第一話 災禍の蘖
【ご注意】
外伝の時系列は本編最終話の数日後です。
本編終盤の重大なネタバレを前提にストーリーが進行するのでお気を付けください。
そこは巨大な空洞だった。
どこまでも続く白亜の床。見上げるほどに高い天井。
淡く輝くプラズマ光に照らされて、鈍色の装置群が石碑のように立ち並んでいた。
その光景を例えるなら海底に眠る沈没船。あるいは月下の墓標。
そこに命ある者の気配は感じられず、聞こえてくるのは羽音のような駆動音とかすかな電子音だけだった。
──たった今、その静寂が破られるまでは。
「余の戒めが解かれた、ということは……あやつは負けてしまったのだな」
ため息のようなつぶやきが生まれたかと思うと、石碑のような装置群──中でもひときわ大きなものに一筋の亀裂が走った。
亀裂は細く、しかしまばゆい光を放ちながら表面を一周。レーザーに焼き切られたような痕を残して、装置のフタが内側からくり抜かれた。
装置の中から、巨大な影がゆっくりと身を起こしていく。棺桶から這い出る亡者のように。
「破滅が回避されたことを喜ぶべきか、あやつの宿願叶わぬことを嘆いてやるべきか。まこと、難儀なものよな」
2000年ぶりに己の足で立ち上がった彼は、長年の習慣に倣って威風堂々と胸を張り……
……しかし、もはやそうする意味が失われていることに気付いた。
「……は」
吐き出された音は皮肉に満ちていた。
滑稽である。
全てを失い、時の流れにすら取り残された愚か者が、今さら何を取り繕おうというのか?
何者でも無くなった自分がやるべきことはたったひとつ。
終わらせる。
それだけだ。他には何も要らない。
全てのものに終止符を。塵は塵に。灰は灰に。在るべきものを在るべき様に。
「うむ……そうであるな。であれば、国譲りの儀を、急がねば──」
彼の言葉に呼応して、白亜の床が光を帯びた。
鏡のような床面に映し出されるのは、今世の街並み。文明の営み。
そして、都市の中心に悠然とたたずむ三つの山──大和三山。
橿原市だ。
*
耳成山の登山道から少し外れた茂みの奥。
苔むした岩肌と、かすかな血痕だけが残る空き地。今の自分にとってのルーツとも言える場所に夜渚明は立っていた。
「相変わらずシケた場所だ」
いつものような仏頂面で、いつものように悪態をつく。彼は絶好調だった。
ここは妹の鳴衣が殺された場所であり、明が不屈の誓いを立てた場所でもある。
が、だからといってウジウジグダグダと下らない感傷に身を任せるつもりは一切無い。
彼はそういう情けない姿を他人に見せるくらいなら死んだ方がマシだと考えるタイプの人間なのだ。
特に、この女の前では、絶対にお断りだった。
「はぁ、明さんは本当にあまのじゃくですね。こういう時くらい、しめやかに故人をしのぶことはできないんですか?」
垢抜けた容姿にきめ細やかな白い髪。
一見すると大人びた雰囲気を漂わせているが、実際の彼女が腹黒なトラブルメーカーであることは今や周知の事実だ。
璃月斗貴子。
明の平穏な生活をかき乱す悩みの種であり、彼の気に入らない奴ランキング暫定1位に君臨する女だ。
「辛気臭い顔をすることに何らメリットを感じないからな。死者の安息を願う者が自分からテンションを下げに行ってどうする? 向こうだって反応に困るだろうが」
「アゲアゲで来られた方が困ると思いますけど」
「そう思うのはお前が世の中を知らんからだ。どっかの外国では葬式代わりに祭りのようなどんちゃん騒ぎをするらしいぞ」
「どっかの外国って……物を知らないのはそっちじゃないですか。適当なことばかり言ってるとまた望美さんに叱られますよ」
ああ言えばこう言う。口の減らない女だ。
橿原市に来てから様々な不思議現象に遭遇してきたが、この女があの猛の実姉だという事実はある意味一番のワンダーでありホラーだった。
呆れた様子の斗貴子に一瞥をくれると、明は視線をもうひとりの同行者に向けた。
林の奥、生い茂るシダの葉をかき分けて出てきたのは、修道女然とした黒の学生服に身を包んだ少女だった。
「明様がおっしゃっているのはガーナの葬儀ではありませんか? あちらでは陽気な歌と踊りで盛大に死者を送り出すと聞きましたの」
黒衣の少女──白峰倶久理はそう言って、ロングスカートに付いた落ち葉を丁寧に払った。
「弔いの儀式が必ずしも悲しみに満ちたものである必要はありませんもの。大切なのはその方を想う心。つまり愛ですの」
「……だそうですよ、明さん?」
「何が言いたい」
「お兄ちゃんはもうちょっと素直になりましょうってことですよ。私と猛を見習ってください」
「猛の我慢強さには感心しているぞ?」
「ほら、そういうところですよ」
倶久理は血痕の前に腰を下ろし、静かに十字を切った。
