第十三話 日出ずるところに我はあり
アマテラスは世界で最も天に近い場所から明を見下ろしていた。
いと高き御柱の上、階段状に積み上げられた水晶石の最上段。そこは五メートル四方の平らな雛壇となっており、壇上には石造りの玉座が一つだけ置かれていた。
玉座の意匠は絢爛豪華。ありとあらゆる部分が大粒の宝石によって彩られ、高く伸びた背もたれには王権の正当性を主張する碑文が刻まれている。
それはさながら、この御柱そのものが頭上に戴く王冠のようでもあった。
だが、その時の明が感じていたのは芸術的感動でも畏敬の念でもなく……たとえようの無いもの寂しさだった。
この空間は王以外の存在を許容していない。
王妃の席も、臣下の侍る場所もない、孤独な玉座。
その上で満足げに頬杖を立てる彼女は、この世の誰より世界を拒絶しているように見えた。
「やはり来たか、夜渚明。どうやらきみという存在はぼくの人生において避けがたいもののようだ」
太陽を模した頭飾りに、足先まで覆う白の長衣。そして、微風になびく亜麻色の髪。響く声にはこれまでにない威厳のようなものが備わっている。
あるいは、この立ち居振る舞いこそが本来のヒルコなのかもしれない。
ヒルコがヒルコとなる以前、一人の人間として在った頃の姿。尊大さと求心力を兼ね備えた表情は、その将来を嘱望された若き王子の面影を映していた。
「まったく現神も不甲斐ない。あれだけの兵力を預けたというのに、きみたちの侵入を簡単に許してしまうんだから。これは後でおしおきが必要かな」
ころころと笑いつつ、ゆっくりと天を見上げ、
「でも……いいや。特別に許してあげるとしよう。今夜は最高に気分がいいからね」
アマテラスの片手が無造作に空をかくと、玉座の前に半透明のモニターが浮かび上がる。
上から下へ、滝のように流れていく古代文字の奔流。それら全てに目を通した後、アマテラスはモニターに手をかざした。
軽やかな電子音が聞こえたかと思うと、前触れもなくモニターが消える。
直後、床と階段を作っていたいくつもの水晶石が宙に浮き、玉座の周囲を遠巻きに巡り始めた。その表面には先ほど見たような古代文字が無数に蠢いている。
そこで明は気付く。この水晶ひとつひとつが御柱の制御装置なのだ。
「今、天之御柱に最後の命令を下した。出力が規定のレベルを上回り次第、電磁放射が開始される」
「だが、今はまだ既定のレベルとやらに到達していないんだろう? なら問題はない。お前を秒殺して装置を止めればいいだけだ」
「無駄だよ。御柱はもうぼく以外の操作を受け付けない」
「正確には"晄以外の操作を受け付けない"だろう」
「ふふふ。だったら何だい? きみに何ができる?」
嘲るように目を開き、邪悪な笑みを濃くするアマテラス。
「アマテラスは三貴士の頂点に君臨する存在、名実ともに史上最強の荒神だ。覚醒したアマテラスは現神すら寄せ付けない。まして荒神など、物の数にも入らないさ」
「メーカー公称のカタログスペックなど参考にならん。男なら拳で語れ。いや今は女だったか? まあどちらでもいいか」
「相変わらず品の無い男だね、きみは。その減らず口がもうすぐ聞けなくなると思うと寂しい限りだよ」
「お前がそれを言えた口か? 借り物の力を我が物のようにひけらかすのはそれこそ下品の極みだろうに」
「私もそう思うかな。それはあくまで新田さんの力で、あなたの力じゃない」
望美は壇上のアマテラスに真っ直ぐな視線を向ける。
「アマテラス、あなたはこんなやり方で本当に満足なの? たとえ神代が訪れたとしても、あなたは決して真の神には至れない。"神になった新田さんに憑りついたヒルコ"がいるだけ。それは本当にあなたが望んでいたこと? むなしいとは思わないの?」
それは望美なりの最後通告なのだろう。見た目はいつものポーカーフェイスだが、セーラー服の袖口からはカッターの刃先がちらりと見えている。
明は来るべき瞬間に備え、アマテラスの返答を待つ。どのような言葉であれ、それは開戦を告げる号砲にしかならないだろうから。
そして、事実そうなった。
「お気遣いなく。新たな神代が始まれば、ぼくとかのじょは遺伝子レベルで融合することになる。電子のゆりかごはぼくたちを優しく包み込み、二つを一つに溶け合わせる。王の器に、王に相応しき魂が宿るんだ。さぞ感動的な光景だろうね」
「気持ち悪い」
「あははっ! 言うねえ!」
「黙って。不愉快」
早撃ちガンマン顔負けの速度で腕を上げ、袖に隠したカッターを発射する。
完全に虚を突いた一撃。アマテラスはぴくりとも動かず、迫る刃にも無反応だ。
それは速過ぎて回避が間に合わないというより、まるで最初から攻撃を認識していないようで──
「望美、避けろっ!」
明は思わずそう叫んでいた。
避けるべき何かが見えたというわけではない。だが、アマテラスがこのタイミングを逃すとは思えなかった。
本物のアマテラスは、あそこにいないのだから。
「──かつて、異教の神は最初に『光あれ』と宣言し、次に世界を作ったという」
カッターが渇いた音を立てて玉座の背もたれにぶつかった。
そこにアマテラスの姿は無く、どこからか声だけが聞こえてくる。
「せっかくだからぼくもそれに倣ってみるとしよう。まずは浄化の光を。そののちに新生を!」
そして光が瞬いた。
刹那の輝きが消えた後、明の横には深く大きな穴が開いていた。
穴の断面は蒸気を吹き上げながらドロドロに溶けており、反対側の淵では望美が驚愕に目を見開いている。
「夜渚くんが警告してくれたおかげで間に合ったけど……今のは……何?」
「超高出力のレーザーだ。おそらく、上にあるあれに蓄えられた電磁波を可視光に変換して照射したんだろう。光は大別すると電磁波の一種だから、アマテラスならそういった芸当ができてもおかしくない」
「理屈はなんとなく分かるけど……上にあるあれ、って?」
「見れば分かる。今ならお前にも見えるぞ」
明は両手を掲げると、玉座の斜め上を左右それぞれの指で示す。
そこには途方もないサイズの結晶体が二つ浮かんでいた。
双子のような結晶体は寸分違わず精密にカッティングされた正二十四面体であり、その表面では虹色のスペクトルが絶えず流動し続けている。
見たことのない物体だが、それが放つ電磁波の強さとここにある理由を考えれば、正体を推測することは簡単だった。
「……磁鉄結晶、イザナミとイザナギ。こんなところにあったとはな」
それは初めからそこにあった。しかし、視認できるようになったのはついさっきだ。
玉座にいた幻のアマテラスと同じ。複雑な光の屈折によって"そこには何も無い"と誤認させられていたのだ。
「イザナミとイザナギ。王の器。そして雷の力。今ここに全てが揃った」
歌うような声は玉座の真上から。
二つの磁鉄結晶を従えるように、アマテラスが浮いていた。
背中には美しい光の輪。それは後光のように輝いて、あまねく世界を照らしだす。
「さあ──始めようか。全ては新たな神代のために」




