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荒神学園神鳴譚 ~トンデモオカルト現代伝奇~  作者: 嶋森智也
最終章 そして日はまた昇る
205/231

第十五話 明けない夜を越えて

今話はすごく長いです。


 とても、とても暗い場所に(ひかる)はいた。

 人も、街も、野山も、空さえ見えない虚無の底。足元にはガラス片のように小さく歪な足場だけがあり、彼女はその上に立っている。

 ほんの少し前まで、ここには綺麗な花畑が広がっていた。

 蝶は舞い小鳥は歌い、暖かな陽射しが世界を祝福していた。

 だが、それらは全て失われた。外からやってきた"彼"が晄の世界を奪い取ってしまったのだ。

 簒奪者(さんだつしゃ)は瞬く間にこの体の主導権を握ると、古き城主をこの空間に押し込めた。

 もう自分の意思ではまばたき一つすることはできない。ここに残った最後の自我も、もうじき消えて無くなるのだという。

 にも関わらず、晄は絶望の表情を浮かべてはいなかった。

 逆転の秘策など無い。かといって何事にも動じぬ胆力を備えているわけでもない。

 彼女は確信しているのだ。自分が絶対に助かるということを。

 だから晄は恐れない。今考えているのはもっと別のことだ。


「ねえ、もうやめよう?」


 祈るように手を組んで、悲しげな瞳を暗闇の先に向ける。


「やめようよ」


 語るべき相手がそこにいるのかは分からない。だが、言葉は届いていると信じたかった。


「ねえってば」


 返事は無い。

 それでも晄は言葉を重ね続ける。

 相手に慈悲を乞うためではなく、慈悲を与えるために。


「その先にあなたが欲しかっていたものなんて無いよ。何よりあなたは──絶対に夜渚くんには勝てないから」





 明は絶体絶命の状況に陥っていた。

 間断なく降り続けるレーザーの嵐。封じられた異能。天高くに逃げたアマテラス。無慈悲に迫るタイムリミット。

 何もかもが致命的で絶望的だ。越えるべきハードルはどこまでも上昇し、今やバベルの塔のごとくそびえ立っている。


「アマテラスめ、ここ一番で盛り下がることをしてくれる……! さすがにそれは反則だろうが……!」


 これまでは多少なりとも切れるカードが存在していたが、今度ばかりは事情が違う。

 手札が一枚も無い。なすすべがない。今の明は振動波を撃つことはおろか波動を探知することすらできない、無力な一般人なのだ。


「ふふふ……やけに大人しくなったじゃないか。さっきまでの威勢はどこに行ってしまったのかな?」


 見下す視線はアマテラスのものだ。もう勝負はついたとばかりに翼を畳み、光子の足場に悠然と腰掛けている。

 こちらを馬鹿にしたような態度だが、それは油断でも慢心でもない。正しい状況分析だ。

 御柱が電磁放射の準備を開始した今、新たな神代を止めるにはアマテラス自身が──つまりは(ひかる)が停止命令を出すしかない。

 だが、彼女に寄生したヒルコを倒せるのは明の振動波のみ。その力が失われたということは、世界を救う唯一の手段が失われたことを意味する。


「まあ、無理もないか。きみたち荒神にとって異能を奪われるのは手足をもがれるのと同じ。その絶望たるや並大抵のものではないだろう」


 鷹揚(おうよう)に頷くと、アマテラスは望美の方に視線を移した。

 望美は息を短く切りながら磁鉄双結晶(イザナミたち)の動きに目を光らせていた。

 その足は照準を逸らすために絶えず動き続けているが、疲労の色は隠せない。立て続けのレーザー攻撃は彼女を着実に追い詰めていた。

 だが……何にも増して衝撃を与えているのは、異能が使えなくなったことだろう。

 念動力が無ければ空中にいるアマテラスに手出しすることはできない。よしんば明が振動波を使えるようになったとしても、望美の力なくしてアマテラスに近付くことは不可能だ。

 明は何も言わず、悔しさを抑え込むように奥歯を噛み締める。

 遥か上には煌々(こうこう)と光を放つ八咫鏡やたのかがみがあり、それは彼らをあざ笑うようにゆっくりと自転していた。鏡の周囲を縁取るような白光は、どことなく日食をイメージさせる。


