第二話 電子足りてる?
事の起こりは1時間ほど前にさかのぼる。
早朝の高臣学園、生徒会室。シックな色の役員デスクを前に、不機嫌そうに寝ぼけ眼をこする明の姿があった。
「グッドモーニング夜渚くん。おめでとう、今日は君が一番乗りだ」
「……これで3週連続だぞ。休日出勤はこれっきりにしてほしいものだな」
剣呑な視線の先にいるのは不快な笑顔の木津池秀夫。大きな椅子の背もたれにゆったりと身を預け、気取った様子で香港土産のクルミをもてあそんでいる。
先日めでたく副会長に就任したこの男は早くも権力の味を覚えたようだ。
デスクの上には経費で買ったとおぼしき霊感グッズがずらりと並び、「体いきいき水素水・生まれも育ちもビッグバン」と書かれた大きなケースが部屋のあちこちに置かれている。
そして、四方をビッグバンの威光に囲まれて居心地悪そうにしているのがスクナヒコナだ。
インチキ商品に居場所を奪われたか弱き現神は懇願するように明を見つめていた。
「夜渚さん……」
「だからこいつを生徒会に入れるなと言ったんだ」
渋々といった感じで水素水を片付け始める明。スクナヒコナの顔が喜色に弾んだ。
「で、用件は? 俺は起き抜けで機嫌が悪い。手短に済ませろ木津池」
「またまたぁ、君が不機嫌なのはいつものことじゃないか」
「ああ、そうだな。誰が原因か良く分かってるじゃないか」
トゲのある口調だが、これでも一応真剣に話を聞くつもりはあった。
現在、生徒会役員は全員が荒神関係者で占められている。
だからというわけではないが、明たちは何かあれば自然とこの場所に集まるようになり、なし崩し的に異能関係の対策本部として機能するようになったのだ。
だからこそ、明にとって生徒会の呼び出しは特殊な意味を持つ。
それは新たな事件の幕開けであり、日常の崩壊であり、あるいは戦いのゴングなのだ。
「話というのは他でもない。先日議題に挙がった例のアレ──飛来御堂の件だよ」
「ああ、そういえば何やら盛り上がっていたな」
「情報のリマインドは必要かな?」
「あの時はアホらしくてほとんど聞き流していたからな。説明してくれ」
木津池は「よろしい」とうなずいた。
「飛来御堂は武内宿禰の口伝に登場する謎の物体だ。それは飛来の名が示すように自在に空を飛び、その形状はかのピラミッドに酷似しているという」
「いかにも、という感じだな。その正体は?」
明の問いかけはスクナヒコナに向けたものだった。
餅は餅屋。伝説の正体はその生き証人に聞けばいいのだ。
「飛来御堂は高天原が建造した最新鋭の飛行要塞です。詳しいことは分かりませんが、おそらくは現神に匹敵する力を備えているものと思われます」
「また高天原の遺産か。次から次へと出てくるな」
縄文から弥生時代にかけて近畿地方を支配していた超古代文明、高天原。その支配者たる現神と激しい戦いを繰り広げたことは明の記憶にも新しい。
特にここ飛鳥地方には彼らの遺跡が多く残されており、それらを調査することが明たちの主な活動の一つとなっていた。
「しかし、"おそらく"とはどういう意味だ? お前たちが作ったものだろう?」
「実戦で使用されたことがありませんから。たいていの戦は荒神と現神がいれば事足りますし……」
「じゃあなんでそんなものを作った? 男のロマンか?」
「さあ……。飛来御堂に関する情報は軍事機密に指定されていたので、畑違いの私にはちょっと」
「ならタヂカラオを呼んでこい。あいつは軍属だったはずだ」
「残念ですが居場所が分かりません。いえ、それ以前にあの方は……すごく……その……現場主義! そう現場主義な方なので!」
その言葉で明は全てを察した。つまるところ、高天原の生き残りはどいつもこいつも役立たずということだ。
「なんとも雲をつかむような話だな。軍事施設といっても、現時点ではそこまで切迫した状況ではないんだろう?」
よく分からないものがよく分からない状態で空を飛んでいる。それはそれで確かに不安ではあるのだが、何も休みの日に急いで召集をかけることはないだろう。実際に砲弾でも飛んでくるなら話は別だが。
そう思った明は招集を決めた張本人である木津池に水を向けた。
「何か、対処を急がなければならない理由でもあるのか?」
「それはもう。ただ、それを理解するためには歴史の真実について知る必要がある」
「要するにまたお前のオカルトウンチク劇場が始まるのか」
「むふふ、話が早くて助かるよ。それではさっそく……」
"さっそく"と言いつつ謎の間で含みを持たせる木津池だったがいつものことなので明は反応しなかった。こういう時は大人しくしていた方が円滑に話が進むのだ。
「夜渚くんは"ピラミッドパワー"という言葉を聞いたことがあるかい?」
「お前、本当にピラミッドネタが好きなんだな……」
「20世紀中頃、ギザの大ピラミッドでのことだ。一人の研究者が、ピラミッド内部に放置された果物や動物の死骸に偶然目を向け、あることに気が付いた」
「あること?」
「全く腐っていなかったんだよ。それらはまるでミイラのように乾燥してはいたけれど、極めて良好な保存状態で生前の姿を残していたという」
「永遠をもたらすピラミッド、か。その手の番組でよく聞く話だな」