彼女が慰霊の祈りを終えたのは、後ろの二人がようやく不毛な揚げ足取りに飽きてきた頃だった。
「……で、結果はどうなんだ? 鳴衣の霊は見つかったのか?」
いかにも「物のついで」といった感じの明。
実際、明にとってはさして重要でもない事柄だ。今日はたまたま出かける予定があって、待ち合わせの時間まで暇を持て余していた。
なので、せっかくだからということで、ここに来て、倶久理に探してもらった。それだけのことなのだ。断じて他意は無い。
だというのに、いちいち勘違いして大げさに反応するのが倶久理であり斗貴子なのだ。
まったくもって迷惑である。要らぬ気遣いである。
そう、あくまでついでだ。別にドラマティックな展開を期待してはいなかった。誓ってそうだ。
いわば当たり付きの自動販売機でルーレットが景気よく回っている時の気分とでも言うべきか。結果の分からないイベントというものは、どうしたって射幸心を煽られるのだ。
だから、明は彼女の答えにショックを受けることはなかった。
「いいえ。お友達にも聞いてみましたが、このあたりで少女の霊を見たという方はいらっしゃらないようです」
「そうか。なら一安心だな。少なくともあの馬鹿は迷子になっていないということだ」
「明様……あまり気を落とさないでくださいまし」
「だから変な気を回すなと言っているだろうに。腫れ物扱いされても不愉快なだけだ」
「ですが、亡き人を恋い焦がれるお気持ちはわたくしにも理解できます。せめてその想いに寄り添いたい、そう考えてしまうのはわたくしのわがままなのでしょうか?」
「あー、そういうわけでは、無いが」
まっすぐな視線から逃れるように頭を押さえる明。
こちらを咎めるつもりは無いのだろうが、何だか親に叱られているような気がして、とても気まずい。
「その……あれだ。お前たちは深刻に考え過ぎなんだ」
明は少し言いよどんだ後、焦り気味に言葉を連ねた。
「俺は単純に事後報告というか、事件は解決したからさっさと成仏しろと、それだけ言いに来たんだ。本当にそれだけだ」
「本当にそうなんですか? 私は……あの子に話したいことがたくさんありますよ」
ぽつりと漏らす斗貴子、その一言に、明の顔が強張った。
「"ありがとう"も"ごめんなさい"も、いくら言っても言い足りません。色んなこと、伝えたいです。今の私のこと、知ってほしいです。鳴衣のお兄ちゃんすっごくカッコ良かったよって、教えてあげたいですよ」
「……お前」
こういう時、女は卑怯だと強く思う。
彼女たちは自分の何が人の心を動かすのか本能的に理解している。
明はしばらく言葉を失っていたが、やがて観念したように首を振った。
「分かった分かった。すごく残念だった。寂しいな。これでいいだろう? まったくお前らときたら実にめんどくさい奴らだ」
「明さんに言われたくないですよ。一人で意地を張ることがカッコいいと思ってるんですから」
「そっくりそのままお返しするぞ。俺はな、普段は大物ぶっているくせに都合のいい時だけしおらしくなる女が大嫌いなんだ」
「またまたぁ、そういうのが好きなくせに~」
今泣いたカラスがもう笑っている。これだからこいつは油断ならないのだ。
見れば、倶久理が温かなほほ笑みを自分たちに向けていた。これもまた明の嫌いな展開だった。
「何はともあれ、お2人の心がいくばくか軽くなられたのは喜ばしいことですわ。以前は明様だけでなく、斗貴子様も気を張っていたようにお見受けしましたので」
「明さんと同列って……私、そんなに危なっかしく見えていたんですか?」
「どういう意味だ、おい」
「危うい……というか、本音を隠しているように感じられましたから。正直に申しますと、初めてお会いした時は少し怖いお方だと思いましたの」
ですが、と倶久理は続け、胸元に手を置いた。
「すぐにそれは間違いだと気付きましたの。斗貴子様は心優しく情け深いお方。軽薄な仮面は繊細な心の裏返しであると」
「え、あ、はいっ!?」
にこりとほほえみかける倶久理に、ドギマギしながら空返事する斗貴子。
まさか倶久理がこのようなこっ恥ずかしいセリフを口にするとは思わなかったのだろう。不意打ちを食らった彼女は明らかに動揺していた。
「こ、これは斗貴子ちゃんも計算外というか何というか……倶久理さんってもしかして純粋培養の天然さん……?」
「倶久理は陰キャだが光属性だからな。性悪女のお前にはさぞ辛かろう」
「何自分のこと棚に上げてるんですかっ。明さんだって似たようなものじゃないですか!」
両手を振って必死に抗議する斗貴子。「?」と首をかしげたままの倶久理。
経緯はどうあれ、明の苦手なお通夜ムードはどこかに吹き飛んでいったようだ。
「あいつも心の整理がついた、か。毎度ながら世話の焼ける女────っと」
ちょうどその時、明のスマートフォンが鳴った。