「全てを失い、無様に地べたを這いずり回る気分はどうだい? みじめだろう? 恐ろしいだろう? その感情はぼくがずっと味わってきたものだ」


 アマテラスの顔に影が落ちる。瞳を塗り潰す暗さは二千年の(よど)みと(けが)れそのものだ。


「愛、友情、正義、信仰、そして理想。そんなもの、圧倒的な力の前には何の意味も持たない。強き者だけが欲するものを手にすることができる。力こそが絶対的な価値を証明してくれる。それがぼくの得た真理だ」


「そんなものは()ねた餓鬼の戯言に過ぎん! 暴力だけで世界が動いてたまるものか!」


「それこそ弱者の遠吠えだ。思えば奇跡が起きるのか? 願えば時が止まるのか? そう思うなら好きなだけやってみなよ」


 さあさあどうぞと動きを止めるアマテラス。

 数秒の沈黙を経て、これ見よがしに笑った。


「ほら。覚悟だ信念だとわめいても結局はこんなもの。力を取り上げられたらなんにもできない。逆らえない。果たして餓鬼はどっちだろうね?」


「いずれ分かるさ。せいぜい裸の王様を気取っているがいい……!」


 明は鋭い揶揄(やゆ)一瞥(いちべつ)で答える。だが、勇ましい口調とは裏腹に思考は泥濘(でいねい)にのたうっていた。

 勝利に至る道筋がことごとく閉ざされており、抜け道はどこにも無い。そのうえ残り時間はごくわずか。

 焦る彼を急き立てるように襲い来るレーザー。迫り来る死の予感。


「くっ……!」


 辛くも逃れ、己が拳に目を落とす。見慣れたはずのそれはとても小さく、頼りなく見えた。

 今になって思い知る。異能はずっと自分と共に在ったのだ。

 自分がここまで生き抜いてきたのは異能の助けがあったから。でなければ、自分は今頃志半ばで死んでいただろう。


(だが、それに頼れないとなったら……どうする? 俺は、どうやって自分の意志を貫けばいい?)


 潔く敗北を認めるなど断じて御免こうむるが、針穴程度の隙すら見つからないのではお手上げだ。

 "こうありたい"という思いはあるのに、そうあるための力が無い。

 まるで海のど真ん中をさ迷っているような気分だ。もがけどもがけど陸地は見えず、重く冷たい海水が熱を奪っていく。

 ままならぬ歯がゆさに蝕まれ、我知らず本音を吐き出してしまう。


 ──異能さえあれば。


 明がそうつぶやいた時、


「違う」


 はっきりとした否定の言葉が返ってきた。

 口にしたのは望美だ。いつもながらに抑揚の乏しい声だが、(とが)めるような視線には激しい感情が宿っている。


「望美……?」


 ただならぬ雰囲気に圧されつつ、戸惑いがちに聞き返す明。

 望美はレーザーのただ中を果敢に突破すると、マッハで明に走り寄り、


「──ッ!!」


 明の頬を張った。

 小気味の良い快音が先に来て、次に驚きが来て、三歩遅れて痛みがやってきた。

 戦場の時間が一瞬だけ止まる。

 あのアマテラスまでもが呆気(あっけ)に取られて動きを止める中、望美はこちらにぐいっと顔を寄せた。


「夜渚くん、あなたは異能があったから橿原市(このまち)に戻ってきたの?」


「なっ……!? おい、(やぶ)から棒にどうした?」


「答えて。夜渚くんは異能があったから妹さんの敵を討とうと思ったの?」


 そんなわけが無いだろう、と答える前に次の質問が来た。


「夜渚くんは異能があったから現神(うつつがみ)を恐れなかったの?」


 違う。あんな奴らにビビるなど俺のプライドが許さんからだ。

 と声に出そうとして、また質問が畳みかけられる。


「初めて会った時、夜渚くんは異能があったから私を助けようとしたの? もしも異能が無かったら、あなたは私を見捨てていたの?」


 違う!

