第十七話 太陽として
炎神ヒノカグヅチ。強すぎる力に飲み込まれ、その危険性ゆえに廃棄された悲劇の現神。
しかし、完全にプラズマ化した体は以前のような熱を発してはいなかった。青空のように透き通った背中から感じるのは、人肌のような温かさだ。
「ほう……どこの不届き者かと思えば、ヒノカグヅチだったか。しばらく見ない内に随分と様変わりしたものだ」
カナヤマビコは突然の乱入者を怪訝そうに見つめていたが、その正体を知るや否やつまらなさそうな顔をした。
「何を思ってこんなことをしているのかは知らんが、身の程知らずな奴だ。かつての貴様ならいざ知らず、破滅の炎を失った残りカスに何ができる? 黄泉暮らしが長過ぎたせいで脳まで蛆に食われたか?」
カナヤマビコの愚弄に対し、ヒノカグヅチは行動で答えた。
両手を張り出し、盾のように構える。後ろに立つ倶久理たちを守るために。
「わたくしたちを……助けてくださいますの……?」
ヒノカグヅチは振り向かない。決して退かぬ後姿が彼の意思表示だ。
倶久理は胸に手を置いて、感謝の言葉を捧げる。ヒノカグヅチと、世界と、天にまします神様に。
届いていた。
あの時差し伸べた手は届かなかったが、想いは届いていた。それは無力な彼女にとって、何より救いとなるものだ。
(わたくしは一人ぼっちじゃない。わたくしの想いは間違ってなんかいない。そう思ってくださる方が一人でもいる限り、わたくしは……!)
倶久理は涙を拭い、倒すべき敵を見据える。己の意志に殉じるために。
「カナヤマビコ、貴方の負けですわ。これ以上痛い目に遭いたくなければ素直に降伏なさい」
「阿呆が、野豚の群れに怯える者がどこにいる? ヒノカグヅチが何をしようと貴様らの死は決定事項よ」
「いいえ、逆ですわ。貴方はもう終わっています。貴方が唯一助かる道は、今すぐ武装を解除することだけ」
「……はっ」
乾いた笑い声がカナヤマビコの喉を鳴らす。
「言うに事欠いて武器を捨てろだと? そうすれば助けてやるだと? 豚というのはいつの時代も同じ鳴き声しか出せんのか」
次の瞬間、体中からさらに多くの機関銃が突き出てきた。それと同時、不発に終わった電磁砲弾が砲身に飲み込まれ、再び装填される。
「この俺をコケにするのも大概にしておけ。この力は俺という存在を規定するもの。俺が俺であるためのもの。貴様ら豚と神を隔てる唯一の証なのだ……!」
黒光りする機関銃が狙いを定め、耳鳴りのような高音と共に電磁砲が稼働し、
「それを手放すことなど……できるものかよおおおおおおおおおおおお!!」
全ての弾が発射された。
はずだった。
だが、それらが進む先は本来とは真逆の方向だった。
銃身から出ていくのではなく、銃身の根元へ、さらに奥深くへとめり込んでいったのだ。
「な……!?」
意味不明な光景を前に言葉を失うカナヤマビコ。そんな彼に追い打ちをかけるような展開が続く。
煙突のように大きな電磁砲の砲身が、めりめりと不快な音を立てながら陥没し始めたのだ。
電磁砲だけではない。機関銃も、鉄腕も、それ以外の武装も何もかもが、鋼鉄の体に引き寄せられていく。
その中にいる本体を押し潰すように。
「な……何だこれは……? 俺の体に、何が起こっている……?」
これまでの態度が嘘のように狼狽するカナヤマビコ。倶久理は哀れむような眼で彼を見ると、
「磁化、ですわ」
「磁化だと……!?」
「強力な磁界に晒された金属は、やがて磁石と同じ性質を持つようになりますの。そして今、貴方の体は磁石となっています。互いのパーツが引かれ合うのは当然ですわ」
「馬鹿な、いつの間に……!? 大体、金属が着磁しただけでこれほどの力が発生するはずが──」
「ええ、普通なら有り得ませんわ。ですが、今一度思い出してくださいませ。貴方の目の前にいる方はどういった存在ですの?」
カナヤマビコの目が驚きと共に焦点を結ぶ。彼と倶久理の間にたたずむ青い光──ヒノカグヅチに。
規格外の熱を持った現神は、規格外の電磁力を持つ霊体に生まれ変わった。
銃弾を浮遊させ、超高速の電磁砲弾を止めてしまうような磁界の発生源が至近距離にあるのだ。その影響を受けた金属は、さぞ強力な磁石になることだろう。
「ぐっ……ぐうっ! ま、ずい……このままでは、潰され……ぐああっ!」
「ですから申し上げたのですわ。早く武装解除すべきだと」
自身が生み出した兵器に四方から締め付けられ、途方もない圧力が全身をひび割れさせていく。
そしてついに、決定的な崩壊が起きた。
「ぎゃああああああああああああああああああ!」
金属が軋み合い、潰れ合い、恐竜の吠声にも似た音を響かせる。その中にはカナヤマビコの悲鳴も混じっていた。
丸めた新聞紙のように圧縮されていく黒い何か。あれだけ大きかったカナヤマビコの体は、十秒ほどでサッカーボールくらいのサイズに収まっていた。
最後に残されたのは、高密度の鉄塊に半ば侵された生身の頭部だった。
「……かわいそうな方。力に囚われなければ、もっと別の生き方を見つけられたかもしれませんのに」
倶久理はカナヤマビコの前に膝をつき、その最期を見届けようとする。
救いがたい悪人だが、同情の余地がないわけではない。
せめて死の間際は安らかに。十字架を胸に置いて黙とうを捧げる。
その時、カナヤマビコが口を開いた。
「別の生き方、だと? 勝手なことを。それが豚の考えだというのだ」
鉄の下からわずかに見える唇が、わななくように動く。
「力は、使うためにあるのだ。俺は、力を振るうために作られたのだ。でなければ、奴らはどうしてこんな力を与えた? 破壊しかできない俺に、破壊が許されないのなら……俺という存在は、何のために在ったのだ?」
「……それは」
すがるような問いかけに、答えを持たない倶久理は沈黙するしかない。
人の身に余る力を持った苦悩。神という重責。それを理解できるのは、同じ立場に立ったことのある者だけなのだ。
『──それはきっと、本当の強さを手に入れるためだよ』
エコーの効いたボーイソプラノが聞こえてくる。それはヒノカグヅチが発したものだ。
その体は水のように流動し、やがて少年の形を取る。
『力に振り回されることなく、正しい意味で力を操れる者。力持たぬ人々を優しく照らす太陽。それが僕たち現神に求められていたものだったんだ』
彼は遠くに視線を移し、それから天を仰いだ。その先には御柱の頂上がある。
『そういう人がいる限り人は希望を捨てない。明日を夢見て、戦い続けることができる。……少なくとも、あの人はそう信じていたはずだから』




