下ろし、破壊の意思を叩き込んだ。


「──!!」


 手ごたえ、有り。

 保護ガラスの内部で視覚素子が砕け散る。

 ドリルが動きを止めた後、不快な電子音が二度三度と聞こえ……そして何も聞こえなくなった。

 この場に残された音は晄の歓声と風の鳴き声だけだ。

 だが、黒鉄の耳には未だにあの不可思議な音がこびりついていた。


「ったく、勘弁してくれよな。ひとつ解決したと思ったらまたひとつ問題が増えやがる」


 人生ってのはそういうもんなのか? と口にしようとして、やめた。

 言うまでもなくそうなのだと、彼はもう知っているのだから。



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