第十四話 蝕の兆し
戦いの始まりを告げたのは、鼓膜を打つような激しい放電音だった。
磁鉄結晶イザナミの表面が青一色に染まり、程なくして白へと移り変わる。アマテラスの異能──光を操る能力が、生成された電磁波を糧に大量の光子を作り出したのだ。
「この星の人間たちは古くから太陽を信仰してきた。昇る朝日を歓喜と共に迎え、沈む夕日に再度の訪れを祈る。時には生贄まで捧げるほど、二度と太陽が昇らないことを恐れていたんだ」
次にイザナギが放電を始め、これもまた光の膜に覆われていく。目もくらむような光が天空に座する様は本物の太陽に勝るとも劣らない。
「だが、それも今日で終わる。新たな太陽は決して沈むことなく、この星に永久の繁栄をもたらすだろう。アマテラスの名のもとに!」
光の膜に波紋のような揺らぎが生まれた時、イザナミが吠えた。
放たれる極大のレーザー。この世界が規定せし限界速度、秒速三十万キロメートルで突き進む光の矢。
超絶的なエネルギーの塊は屋上の床を大きく抉った後、そのまま宇宙の果てへと消えていく。
「ふふ、何とか避けられたみたいだね。もっとも、これで終わってしまったら拍子抜けしてたところだけど」
明と望美は発射の寸前に射線から逃れていた。だが、それは余裕を持った回避行動ではない。レーザーの通過痕は彼らの足元すぐ近くまで及んでいる。
「好きなだけあがくといい。きみたちが何をしようと結末は変わらないのだから」
今度はイザナギが震え、直後にレーザーが照射される。
明はとっさに横っ跳びで回避。光は革靴をわずかにかすめ、そのつま先から焦げた匂いを立ちのぼらせた。
「くそったれめ……この靴がいくらすると思っているんだ」
異臭に顔をしかめる明。懐具合を勘定しつつ「それでも直撃よりマシ」と自分に言い聞かせる。
あのレーザーは超古代の技術が結集された御柱の構造体を簡単に溶かしてしまった。これに比べれば、タケミカヅチの雷撃ですら子供の火遊びに思えてくる。
「洒落にならん威力だな。当たれば即死の攻撃にはもう慣れっこだが、それにしたって程度があるだろう」
「だけど、実際にレーザーが発射されるまでにはタイムラグがあるみたい。それに連射もできない」
「付け入る隙がないわけではない、か。とはいえ、敵もその欠点は十分認識しているようだが……」
視線の先には再びチャージを始めたイザナギがあり、アマテラスを挟んだ逆サイドにはチャージを終えて真っ白に輝くイザナミが見える。発射のタイミングをずらすことでリロードの隙を無くそうというのだろう。
まさに沈まぬ太陽。絶え間なく放たれる超速超火力の弾幕に対して取れる対策は、たった一つしかない。
「動き回って狙いを散らせ! 絶対に足を止めるな!」
「分かってる!」
阿吽の呼吸で別々の方向に走り始める二人。それを見たアマテラスはしばし思案し、尖らせた指先を明の方に振り下ろした。
「イザナミ、そしてイザナギよ! 未だまつろわぬ荒神に裁きを下せ!」
明の後を追うように、次から次へと光の柱が落ちてくる。
機械仕掛けの夫婦神による絶妙なコンビネーションは明に息つく暇すら許さない。狂気じみた執拗さは彼に対する警戒心の表れだ。
「殺せ、ナキサワメの眷属を! 路傍の花を手折るように、一片の慈悲も無く! 神に涙は要らぬのだと、自ら証明してみせろ!」
上空から降ってくる興奮気味の声。それは破壊の音にかき消されることなく明の耳に届いている。
アマテラスは狂喜しているのだ。ようやく明を殺せることに。
それと同じくらい恐れているのだ。明が全てをひっくり返してしまうことを。
(何だかんだ言ってもやることは同じだ。いつものように振動波をぶち込んで、晄の中に巣くうヒルコを倒す。問題はどうやって奴に近付くかだが……)
明は回避に専念しつつ、視界の端でアマテラスの様子を盗み見た。
アマテラスは御柱の頂上からさらに二十メートルほど上を漂っている。空中に光子でできた足場を作ることで、疑似的な飛行能力を獲得しているのだ。
彼女があえてそうする理由は考えるまでもない。振動波対策だ。
明の振動波は触れることで初めて効果を発揮する。逆に言うと、手の届かない場所にいる敵に対しては全くの無力なのだ。
(なら、どうする? 悠長にスタミナ切れを待つか? それとも……いちかばちか撃ち落としてみるか?)