 と強く答えようとしたが、その役目は奪われてしまった。否定したのは望美自身だ。


「違うでしょう。夜渚くんはそんな人じゃない。そんな低レベルな理由で戦ってない!」


 徐々に喉を震わせ、意識を揺さぶるような大声で、


「私たちは、そうしたいから戦ってきたんでしょう!? 勝てるとか勝てないとか、力の有る無しじゃない! たとえ異能が無くたって、あなたはきっと戦っていた! そうでしょう!?」


 一息に言い終え、言葉が止まる。

 そこまで来てやっと明のターンが回ってきた。


「……その通りだ」


 そう。

 そうなのだ。

 異能など関係無い。確かにあれば便利だが、無くても明のやることは変わらない。

 理不尽に憤然と立ち向かい、死力を尽くし、そして──勝つ。

 明は、その思いを糧に戦ってきたのだ。


「そうだ。そういえば俺はそんな奴だった」


 異能を失ったことで柄にもなく気が動転していた。

 よくよく考えてみれば、普通の人間は異能など持っていない。

 人類みな無能力。そういう視点から見れば、単にボーナスタイムが終了しただけという捉え方もできる。

 つまり、ここから先が本当の戦い。夜渚明の真価が問われる時なのだ。


「目が覚めた?」


「ああ。つまらん寝言を聞かせてしまったな」


「別にいい。人間、たまにはそういう時もあるから」


 望美の顔にはささやかな笑みが滲んでいた。

 とんでもない女だ。明に劣らず豪胆で、それでいて明よりも明を知り尽くしている。

 もしも神がいるなら頭を下げて感謝しているところだ。なんなら財布の中身を丸ごと賽銭箱(さいせんばこ)に入れたっていい。彼女のような相棒に巡り合えたことは、明にとって望外の幸運なのだ。

 そして、この幸運に報いるための方法は一つしかない。


「茶番はそこまでだ! 二人仲良く黄泉路へ堕ちろ!」


 アマテラスが腕を振り、動きに応じてレーザーが薙ぎ払われる。

 明と望美は互いを突き飛ばすように離れると、大きく迂回するような軌道でアマテラスの真下へ近付いていく。

 離れる直前、望美が小さく頷いた。それは彼女なりのエールだ。


(落ち着け、夜渚明。残された時間を有効に使って、ひとつひとつ情報を整理していくんだ)


 何ができて何ができないのか。それを成すにあたって必要なものは何か。

 アマテラスの猛攻を紙一重で(しの)ぎつつ、明は死にもの狂いで頭を働かせる。


(俺たちの勝利条件はアマテラスに振動波をぶち込むことだ。ヒルコを排さねば神代は止められず、晄も元に戻らない。だが、八咫鏡がある限りこちらの異能は封じられたままだ。要するに八咫鏡さえどうにかできれば……)


 思考の途中、明は胸元に手を添えた。制服越しに感じる固さと確かな重みは、黒鉄(くろがね)から託された例のアレだ。

 これを使えば八咫鏡を破壊することはできる。ここにあるこれは、そうと信じられるだけの実績を重ねてきた。

 問題は距離だ。今のままでは八咫鏡に攻撃を届かせることができない。

 なぜなら八咫鏡はアマテラスよりさらに高い位置にあり、空を飛べない明にはどうすることも──


(……そういえば、八咫鏡はどうして浮いているんだ?)


 それは素朴な疑問だった。

 イザナミとイザナギは電磁力の塊だ。タケミカヅチよろしく電磁誘導の原理で浮遊しているのだろう。

 アマテラスは異能の応用だ。凝縮した光子を足元に敷き詰め、それが間に合わない時は光の翼で揚力を得ている。

 なら、八咫鏡は? あれも自身の有する不可思議な力によって飛んでいるのだろうか?


(いいや、違う。八咫鏡にそんな効果は無い。あれは……アマテラスが浮かせているんだ)


 鏡を包む白い光はアマテラスのレーザーや翼と全く同じ色をしている。

 光子を利用した座標の固定。アマテラスが空中に留まっていられるのとほとんど理屈は変わらない。

 大体、荒神狩りで忙しい時期にこんなものを作るだけでも一苦労なのだ。いくらヒルコでも異能封じ以外のオプション機能を付ける暇は無かったはずだ。

 よって、結論。

 アマテラスが異能を解除すれば、八咫鏡は地面に落ちてくる。

 最高に論理的で、最高に破綻した結論だ。アマテラスを倒すために鏡を壊そうとしているのに、そのためにはまずアマテラスを倒さなければならないときた。

 皮肉に満ちた堂々巡り。終点の存在しないメビウスの輪。


 しかし。

 その矛盾を断ち切る最後のピースが、


(──あった)