ピラミッドという建築物……正確に言うと"完全な正四角錐である"というピラミッドの性質には不思議な力が秘められており、それが様々な奇跡をもたらすというのがピラミッドパワーの理屈である。
曰く、物が腐らない。
曰く、集中力が増加する。
曰く、体調が良くなる。
およそ非科学的な理論ではあるものの、正四角錐の神秘的なフォルムに何かしらの意味があると考える者は少なくない。
無論、自称リアリストの明に言わせれば「アホか」で終わる話だが。
「何を言い出すかと思えば、これまたくだらないネタを持ってきたものだな」
「夜渚くんはピラミッドパワー否定派?」
「正四角錐を作るだけで奇跡が起きるなら苦労はしない。もし本当にそんな力があれば病院や冷蔵庫はとっくにピラミッド型になっているはずだろう。
……いや待て。そういえば昔のパック牛乳はピラミッドのような形をしていたと聞く。まさか……そういうことなのか!?」
「そ、それはただの偶然だと思いますっ」
話が妙な方向に転がっていくのを見かねたのか、スクナヒコナが割り込んできた。
「注目すべき点は正四角錐ではありません。建物の材質なんです」
「材質?」
「イエス。ピラミッドの中心部は花崗岩で作られている。花崗岩が圧電効果によって電気を発生させることはこれまでに何度も言及してきたけど、今回もそれが関係しているのさ」
そこまで言って両手を掲げる木津池。左右の手には、先ほどもてあそんでいたクルミが1つずつ握られている。
「帯電した花崗岩は磁界を発生させる。磁界はローレンツ力によって周囲の分子から電子を弾き出し、遊離した電子がさらに別の分子と結合。最終的にマイナスの電荷を持った分子が生成される」
「マイナスの電荷と言われてもよく分からん。つまりどういうことだ」
「現代人にとって馴染み深い呼び方をすると、マイナスイオンってやつさ」
木津池は右手の指でクルミを弾き、弾き出されたそれを左手でキャッチした。2つのクルミ電子が衝突し、握り拳の中で小気味よい音を立てた。
「知っての通り、優れた殺菌効果を持つマイナスイオンは空気中の細菌を死滅させることで有機物の劣化を防いでくれる。言ってしまえば"腐る"という現象はカビや細菌が作り出す化学反応に過ぎないからね。その他にも免疫力の増加、脳機能の改善などなど人体に与えるプラスの影響は計り知れない」
「電気屋で売っているマイナスイオン発生装置と原理は同じということか。花崗岩ひとつでそんなものを作るとは、古代エジプト人も面白いことを考える」
「ミイラを長期保存するための知恵ってところかな。彼らにとって死は旅の始まりに過ぎないからね。……だけど、マイナスイオンにはもうひとつ別の使い道があったんだ」
木津池の声が低くなる。ここからが本題、ということだろう。
「前にちょろっとだけ話したことがあるんだけど、"ファラオの呪い"って知ってる?」
「有名な怪談だな。ファラオの墓を暴いた者が次々と不幸に遭ったというやつか」
「も少し具体的に言うと、ツタンカーメン王墓の発掘作業に関わっていた人々が相次いで謎の奇病に侵され、非業の死を遂げたんだ。現在では墓室に潜んでいた有毒な細菌が原因という説が主流なんだけど」
「……待て。それはさっきの話と矛盾するんじゃないか?」
ツタンカーメンは世界一有名なミイラだ。オカルトマニアではない明ですら、ある程度の知識を一般常識として持っている。
明の記憶が正しければ、かの墓室には巨大な花崗岩の塊が存在していたはずなのだ。
「ツタンカーメンが眠る石棺の蓋は赤色花崗岩でできているというのは有名な話だぞ。花崗岩がマイナスイオンを発生させるのなら、その細菌はなぜ死滅していない?」
「そこが話のミソなのさ。微生物ってのはシンプルな構造ゆえにしぶとい連中でね、一見死んだように見えても実は生きてましたなんてことは珍しくない。
彼らはピンチになると一時的な休眠状態になって難を逃れ、再び生息に適した環境が訪れるまで眠り続けるんだ。それこそ何千年、何万年でもね」
「罰当たりな墓荒らしがマイナスイオンの檻を解き放つその瞬間を待ちながら、か」
ようやく明にも分かってきた。マイナスイオンは遺跡の防腐剤であると同時に侵入者を排除する時限爆弾のスイッチでもあるのだ。
そして、そのスイッチが仕込まれているのはツタンカーメンの墓だけではないかもしれない。
「合点がいった。お前は飛来御堂にも同様の危険があると考えているんだな」
木津池は軽快に指を鳴らすことで同意した。
「高天原文明の遺跡は巨大な花崗岩をくり抜いて作られたものが多い。セントエルモの火が燃え盛るほどの高プラズマ環境下において、マイナスイオンはよりいっそう活発に働くだろう」
「逆に言うと、それだけヤバいものを長期保存できてしまうわけか」
思い返せば、あの八十神たちも本来は遺跡の奥で眠っていたのだ。
荒神の亜種に過ぎない彼らが2000年という時の重みに耐えきれたのも、高濃度マイナスイオンの恩恵と考えれば納得がいく。
花崗岩の特性を利用した振動発電は高天原のお家芸。となれば飛来御堂も同じような仕組みで発電し、その電気によってマイナスイオンを──
(……ん?)