晄には若干申し訳ない気もするが、神代を阻止できなければどのみち晄の自我は消滅してしまうのだ。多少の怪我は我慢してもらうしかない。
明は転がりながらレーザーの下をくぐると、起き上がりざまに望美を見た。
望美が明に気付くと同時、手ぶりで「やれ」と指示を出す。彼女はすぐさまこちらの意図を理解した。
「射出っ」
撃ち出したるはフルメタリックのボールペン。壮大な天の川をバックに駆ける姿はスペースシャトルにも似ている。
「小賢しい」
背中の光輪が左右に割れて、翼のように展開。気流に乗ったアマテラスは俊敏な動きで攻撃をかわす。
「徒労だったね、オモイカネ。そんなオモチャじゃ──」
「射出っ」
「──ッ!」
望美は既に二発目を発射していた。それは一発目よりもさらに速く、狙いもさらに正確──かに見えた。
そう見えただけだ。実際は的外れな方向だということを彼女は知ることになる。
「下郎が! 無駄だと言っている!」
くわっと顔を怒らせるアマテラス。途端にその姿がぶれ始め、命中したはずのボールペンがすり抜けていく。
先ほども見せた光の虚像。感覚の大半を視覚に依存した人間にとって、その真贋を見分けることは不可能に近い。
だが、そうでない人間もいる。
一般的な五感に頼らず、直接"波動"を探知できる者。明はアマテラスが本当に回避した方向を見抜いていた。
「仰角六十、二時の方向! 飛ばせ!」
言うなり明は望美の前に飛び出した。
最小限に短縮した符丁。これで三度目だ。何を飛ばすかなど、改めて口にする必要も無い。
「了解。射出」
撃ち落とすことが困難なら、明自身が飛んでいけばいい。
背中に望美の手が触れる。明の体にありったけの念動力が注ぎ込まれ、
「──くくっ」
その時、アマテラスの忍び笑いが聞こえた。
光の迷彩が解除され、本物のアマテラスが姿を見せる。胸を反らして両手を広げ、まるでこちらを挑発するように。
……まずい。
根拠は無いが、強くそう感じた。
冷や水をかけられたような悪寒が全身を支配し、自然と体が強張っていく。このまま突撃することは危険だと、明の本能が警告を繰り返していた。
だが、そうはならなかった。
突撃することすらできなかった。
その体はいつになっても撃ち出されることなく、棒立ちのまま望美に押されている。
「……は?」
「……え?」
明と望美が疑問の声を上げたのは同時。
望美はおそらく念動力が発動しなかったことに対する疑問。そして明は、アマテラスの波動が突然消失してしまったことに対する疑問だ。
いや、アマテラスだけではない。すぐ後ろにいる望美の波動も、それどころか自分の波動すら感じられない。イザナミとイザナギの電磁波もだ。
「これは……!?」
その瞬間、明の脳裏に不吉な想像がよぎった。
もしやと思い、拳に異能を込めようとして、
……何も起こらない。
どれだけ強く握っても、いつものように振動波を練り上げることはできなかった。
つまり、これは、ここまで来て考えたくもないことだが、
「異能が……使えない」
「……私も」
その絶望的な事実を口にした時、空に新たな光が満ちた。
イザナミとイザナギの光とはまた違う。アマテラスの頭上にもう一つの光源が出現している。
「大王ニニギは現神となったのち、同じく神となった臣下の謀反に備えて"ある物"を作らせていたという。研究は道半ばで放棄されたが、もし完成していれば彼らの治世は今も続いていただろう」
それは直径五十センチほどの円盤だった。円盤の縁は白い光に彩られており、中心部の透き通った輝きは磨き抜かれた鏡のようだ。
「ぼくはそれを完成させた。そして、神々を統べる王に有ってしかるべき力を手に入れた」
「有ってしかるべき力……だと?」
「もう分かるだろう? 分かってしまっただろう? ……ふ、ふふふ、あはは、あはははははは!!」
けたたましい笑い声が空に広がっていく。それは絶対的優位に立つ者だけが見せる酩酊した響きを帯びていた。
「高天原の秘宝、八咫鏡! これは荒神因子に干渉し、全ての異能を封印する! もちろん、ぼく以外のね!!」