 おそるおそる内ポケットを探る。自分の考えが信じられないといったように。

 今の今まで忘れていた。

 これといって使いどころも無く、明自身も使う気は無く、だからといって捨てることもできず、やむなく持ち続けていたのだ。

 だが、これを使えばアマテラスには対処できる。

 最後の障害は高さだ。この作戦はアマテラスを至近距離に捉えることで初めて成立する。

 必要なのは、天に至るための足掛かり。

 見れば、玉座の近くでは直方形の水晶体がまだ浮遊していた。稼働中の演算装置だ。

 それぞれの水晶体は一定の速度ですれ違っているため、その気になれば上へ上へと乗り継いで高さを稼ぐことはできそうだ。

 無論"ある程度なら"だ。一番上の水晶体でもアマテラスより五メートルは下にある。

 その五メートルを縮めようとするなら、あとはもうアマテラスを引きずりおろすしかない。


「望美、アマテラスを下に誘導することはできるか?」


「下に? それって、地上に下ろすってこと?」


「そこまで贅沢は言わん。もう少しだけ……あと数メートルだけ下に来てくれればいいんだ」


「……それくらいなら、できなくもない。ただ、犠牲が必要」


「犠牲だとっ!?」


 慌てて明が止めようとするが、既に対価は支払われていた。

 小さく謝罪し、力いっぱいスカートに拳を叩きつける。ポケットの中で砂を踏みしめるような音が生まれた。


「さようなら、私のお気に入り。あなたのことは二か月ぐらい忘れない」


 強く蹴り込みレーザーを回避。まばゆい光が横切る直前、ポケットからつまみ出した何かを指で弾く。

 その瞬間、レーザーが枝分かれした。

 米粒ほどの小さな光は同胞たちに別れを告げると、およそ見当違いの方向──アマテラスの方に舵を切る。


「……ん?」


 しばらくの間、アマテラスはきょとんとした顔をしていた。

 その手が自身の頬に触れ、付着したわずかな血に気付く。そして目の色を変えた。


「……光の反射っ!? 貴様、鏡を使ったのか!」


「それも反射率99%の高品質。税込七千八百円の威力はどう?」


 恨みがましい一言をこぼすと、望美は手鏡のフレームを投げ捨てた。多数の破片を握り込み、レーザーの軌道上に飛ばしていく。

 どんなに強力なレーザーだろうと、その本質は光に過ぎない。ガラス面が高熱で溶かされるまでのコンマ数秒、それは邪悪を跳ね返すアイギスの盾となる。


「こしゃくな真似を……! だが、無駄なあがきだ! そんなか細い光では八咫鏡を破壊することなどできない!」


「でも、あなたにはダメージを与えられるみたい。新田さんの体はまだ人間。お腹に穴でも空けば、もう動けない」


「だとしても、当たるものか!」


 いくつもの光条が交差し、SF映画の艦隊戦さながらの映像を作り上げる。

 望美は破片の角度を調整し、幅広い範囲に弾幕を張る。アマテラスは幻像を駆使することで対応しているが、望美の巧みな戦術にやや押され気味だ。


「どうなってる……? ただ鏡を投げ入れているだけなのに、なぜ正確に狙いを定められる!? 一体どんな手品を使っているんだ!?」


「昔取った杵柄(きねづか)。夜渚くんに会うまでの数か月間、私は一人で八十神(やそがみ)と戦ってきた。だから色々な戦い方を知ってる」


「適当なことを言うな! それは異能あってのことだろう!」


「お鍋が無ければフライパンを使う。お箸がなければフォークを使う。私にとって異能はツールの一つに過ぎない。……あなたは違うようだけど」


 あえて刺激するような言葉を選び、アマテラスの注意を引き付ける望美。

 こちらへの攻撃が手薄になったタイミングで、明は地面近くの水晶体によじ登った。


「それで、あなたはどうするの? レーザーを止めればひとまずは安全だけど、その間に私たちは次の作戦を思いつくかもしれない。それどころかレーザーを止めさせることが本当の目的かもしれない」


「ふん、そんな言葉に惑わされるものか! きみたちの魂胆は見え見えだ!」


 その途端、アマテラスが明の方を向いた。


「何を企んでいようと関係無い! 振動波の使い手が消えれば、ぼくの勝利は揺るぎないものとなる!」


 チャージを終えたイザナミがこちらを見下ろしている。二十四面体の先端が白亜の咆哮をあげる前に、明は次の水晶体に飛びついていた。

 一瞬遅れて発射されるレーザー。それは透明な水晶体をすり抜けていき──


「そうくると思った。夜渚くん、ナイス(デコイ)