わずかな違和感が脳裏をかすめる。
何か重要なことを見落としている、ような。
だが、それが具体的に何なのか分からない。ゆえに明は、己の内に降ってわいた疑問をひとまず保留することにした。
「飛来御堂は謎の多い存在ですが、軍事目的で作られたことは間違いありません。まだ私たちの知らない脅威が眠っていると考えるべきでしょう」
「毒ガス、ウイルス、未知の生物……候補は山ほどあるな」
本来なら風化していたはずの"危険な何か"が、マイナスイオンによって生き永らえている。その仮説が証明された時、飛来御堂は最悪のタイムカプセルとなるだろう。
「今のところ、飛来御堂に目立った動きはありません。ですが、もしあれが何らかの事故を起こしてしまったら……」
「中の空気が漏れ出るだけでも大惨事、か。最悪の場合、周辺一帯が未曽有のバイオハザードに見舞われる」
「あくまで最悪を想定した場合です。杞憂であればいいのですが」
「とはいえ杞憂かどうか確かめないと不安でたまらん、と言いたいのだろう? ……仕方ないな」
軽く首を鳴らし、次に鼻息を鳴らす。そこで明はようやくやる気モードになった。
事情は分かった。納得できた。ならば疾く行動。それが夜渚明という人間の生き方だ。
「まずは何をすればいい?」
「飛来御堂の位置を特定してほしい。目撃情報は橿原市周辺に集中してるから、今もこの近くを飛んでいるはずなんだけど……」
物は試しと窓の外を見回してみる明。が、それらしき物は見当たらない。
「そう簡単に見つかるものではない、か。また例によって異次元に隠れているのかもな」
「ですが、あれはフトタマの結界に収容できる大きさではありません。物理的な迷彩機能に頼っているのでしょう」
「つまり、科学の出番だ!」
途端に木津池が飛び起きて、デスクの下から茶色の何かを引っ張り出してきた。
「はい! 落とさないでね!」
「うおっ!?」
デカい。そして重い。
半ば押し付けられるようにして受け取ったそれは、特大級の段ボールだった。
「おい、何が入ってるんだこれは」
「海外製のパラボラアンテナ。1台20万もしたんだよ」
「つまり、高い方のゴミか」
「高天原は電気文明。飛来御堂も電気を動力にしている可能性は極めて高い。だったら話は簡単、上空の電磁波スペクトラムを観測すればおおよその位置を割り出せるってわけ。あたかもブラックホールの吐き出すガンマ線がその姿を浮き彫りにするかのように!」
「そのために20万を? 経費で?」
「生徒会は予算が潤沢でありがたい限りだよ。本格的に電研から鞍替えしようかな?」
「……喜んでいられるのも今のうちだぞ。高臣生徒会には弾劾制度がある」
「え? 今何か言った?」
「別に」
後で武内に密告ろう。そう固く心に決めた明は、ヨタヨタとした足取りで段ボールを運び出すのだった。
※今さらですが2章の木津池のセリフ「ピラミッドを調査した研究者たちが相次いで変死したという"ファラオの呪い"だね」は思いっきり間違いです。ファラオの呪いはツタンカーメンの話なので墓の形状はピラミッド型ではありません。
「ピラミッドを調査した→ツタンカーメン王の墓を調査した」に後日修正しておきます。
うろ覚えで書くからこういうことになるのだ…