電話。着信。相手の名前は──
「……ヒノカグヅチだと?」
『うん。そろそろ出発しないと電車に間に合わなくなるから、一応言っておこうと思って』
聞こえてきたのは純真そうな少年の声。明の語気に押されたのか、おずおずといった感じでこちらの気配をうかがっている。
『話の邪魔をするつもりは無かったんだけど……もしかして迷惑だった?』
「少し驚いただけだ。何せスマホを持ってない奴から電話がかかってきたんだからな」
『ごめん』
「怒ってはいないさ。律儀に名前を表示するだけメリーさんよりマシだ」
『メリーさんって誰?』
「子供は知らんでいいことだ。一人でトイレに行けなくなるぞ」
厳密に言うと着信ではなく、強力な電波干渉を利用したスマホハックだ。そして、そんな芸当ができる者の波動を明が探知できないはずがない。
「何を考えているのか知らんが、近くにいるなら直接顔を見せればいいだろう」
背後を振り向く明。そこには無人の山道があり、常人には見えるはずの無い電磁の帯が渦を巻いている。明が見ているのはそれだ。
その電磁波は苦笑するかのように身震いすると、瞬く間に人の形を取った。
二度の放電火花が周囲を照らした後、そこには青く透き通った体の少年が立っていた。
灼熱の現神改め、電霊の現神・ヒノカグヅチだ。
「ヒノカグヅチ! 来ていたのなら一声掛けてくだされば良かったのに」
『最初はそうしようと思ったんだけど、大事な話をしてるみたいだったから』
「もう、遠慮なんかしちゃ駄目ですよ。年下の子はお姉さんにバンバン甘えるくらいがちょうどいいのです。私的にもいい感じに庇護欲が満たされてWINWINなので」
「実年齢は俺たちの100倍だがな……」
「明さんはつまらない事にこだわりますねえ。他人様の趣味にケチをつけるのがそんなに楽しいですか?」
「年上ぶってガキをたぶらかす女が気に食わんだけだ」
『大丈夫だよ明。ちょっと恥ずかしいけど、こういうのは嫌じゃないから』
「……お前、年上趣味か?」
「明様っ! ヒノカグヅチに変なことを吹き込まないでください!」
倶久理がマジギレしたので明は慌てて口を閉じた。
その様子を見ていたヒノカグヅチは、何やら考え込むような表情だ。
「何だ、お前も俺に文句を言いたいのか?」
『あ、そういうわけじゃなくて……全然似てないんだなぁ、って思って』
「似てない? ……ああ、つまり、俺のご先祖様か」
厳密に言えば"彼女"と血の繋がりは無い。しかし異能のルーツという観点からみると、彼女は紛れもなく明の先祖と言えるだろう。
「高天原随一の科学者、現神ナキサワメ……か」
ヒルコの後任として神産みの技術を完成させた才女。優れた頭脳で"神の国"たる高天原の基盤を築いた陰の立役者。
数々の仰々しい肩書きに反して、その素顔はごくごく平凡な女性だったという。
「そういえば、ご先祖様について詳しく聞いたことは無かったな。ナキサワメとはどういう人物だったんだ?」
『すごくひたむきで、一生懸命な人』
「意外だな。もう少しインテリ臭い人物像を想像していたが」
『そういう印象はあんまり無かったかな。研究のことはよく知らないけど、みだりに知識をひけらかすような人じゃなかったから』
「半端な知識でマウントを取る誰かさんとは大違いですね」
「そこ、うるさいぞ」
『ただ、ちょっとだけズボラなところもあった。うん、ホントにちょっとだけ』
「あらあら、一番駄目なところが遺伝しちゃいましたねえ」
『明ってズボラなの? とてもそうは見えないけど』
「みーんな最初は騙されるんです。でもキッチンを見た瞬間『あ、この人駄目だ』ってバレちゃうんですよね」
「だからアレは効率化と省スペースを追求した結果だと言っているだろうが」
「はいはい、そういう言い訳は焼き肉のタレ以外の調味料を買ってからにしましょうね~」
「明様……もしご迷惑でなければわたくしが」
「やめろ。どうせ重箱丸ごと持ってくるつもりだろう」
めいめいが自分勝手に話し始め、内容がどんどん横道に逸れていく。
「……もういい! お前らと一緒だとまともに話が進まん!」
頭が痛くなってきた明はこの話題をさっさと打ち切ることにした。
「とにかく、だ! これ以上過去を振り返っても仕方ない。俺たちは常に今を生き、未来に目を向けるべきだ」
「もっともらしい発言ですけど、その心は?」
『早くしないと電車に乗り遅れる、かな?』
「そうだ」
強くうなずき、雄々しく土を踏み鳴らす。その足元には、彼が意識して見ないようにしてきた巨大な荷物が置かれていた。
「仕事を始めるぞ。俺たちは一刻も早く見つけ出さねばならん。天空の古代遺跡──飛来御堂をな」
【投稿スケジュールについて】
中盤まで~ 毎日午後に2~3話投稿
後半~最終話まで 毎日1~2話投稿