 ダーツのように投擲(とうてき)された鏡の破片を飲み込んだ。


「ちいっ……!」


 アマテラスは光子の足場を蹴って虚空へと身を乗り出す。

 が、避けきれない。

 反射したレーザーは彼女の髪を撫でた後、進路上にあった光の翼をしたたかに撃ち抜いた。


「──っ」


 息を飲むアマテラス。その体がぐらりと傾き、自由落下を始める。

 翼が再構成されたのはたったの二秒後。その二秒で彼女は五メートルほど下降し、明は一番上の水晶体まで上り詰めていた。

 これで高さは同じ。残るは距離だ。

 体しならせ、反動を付けて跳躍。アマテラスはもう目と鼻の先だ。


「取った!」


「ぐむうっ……!?」


 右手を伸ばし、両頬を万力のように掴み込む。

 そして、開いたままの口内に"それ"を放り込んだ。

 それは狙いを(あやま)たず、喉奥深くにチップイン。生物の本能は突然の異物を反射的に飲み下してしまう。


「この……離れろ、無礼者がっ!」


 およそ少女とは思えぬような怪力。跳ね除けられた明は放物線を描いて落ちていく。


「ぐおっ……!」


「くうっ……!」


 下では望美が受け留め体勢に入っていたが、さすがに抱えきることはできなかったようだ。明の体はとりあえず死なない程度の減速を経て、地面に叩きつけられた。

 だが痛みに悶えるのは後でいい。作戦が確実に成功したかどうか、それが明の懸念事項だった。


「なんという不敬……王の唇を汚すとは……!」


 アマテラスは嚥下(えんげ)したものを吐き出そうとしているが、どうやら手遅れのようだ。あれは食道を通り越し、胃袋まで到達してしまったに違いない。


「夜渚明……貴様、ぼくに何を飲ませた!?」


「お前が泣いて感謝するような物だ」


「ふざけるな! どうせロクでもない物だろう!」


 アマテラスの表情は嫌悪感と不快感に歪んでいるが、それ以外の異常は見当たらない。

 本人もそれに気付いたのか、次第に落ち着きを取り戻していく。


「……まあいい。大方痺れ薬か睡眠薬の類だろうが、どうせ薬の効き目が表れる頃には神代が始まっている。即効性のある毒薬なんてきみたちには用意できるはずもないしね」


 あざけるように言った後、光の翼を大きく広げ、


「だが、このぼくを(はずかし)めた報いは受けてもらう! 命果つるその瞬間まで、焼けつくような苦しみを味わうがいい!」


 攻撃が再開された。

 これまでの二倍近く大きなレーザーが、これまでより高いサイクルで連射される。

 一瞬でも立ち止まれば死ぬ。一度でも読み誤れば死ぬ。

 回避に専念してすらこの有り様だというのに、アマテラスのコンディションは上り調子だ。ますます激しくなっていく敵の攻撃を前に、明たちはただただ逃げ惑うしかない。


「あはははははっ! 凄い! 凄い! これがアマテラスの力か!」


 アマテラスは子供のようにはしゃいでいた。

 無邪気に瞳を輝かせ、力に胸を弾ませる。笑い声がひときわ大きくなったかと思うと、レーザーの出力がさらに上がった。


「夜渚くん……!」


 息も絶え絶えな望美の声。明も似たような声で激励を返す。


「耐えろ! たぶんあと少しだ!」


「たぶんって……どれくらい?」


「分からん! 分からんが……きっと大丈夫だ! 俺が言うんだから間違いない!」


 応えるようにレーザーが止まる。

 しかし、それは明の期待した流れではなかった。


「そうだなぁ……やっぱり、このままダラダラと続けても面白くないよね。せっかくだから思いきり派手な殺し方をしてあげるよ」


 星々の光が消え、暗幕を垂らしたような闇が天頂からゆっくりと広がっていく。

 それと同時、イザナミとイザナギに無数の燐光が寄り集まっていく。この辺一帯に漂う光子を一つ残らずかき集めているのだ。


「誇りに思うといい。アマテラスの真の力を目にするはおそらくきみたちが最初で最後だ」


 漆黒の(とばり)の中に浮かぶ、二つの太陽。そのサイズは山よりも大きく、放つ光は目を閉ざしても防ぐことはできない。

