第三話 好天一転
橿原市から南の山あいに目を向ければ、平地と山の境界にまばらな村落の姿を見つけることができる。
名は明日香村。歴史マニア垂涎の聖地であり、自然豊かな村のあちこちに数多くの史跡が点在している。
明が目指しているのはその中で最も有名な遺跡の一つ……石舞台古墳だった。
「ああ、くそ、もう、二度と、奴の頼みは、聞かんぞ……!」
息も絶え絶えに坂道を登っていく明。
のたのた。のたのた。
亀のような歩み。ふらつく足取り。背中にはアンテナ入りの馬鹿デカい箱がくくり付けられている。
「何が、うんと高くて見晴らしのいい場所、だ。別に、屋上でも、いいだろうがっ……!」
橿原市上空の電磁波レベルを調べるために最もふさわしいポイントは石舞台である……木津池はそう断言した。
山の斜面に作られた石舞台は空に近く、付近にはアンテナの設置におあつらえ向きの広場がある。市街地から離れているので、アンテナが余計なノイズを拾ってしまう心配も無い。
「最高のロケーションだ。まさに神が俺たちのために用意した舞台と言えるだろう」
木津池はそう言って自画自賛していたが、彼は現場の苦労にまで頭が回らなかったようだ。
最寄り駅から東に30分、と書けば何だそれだけかと思うかもしれないが、正確には「安易な気持ちでバス代をケチった観光客を後悔させるような登り坂を30分」である。
地元民である明もそれは承知していたが、バスにアンテナの持ち込みを拒否された時点で彼の計画は破綻した。
「だが……ようやくたどり着いたぞ」
最後の坂を登り切ると、右手に芝生の広場が見えた。
奥には巨大な石積みのオブジェ。石舞台だ。
「意外と早かったですね。明さんって陰で鍛えるタイプとか?」
「他に言うことは無いのか。薄情者」
「そうですねえ……あ、ソフトクリームもう一つくださーい!」
明はその場にどっかりと腰を下ろすと、オープンテラスでくつろぐ女どもに恨めしい視線を向けた。
「たしかに俺は先に行ってもいいと言ったがな、楽しくお茶会しろとは言ってないぞ」
「申し訳ありませんっ。何というか、ちょうど小腹が空いたところに売店の看板が見えて、こう、フラフラ~と……」
「欲望に弱い奴らめ」
ごまかすような笑顔の倶久理。明の顔がよほど怖かったのか、ご機嫌をうかがうように顔の汗を拭ってくる。
「というか、真冬にアイスなんぞよく食う気になるな。まだ1月だぞ」
「冬は体を温めるために熱を消費しますから、実質ゼロカロリーになるんです。だったら食べなきゃ損でしょう?」
「残念だが閉じた系においてエントロピーの総和は必ず増加する。ダイエットコーラをいくら飲んでも痩せない理由がそれだ」
「小難しい理屈を並べ立ててそれっぽい嘘をつくのはやめてください。倶久理さんが信じたらどうするんですか?」
「お前が始めたことだろうが」
「私のは冗談だからいいんです。明さんは真面目な顔で言うから怖いんですよ」
「……よく分かりませんが、ダイエットコーラというのは生徒会室にあったシュワシュワする水の事ですの?」
「あ? いや、あれは水素──いや待て、一周回ってそれが正解かもしれん」
「ま、炭酸水の方が簡単に作れますからねえ。帰ったら青色リトマス紙で木津池さんをざまぁしてやりましょう」
「そうと決まれば話は早い。とっとと仕事を終わらせるぞ」
示し合わせたように矛を収める2人。その後ろを倶久理が戸惑いながらついていく。
木々のある場所を避け、飛鳥地方を一望できるポイントを探す。広場の中ほどにアンテナを設置すると、鏡面を北の方角へと向けた。
「なーんにも見えませんけど……本当に空飛ぶ遺跡なんてあるんですか? デマだったら骨折り損ですよ」
「目に見えるものだけがすべてではない」
「詐欺師の常套句じゃないですか」
「空気中の水蒸気を集めて光の屈折率を変えている、と木津池様はおっしゃっていましたが……」
「人間レーダーの明さんは何か感じないんですか?」
明の異能は物質の振動数やエネルギーの周波数──いわゆる"波"と呼ばれるものを操る。
なので、電磁波の計測などはそれこそお手の物……と言いたいところだが、今回ばかりは範囲が広すぎた。
「探知できんことは無いが……余計な宇宙線を拾いすぎてどれがどれやら分からん。細かい作業は機械に任せるが吉だ」
機材の設定は木津池が済ませている。後はデータの収集が終わるまで待つだけだ。
そこから先はヤタガラスなりヒノカグヅチなり、空を飛べる連中に任せればいい。
「これでひと段落、か。ようやく肩の荷が下りた気分だ」
「帰りも肩に荷を積まないといけないんですけどねー」
「嫌なことを思い出させるな」
「今思いついたのですが、毘比野様の車をお借りすれば良いのではありませんか? あのお方なら事情を話せばきっと力になってくれますの」
「それはできん。他の頼み事ならともかく、車だけは駄目だ」
「どうしてですの?」
きょとんとした顔の倶久理。明は重苦しい声で、
「3台目まで壊したら今度こそ殺されるからだ」
「……あっ」
一瞬の間を置いて言葉の意味を理解した倶久理。その顔が見る間に青ざめていく。
「毘比野刑事は道理を弁えた男だが、それでも我慢の限界というものがある。何せあいつは1台目のローンすら払い終えていないからな……」
「で、ですが、いくらなんでもそこまで……」
「言い切れるか? 絶対に? 万が一の事が起きたら責任を取れるか? ちなみに俺は金なんて持ってないぞ?」
「ちょっと、なんで倶久理さんに八つ当たりしてるんですか。だいたい、今回も何か起きると決まったわけじゃ──」
『それなんだけど……ひょっとすると、もう起きてるかもしれない』
「うおっ!?」
予期せぬ一声。慌てて振り向き、ヒノカグヅチをにらみつける。
「いるならいると先に言え。心臓が止まったらどうしてくれる」
『でも、近くにいるなら直接話せって明が』
「……時と場合によりけりだ」
不服そうに口をとがらせる明。代わって倶久理が話を継いだ。
「先だってはどこかに行っていたようですが……気になることでもありましたの?」
『明の様子を見に行くつもりだったんだ。そうしたら変な奴に追いかけられて』
「変な奴?」
『うん。でも、僕はこの時代のことをよく知らないから。案外、誰かのオモチャとかペットかもしれない』
「ドローンか何かが貴方の磁場に影響されたのかもしれませんわ。うちのこっくりさんもたまに小銭を引き寄せてしまいますの」
『うーん、じゃあそうなのかな……?』
「あれこれ言っても埒が明かん。ヒノカグヅチ、その"変な奴"は今どこにいる?」
青い指先が広場の一点を指す。
そこは石舞台の頂点。幾何学的に組み上げられた石室の上から、奇妙な影がこちらを見つめていた。
それの形は人に近く、しかし頭部は特徴的な正四角錐……ピラミッド型だった。