 明はもう足を止めていた。これ以上逃げることは不可能だと分かっているからだ。

 やるべきことはやった。人事は尽くした。

 あとは……待つだけだ。

 アマテラスが二つの太陽に手を伸ばしていく。

 その指先が光の表面に触れた時、運命の時が訪れた。


「終わりだ、夜渚明っ! 王の威光をその身に浴びて死んでいけえええええええええええええええええ!!」


 振り下ろされる断罪の(あぎと)

 アマテラスの両手が×の字に交差し、



「──が、はっ」



 アマテラスが、血を吐いた。


「あ……? 何……が……?」


 ぼたぼたと、よだれのように血を垂れ流すアマテラス。

 二つの太陽は先ほどの輝きが嘘のように消滅し、広い宇宙に星の光が戻っていく。

 光子の足場も消える。光の翼も、急速に光を失いつつあった。自重を支えきれなくなったアマテラスは急降下し、ほとんど落ちるような勢いで玉座に倒れ込んだ。


「……馬鹿な」


 ふらふらと立ち上がり、愕然とした表情で己が手を見る。

 それからすぐに、燃える瞳を明に向けた。


「夜渚明……! 貴様が何かしたのか……!」


「だから言っただろう。泣いて感謝するような物だと」


「あの時の薬か……! 一体何を飲ませた!?」


「何度も言わせるな。泣いて感謝するような物。お前の大好きな力を手軽に得られる物。それを二つばかりお前の口に放り込んでやった。やはり服用量が二倍だと副作用が出るのも早いな」


「……まさかっ!?」


「そう、ヤサカニだ」



 ──ヤサカニは荒神に力を与えてくれますが、それはあくまで"前借り"に過ぎないんです。効果が終われば、使った分は取り立てられる。体に無茶をさせた利息付きで……ね。



 シナツヒコとオオクニヌシの亡骸(なきがら)から入手した二つのヤサカニ。明はそれをずっと持っていたのだ。

 三貴士だろうと最強だろうと、荒神は荒神だ。

 ヤサカニを食えば強くなる。反動が来れば異能を失う。その決まり事を破ることはできない。

 アマテラスが打ちひしがれたように立ち尽くす中、明は走り出す。進む先にはきりもみしながら落ちてくる八咫鏡があった。


「……確かに、ここまではよくやったと誉めてやろう。だが、それだけだ! 八咫鏡は高天原の技術を粋を集めて作られた秘宝! ただの人間に破壊できるようなガラクタじゃあない!」


 明の意図を悟ったアマテラスが安堵の表情を浮かべる。


「八咫鏡は壊せない! 神代も止まらない! ぼくの勝ちだ!」


「いいや、壊せる。俺にはこれがあるからな」


 布袋を取り出し、乱暴に封を切る。

 そこにはナイフと表現してもいいような小刀が入っていた。珍しいことに鞘は金属製で、鞘の中にはそれと同じ色をした刀身が見える。

 思うに、黒鉄は刀の一部を利用して鞘を鋳造したのだろう。そうしなければこの刀は鞘ごと切り裂いてしまうからだ。

 明は鞘を投げ捨てると、小刀を逆手に握る。

 まるで新雪のように美しい、白銀色の刀身。それを見たアマテラスがあっと声を上げた。


「その刀は……!」


 タケミカヅチの愛刀であり、妹の命を奪った忌むべき刀。

 あらゆる分子を断ち切る世界最強の刀──フツノミタマノツルギ。

 明はそれを、鏡の中心に突き立てた。


「おお──!」


 鐘を打つような音が生まれ、卵の割れるような音に育つ。

 その直後、鏡の中心から稲妻のようなヒビが広がっていき……それが末端まで到達した瞬間、木っ端みじんに砕け散った。

 跳ねる欠片(かけら)は宙を舞い、まるで朝霧のように明を包む。


「……よし」


 突き抜けるような爽快感と共に、明の体に異能が戻ってくる。

 慣れ親しんだ戦友を笑顔で迎えると、明は告げる。

 最後の戦いを。


「さあ、始めるぞアマテラス! これが最終ラウンドだ!」

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